シゲルとみけ

犬飼ハルノ

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ばくたん。

 ある日、近所に住む婆様がヤギを連れてきた。



「これからしばらくコイツを貸すから、猟と酒はやるんじゃねえぞ」



 意味がわからず首をかしげると、懐から小さな毛玉を取り出して続ける。


「お前の仕事は、これを助けることじゃ」


 両の手の平の上にぽんと放り出されたのは、赤土色と墨色の模様の入った白い子猫。


「母親が高齢でな。ようやっと産んだかと思ったら、乳もようやらんうちにどこかに行ってしもうた」


 まだ瞼も開けきらぬそれは、貧弱な足を伸ばして、小さく「な~う」と鳴いた。


「お前、代わりに育ててやれ」


 毛玉の、あまりの軽さに、呑んだばかりの酒の酔いも覚める。


「ばばあ」


「おばさまじゃ」


「俺は猟師じゃ。獣育ててどうする」

「だから、育てろ」


 酒で死んだ父の、二回り上の姉は年季の入った顔をますます皺だけにさせて睨む。


「お前は腕が良い。だが、せっかくの稼ぎを全部酒に突っ込んだ挙げ句、女も寄りつかん。この間たたき出した女で、お前何人目だ」


「・・・しらん」


「このたわけが」



 女は、面倒だ。


 母も父の酒癖の悪さに愛想を尽かして他の男の元に走り、ぐれた父はますます酒に溺れて死んだ。


 腕と顔がそこそこ良いので女はいくらでも寄ってくるが、どれも湿っぽかったり口うるさかったりで、長く続かないままいい歳になった。



「たまには功徳を積むと思って、その獣の子を助けてみろ」


 手の平の中で、思いの外高い体温が頼りなくうごめく。


「鳴いたらコイツの乳をやって、時々濡れ布巾でこことここを拭いてやれ。冷やすと死ぬから、懐にずっと入れておけ」


 そのままぐいっと腹に突っ込まれ、柔らかさに不安を覚えた。


「ばばあ」


「おばさんじゃ」


「・・・おばさん、俺にはこんな小さいのはムリだ。・・・おっかねえ」



 しかし、懐からつまみ出すことがどうしても出来ない。


 じわり、と熱が腹の底へ染みていく。



「おっかねえのはそいつも一緒だ。まあ、たまにはやってみろ。大きくなったら嫁の代わりにもなるだで」


「猫は嫁にはならん」


「なるかならんかは、育て上げてから言え」


 年のわりには立派な歯をにいいっとむき出して、せかせかと背を向けた。



「お前に似合いだで、大事にしろよ、シゲル」


 足下には、乳の膨れあがった雌のヤギ。


 懐には、すっかり落ち着いて眠り始めた子猫。



「くそばばあめ・・・」


 悪態はおそらく耳に届いたであろうが、せっかちな足取りが止まることはなかった。






 そして、今。


「ごめんな、シゲルさん」



 炉端に、ちょこんと正座した少年が、まん丸な瞳をおどおどと自分に向ける。



「おら、いてもたってもいられなくなって・・・」



 申し訳なさそうに、高めの声がぽつぽつと言い訳を並べる。


 雛にも希な、白い肌。

 薄桃色の唇の上をぺろりと、薄い舌がかすめる。


 一瞬その舌先の行方を目が追ってしまうのを、無理矢理頭を振って引きはがした。



「お前、なんであんなことした。あいつらと悪さしたかったか」


「ちがう」


「なら、酒を飲みたかったか」


「それもちがう」



 金色がかった瞳からつううーっと水があふれ出しぽたぽたと膝を濡らす。



「おら、おら、シゲルさんにたんぜん掛けたかっただけだ」


「たんぜん?」


「シゲルさん、酔っ払ったら正体なくして寝るべ。あったかい頃はおらが乗っかれば少しは大丈夫だけど、寒い頃は風邪を引く」



 ぽろぽろと透明な涙を流しながら、瞬き一つせず見つめられ、シゲルはぐうっと喉を鳴らす。



「おら、シゲルさんが風邪ひくのやだ」


「・・・それがどうしてああなった」


「化け傘のじいちゃんが言ったんだ。化け猫になったら、たんぜん掛けられるぞって」


「そんなことで・・・」


「そんなこと、じゃない。このなりだと、できること、いっぱいある!」



 鼻を赤くしながら、なおも言い連ねる。


「たんぜんかけて、火をおこして、お膳片付けて、飯さちょこっと作ることだって出来る」


「あの飯は、お前だったのか・・・」



 時々、昼近くに目を覚ますと台所にちょこんと置いてあった握り飯は、てっきり近所の伯母からの差し入れだと思っていた。


「酒も、シゲルさんは有り金全部使うから、身体に良くない、こっそり減らしてしまえって教えてくれたんだ。じいさま達が、おらたちが呑んでやるって言うから・・・」


 それは、うまく丸め込まれただけではないか。



 そう口を挟みたいが、目の前の真剣な眼差しに気圧されて、一言も出ない。


「じいさまたちは、ほんとはわるくないんだ。あの時は、ちょっと、虫の居所が悪かっただけだ」




 あの時。


 ほんの半時ほど前のことだ。


 酒屋に行くとツケが貯まっているから払えと言われ、しかもそれはありえないほど膨れあがっていた。



「身に覚えがないのは払えねえ」

「なんだ逃げる気かおめえ」


 店主と口論しているところにふらりと小僧がやってきて大量の酒を買いに来た上に、「シゲルのツケだ」などと抜かすので、首根っこ掴んだら、コイツだった。


 逃げる小僧を追いかけて辿り着いた先は、百鬼夜行の無礼講。

 妖怪たちに幾重にも囲まれ、もっと酒をよこせと囃し立てられたのを「これ以上は無理だ」と断った小僧は、彼らに襲われた。


 いや、殺されかけた。



 さすがにこれは納得できずに反論する。


「虫の居所が悪いついでに殺されて、腹がたたねえのか」


「誰でも、いつかは死ぬ。おっかあがおら産んでいなくなったみたいに」


 まん丸な目は、まるで今夜の月のようだ。



「でも、シゲルさんが死ぬのはやだ」


 そして、また、その月から雫がぽたぽた落ちる。


「・・・やだ。シゲルさんがいなくなるのだけは、我慢ならねえ」


 しまいにはうーっと呻りながら唇をかんだ。



 見た目は、そこらの少女達よりもずっと愛らしい少年。


 しかし、中身は、懐の中で鳴く、頼りない子猫のままだ。



 唇をかんで泣き声を押し殺す小さな頭を胸元に抱き込んで、頭をぽんぽんと叩いた。



「・・・この、ばかたれが」


 子猫は育って、化け猫になった。
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