指先はこいねがう 〜禁忌のケモノ少年は軍人皇子に執愛(とら)われる〜

色数

文字の大きさ
17 / 41
The adult is sly, and pretends to be gentle

しおりを挟む


 何を言っても命取りになる気しかせず、モモセは呼吸を潰しながら男を見つめている。目を逸らせない。 その絡まる視線を不意に銀色の軌跡が横切った。

 繊細で控えめな、うつくしい金属の擦れあう音が立つ。焦点が合わなかったせいで、最初モモセはそれが何か判別かつかなかった。

「お前のものだろう。着ていたものの中に、混じっていたから」

 抑揚に欠けた声音が言いさした。どんな感情から導き出された音なのだろう、これは。

 突きつけられたのは、銀の首飾りだった。とりわけ意匠が凝らされたものでもなく、細い鎖と、平らな半円の不銀細工がついているだけのいたって単純なものだ。くるくると回りながら光を反射して輝く美しいそれを、モモセは一拍、二拍と眺め、ようやくそれが自身の持ち物だと気付く。積年の酸化によってすっかり黒くすすけてしまっていたのを、わざわざ磨きあげたのだ。

「お前のものだろう?」

 ウルドはほぼ確信しか込めずに、言う。モモセはぎこちなく首を縦に振った。どこで爆発するかわからないが、返事をしないのも恐ろしい。彼は何を目的としてこの質問をしているのか、帰着点が想像できない。

 モモセのものだった、それは確かだ。しかしウルドに下った以上、真実モモセのものなどひとつもない。だから行方を聞こうとも思わなかった。棄てられても当然と諦めていた。

 それが今、いまさらのように目の前に提げられている。
 そう、いまさらに過ぎないのに、目にしてしまうといかにも惜しい。

「返してほしいか?」

 試すように、男は訊いた。モモセはそれを分かっていながら、おもねるような口調になるのを止められなかった。「か、返して、くれるんですか……?」

「ああ」

 ウルドは目元をかすかに綻ばせた。「だがひとつ訊いておきたい」

 その和らいだ気配にほっとして、モモセは銀に指先を触れさせようとする。この優し気な声音が不機嫌の底のさらに下を浚うものであったことに、モモセは気づけなかった。本能は察知していたのに、男のすべてに経過して疲弊した矮小な獣は男の擬態を見逃した。

 仔どもの指先を避け、ウルドは首飾りを持ちあげてしまう。眼前で、誘うようにやわらかく耳障りのよい音を立てながら鎖は揺れる。モモセは気もそぞろに返答した。

「何ですか……?」

「……行方を聞かなかった割に、ずいぶん執心のようだが。これはいったいどこで手に入れた? 見たところ、到底お前が手に入れられる品には見えん」

 モモセははちりと瞬き、ウルドの案外とにこやかな外面とは裏腹に、吐き出される言葉自体はそうではなことを感じ取った。喉を干上がらせながら、モモセはこれ以上男の機嫌を損ねまいと口を開く。

「もらった、んです」「貰った」

 もったりとした重苦しい口調でウルドはモモセの口上を繰り返す。「あ、いえ、貰ったっていうか、渡されたっていうか……」

 焦って言葉を重ねるが、ウルドはそれを一笑した。「それはどちらも同じ意味だな」

 そうかもしれないが、違う。「誰にもらった? それは対になるように作られている。側面の窪みはもうう一対と合わせて円形になるように彫られたものだ。ご丁寧に名前まで刻んである」

 その言葉にようやくモモセはウルドの苛立ちの一端を掴んだわけで、すっと脳の一部が冷静になるのが分かった。それはこの貴い身の上の男の現状を不可触民らしからぬ傲慢さでつい憐れんでしまうほどだった。

 たしかに自分の買った奴隷が、すでに誰かの手垢がついていたなら憤りもするだろう。しかもこんなに高価な首輪まで贈られて。しかしそんな価値も、そもそも心配すら無用な最下層の生き物だというのに、つくづく可哀想なことだった。そんな物好きはいないと言ったはずなのに、まだしつこく気にしていたらしい。

 モモセはつきたくなった溜息を押し込めて、呟いた。

「俺を、育ててくれた、女の人がいて、」「女?」

 なぜそこに疑問を感ずるのだろう、とモモセは思った。「男だろう、シグマと言う」「誰ですか、それ」

 ついにモモセは半眼になった。もしや自分はあらぬことで責められていたのではあるまいか。「ハミダは女ですよ。シグマなんて知り合いは男にも女にもいません」

「ではここに書かれている名前をなんと説明する?」

 ウルドは組み伏せていたモモセの上から退き、引き起こす。手渡された半円の銀には、確かに何かが描かれているが、文字の読めないモモセにはただの綺麗な模様と同じだ。ついでに言えば、十余年の間についた傷との区別すらつかない。

「シグマ、と書かれているんですか? ハミダはそんなこと、一言も言わなかった」

 祝福を意味する言葉でもない、当たり障りない男性名である。

「何か、聞いていないのか」

 ウルドの声に、もう怒りは含まれていなかった。モモセは首を振る。

「おれを探していたのなら、あなたの方がおれには詳しいんじゃないですか? もしかして、……父さんとか。……ああでも、あなたはおれの名前も知らなかったんだった……」

「お前の名は知らなかったが父親が誰かは知っている」

 モモセは瞠目してウルドを見た。あからさまな反応をする二尾と耳を見て、ウルドは苦笑した。

「知っているが、教えない。知らない方がいい。知ってもいいことなどないからな」

 まあ、それもそうである。不可触民の息子など、歓迎されるはずもないのだ。そうでなければモモセはスラムに捨てられることなどなかっただろうから。

 そんな捨て子の赤子だったモモセを、拾って一時期傍に置いてくれた女がいた。それがハミダだ。彼女はこの首飾りを、モモセの唯一の持ち物だったといった。

「彼女は、これはおれのものだって、それで」「それで?」ウルドは続きを促した。

「……それで、お守りだから、絶対に手放すなって言ったんです。それだけ」
「その割には、どこへやったのか聞きもしなかったな」

 それは、とモモセは口ごもる。無意識に尻尾が絨毯の上を振れている。告げてもいいものかどうか、モモセは迷った。確実に、この男は不機嫌になるだろう。存外に面倒くさい男なのだ、とモモセは悟る。

 しかしそれももう今更な気がして、モモセは思い切って口を開いた。「……もう、効果がないと思ったから」

 彼女は幼いモモセの首に首飾りを掛けながら、繰り返し、繰り返し、言ったのだ。その言葉こそが、呪いのように。だからどんなに生活に困っても、これを手放すことだけはしなかった。


 ――――これはお前を守るもの。絶対に、なくしてはいけないよ。怖い人たちに見つかってしまうからね。


 それ以外には何も、彼女は何もモモセに告げず、与えなかった。一片の情すらも。徹底して不可触民の仔どもとして扱った。そしてある日、忽然とモモセの前から姿を消したのだ。

「なぜ?」
「……あなたに見つかった」


 ――――怖い人たちに見つからないように。


 モモセを見つけたのはたった一人の貴族の男だったけれど、ハミダはおそらくモモセは誰にも見つかるべきではないと考えていた。

「……高度の目暗ましのベゼルが掛けられていたが、十年以上かかったのはそれのせいか」

 疲れたように、ウルドは目頭を押さえて息をついた。

「それは、知らないですけど……」

 一応は効果があったのだろうか。

 ウルドがハミダの言う『怖い人』であるかどうかは永遠にわからないかもしれないが、少なくともモモセにとって、ウルドはひどく恐ろしい存在だ。

 ウルドは庇を作った手の下から、覗き込むように対面に座すモモセを見た。「……見つからない方が、よかったか」

 正直に振る舞うならば、頷くところだった。そう思っていると分かっているくせに、訊くのは卑怯だとモモセは思う。

「……あなたは、おれが知るには大きすぎる」
「手放さんぞ」

 ――ほら、卑怯だ。モモセは憫笑した。

「……さっきは、悪かったな」

 手が伸びてくる。その意図をもう知っているから逃げを打とうと反射的に身体を浮かすが、まっすぐに向けられた眼差しが絨毯に脚を縫い付けて、ほんの少ししか動けない。ウルドの威風に充てられて簡単に屈服してしまう。
 硬い掌が頬に添えられ、指先が先ほど散々に甚振った唇を撫ぜる。頬がこわばるのくらいは、許してほしい。こんな風に触れられていい人ではないのだ。

「……上手にお前を可愛がりたい、愛したい、幸せにしたい。そのために探していたのに……なのにお前を見ていると、壊したくてたまらない気持ちになる。俺たちは皆こうだ」

 懺悔のような響きだった。モモセはその長く淡いまつげを伏せた。

「……あなたのものだから、好きにしたらいいですけど……。聞きたいことがあるなら、命じてください。答えよと言われれば、仰る通りにしますから。さっきのは、とても怖かったです」

「……ああ、善処する」

 善処、善処か、とモモセは内心で呟いた。

 嘘でもそうする、と言えないところが、多分この飼い主の愛おしいところなのだろう、と思う。それほどまでに執着されている。

 盲目で、一途で、愚かしくも不可触民などに入れ込んで、地位も金も名誉もあるはずの麗しい男が身を持ち崩そうとしている。そしてその愚かしいまでの様々な誤りに男自身が気づくまで止まらないのだ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません

ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。 全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華
BL
アレンは母であるアンナを弑した獣人を探すため、生まれ育ったスラム街から街に出ていた。 しかし唐突な大雨に見舞われ、加えて空腹で正常な判断ができない。 幸い街の近くまで来ていたため、明かりの着いた建物に入ると、安心したのか身体の力が抜けてしまう。 目覚めると不思議な目の色をした獣人がおり、すぐ後に長身でどこか威圧感のある獣人がやってきた。 その男はレオと言い、初めて街に来たアレンに優しく接してくれる。 街での滞在が長くなってきた頃、突然「俺の伴侶になってくれ」と言われ── 優しく(?)兄貴肌の黒豹×幸薄系オオカミが織り成す獣人BL、ここに開幕!

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

処理中です...