傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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覆せぬ差をどうせよと

彼女が立っていたその理由

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 明り取りから差し込む光をやわらかく照り返すまだ短い髪。まるで獣か何かのような耳に、ぴんと立ちあがったふくらみを帯びた尾。いずれも金に輝き、大きく人間の枠から逸脱した姿が、男の目には映りこむ。

 そのせいで、今まで彼が千穿に向けてくれていた一切の慈しみはその瞳から払拭ふっしょくされ、ただ得体の知れないものに対する嫌悪や恐怖が、かわりにそこへ現れる。

「バケモノォッ」

 彼が引き攣った裏声で叫んだ、その言葉に千穿のこころは音をたてて凍りつく。何の感情も抱くことが叶わずに千穿は棒のように突っ立って、強要でもされているみたいに喉を震わさない声でもってその言葉を繰り返し続けた。   バケモノ。

 ぐいと乱暴な動作で、母は千穿を自分の背後へ追いやった。無理やりにそうされながら、千穿は彼女の顔を見上げる。血の気の失せた青白い顔で、母は隣人を睨んでいた。自分に触れている母の手はかたかたと小刻みに震えていた。形の良い唇から零れる荒い息。頬をいくつもいくつも珠玉が滑っていっている。

『母ちゃん』

 怖くなって、千穿は母を呼ばわった。彼女は千穿を見て、薄く微笑み、大丈夫やからとやさしく告げた。

『記憶をすこうしいじるだけや。そんあとで、幻術をかけ直そ。なぁんにも心配せんでええ。私らの幸せを、私は何人なりとも邪魔はさせへん』『でも、』

 大丈夫でないのは母ちゃんのほうではないのか。現れた尻尾を見て、千穿は泣き出しそうになった。彼女はもう随分と前から具合がよくなくて、伏せっていた目を盗んで千穿は家を抜け出してきたのだから。

 死んでしまう、何の根拠もなく唐突に、千穿はそう思った。
 このままでは、母は死んでしまう。
 自分のせいで。

 ゆっくりと隣人に向かって歩みやる母を、けれど千穿はどうやって止めればいいのかわからなかった。

「ひぃいっ」

 か細い悲鳴をあげて、男は後じさる。そうしながらきょろきょろを忙しなくあたりを見回している。突如、その顔に歓喜が宿った。飛びつくように手にしたのは、総菜などを切るときに使う包丁だった。

「近寄るなバケモノォっ」

 鈍色に輝くその刀身を目にして、母は一瞬ひるむように身を引いたが、すぐに気力を取りもどしてさらにひとつ歩を進めた。

 恐れにぶれるその手元では、勢いのみで何もできはしないとふんだのだろう。
 だが、その予想は大きく結果を違えた。

『  くっ、』

 一閃いっせん白刃はくじんきらめいたその直後、母の色褪せた金の髪ひと束が切り離されて床に落ちる。

 苦悶が浮かんだその顔には、ざっくりと深い傷ができていた。鮮血が滲み、ぬぐった手のひらにべっとりと痛みの痕を残す。

『母ちゃ、』『大丈夫や』

 千穿の言葉を母は途中で切り捨てる。『大したことあらへんわ、あの人と、お前と、暮らせへんことと比べたらどれほどの痛みになるやろう。それに、こん男ももう、刃物やら扱えんやろう』

 たしかに、隣人は顫動せんどうする両手で包丁を握りしめたまま、目を見開いて母の顔を彩る赤を凝視していた。だらしなく開いた口から恐慌した悲鳴がほとばしる。「あああああああああああああああああっ」『何ッ』

 たかが外れたように繰り出される数回の斬撃を、母は避けきれずにおのが身体を持って受け止める。けれど裂傷をその身に深く刻みながら、それなのに母は千穿をその背に庇って立っていた。ぼたりと大量の血が敷板に消えない紋を刻む。

 比例するように、色さえ失う母の肌。本当は、今にも頽れそうなのだと千穿は分かっていた。それなのに、千穿は自分の責任であるはずなのに、その背から抜け出すことが怖くて叶わないのだ。

『ちぃっ、小賢しいっ』

 一言、母は吐き捨て、なおも振り上げられる腕に足底を叩き込み、包丁を飛ばす。そのままの勢いで足を進め、腕もろとも隣人を土間に引き倒した。

『く、は、  ぁっ』

 隣人を見下ろし、母は荒い息をつく。上下する肩の高さが、どれだけ母を消耗させてしまったか千穿は思い知らされた。

『母ちゃん、母ちゃん』

 申しわけなくて、怖くて、千穿は繰り返し母の名を呼ばう。彼女はうっすらと笑い、膝をついて千穿をぎゅうと抱きしめた。

『大丈夫や、大丈夫。こんなん、すぐによくなる。母はお前と、あの人がいて、ずっと一緒におられるんやったら、それだけで、
            それだけでもう幸せなんよ』
『母ちゃん、ごめん、母ちゃん』

 その母ちゃんの幸せを、自分は壊そうとしたのだと、千穿は潰れる声で謝罪した。

 母は顔をあげ、ええんよ、そう言いかけた口のまま、不意に固まって自分の入ってきた戸口を凝視した。

『母ちゃん』

 言葉を傾けたとき、戸口の光が遮られた。


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