傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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遅すぎた日々が巡って

それは いわゆる あ く む のはじまり

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       一

 意識が浮上するのと同時、痛みは全身に舞い戻ってきた。ぎゅうと目をつむり、はくはくとあえぐ。その痛みは否応なくまだ生きているという事実を端的に連れてきて、深い虚脱感きょだつかんに襲われる。

 一体、何度繰り返せば自分は消えてしまえるのか。

 重い身体を叱咤しったして無事なほうの手を使って起き上がる。たったそれだけの動作にすら疲れて、深く息を吐き出す。熱を持つ身体とは裏腹にすこしばかり肌寒かったので、肩から滑り落ちていこうとする着物を手繰たぐり寄せた。そうしてふっと、仔どもは首を傾ける。

 この大きな着物は誰のものだ。何よりここはどこだ。と、声が響いた。

『目が覚めたか』

 たくさんの風鈴に混じったきれいな低音。聞き覚えがある、そう思ってゆっくりと記憶の中を探る。   「さつ

 ぽつり、声が零れ落ちた。

 そうだ、刹貴だ、この声は。

 助け、られた。

 息が詰まるような恐怖が身体を満たす。考えるより早く仔どもは布団から這い出した。


   出口は。


 眩暈めまい、身体の均衡きんこうが崩れていく。全身の血液が音を立てて下がる感覚。引きれるようにむしばむ痛み。冷や汗が吹きだす。倒れこみながら、それでも仔どもはせわしなくあたりに視線をやって出口を探した。

                     出てく、  出てく、出てく。

 それしか思考のなかにはなかった。

『どこに行く気だ』

 声をかけられ、手首に温かな体温が触れる。引き寄せられる。悲鳴を上げて、仔どもはその手を振り払った。勢いあまって、したたかに腰を床に打ち付ける。
 だがそんなちっぽけな痛みに構ってやっている暇はなかった。相手が驚いている間に、仔どもは一心に部屋中に視線を巡らせた。広い土間にしつらえられた囲炉裏いろりが、ぼんやりと周囲の輪郭を浮かび上がらせている。その奥に深い夜を隔てる扉があった。

 身体がついてこないもどかしさを感じながら、届かない扉に向かって手を伸ばす。

『馬鹿な真似は止せ』「  、ひッ」

 仔どもは息を呑んだ。反射的に身体がこわ張る。胸元には交差された腕。背中には硬い感触。じわり、抱きすくめられて触れる箇所すべてから、仔どもの冷えた身体を侵すように温かさが移っていく。

 背中が戦慄わななく。

「いや、 止めッ、  止めろ、放せぇ  ッ 」

 持てる体力すべて使って、仔どもは抵抗した。

 細くしか開かない喉を精いっぱい振り絞って叫ぶ、得体の知れないものへの恐怖が、仔どもを動かす。
 それなのに暴れれば暴れるほど、拘束は強くなった。相手は、刹貴は、手負いの仔どもの抵抗など、まったく苦にしていないのだ。

 三度、腕の力が強まったとき、仔どもは抵抗することを止めた。それだけの体力が残っていなかった。あがった息が鋭い痛みを喉と心ノ臓にもたらす。くずおれながら、うわごとのように仔どもは放せ、と繰り返した。刹貴の手は退かない。

 何の、  何の罰なのだ。これは。
 こんな結末を、望んでいたわけじゃない。

 嫌というほど思い知ったのだ。期待することは誤りであると。だからどうか、これ以上苦しめないでほしい。自分というイキモノはとても脆弱ぜいじゃくだから、この手の温度を、誤解してしまいそうになる。

『あまり暴れてくれるなよ、傷が開く』

 したくても、出来ない。この状態では。肩で荒い息をこぼす。まなじりを、頬を、涙が伝っていく。仔どもは嫌がって首を振った。触れてくれるなと、これがいまできる精いっぱいの逆らいだった。傷など、放っておいたっていい。あったほうが死にやすい。

『見ろ、やはり開いている』

 腕を持ち上げられる。
 着物をまくられ、あらわにされた腕にきっちりと巻かれた白い布いっぱいににじんだ赤。

 仔どもは身を震わせる。血を恐れたわけではなかった。それは恐れるものではない。怖かったのは、この声の持ち主。この声に、波はない。それなのに、気遣うような響きが含まれているような気がするのは、どうか幻であってほしいと仔どもは願った。

 何より仔どもは身体の大きなひとが怖かった。どうやっても敵わない体格差は、容易に仔どもを傷つけられる。

 なぜこんなことになっているのか、仔どもは分からない。死ぬのかと訊ねられ、そうだと返した。死なれると困ると言われた。
 それがこの結果なのか。

『足はどうだ。ほかは』

 けんをなぞられる。好き勝手、いじられる。仔どもが体力を失しているのを幸いと、刹貴は仔どもの傷を治すために尽力した。一応の用心のためか、背後から仔どもを抱きかかえた格好で。ひとの体温になれていない仔どもはどうしても身体を馴染ませることができず、かたくなに男にもたれることを拒んだが、結局は身体を預けることになった。いまの仔どもでは、最終的には相手に従うほかない。それがたまらなく悔しくて、唇を噛んだ。流れ落ちる涙の留め方を探し出すことはできなかった。


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