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またまたピンチに

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 ヴェルメニア帝国帝都の東にある養護施設をリディアは訪れていた。
 帝都はゼドやリディアの住む城のお膝元に位置する、ヴェルメニア帝国で最も経済が栄える中心都市だ。領は普通、爵位の与えられた貴族たちがそれぞれ支配をしているが、帝都だけは国家が直接運営をしている都市で、ゆえに政策に関する様々な試みを行うためのモデルケースでもある。

 帝都東にある養護施設は、ヴェルメニア帝国で最初に建てられたものであり、リディアたちはお忍びでよく顔を出していた。

「考えるったって、どーするんだよ。私のばかやろう」

 リディアは二階の図書室でのたうち回っていた。
 ゼドに殺されかけてから、一週間がたった。その間、二人はあの夜のことについては一度も話に出していない。共に仕事をこなし、共に過ごしてはいるものの、触れないようにしていた。
 ゼドはリディアの答えを待っている。リディアがゼドに「考える」と言ったから。
 一方リディアはいまだ何も答えが出ていないままだった。

(あいつは私を好きだから殺したい……じゃあ私の命を差し出せと? それは嫌だ。だけどすでに婚約した後だし、一度私は腹を決めた身だ。じゃあ、やっぱり、差し出すべき? いや、そもそもそれは私があいつを愛していたらの話で、私はまだそこまでいけてなくて……)

「うーーーーーーーん……」

 考えが堂々巡りしてしまって埒が明かない。

 施設の青年が図書室に入ってきた。
「リディア。何やってんだよ?」
「ジャック! いや、ちょっといろいろあって……あ、手伝うよ。本、重たいだろ」
「お! そりゃ助かる!」

 ジャックはこの施設の一番上の男子で、リディアの二つ下の弟のような存在だった。ここへ訪れたときのリディアの良き相談相手でもある。若木のように爽やかで気持ちの良い青年で、最初は彼も遠慮して敬語を使っていたが、今はもうすっかり友達感覚である。
 彼は施設長に新しく届いた本の運搬を頼まれたらしく、何冊も抱えていた。
 二人で本を黙々と本棚へ収納していく。

「そういえばさ、リディア。俺、騎士団の試験に受かりそうなんだ」
「え!? そうなのか!? おめでとう! ジャックは頑張っていたもんな!」

 興奮で、リディアはジャックの背中をバンバン叩く。
 ヴェルメニア帝国の騎士団は貴族だけではなく、平民からも有望な人間を集っている。志望する人数が多いため、入団試験は難関ともいわれていて、ジャックが受かるかどうかは五分五分だった。
 彼は運動真剣は抜群で、騎士としてのセンスもいいが、なにせ勉強が苦手だった。かなり苦労していたらしい。

「ありがとうな! みんなもめちゃくちゃ応援しててくれたし、リディアの励ましあってこそだよ!」
「いやいや。私は徹夜に何回か付き合っただけだよ。ジャック自身の力だろ」
 リディアもアランの課題をこなすため、何度か徹夜になったときはジャックとともに勉強をした。いわば戦友のようなものだ。
「ほんとだって! 見てろよ。騎士団絶対入ってやる。それで、立派な騎士になってお前に恩返しできるようになるから」

 凛々しく男らしい顔をするようになったジャックに、リディアも誇らしい。
「言うようになったなぁ! 王城で待ってるよ!」
 癖のある彼のグレーの髪をわしゃわしゃ撫でた。

 ジャックがせっかく試練を超えるできそうなのだ。自分も答えを見つけなければと、リディアは勇気づけられる。
「私もちゃんとしようっと」
「おん? 何だそれどういうーーーー」

 その時だった。
 図書室の扉が勢いよくあいて、少女が二人転がり込んできた。
「ジャック兄ちゃん! リディア様!」
「なんだ!? お前ら、どうしたんだ!?」

 駆け寄ってみると、少女たちの片方が足に火傷を負っていて、負われていた。
「食堂が! 火事に!」
「火事!?」
 食堂は一階にある大きな部屋だ。施設の子どもが一同に集まって食事をとるところだから、一階の大部分を占めていて、玄関にも最も近い。
 なぜ、食堂が? キッチンで何かあったのだろうか。

 リディアは怪我の具合を見ながら声をかける。
「誰か他に人を見かけた?」
「わか、んないです。この子がケガしちゃって夢中で……でも結構大きな火になってて……」
 しゃっくりをあげながら、泣きべそをかいて少女が答えた。怪我をした子は、気を失っていて足を動かせる状態ではなかった。彼女が必死で背負ってきたのだろう。

「リディア様……この子助かる?」
「大丈夫だよ。ケガ自体はそんなにひどくない。驚いて気絶してるだけだから」
 混乱と恐怖の中、よく頑張ったとリディアは彼女を撫でる。
「リディア! 俺が様子を見に行ってくる!」
 ジャックが図書室を飛び出していった。
「あ、ちょっと!……行っちゃった」

 もし食堂が火事になっているとすれば、一階からの脱出は不可能だろう。リディアは立ち上がって図書室の奥を漁る。
 この図書室から外に脱出できるようにするためには、はしごやロープが必要だ。
「あ、あった。ロープだ」
 比較的新しいロープを引っ張ってみる。老朽化もしていないし、強度もある。
「よし…これで下に降りられる」

 図書室の一番端の窓から顔を出してみると、確かに一階の食堂の窓ガラスが割れていて、火の手が見えた。図書室とは反対側にあるから、下に降りることは問題なくできそうだった。
 リディアはすぐに図書室の柱にロープを縛り付けて、窓から下にロープを垂らす。
「リディアさまぁぁあぁ!」
 リディアの護衛についてきていた騎士たちが下からリディアに声をかけた。
「ご無事ですか!?」
「こっちは大丈夫ーーー! なんとかなりそうだ! そこのお前、ゼドにこのこと伝えてくれないか!? お前はこれから子どもたちを降ろしていくから救助を手伝え!」
「わかりました! お気をつけて!」
 護衛の一人が馬を走らせて行った。

 すぐに子どもたちや施設の人を五、六人連れてジャックが図書室に戻ってきた。
「ジャック! どうだった?」
「多分これで全員だ! 一階はもうだめだった。入り口が炎と崩れた木材で出れなくなっちまった!」
 幸い、大怪我している人はいない。
「大丈夫だ! ロープで下りられるようにした! 皆、ここから降りるんだ!」

 すぐに救助活動が始まった。幸い、みんな軽傷ですぐにリディアの指示に応じてくれた。
 あまりにも小さな子や足を怪我していた子どもはジャックや大人が背負って慎重にロープを降りていく。
 全員が降りたところで、ジャックが叫んだ。
「リディア! お前も早く降りて来い!」
「うん!」
 リディアはロープを掴んだ。

 一階はすでに火が回り始めているし、この木造の養護施設では二階に火の手が回るのも時間の問題だ。図書室も無事でなくなる。
 早く降りなければ、リディアも危ない。
 つい一週間ほど前に命の危機にあったばかりなのに。

「また命の危機かぁ…また…また?」

 リディアはふと、大変危険な思いつきをしてしまった。それは一歩間違えば確実に死ぬだろうもので、脳が止めるように必死に警鐘を鳴らしていた。
 だが、リディアはすぐに決断すると、ロープを引き上げはじめ、ジャックに向かって叫んだ。

「ジャック! 私はもう少しここに残る! やらなきゃいけないことがあるんだ!」
「はぁ!? なんでだよ! 危険だろ! 降りてこい!」
「ごめん! だけど、この先の私に必要なことなんだ! そこでジャックに頼みがある! もしゼドが来たら伝えてくれ! 私が図書室にいることを伝えてくれ!」

 養護施設から王城まではそれほど距離が離れていない。すぐにゼドに火事のことが耳に入るだろう。
 ゼドがこの図書室までリディアを助けに来るか。それとも見殺す、あるいは間に合わずにリディアが死ぬか。

 リディアは自分の命を賭けることにしたのだ。
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