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リディアの賭け

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 ゼドは養護施設までの道のりを馬で疾走していた。
「急げ……まだ。まだ間に合うはずだ!」

 脳裏をリディアの死がよぎって、心臓の鼓動がドクドクと不安げに跳ねた。歯ぎしりをして眉間に皺が寄る。

 嫌だ。リディアに火事でなんか死んでほしくない。

 リディアが好きだ。誰もが彼女を好くだろうけど、世界の誰より彼女を愛している自信があった。
 それとともに自分の愛し方が、受け入れがたくて、気持ち悪くて、あり得ないものであることも自覚していた。

 彼女を殺したいならば、共に生きて、老いたころに静かに実行すればいい、と一週間何度も自分に言い聞かせて、納得しようとした。それならば被害が少なくて、まだ希望があるかもしれない。
 だけど、それだと胸が苦しいのだ。掻き毟りたくなるほどの切なさに襲われるのだ。
 リディアを愛している。たとえ彼女と気持ちが通じ合っても、キスをしても身体を重ねても、リディアを殺さなければ、愛したとはいえないのだ。
 彼女のことは、自分が殺す。自分以外のものにリディアの死を渡すわけにはいかない。

「まさか、火事に嫉妬するなんて……おかしな話だね。すまない。リディア」

 自嘲をしながら、ゼドは馬を走らせた。

 ★

 リディアは図書室の家具を退けて、ど真ん中に椅子を置いて、腕を組んで座っていた。
 図書室にこもってから数刻たった。リディアの体内時計が正しければ、そろそろゼドが施設につく頃だろう。

「ゲホッ!ゴホッ!……煙が濃くなってきたな」
 一応ドアで遮断しているものの、その向こうでは階段が焼け落ち、すぐそこまで火の手が迫っていた。

 ゼドは、来るだろうか。
 このままだと、リディアは死ぬ。

「このまま、死ぬのかぁ。命を賭けるとはいえ、味気ないというかなんというか。これならゼドに殺された方が……ってあれ? 私、今なんつった?」

 ぽろりと零れた言葉にリディアは目を見開いた。
 ついさっきまでゼドに殺されるなんて、まっぴらごめんだと思っていたのに。どうして、今そんな言葉が漏れたのだろう。

 少なくとも、火事よりはマシだということだろうか。しょせん、火事は賭けの結果の死であまり意味のあるものとは思えない。死に甲斐のない死だ。
 じゃあ、少なくともゼドがリディアを助けにきて、本当に愛しているからリディアを殺したいことが証明されれば、リディアにとっては意味のある、死に甲斐のある死になるのだろうか。

(もしかして、私はゼドに殺されること自体が嫌なわけじゃなくて、ただの殺人だったら嫌だってことか? じゃあ、もし、ゼドが私のことを本当に愛していて、それが証明されれば、私はゼドに殺されてもいい、とちょっとは思っているのか? 火事よりはマシなのか?)

 ならば、この賭けは絶好のチャンスだ。
 ゼドのその気持ちがどこまで本気なのかを、この賭けで計る。
 ゼドがこの火の中、なりふり構わずリディアを助けに来るのか。それともリディアを見殺しにするのか。

 目を閉じてゼドと初めて出会った瞬間を思い出す。
 真剣な表情だった。誠意を感じた。確かにそこにゼドの気持ちがあった。だからリディアは彼を大切にしたい感情が芽生えたのだ。
 胸に手を当ててみる。

 まだ残っている。愛しているというには程遠くて、けれど、壊れてしまいそうなほど繊細で温かい、その感情は失われていない。

(もし、ゼドが来てくれたらならば、この感情がある限り、たとえそれが私の命を奪う行為であっても、彼の愛は信じてみよう)
 リディアは壁の向こうを見据えて、心の中で決意した。

 その時だった。突然、雷鳴がとどろくような破壊音をたてて屋根が壊れた。
「なに!? 屋根が……」

 大きく開いた穴から、煙と火の魔の手が間近にせまった薄暗い部屋に光が差しこみ、煤けたリディアの顔を照らした。
 そして、ひらりと羽織を翻して、まるで蝶のように彼が降りたった。

「……ゼ、ド……嘘だろ」

 顔を上げたゼドは驚愕で固まるリディアにふわりと笑う。

「迎えに来たよ。リディア」


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