糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼ハルノ

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ベージル・ヒルの剣

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 冬が目前の秋は日が暮れるのが早い。


 予定が立て込んでいる客たちは午前中のうちに出立し、午後のお茶時には広い屋敷全体がくつろいだ空気に包まれた。


 陽の光が弱まってきたところでゴドリー伯爵が滞在している別館の前では、ひそかにベージル・ヒルの放逐のために騎士が集められ、処罰されるさまを見ようと他の使用人たちも仕事を放りだし出てきている。



 しかし、そこに当主リチャード・ゴドリー伯爵の姿はない。

 彼は、不安を訴えるコンスタンスにつきっきりで事件から今まで部屋から一歩も出てこなかった。



「今から確認事項に入る。リチャード様は『私物の持ち出しを許す』とのことだが……。ノーザン団長。これはどういうことかな」

 リチャードの代理として立ち会うホランドが騎士団長となったノーザンへ尋ねる。

 後ろ手に縛られ立たされているヒルは、綿のシャツとズボンと編み込みブーツのみだ。

 礼服から通常の服に着替える時に嫌がらせを受けることを懸念したホランドが、念のため立ち会ったときに着用させたハーフコートが見当たらない。

 事務手続きのためにいったん引き上げた隙に奪ったらしい。


「仕事でここに来たのです。『私物』なんてあると思いますか? 礼服や騎士服は支給された物ですから没収に決まっているじゃないですか。裸でないだけマシです」

 平然と答えるノーザンに、周りを取り囲む騎士や従僕は半笑いの顔で立っている。

「…………はっ。そうきたか。強欲が調子に乗りやがって」

 ホランドは笑みを浮かべたまま、小声で悪態をついた。

 その論理で団長室にあったヒルの所持金や金になりそうなものは全て没収したのだろう。

 たしかに、ここには信用に足るものは一人もいない。
 いつの間に礼儀知らずで教育のなっていない人材しかいない状態になったのか。


「もうすぐ日が暮れる。このままではおそらく町までたどり着かない。野営のための荷物くらい持たせてやれ」

「…………はい。わかりました」

 不満げなノーザンに、ホランドは指をさしてたたみかける。


「それと、君が今腰に付けているその剣。ヒルに返せ」


 立ち合いのためにこの場に出て、ホランドがまず驚いたのはそれだ。


 ノーザンはなんとヒルの剣を装着していた。

 彼の剣は派手な装飾はないが特注品。

 勝手に奪ったのは誰の目にも明らかだ。


「はあ? 俺はリチャード様直々に団長になるよう命じられました。よってこれは俺の物です」

 まるで新しい玩具に愛着する子どものようにぎゅっと剣の柄を握りしめるノーザンに、ゆっくり首を振った。


「それは誤解だ。その剣は団長のしるしでも何でもない。そしてゴドリー家からの特別支給品でもない。柄頭をよく見てみろ。ヒル家の紋章が入っているだろう。それこそ、完全なる私物の証拠だ」


「は? これはゴドリー家のでは……」

 ホランドの指摘にノーザンは慌てて頭を傾け、柄頭を覗き込む。


「いや違う。似て見える理由は、昔とある件についての謝意を表すためにゴドリー家からヒル家へ下賜された紋章で、家門に連なるというしるしだからだ」


 別館の庭先で元同僚たちに囲まれ罪人として立つヒルは、ただ黙って二人の応酬を眺めていた。

 ちらりとすぐ上の二階の窓に目をやるが、厚いカーテンが引かれたままのそこは、何事も変わらない。


「そもそも……ノーザン団長。君はゴドリー侯爵家並びに係累の紋章の区別はついているのかな?」

 薔薇のベルベットのような花弁を思わせる唇をにいっと上げて、ホランドは冴え冴えと笑う。

 あからさまな侮蔑に、周囲はざわめいた。

「な……っ!」

 顔に朱を走らせグリップを前に倒したノーザンに、ホランドは片手をあげる。


「リチャード様がここにおられない以上、この場のトップは私だ。切りかかったら今度は君が罰を受けることになるが、それでもいいか? まあ、俺は別に構わないけど」


 ホランドは帯剣していない。

 それにもかかわらず、ガラスのような青い目を鋭くそして暗く光らせるだけで騎士たちを制した。


「…………。その剣をベージル・ヒルへ返却し、縛っている縄を解け。帯剣したからと言って彼が君たちに切りかかってくることはない。なぜならそれは無意味だから」


「しかし……」


「それとも、君たちはヒルが怖くて仕方ないのかな? ゴドリーの上位騎士のはずなのに、まるで犬に怯える子供のようだよ」

 くすりと笑ってみせると全員の身体から殺気が立ちのぼったが、ホランドは意に介さない。


「ほら。その剣を出すんだ、ノーザン団長」


 あくまでも強く出る美しい青年に、ノーザンは唇をかみしめながら帯を外す。


「今はギゼルが副団長かな?  今すぐ団長室へ戻ってノーザンの剣を取ってきてくれ。さすがに丸腰でいろとは言わない」

「……はっ」

 繰り上がって副団長になった男も、悔しそうな顔で建物の中へ戻った。

 遠巻きに見物している侍女や従僕が何やら囁き合っているがそれらを黙殺し、ヒルのそばに立つ下級騎士に縄を解かせ、ホランドは受け取った剣をヒルに渡す。



「ベージル・ヒル。これは、お前の剣だ。これからもずっと」


「…………」

 軽く会釈したヒルは、そのまま黙って装着した。



「何度も言うが、リチャード様が命じたのは放逐。害せよとは一言も言っていない。それを決して忘れないように」


 ホランドの声は少し高めだ。

 どこか少年めいた透明な美しい声が響き渡り、使用人たちの耳に届く。



 西の空が穏やかに赤く染まり始めていた。

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