人魚は久遠を詠えない

色数

文字の大きさ
21 / 28
第三航海

最低

しおりを挟む
「ふざけるなよ……」

 歯ぎしりしたアリオンは、怒鳴りやった。

「今すぐ止めさせろ! なんで今、死にに行くような真似をする……!」

 ぼろぼろで、ふらふらで。確かにそうまでしたのは指摘された通りにアリオンの言葉だけれど、脳裏を巡るのは刃に斃れる男の姿だ。
 真っ赤な着物を纏った男が、アリオンに背を向けた男が、それだけでもう肺が潰れて息ができなくなりそうなのに、ゆるりと傾いで永遠のさよならを。

 アリオンに何ひとつ告げずに、死んでいく。

「いや、だ、」

 ずるりとアリオンは床に崩れる。へたり込んで、繰り返す。「……いや、」

 こんなところに閉じ込められては、アリオンは何もできない。いまこの瞬間にもアリオンの人生は意味を失うかもしれないのに。

 誰にも渡さない。あの男の生も、死も、ぜんぶアリオンのものだ。
 アリオンのために死なないと、駄目なのに。

「……開けて。ねぇ、エンジェル、開けて」

 哀れっぽく、せいぜいそう聞こえるよう、アリオンは力なく扉を叩いた。

「傍に、行かせてよ。ディーの、傍。こんなとこ閉じ込めて、ひど、い……」

 瞬きをしないように目を見開き、泣き真似をしながらぐずりと鼻を啜る。

 あの書庫で、――ディアギレフがアリオンに告げたことが事実なら。
 アリオンはこの船に乗っていたことがある。乗組員たちはアリオンを知っている。アリオンを愛している。そう告げた、人たち。
 もしかしたら、エンジェルもそうなのかもしれない。

 これは、賭けだった。

「こわい、の。ここに、アリオンだけにしないで。置いていかないで。ずっと、傍にいるって、ディーの人魚になるって、やくそく、したの……!」

 覚えているでしょう、ここから出して。

 舌っ足らずに、幼げに、取乱したように口走れば、外の気配がはっきりと動揺した。熱に浮かされたような気分になりながら、なおもアリオンは呟く。だんだん朦朧としてきて、何を言っているのか自分でもわからない。

 哀しくて、怖くて、演技が演技でなくなっていく。
 混乱して、涙が零れて、さすが自分、と思った端から、何のために流した涙か曖昧になる。

 二重にアリオンは呆然とし、思わず息を止めた。
 ここにいるのが誰か、分からなくて。

 混乱するアリオンに、エンジェルが声を震わせながら、訊いた。

「思い出したの? アリオン……」

 あ、――ああ。

 この人は、ちいさいころの自分を、知っているんだ。
 どんな子どもだったのか、知っているんだ。

 賭けに勝ったのだ、とアリオンは思い、そして、――自分を取り戻した。

「ディーのところに、いかせて。誰にも、殺させ、ない……」

 忙しなく扉は開かれた。
 大きく戸を開いて、立ちすくむ大人。
 アリオン、と呟いて、それきりなにも言えない。

 罪悪感がちくりと胸を苛んだが、アリオンはすぐにそれをなかったことにした。
 立ち上がり、ゆっくりと憫笑して見せた。

「君は、……優しい人だなあ」
「アリ、オン……?」
「ごめんな」

 嘘つきで、卑怯もの。いい加減もう、アリオンのことなど諦めてしまえばいいのに。過去の自分なんて、もうきっとアリオンの僅かな部分しかないし、そしてそれを利用できるくらい、いまのアリオンは嫌な奴だ。

 多分一番やってはいけないこと。神聖な領域を犯すということ。それを今、アリオンはした。

「……僕は何も、覚えちゃいないよ」
「っアリオン!」

 軽やかな身のこなしで、アリオンはエンジェルの横をすり抜けた。彼女はアリオンの動きに反応できなかった。
 この部屋から出るため、自分が、ディアギレフを殺すため。アリオンは彼女の思い出を利用した。

 罵られたとしても、アリオンはきっとわらうだけだ。

 甲板に続く階段を駆け上る。外に近づくごとに硝煙と血の臭いが濃くなった。金属のせめぎ合う音と罵声が激しく、眩暈がした。

 扉を横に引く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...