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真神憲二と真神勝巳
貴婦人(憲二、勝巳)
しおりを挟む「ああ、こんな風だったかな」
三メートルをこえるであろうタピスリーを見上げて、ぽつりと呟く。
懐かしげな眼差しに、目の前の中世の織物と隣に立つ憲二を見比べた。
「なんだ、観たことがあったのか」
「うん。ずいぶん前に」
平日で閉館間際の館内は、人の気配が薄れるほどに閑散としている。
声を潜めた二人の会話すら静寂の中に飲み込まれていった。
今日は企画展が観たいという憲二に誘われて、六本木にあるこの美術館へ足を運んだ。
彼は、こうして時々唐突に勝己を連れ出す。
「あっちではがーっと敷き詰めた感じに展示されていたんだけど、これはこれで迫力あるよな」
あたりを見回したあと、くすりと笑った。
「昔さ、どっかの男に言われたんだ。『君は、貴婦人と一角獣のタピスリーの中の、とある貴婦人に似ている』って」
どっかの男。
顔も覚えていないという男のことを語り出す。
「でさ、あんまり何度もうっとりしながら言うからさ。気になってそれだけ見にパリに行ってきた」
「・・・え?」
「思いついたら吉日で、日本を飛び出したものの、大学の試験前だったからもう、弾丸でさ。ほんとにタッチアンドゴーって感じ?」
くすくすと、肩をすくめる憲二は、本当に楽しそうだ。
「その人と行ったのか?」
情けないが、一番気になるのはそこに尽きる。
こんなに、何年も経ったことを思い出すくらい、大切な過去なのか。
「・・・いいや?もう、ほんとにそれっきりだったからな。名前も覚えてないし。そういや、なんで・・・」
なんで、あんなのと寝たのか解らない。
軽く続けられて、心の中でため息をついた。
そんな関係の相手だったのだと、最初から勘付いていたが、わざわざその口から聞きたくない。
だけど、なんでもないことのように肯いて見せた。
「そうか」
それが、ずっと自分の役割だったのだから。
「・・・うん」
ちらりと、視線を感じたが気が付かないふりでタピスリーを見つめた。
「一角獣か・・・」
本当は鑑賞するような心境ではなかったけれど、上っ面を取り繕う。
「象徴的な生きものだな」
何かを話さないと、別の言葉を口にしそうだ。
ところがさらに憲二の呑気な声が追い打ちをかけた。
「俺、こういうのって好きじゃないんだよな。思わせぶりで」
きまぐれにもほどがある。
つい振り返ると、唇を少しゆがめて憲二が笑う。
「だって、貞節の象徴に一角獣、貴賓の象徴に獅子、それから小動物と植物をちりばめて、さあ、謎を解いてみなさいって見下ろしているんだぜ?こんな感じ悪いのから俺を連想するって、いったいどんなイメージだよって頭に来たね」
「まあ、この時代は文盲が多いから、教訓めいたテーマで作られたんだろう」
さりげなく話を逸らそうとするが、そんな姑息な手に乗るはずもなく。
「それにしても、こんなのと俺を一緒にするか?ふつう」
だから、その男とはそれっきりだったのだろうと、自己分析までされて、開いた口がふさがらない。
「そういや思い出したけど、これを見に行ってしばらく滞在しようとか気障ったらしく誘われて、気持ち悪かったからあえて独りで行ったんだっけな」
その男は、間違えたのだ。
憲二は、誰のものにもならない。
たとえ、腕の中でどんなに甘い時間を共有したとしても、次の瞬間にはあっというまに飛び立ってしまう。
こうして隣に立っていても、決して心の奥底が見えないように。
どんなに近くにいても、決して手に入らない、水面の月。
「・・・あながち、その男の言ったことは間違いじゃないと思うけど」
ひそりとため息と共に落とした。
「なんだよ、それ」
「どれも同じじゃないけれど、どの貴婦人も、どこか憲に似てる」
「・・・・かつみ?」
不思議なことに、少し、憲二の瞳が揺らいだように見えた。
「清廉で、高貴で、あらゆる知恵を支配して・・・。どこかはかなくも、どこか神々しい、唯一無二の貴婦人。きっと、彼はそう思ったんだろうな」
誰よりも、君を愛す。
彼の言葉は、心に響かなかった。
なら、自分の言葉はどうだろう。
金色に光る瞳を覗き込むと、時間が止まったような気がした。
「かつみ・・・」
花よりもかぐわしい吐息で名前を呼ばれて。
思わず頬に手をかけてしまう。
手の平でなめらかな肌を感じながら、存在を確かめる。
きらめく、至高の宝石。
「・・・行こうか」
「・・・ん」
ゆっくりと身を離し、出口へ向かう。
遠い瞳に謎を秘めて。
問いかける。
わたしの中の私を、見つけてごらん、と。
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