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リディアの賭け 決着

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「ゼド、なんで、ここに」

 ゼドに抱きしめられる。木の焼ける臭いで麻痺しつつあった鼻が、彼のぬくもりに包まれ、和らいだ気がした。
 痛みを感じるくらい腕の力が強い。ゼドが必死になって来てくれたのだとわかる。

「リディア。リディア。無事でよかった」
「……はい?」
 リディアのことを殺したい人間の言葉とは思えなくて、思わず吹き出してしまった。
「ははっ。私のことを殺したいのに?」
「違う! 俺がリディアを殺したいんだ。俺以外の奴に取られたくない。火事なんかに殺されるな。君を殺すのは、この俺なんだ」

 ゼドがリディアを揺さぶった。
 まだ伝わってなかったのか、という心苦しさと、リディアが無事だったことの安堵と、嫉妬が入り混じって表情がぐちゃぐちゃだ。
 彼にこんな顔をさせられるのはリディアだけだ。

「俺は君を殺したいけど。その前にリディアのことが好きな一人の男だって、わかってくれ」
「……そうだったね」
 ああ、これは、殺意だけじゃない。本当に愛されているとリディアは実感してしまった。ゼドの背に手を回して、首元に顔をうずめながら苦笑する。

「それにしても火事に嫉妬だなんて、嫉妬の仕方が斜め上だなぁ。……賭けは私の負けかぁ」
 ゼドがぴくりと反応して、白々しい目でリディアを睨んだ。

「リディア、賭けってどういうこと? まさかわざとこうしてたの? 俺というものがありながら?」
「はいはい。文句は後で聞くよ」

 リディアはゼドの腕をすり抜けると、先ほど引っ込めたロープを手に取った。
「まずは、ここから脱出しよう。ゼド」



「リディア! 無事だったか!」
「リディア様!」
 下に降りると、鬼のような形相のジャックや子どもたちがリディアに駆け寄ってきた。中には泣いている子供までいて、悪かったな、と罪悪感が生じた。

「ジャック! みんな! ごめん。心配かけた」
 子どもたちの対応をしながら、ジャックに手を合わせる。
「ジャック、陛下に伝えてくれてありがとうね。助かったよ」
 リディアのあまりに満足げな表情に、毒気を抜かれてしまったらしいジャックは肩を落とした。
「怒ろうと思ってたけど、もぉいいや。一個貸しにするからな。お前が残るって言ったときはどうなるかと思ったぜ」
「まぁ、いろいろとこっちの事情がね。そういえば、ゼド……陛下はどうやって屋根に?」

 リディアに尋ねられて、子どもたちが目を輝かせた。
「陛下ね! そこの木からぽーんって屋根まで飛んだのよ! 格好よかったわ!」
「え、ええ? マジか……天才のなせる業だな」
 それってかなり危ないことなんじゃないだろうか。

 振り向いてゼドを見ると、庭の隅っこで不服そうな顔でリディアを見ていた。ついさっき、リディアが一人で賭けをしていたことを話してから、ずっとあの態度である。

 駆け付けた火消したちが消火作業を進める中、リディアはゼドの隣に座って寄り添う。

「ゼド? どうして拗ねてんの」
「どうもこうもない! なんでそんな危険な賭けをした! 君は馬鹿か! 一歩間違えれば死ぬところだったんだ!」

 リディアの想像を超えた剣幕で怒るゼドはボロボロだった。木に登った時なのか、屋根を崩した時についたものなのか、綺麗だった衣装はところどころ破れ、汚れや煤がこびりついている。
 手や頬にも切り傷がついていて、痛々しい。

 思えば、ゼドは外に出ているというのに、護衛をつけていなかった。慌てて王城を飛び出したのだと気づいた。確かに、リディアにとっては賭けでも、彼にとっては愛する人を亡くすかどうかのところまで追い込んでしまった。反省しなければならない。

「ごめん。知りたかったんだ。本当にあんたが私のことが好きで殺したいのか。そして、私はあんたに殺されることを本当はどう思っているのか。命の危機に瀕してみて、考えたかった」
「人の気も知らないで」
「本当に悪かったと思ってる。だけど、おかげでわかったよ」

 ゼドが命をかけるほど、リディアのことを愛していることがわかれば、もう迷う必要はない。

「うん。決めた」
「リディア?」
「私が恋愛知らずでよかったね。ゼド」

 リディアはゼドの頬に手を添えると、わずかに切れた彼の唇に自分のそれを重ねた。鉄と灰の苦味を感じる口づけを味わいながら、リディアは腹を決める。

(殺害衝動がなんだって言うんだ。私の内に芽生えた感情は、それさえもひっくるめて大事にしてみたいと訴えてる。なら、私はそうするまでだ)

 唇を離すと、ゼドは反応に困って呆けていた。
「リディア……今、君……」

「ゼド。私は今日、火事で死にそうになって、火事で死ぬよりかは、私のことが好きなゼドに殺された方がマシだとちょっとだけ思った」
「本当か!」

 ゼドの顔が一気に明るくなって、手が腰に下がっているサーベルに伸びそうになる。
 早まるな。止まれ。

「でも、殺されたいほどじゃない。私の感情はまだゼドのそれとは遠すぎる。殺されたいなんて思わないし、悪いが「愛してる殺して」も言えない」
 すると彼はあからさまにしゅんとなった。欲望に忠実すぎて、普段の澄ました国王ゼドはどこへ行ったのかと内心呆れた。

「だから、一年だ。私とゼドが成婚するまでの一年で、私に「愛してる殺して」と言わせてみてよ。私が言いたくなるくらい、ゼドを好きにならせて」
「一年……」
「そう。成婚してからやっぱり無理でしたは良くないからね。どう? 一年の間に私に言わせたら、文字通り、私の頭のてっぺんから足先まで全部あげる」

 今は自分の命をくれてやる気は起きない。
 だけど、ゼドのようにリディアが彼のことを大好きになればいい。同じくらい愛せるようになればいいのだ。

 そうなってみたいと思った。
 ゼドのために、命を渡せるくらい心酔できるものならしてみたい。溺れられるものなら溺れてみたい。

 リディアは、を恋と呼ぶことにした。
 もしこれが、普通の少女だったら、それはまともな恋愛じゃないと二人を非難するだろうが、生憎リディアは普通の恋愛のセオリーを知らないのだ。

「まぁ、ゼドからしたらもう一年片思いみたいな期間が続くわけだから、しんどいかもしれないけど」
 言い終わらないうちにゼドに抱きしめられる。
「まさか。うれしい。一年なんか気にならない。君を見かけてから十年以上思ってきたんだ。今更だ。しかも今は遠くじゃない。想像じゃない。そばにいる」

 額がくっつくほどの距離で、ゼドは目を細めてリディアを愛おしそうに見つめる。彼の心臓の高鳴りが聞こえた気がした。
 彼のこの顔を見れたのだから、火事で死ななくて良かったと、リディアは安堵して微笑んだ。

「必ず言わせる。必ず、俺はリディアを殺す」
「期待してるよ」

 こうして、リディアとゼドの死ぬか殺すか、運命の日までの一年が始まった。

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