32 / 41
The beauteous man in black and “Farewell”
3
しおりを挟むラシャードはあとで自分のところへ来るように言い残して、そのまま居室である最上階に登っていった。
モモセらはまずいくつもあるアーチのうちひとつをくぐり、回廊へ出る。空にひらけた中庭を横目に、まずヒタキが案内してくれたのは礼拝室だった。この国に住まう者にとっては最も重要視される場所だが、あいにくとモモセらは生まれてこのかた、その神聖なる場に足を踏み入れたことはなかった。今日初めて学校のそれに入って……これが二度目。
神に愛されることのなかった不可触のモモセは、そのような冒涜を許されないからだ。そして、許されないまま、今また罪をひとつ重ねている。
ウルドの屋敷にも祈りの間はあったが、彼はごく簡単にモモセが集団の中で生きていくときに困らないようその作法を教えただけで、それをしろとは言わなかった。それはモモセが不可触民であるからではなく、ただ単純に、ウルド自身が神への祈りに興味がないからなのだ。
そして始終べったりとモモセの引っ付いていた状況やこれまでも彼の言動から鑑みるに、彼の信心深さは推して知るべしである。時刻と礼拝を知らせる神殿の鐘が鳴っても、彼が動くことはないのだ。
こちらが食堂、こちらが洗濯部室、こちらが手洗い、学習室に談話室……四階建ての建物の上から下までをヒタキに案内され、最終的に辿りついたのは寝室だ。洗濯部屋から取ってきた洗いざらしのシーツや夜着、ペンやインクなどを両手いっぱいに抱え、モモセはその広い部屋に入る。
高い天井に広い奥行き。正面は左右の壁とは異なる模様組みの木枠が嵌り、採光と通風の役割を存分に果たしている。両脇の壁に沿う形で天井付近まで重ねられたベッドの群生と天井に張り巡らされたロープから垂れ下がる色とりどりの布──洗濯物の群れ。
しっとりとした眠りの気配が残るその場所が、今日からのモモセの住処となるのだった。
「ええっとねえ……どこが空いてたかな」
寝台の並びを順繰りに見回していきながら、ヒタキはモモセにあてがうための場所を探す。「下はね、多分もう埋まっちゃってるんだよなぁ。……モモセ、高い所は怖くないよね?」「うん」
頷くと、ヒタキは当然そうだろうと言わんばかりの顔で笑った。おそらくそれはただの確認にすぎなかったのだろう。「だよね、だと思った。おれたちがそんなこと気にしてられる余裕はないもの」
「じゃあ、一番上でもいい?」
部屋の中心にほど近い所にある一列を指差して、ヒタキは言った。
「ここならおれの寝床からも近いし。どうかな」「どこでも大丈夫だよ。ちゃんと寝られるだけ、夢みたいだ」
「でもウルドの屋敷なら立派な寝台がありそうなものだけど」
「おれがそれを使えるように見える?」
「俺なら遠慮なく使っちゃうけど。使ってもいいって言われたんだろ? モモセは妙なところで遠慮がちだよなあ」
「そうかもね……」
首をすくめてモモセは相槌した。
実際のところはわからないがモモセだって、せめてヒタキのようにただの隷属階級だったら男の好意を甘受したのかもしれない。──それともやっぱり無理だったかも。それを与えたいと男が思っていたのが、実際のところはモモセでないことくらい分かりきっているのだ。自分宛てではない贅沢を、甘受できるほど太くはなれなかった。これはもう、モモセの性格の問題だろう。
「どっちにしろ、あんなに立派な場所は逆に居心地が悪いよ……」「ま、それもそうだ」
ヒタキは頰の内側で含み笑い、そうしながら床に膝をついた。寝台の下は支えである脚の部分が空洞になっていて、彼はその暗がりに手を差し入れている。「どうしたの?」
「ここ、荷物入れ、なんだよなっ」
これ中入ってるな、これもだな……、何かを引っ張る仕草を繰り返しながらしばらくぶつぶつやっていたヒタキは、やがてひとつの長方形の木箱を引っ張りだしてきた。
「ああ、これは使ってないやつだな」
埃を払い落しながらヒタキは立ち上がる。
「これ、モモセが使っていいよ。荷物は全部ここに入れて、ベッドの下においておくといい。鍵は壊れてるけど、ま、盗まれないようにうまくやって」
「ありがとう」
「ちゃんと鍵がかかるやつ、今度見つけてやるからさ。とりあえず今はそれに入れといて。ベゼルが上手く使えたら、別にそんなの関係ないんだろうけどね」
両手がふさがったままのモモセに代わり、ヒタキは蝶番のとれた箱を開ける。モモセはその中に増えた私物を納めてしまう。「最近多いんだよ、荷物置いたままいなくなるやつ。しばらく帰らないな、ってなったらまあ、もらっちゃうよねえ」
つまり、窃盗である。目を見張ったモモセだったが、それは何もその野蛮さのせいではない。
「置いたままいなくなるの?」
「そ、びっくりだよな。もったいない」
「売ったらかなりいい値になるよ……」「ね、まあよっぽどいい儲け話があったんだろ。ここに入れるだけ素質だけは上等だ。卒業まで待てないやつは馬鹿だと思うけどね。要は勉強は嫌だったんだろ」
「ああ……」
モモセはそれには曖昧に相槌を打つしかなかった。実際のところモモセも勉学が好きかというとわからない、というのが実際のところだ。
何かを学んだことなどなかったし、不可触民が仕事などもらえるわけもなかったから、汚物や死体の処理などで糊口をしのぐ日々。そうでなければ人様からささやかに盗むのだった。
賢くなりたいとは思ったが、それを叶えられるとも思っていなかった。ましてやこんな思いつく限り最悪の方法で、高貴な身分の人間の後押しでなど、重圧が過ぎる。
他のそうした仔たちとは違うのかもしれないが、逃げれるものならとっくに逃げ出していただろう。
憂い顔で深く息をつくモモセに、ヒタキはすこし同情気味だった。
「モモセは絶対に逃げ出せないけどね……。モモセがいなくなったら、多分すぐに報告が行くよ、ウルドに。たぶん、おれも言っちゃう」
「見逃してくれない?」
「無理。ウルドは強過ぎるもん。話せって言われたらペラペラ喋っちゃう。それに、おれが喋んなくてもすぐに見つかっちゃうとおもうな」
「──探しに来る?」
陰鬱に訊ねるモモセに、はっきりとヒタキは頷いて、肩をすくめた。
「当然……ちょっとだけ、可哀想だけどさ、俺たちみたいな身分じゃどうしようもないし、気に入られたら諦めるしかないよ……。モモセも別にウルドのこと嫌いじゃないんだろ」
それを諦めてしまっていいものか……これはモモセだけの問題ではないのだ。
「寮に入れてくれただけ、ウルドは優しいと思うよ。正直、ウルドは絶対嫌だったもんな。あの人は俺たちを好きにしても許されるんだから。だから、あんまり変なこと考えちゃダメだからね。あの人は基本的には優しい人だけど、怒らせたら絶対すっごく怖いから」
おそらく意図的にモモセに対しては緩められているベゼルの威圧感を思い、モモセは頷かざるをえない。
つまるところ、大人しくしておくことが一番ウルドから遠ざかっておれる方法なのだと……、否応無く納得せざるを得ないのだった。
0
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません
ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。
全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?
俺は夜、社長の猫になる
衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。
ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。
言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。
タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。
けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
黒豹陛下の溺愛生活
月城雪華
BL
アレンは母であるアンナを弑した獣人を探すため、生まれ育ったスラム街から街に出ていた。
しかし唐突な大雨に見舞われ、加えて空腹で正常な判断ができない。
幸い街の近くまで来ていたため、明かりの着いた建物に入ると、安心したのか身体の力が抜けてしまう。
目覚めると不思議な目の色をした獣人がおり、すぐ後に長身でどこか威圧感のある獣人がやってきた。
その男はレオと言い、初めて街に来たアレンに優しく接してくれる。
街での滞在が長くなってきた頃、突然「俺の伴侶になってくれ」と言われ──
優しく(?)兄貴肌の黒豹×幸薄系オオカミが織り成す獣人BL、ここに開幕!
運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー
白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿)
金持ち社長・溺愛&執着 α × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω
幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。
ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。
発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう
離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。
すれ違っていく2人は結ばれることができるのか……
思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいαの溺愛、身分差ストーリー
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる