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リディアとゼドの夜話

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「あーーー疲れた!」

 部屋に戻ったリディアはドレスを脱ぎ捨ててベッドに沈んだ。
 アランからは「淑女は誰もみていないところでも気を付けること」とは再三言われていたが、自分に花丸をつける思いで、大の字に寝転んでいる。

 結果から言えば、婚約発表パーティーはひとまず大成功だった。
 ヴェルメニア帝国では、婚約期間が一年に定められている。
 成婚まで盤石といえるほどではないが、布石にはなっていると思う。ここから先は、きちんと王妃職としての成績を確実に積み上げていくことが必要になる。リディアの腕の見せ所だ。
 もしこれが平民身分だとか、成り上がりの貴族だとか評判が悪いとかならば、婚約はもっと困難なものだっただろう。
 ひとまずは、狸親父に感謝しなければならない。

「成婚、かぁ。まだ想像はできないや」

 ため息まじりにつぶやいた。

 ゼドがリディアにまっすぐ恋愛感情を持っているのに対して、リディアの感情はそれよりもずっと遠くにある。そもそも一人を大切にしてみるのも悪くない、と思えたばかりだ。その感情はたった今芽が出たとても小さなもので、ちょっとの衝撃で消し飛んでもおかしくない。
 それなのにもう、一年後には成婚しているというのだ。
 本当に大丈夫だろうか?
 頭を冷やして考えてみると、なんだかアドレナリンと勢いでここまで来てしまったような気がしなくもない。

「私、もしかしなくても、とんでもないことを決断してしまった?」

 眉を顰めたところで、部屋の扉がノックされた。

「リディア。今いいかな?」
「ゼド! もちろん。どうぞ!」

 ゼドもパーティーの服装からくつろいだ格好に変わっていた。平時と違って前髪が下りていて、彼の目力を少し抑えている。夜のまったりとした空気を薄暗さも相まって、随分と印象が柔らかい。

「どうしたんだ。こんな時間に」
「疲れているところごめんね。パーティーで会っていたばかりなんだけど、ちょっと、もう一度会いたくなって…おかしいね。さっきまでさんざん会っていたってのに」

 彼の意外な理由に、目をぱちくりさせた。
 呆気にとられていると、ゼドは気恥ずかしそうに「何か言ってくれ」と焦る。

 リディアの胸の奥で、何か温かいものがじんわりと広がってゆくのを感じて、優しく笑った。
「別におかしくないさ。私もゼドと話せて嬉しいよ。さっきまでは、ほら、国王ゼドと婚約者リディアだっただろ。ずっと仕事モードだったからさ。ちょっと寂しく感じたんじゃないのかな」
「そうかもしれない。今の君の顔をみたら、安心した気がする」
「それなら良かった。おいでよ。もう少し一緒にいよう」

 パーティーの高揚感がまだ抜けないうちに、眠る時間になってしまったからだろうか。夜に一人の部屋は広く感じて、切なくなってしまった心を癒すべく、二人はベッドに腰掛けて、静かに単語だけ飛んでいるようなお喋りをした。


 夜が更けたころ、少し眠たげなリディアの耳元に、ゼドは内緒話をするように唇を寄せた。
「ねぇ、リディア。俺の部屋に秘密の地下室があるんだ」
 その一言で、薄ぼんやりとしていた頭が一気に覚醒する。
「へぇ、そんなものが! 聞くだけでわくわくするね。あ、そもそも私はまだゼドの執務室に行ったことがなかったや」
「だからさ。今から少し覗いてみようよ」
 そう言って、ゼドはリディアの手を引いた。

 連れてこられた場所は王城の一画にあるゼドの執務室だった。
「わぁ。私、ちゃんとゼドの仕事部屋入るの初めてかも。すごい。本がいっぱいあってクラクラしそう」
 部屋の左右の壁をすっかり覆うようにして並べられている本棚に、隙間なく本がつまっていた。本棚も重厚感のある作りになっていて、よく床が抜けないなと思う。

「リディア。こっちだよ」
 ゼドは一番奥の本棚の前まで行くと本を一つ押した。
 ゴゴゴゴゴ
 本棚が小さくうなりながら戸のように開いていく。リディアはそれをぽかんと見つめた。
「これが隠し扉……」
 ゼドはリディアの阿保みたいな顔を見つめてクスリと笑う。彼がぽうっとランプを灯すと暗い部屋の中に二人の顔がぼんやりと照らされて浮かびあがった。
 ゼドはリディアに手を差し出した。

「どうぞ、婚約者殿。君がここに来る日をずっと夢見てました。この先は俺の秘密の部屋。もしも、知りたいならお手をどうぞ。中は暗いからね」
「…それは、この先にゼドの秘密があるってことかな」
 リディアは一瞬躊躇った。ゼドの笑みが妖艶で、いつのまにか首に手をかけられたような、そんな危険の香りがした。

 なぜだろう。胸騒ぎがする。
 ごくりと唾を飲み込んでリディアは答えた。

「行くよ。私をゼドの秘密に連れて行って」

 それでも知りたいと、リディアの好奇心が大きく跳ねた。
 輪郭のはっきりしない薄ぼんやりとしたものを見るとき、人はよく見ようと目を凝らす。そうしないと心がざわざわと落ち着かなくなる。今も同じ。

 初めて見たゼドの表情に心が跳ねて、その意味を知りたくなった。
 もしこれも恋愛のひとかけらだとしたら、恋愛ってなんて危険なのだろう。

「君ならそう言ってくれると信じてた」
 そしてリディアは、リアムに手を引かれて彼の秘密に足を踏み入れたのだった。

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