糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼ハルノ

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王妃のお針子

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「無理とは、見た目が幼すぎて食指が沸かないと言う事かしら」

 ヘレナの外見については、魔導士庁で執り行われたリド・ハーンたちの結婚式に出席した者たちからの報告で王妃は把握している。

「いえ、そういうことでは…。それよりもヘレナ様からすれば私など、親戚のおじさんのようなものです」

「しんせきの、おじさん?」

 こてりと首を傾げ、おうむ返しに王妃は問う。

「はい。そうです。出会ったときは私の十歳の姪よりも小さかったもので、つい、子ども扱いしてしまいましたし」

 ヒルの一族は子どもの頃から大柄だと聞いているが、それにしても。

「そうなのね…。では、リチャード・ゴドリーはどうなの? 戸籍上は夫だし、見た目は侯爵夫妻の良いところどりの美形だし、財産も地位もあるし。若い女の子ならときめくのでなくて?」

「ああ…。それは…」

 額に手を当ててしばらく考えた後、ヒルは躊躇いがちに言葉をつづけた。


「誠に申し訳ありませんが、この件について話を続けるならば、人払いをお願いできますか」

「わかったわ。でもヒル。貴方も座りなさい。そろそろ首が痛くなってきたの」

 王妃の言葉に、マリアロッサが侍従たちに視線を送る。
 ヒルのために椅子を用意し、カトラリーと茶器が素早く配置された。

「とりあえず、貴方も食べなさい。私たちもそうするから」

「ありがとうございます」

 座ると一礼し、ヒルはレーズンのスコーンを一つ皿にのせ、二つに割ってクロテッドクリームとブラムリーのジャムをゆっくりと塗る。そして、ぱくりと口に入れた。

 王妃たちは去り際に温め直して提供された小玉ねぎのグラタンやポテトパイとなどに舌鼓を打ちながら、彼の様子をそれとなく観察する。


「この前も思ったけれど、ずいぶんと美味しそうに食べるのね。まあ、実際に美味しいのだけど…。何というのかしら、口に入れて飲み込むうちに身体の中が浄化されていくような気持ちになるの。不思議なことに」

 かつて、ルイズ・ショアが片手間に作っていた焼き菓子のように。

「…私が…。私が初めてヘレナ様の料理を頂いたのは、たしかオートミールを混ぜたソーダブレッドに林檎のジャムだったと思います。別邸に移り住み、まともな食材はほとんど手に入らないなか、工夫してなんとか作れたのがそれでした。申し訳ないと思いつつもあまりの美味しさについ食べてしまって、慌てて卵など手に入れて渡したことを思いだします。あの頃、本当に私は気が回らないうえに役立たずで、あの方にたいへんな苦労させてしまいました」

 悔恨の色が強い声に、マリアロッサは顔色を変えた。

「待ってベージル。どういうことか説明して。まともな食材が手に入らない?」

 『少し度を過ぎた悪戯が続いた』

 ヘレナは簡潔に説明したが、まさか。

 ベンホルムと王妃も食事の手を止めて、険しい表情になる。


「それが、人払いを願った理由です」

 ヒルは椅子から降りて床に片膝をつき、騎士の礼をとった。

「ベージル・ヒル」

 深く首を垂れる男に、三人は背筋を伸ばし言葉の続きを待つ。

「私は今、王妃様配下の近衛騎士としてここにおりますが、ほんの少し前まではリチャード・ゴドリー伯爵の騎士であり、ゴドリー侯爵家の使用人の息子でもありました。しかし私は、ヘレナ・リー・ストラザーン伯爵令嬢に我々が非道な行いを為したこと、そしてリチャード様を取り巻く困難な状況をここで全てお話ししたいと思います。たとえそれが、長年の主であったリチャード様の意に反する事であっても」


「……」

 王妃はヒルの真剣な姿に考えを巡らせる。

 ここに来たのは、軽い好奇心と思い付きからだった。

 ゴドリー伯爵邸から戻ったマリアロッサがとても美しいショールを首に巻いて王宮へ戻ってきたと報告を聞いた時、なんとなくそれをすぐに間近で見てみたいと思った。

 折よく予定していた今日の執務の一切は片付き、自由な時間がある。
 共にベージル・ヒルを指名したのは偶然だった。

 ベンホルムの執務室へ向かう途中、モルダーと連れ立って歩いているところに遭遇し、護衛を入れ替え、連れてきた。

 まるで、何かに導かれたかのように。


 思い返すと、ヘレナの母であるルイズ・ショアは、とても不思議な娘だった。

 十四歳で王宮の下級侍女として雇われ、裁縫上手なことが発覚するとすぐに裁縫女官候補として昇格し、女官長自ら王宮作法や織女教育に関する様々なことを仕込みつつも裏方で手腕を発揮した。

 普通なら辺境から来た放牧民のような少女が、入宮してほんの数か月で王族の衣装に触れるなど前例のないことだ。

 しかも、教育が終わらないまま王宮の中枢に足を踏み入れるなど、本来ならもってのほか。
 特例中の特例だった。

 それが適用された理由は、彼女の神がかり的な技術ゆえのこと。

 小柄で平凡な容姿のルイズは手仕事が早いだけでなく、抜きんでたセンスの持ち主だった。保管室の片隅にあった誰も目にとめない古いドレスを、たった一晩で新品同様の美しい衣装へ作り変えたこともある。

 天才少女だと、衣装係たちと王妃は思った。

 しかし、彼女はあくまでも控えめで目立つことを嫌い、昇格を拒んだ。
 褒美をくれるなら、年と出自相応の下級侍女として遇してほしいと懇願され、不承不承叶えた。

 エリザベート直属の使用人たちの中で一番下の、お気に入りのお針子。
 それでも、年ごろになったら王宮で信用のおける男と縁づかせるつもりで準備をしていた。

 それなのに、偶然出会ったハンス・ブライトン子爵に見初められ、あっさり嫁ぐことを決めた。

 ようやく十七歳になったばかりだと言うのに。

 ハンス・ブライトンは南部の花と謳われた母親譲りの華美な容姿だが、凡庸な男だった。
 彼と並び立つとルイズはとことん地味な娘に見えたが、非凡な才能を持っていた。

 このちくはぐな取り合わせが夫婦になった場合、苦労するのはルイズだと目に見えていたため、王妃を含め周囲は反対したが、ルイズは笑って取り合わなかった。

 けっして彼の見た目やブライトン家の財産に目がくらんだわけではない。

 『何があったとしても。どうしても逢いたい子たちがいるのです』

 謎めいた言葉と柔らかな笑みを残して。

 ルイズ・ショアは王宮を去った。


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