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にゃーん。
真夜中に、広げた白い手のひらを照らすのは、お月さまの光。
夕方に南の空に現れたときはすっぱりと縦に切り取られたように半分しか光っていなくて、だんだんと傾いているうちに今は船のような形になって西の空に浮かんでいる。
でも、きっと。
もうすぐ、お山の向こうに沈んでしまう。
「シゲルさん・・・」
ミケは人間のなりをして、はあ、と、少し凍えた手のひらに息を吹きかけ、母屋を振り返る。
シゲルは、昼間に村に出かけて鎮守の森での祭りに疲れて帰ってきた。
体格の良い彼は村人たちに頼られ色々働いて、今夜はそれほど酒を飲んでいないのにあっという間に眠ってしまい、動かない。
つまらないので寝床から這い出して、シゲルの身の回りの世話でやり残していたことはないか確かめていた。
半分のお月様の日は、夜中までこの姿でいられる。
ミケは、少し前に森の中で死にかけていた子猫だった。
兄妹の中で一番小さくて声もあまり出なかったから母親に忘れられ、道端で凍えて死にそうになっていたところを通りかかった婆様が助けてくれた上、更にシゲルと合わせてくれた。
シゲルは腕利きの猟師で、とても怖い顔をしていた。
だけど、シゲルの懐はとても温かかった。
そして、優しかった。
ミケが丈夫になるまでの間シゲルは抱いていてくれて、そしてヤギの乳を飲ませてくれ、ずっとずっとそばにいてくれた。
だけど、しばらくしてミケがもう死にそうにないとわかった途端、猟師の生業へ戻っていった。
山深く分け入るシゲルは一度仕事を始めたら獲物を捕らえるまで帰らず、時には幾日も家を空ける。
ようやく帰ってきたと思えば、酒をたくさん買い込んでそれを飲みつくし、最後は必ず泥のように眠ってしまう。
構われない家の中は荒れ放題で、それを理由に村の女たちがしょっちゅう夜這いをかけ、とてもとてもいやだった。
それでも、女たちは寒い夜にシゲルを温めることができる。
じゃあ、たまたま女たちがいない夜に、シゲルが酔って薄着のまま寝込んでしまった時、どうしたらいい。
風邪をひいたら
身体を悪くしたら
シゲルが死んでしまったらどうしよう。
『もののけになったら、いいべ』
もののけの、化け傘のじいさんが言った。
『化け猫になったら、酔っぱらったシゲルにたんぜん掛けられるぞ』
化け猫は、良いことづくしだ
こっそり、シゲルのために色々できるぞ
ニンゲンのすがたになれたなら、もっともっとすごいこともな
もののけたちにやいのやいの言われて、あっという間にその気になった。
『おらたちの、仲間になるな?』
「うん。おら、なりてえ。ばけねこに、なりてえ。ばけねこにしてくろ」
『そっかそっか。おらたちが頼んでやる』
そうして、ミケはある夜、化け猫になった。
名前はわからないが、どこかの神様がミケの願いを聞き届けて、月が姿を現している間は人間の姿にしてくれた。
昼間の月の時はちょっと猫の耳が出たり、しっぽが残ったりすることもあるけれど、家事をするには十分だ。
毎日水汲みして、ほんの少しだけど婆様に教えてもらった人間の食べ物も炉端に用意した。
よその家みたいにかまど回りも綺麗にしたし、女衆たちを盗み見して洗濯の仕方も解るようになった。
「少しは、役に立っているのかな、俺・・・」
新しい年が、来たのだそうだ。
自分たちにはわからないけれど、お日さまとお月様が行ったり来たりするうちに時とよぶものがあって、それは古いのと新しいのがあって、ニンゲンたちには、新しい年というのが見えるらしい。
年神様とやらがやってきたときは真っ暗な夜で、自分はこの姿になることができなかった。
ただ、婆様たちはめでたいめでたいと言って酒をたくさん飲んでいた。明け方前に酔いつぶれてしまったシゲルの開いた胸元が寒々しくて、三毛猫の姿で乗っかるしかなかった。
でも、酔っぱらったシゲルは、暖かくて、気持ちよくて。
「・・・ミケか。よしよし」
猫の時、シゲルは優しい。
鳴いたら懐に入れてくれるし、たくさん撫でてくれる。
舐めても、噛んでも、許してくれる。
温めるつもりが温められて眠ってしまい、目覚めたらニンゲンのなりをして乗っかっている自分を、シゲルは困ったような顔で見ていた。
「・・・お前はなあ・・・」
シゲルは怒らない。
でも。
困っている。
「シゲルさん・・・」
俺は、どうしたらいいんだろう。
ニンゲンになれば、もっともっと、シゲルの近くにいられると思っていた。
ニンゲンになれば、いっぱい、喜んでくれると思っていた。
でも。
「シゲルさん」
猫に戻って
暖かい懐に潜り込んで
頭を胸にこすりつけて
背中を撫でてもらいたい。
「にゃーん」
鼻の奥が、つきんと、痛い。
もっともっと、触って。
もっともっと、そばにいて。
手のひらの中の、お月様。
年神様。
何を願えばいいのか、わからないから。
「にゃーん」
月明かりの中、空に向かって、力の限り鳴いた。
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