シゲルとみけ

犬飼ハルノ

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かたいにく。


「あんたが、シゲルとかいうやつか」
「・・・はあ?」

 目の前の美丈夫は、敵意でギラギラした視線を投げて寄越した。
 正直、視線で人が殺せそうだと思ったのは初めてだ。

「確かに俺はシゲルだが、それがどうした」

 首をぼりぼりと搔きながら答える。
 いい歳をしてどうかと思いつつ、売られた喧嘩は必ず買うのが性分だから仕方ない。
 が。

「すまんが、おミツさんと別れてくれ!!」

 いきなりがばっと土下座され、一瞬、後ろに引いてしまった。

「は?」
「だから、おミツさんと・・・」


「おミツ?」


 ちなみにここは、シゲルの家である。

 土下座している男の名前は慎二郎。

 近くの集落にひょっこり現われた風来坊で、その容姿と女のつまみ食いぶりは派手に噂が流れ、山里の一番奥に住んでいるシゲルの耳にまで届いていた。
 が。
 肝心の「おミツさん」に心当たりがない。


「おミツって、誰だ?」


 体格も自分と互角の男のつむじに問いかけた。

「誰って・・・」

 困惑顔がふらふらと上がるのを見て、眉を寄せた。
 聞いたことがあるようなないような。


「わしじゃ、このばかたれ」

 戸口の方からあきれ果てた声が上がった。

「なんだ、ばばあ・・・」
「お、おみつさん!!」


 そこには、ミケを抱いたばさまがいた。


「おみつさん、おみつさん!!」

 ぴょん、と男が飛び上がって駆け寄るを見て、シゲルは息を呑んだ。

「あんたはここで、この子を抱いてろ」

 押しつけられたミケは不服そうに慎二郎の腕の中でじたばたしていた。

「落とすなよ」
「は、はい!!」

 小柄な身体でひょいひょいとシゲルのそばまでやってくると、炉端にあった木じゃくしでぽかりとシゲルの頭を叩いた。

「・・・!」

「このたわけ。ガキの頃から世話してくれとるわしの名前を知らんだと?」

 加齢で全身縮んではいるが、山を歩き回って生きるばさまの力は半端ではない。
 じんじんと傷む頭頂部を押さえて反論する。

「だ、だって、ハツじゃなかったのか、ばばあ」

「はあ?」

「長女じゃなかったのかよ?」

「そりゃちがう。わしは三女じゃ」

「・・・オヤジより二回り上なのは・・・?」

「それは、ハツ姉じゃな」
「じゃあ、ばばあは?」

 おそるおそる聞いた途端、二人に同時に反撃され、あまつさえ、ミケもにゃーと叫ぶ。

「ばばあだなんて、おミツさんを・・・!!」
「ばばあじゃない、おミツじゃ」

 三対の目に非難がましく睨まれてそうそうに白旗を揚げた。

「・・・では、おミツさんは、よわいいくつで・・・?」
「・・・まだ還暦にはちいとも辿りつかんぞ。お前の親父と十しか違わんでな。」
「はああ?」
「生まれてすぐのお前を育てたのは確かにハツ姉じゃが、五つの頃には亡くなったからそこからはわしじゃ、このとんま」

 もう一度ぽかりと叩かれると、また背後でにーっと、ミケの抗議が上がる。
 もうすぐ三十になる男に酷い仕打ちだと、打たれた頭をさすりながら、でくのぼうを睨んだ。

「おいこら慎二郎。このばばあと俺のどこがどうなんだ。別れるもくそもあるか」

 伯母と甥の禁忌も何も、この牛蒡のような老婆とどうすれば深い仲になるというのだ。

「いや、しかし・・・。おミツさんが別れてくれというから・・・」
「は?」
「もう来るなというから・・・!!」

 ミケを抱いたまま、美丈夫が滂沱の涙を流す。

 興奮して思わず力を込めすぎたのか、腕の中でじたばたもがいたミケがすぽんと飛んで、土間に着地した。

「フーッ!!」

 慎二郎に向かって一声威嚇したあと、シゲルの胸へ飛び込んできた。

「・・・ばばあ」
「なんじゃ」

 懐に突っ込んだミケが額をこすりつけてぐうぐう喉をなしている。

「痴話喧嘩なら、よそでやって欲しいのだが・・・」
「痴話喧嘩じゃねえ。首にしただけじゃ」

「はあ?」
「そろそろ畑の火入れにかかりたいんじゃが、今年は人手がたりねえ」

 途端に、伯母が口元を歪めて吐き捨てた。

「ひまそうだったから、いっちょ仕事させてみるかと思ったんだが、使えねえ・・・。これなら七つのおミヨの方がずっとましじゃ」

「そのおミヨはどうした」
「二番目の姉さが子を産んだで、山向こうへ子守りにいっちまった」

 この「仕事」はただの野良仕事ではない。
 山の斜面の木を切り倒して火を放つ、焼き畑だ。
 急勾配の山の斜面を歩き回らねばならない。

「やはり、白い飯を食う男は駄目じゃのう。腹の肉がちいと固いようだったから行けると思うたが、見込み違いじゃ・・・」

「はらのにく・・・」

 はたと気付き、身を乗り出した。

「ばばあ、こいつの腹の肉を見るためにわざわざくわえ込んだのか」
「なんじゃ、見てたのか、はしたない」

 はしたないなどと、この老婆の口から出てくること自体、間違っている。

「・・・いや、俺は見てねえ。そういうことを耳にしただけだ」
「ああ、こいつの声はでかいからな」

 顎で示された慎二郎は顔を赤らめ、尻を揺らしてもじもじとし始める。

「でかいだなんて・・・」

 ・・・はっきり言って見たくない。

「そうじゃなくて!!」
「なんじゃ、村のもんが見たのか?猫しか覗いとらんと思うたに」
「猫らが見ていたのは、解っていたのか・・・」

 まさか、その猫のうちの一匹がここにいるとはさすがに言えない。

「仕方ねえから、シゲルで良いかっつったら、いきなり走って行きやがったのよ」
「おミツさん・・・」

 あうあうとまた泣き始めた男を見て、これのどこが美丈夫だったのか、だんだん解らなくなってきた。

「あきらめろ。このばばあの頭の中には畑と酒しかねえからな」

 あと、肉の固い男。
 と、小さく呟く。

「肉の柔い男は味けねえからな。つまらねえし、よええし」

 耳ざといばばあはしらっと答えた。

 この伯母は一貫している。
 働くことと働き者の男の身体にしか興味がない。
 若い頃に奉公先で見初められて妾として子まで成したが、肉の柔い男は好かんと離縁してとっとと戻ってきた。

「なら・・・。なら、おミツさん!!」

 がばっとまたもや男は土間に縋り付く。

「俺をおミツさんのところに置いてくれ。白くないメシ喰って、山昇って、おミツさん好みの男になりたい」

 あまりの気迫に、せっかくうとうとしかけていたミケが驚いて毛を逆立てた。

「肉が固くなるのが先か、ばばあが死ぬのが先か・・・」

 それとも、この男が吸い尽くされてスカスカになるのが先か。
 ぽろりと漏らすと、また、ごつんと鉄拳が飛ぶ。

「たわけ」
「痛・・・」
「そこまで言うなら置いてやる」

 ふんっと、ふんぞり返る伯母は、自分たちの二倍も三倍も大きく見えた。

「おミツさん・・・っ」

 むせび泣く男の背後で、いくつもの目が覗いているのが見えた。
 そのまん中に、すらりと手足の長いトラ縞の猫がいる。

「・・・また、見世物になっているぞ、おい・・・」

 今夜は、猫たちの噂が千里を駆け巡るだろう。
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