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The sweet little thing that everyone has a hunger to have
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しおりを挟む彼は奴隷商人にはおおよそ相応しくない風体の貧弱な仔どもだった。モモセと同年齢と仮定するなら十四歳程度か。もっとも種族によっては姿形は若いまま年を重ねるものもあるから、一概には言い難い。しかしいまだ成長途中に見える子どもの年齢は、基本的に人間を基準に考えることができる。
耳の形から察するに犬かそれに類似する獣種だ。見目は悪くないがモモセのように鎖には繋がれていないことから、彼が商品ではないことが窺えた。しかしかつてはそうであったのだろう。鎖の跡が、手首や白い首筋に残っている。
名はクテイと言うらしい。
「は、い。ホヅミさん」
変声期を迎えていないらしい、高いが柔軟性に富んだ声で、クテイは返事をした。その音は震え、怯えているのがありありと伝わってくる。ホヅミと呼ばれた咥え煙草は短くなったそれを床に棄て、靴先で揉み消す。そうして萎縮しきったクテイに目を向け、苛立たしげに眼を細めた。かと思うと悪意に染まった喜色を瞳に刷き、新しい煙草に火を点ける。ホヅミは例の、絡みつくような口調をクテイに向けていた。
「どっちがいい? クテイ。道楽貴族の親父どもに売るのと、研究所に売るのと。お前さんはどっちが好みだ?」
「――……お、俺、が。決めなくちゃ、いけませんか」
目を見開き、忙しなく何度も指を組みかえ、クテイは訊ねた。ホヅミから目を反らしたせいでモモセと合うことになった目が、刹那の勢いで背けられた。
「お、俺、は。どっちもイヤ、です。スラムに、帰してやって下さい、」
「……あー――」
小さく、しかしはっきりとした言葉に対し、途端にホヅミは白けた表情となり、紫煙と一緒に間延びした音を吐きだした。
「お前さん、まだそんなこと言ってんの? 諦めな、応えなきゃ今すぐバラすぜ、めんどくせェな」
ホヅミはそう言い切るなり、コートの内に手を入れた。
人を殺すことに躊躇いを覚えていないだろう男が取り出したのは、使い込まれているのがよく分かるジャンビーヤだった。刃渡りは男の腕の長さと同じか、ややそれを越えている。繊細な意匠が施された木製の手持ち部分には細かい傷が入っているが、刃はきれいに研がれてある。しかし刃は鋭くとも油で重ねた曇りは残るものだ。
骨を断つには不向きだが肉だけならば十分に足る長さだったことから、彼が戯れ言として先程の言葉を口にしたのではないことが分かった。
緊張を覚えていない足取りで、ホヅミは数歩モモセに近づく。
モモセは戦いて尻を引き、ホズミから距離を取ろうとした。限界まで開かれた目が眼球に冷たい輝きを一杯に映す。
にィとホヅミの口角が持ち上がった。
彼の手の中で、ナイフは踊るように向きを変えた。つまり、モモセに切っ先を当てる形で。
「っ――!」
自身を抱えた掌が熱かった。もう一度逃れるべくモモセはその手を床につき、身体を引き摺ろうとした。
しかし、それは叶わずに終わる。わずか、鎖が触れあう不協和音が上がっただけだった。
「――ッヅミさん!」
不意にクテイが悲鳴をあげた。
恐怖と緊張がない交ぜになった声。顔はひどく歪んでいて、耳と尻尾は逆立っている。
モモセには何がどうなったか、全く分からなかった。ホヅミの右腕に抱きついたクテイはそのまま彼の腕を引き、モモセから引き離す。上体を仰け反らせながら、ホヅミは舌打ちした。彼らの視線は床に注がれており、つられて足元を見やったとき、ようやくモモセは事態を把握した。
「っ!?」
丁度モモセを中心として、紅く光る円環が床には出現していた。
内側を不規則に巡っているのは訳もわからない文字列と記号。モモセは読み書きができなかったからそれも当然なのだが、少なくともこの国の言語ではないことくらいは把握できる。しかしそれでも、てんででたらめなスペルに見えた。
だけれども、どうして自分のような生き物にこんなものが。
文字は浮かび上がっては消えまた現れてを繰り返し、顕す模様を複雑に何度も変えている。その上どんどんと膨れ上がり、呼応するようにモモセの焦りにも拍車がかかった。
円環の発光はますます強くなり、眼球が焼けつく痛みにモモセはすぐに目を開けていられなくなった。
喉が干上がるほどの焦燥が胸を蝕む。
――弾けてしまう
このような事態に陥ったのはまったくの始めてだったが、モモセには確かにそうなるという予感があった。しかしそれを止める手だてと言えば、わずかたりとも分からないのだった。
こめかみを汗が流れていく。目眩がした。体内の何かが根こそぎ奪われていく感覚。気圧が一気に低められたかと疑うほどに身体が重く骨が軋んで、モモセは食い縛った歯の隙間から呻き声を漏らした。
搾り取られる何か、は環のなかに注がれているらしかった。いまモモセとこの環は繋がっているのだと、得体の知れない感覚に身を震わせながらモモセは思った。同時に、その繋がりが切れたときに、この環は弾けるのだと。
身体の中の軸がぶれる。円環と繋がるモモセのなかの何か、がモモセの手から離れようとしているのだ。必死になってモモセは押さえつけようとしたが、それは霧を意のままにしようとするような頼りなさで、うまくいくはずもない。
(離れる――っ!)
思わずモモセは更にきつく目を瞑り、小さく身を縮めた。弾けとんだ瞬間に、ひどい衝撃が来るだろう予想があったためだった。
『com vitol cele w heletam』
しかし想像したような衝撃はなく、あったのは身体の奥底に響く深い震動だけだ。
モモセは数拍おいて、先程の揺れ以外に取り立てて目立ったことが起こらないことを訝しく思い、恐る恐る瞼を開いた。
すでに射んばかりに薄暗い部屋を埋め尽くしていた光は薄らいでいっていた。まだ揺れは続いていたが、それは地震でいうところの余震のようなもので特に気にするほどのものでもない。モモセはゆるく瞬いた。
「ぁ……」
拍子抜けした気分も相まって、モモセは脱力するままに床へと倒れこんだ。そうすると枷を嵌め込まれた手足が異様に重たく鬱陶しいとすら思えるほどで、モモセは不快感に埋め尽くされるままに呻こうとしたが為せず、喉の内側がわずかひきつっただけだった。聞こえる音は薄皮を一枚隔てたように遠く、濁った視界は中途半端に人の像を結ぶ程度だ。
『enom hadha alrajul』
不思議な音韻が膜の外側から押し入ってくる。
眠気、とはどこか違うひたひたと押し寄せる意識を遮断しようとする波に、そうだと気づかないままモモセは身を任せた。それは自然というより人為的なものを彷彿とさせたが、やはりモモセの拡散した思考ではそこまで思い至ることができず、誘われるままに自らの支配権を放棄した。
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