うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼ハルノ

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ダドリー領編

ナタリアとリロイ、そして弟

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 急いで厩舎へ向かうと、ちょうどルパートとウインターが馬を引いて出てきた。


「ナターシャ」

「ナタリア様」


 ベインズ団長とレイン行政官はこっそり館に残り、出立まで使者たちの動向を探ることにしたが、ルパートは少しでも早く山越えをするためにいったん騎士団の詰める砦に戻って支度することにしたと聞いた。


「ああ、良かった、間に合って」


 ナタリアはほっと胸をなでおろす。

 ウインターの前まで駆け寄ると、布バッグを差し出した。


「少ししかないけれど、途中で食べて」


 中には日持ちのするパンと干し肉が入っている。


「ありがとうございます、ナタリア様」


 ふわりと笑ってウインターはバッグを受け取り肩から掛けた。


「ウインター卿、執務室で私、動揺してしまっていて・・・」


 何もかもが突然すぎて、これからの事を思うと頭の中が停止してしまう。

 気が付いたらウインターへの特務依頼が決定していた。


「そうなんですか。俺にはわからなかった」


 ウインターの、優しい声が降りてくる。

 何から話せばいいのか、わからなかった。

 でも、謝るべきだ。


「ごめんなさい。私のせいで、これからあなたを危険な目に遭わせることになるかもしれない」


 いや、間違いなく。

 まだここで盗賊相手に戦う方がましだ。

 目的も手段も分からないのだから。


「いいえ、斥候に名乗りを上げたのは俺ですから。知らせを受けた時からそのつもりでしたよ」

「でも・・・」

「心配、ですか」

「ええ、もちろん」

「よわったな・・・」


 くすりと笑われ、見上げる。

 一つ下なのにあっという間に成長し、今ではナタリアより頭一つ高い。

 月を背にしたウインターの表情はよくわからない。

 ただ、通り抜けた風にあおられた金の髪がきらきらと舞うのを目で追い、綺麗だと思った。


「ナタリア様にとって、俺はまだ小さなリロイですか?」

「・・・いいえ。あなたは十分に強くなった」


 ここに来た頃は剣の扱いはたしなみ程度だったため、実戦で鍛えた農民の子どもたちにこてんぱんにされていたが、それでもあきらめずに訓練に励み、今や騎士団でなくてはならない存在になった。


「私の警護のために砦から引き抜くのが惜しいくらいに」


 すっかり大切な存在になってしまったから思うのだ。

 リロイ・ウインターを巻き込みたくないと。


「ありがとうございます。あなたの気持ちは嬉しい。すごく。でもね」


 ふいに風が遮られた。


「俺はこれからも強くなってみせるから。俺をもっと信じて、ナタリア様」


 息のかかるような近さに、ウインターの端正な顔があった。

 白い頬、すっきりと通った鼻筋、金色の長いまつ毛、そしてエメラルドのような緑の瞳は濃く深みを帯びて見える。


「俺に、あなたのそばでお仕えする権利を、どうかどうか、お許しください」

「ウインター卿」

「クリストフ・リロイ・ヴァンドゥーズです。ナタリア様」

「あ・・・」


 気が付いたら、指先を彼の手にすくい上げられていた。


「私、クリストフ・リロイ・ヴァンドゥーズは、ナタリア・ルツ・ダドリー様の剣と盾となることを誓います」


 止める間もなかった。

 まるで歌の一節を歌うかのように唱え、ナタリアの指にゆっくりと唇を落とす。

 かすかな熱を指先に感じ、ナタリアは息をのんだ。


「リ、リロイ・・・」

「許すって、言って?ナタリア様」


 唇をまだ指先に当てたまま、悪戯っぽく笑う。


「許してくれるまで、放しません。指の一本一本に口づけしますよ?」


 言いながら、本当に指のあちこちに軽い口づけを繰り返す。


「ちょっと・・・」


 しっかり握り込まれ、振りほどけない。

 この子は幼いころから宮廷に出入りしていたのだ、こういう時はかなわない。


「・・・わかった。負けたわ」


 ナタリアは深々とため息をついた。


「クリストフ・リロイ・ヴァンドゥーズ卿。あなたを頼りにします。これからよろしくね。ただし、一つだけ条件があります」


 大きな声は出せない。

 深く息を吸い、全身から力を放つようなつもりで、言葉を紡いだ。


「あなたも誓いなさい。絶対、なにがあっても、死なないと。私を残して死ぬことだけは許しません。これが守れないないような弱い男はいらないわ」


 最後の一言に、今までずっと馬と一緒に傍観していたらしいルパートが吹き出した。


「ははは。ナターシャがどんなときもナターシャのままで、嬉しいよ俺は」

「ルパート、うるさい。ちょっと黙ってて」


 ナタリアは手を取られたままという間抜けな格好のまま、空いているほうのこぶしを握り締め弟を睨みつけた。

 正直、途中からルパートの存在を忘れていた。

 一部始終を見られた恥ずかしさが今になって押し寄せる。


「リロイ、どうするの。できないならなしよ」

「待って、ナタリア様、待って。誓います、もちろん」


 手を抜こうとすると、捨てられることにおびえる犬のような悲しい瞳で見つめられ、今度は罪悪感がわいてくる。


「死なないよう、努力します。だから、ナタリア様も生きてください」

「わかったわ。許します。だからお願い手を放して」

「あ・・・っ。すみませんでした」


 先ほどまでナタリアを翻弄した宮廷仕込みの騎士っぷりはすっかり消え去り、ルパートと同列まで下がったことに、内心ほっとした。


「ああ、それと大事なことを忘れていたわ」


 握り込んでいた革袋を、ウインターに渡す。


「金が入用な時にこれを使って。小さいけれどそこそこの金額に化けるはずだから」

「拝見します」


 ウインターは手の中の革袋のひもをとして開いた


「これは・・・」


 横からルパートも覗き込む。

 中にあるのは、見慣れない色をした複数の小さな石。


「貴石が出たの。第三採石場から」


 最近騎士団に加わった騎士の中に地質学に詳しい者がいて、領地を案内した折にその採石場から宝飾に使える貴石が取れるかもしれないと言われ、掘り進めているうちにみつけた石のいくつかを持たせることにした。

 商館なら、宝石の鑑定士がたいていいるのでそこで換金できるからだ。


「わざとカットしていないものにしたの。大量の金貨を持たせるより安全でしょう」


 価値がわからなければ、ただの石ころだ。


「もちろん、ディアナさまが送金してくれるはずだから、それも利用して。これは偶然手に入った妖精の贈り物のようなものだから、なくしたとしても別に構わない。いちかばちかの予備費と思って」

「わかりました。お気遣いありがとうございます」


 革袋の口を閉め、腰のベルトにひもを通してポケットに入れた。


「じゃあ、私は行くわ。ウェズリーに見つかったら面倒だから」

「ナターシャ、待って」


 ルパートがナタリアを抱きしめ、頬に口づける。


「ナターシャ、またね」

「また戻ってくるんでしょ」


 ルパートはウインターを送りだしたらまた館ヘ戻りナタリアと過ごす予定だ。


「うん。だけど、俺も頑張るご褒美ほしい」

「はいはい」


 背中を軽く何度か叩いて、精悍な頬に唇を軽く押しあてた。


「ありがとう、ルパート、気をつけて」

「うん」

「それじゃあ、ウインター卿も気をつけて」


 二人に手を振り、また駆け足でナタリアは去っていった。




 ナタリアの去る姿を見えなくなるまで、騎士然とした姿勢で見送り続けたウインターは、いきなりがっくりと膝を抱え座り込んだ。


「ああ。もう。なんであそこで割って入るかな。けっこういい雰囲気に持っていけたところだったのに」


 ルパートは後ろから背中を軽く蹴りを入れた。


「ずっと黙っていてやったじゃん。俺の忍耐に感謝しろよ」


 親友のよしみで邪魔をしないでやったのだ。

 ついでに馬の面倒を見てやっていたし。

 やさしさの大盤振る舞いもいいとこだ。


「結局、指ちゅうしかしてねえじゃん。このヘタレ」


 優雅に見せているが、あまりにも奥手すぎて驚愕した。

 え、そんなんでいいの?

 もうちょっとやっても今日は許すけど?と、思ったがさすがに口には出せない。

 しかもその程度で動揺したナタリアに、日々雑草を刈り取りることにまい進し過ぎたと己の愛を深く悔いた。


「ファーストキスは、さすがに弟の見ていないところでしたい・・・」


 ルパートの脳天に衝撃が走る。

 こんなに乙女全開でこの男はこれから先生きていけるのか。


「そこか・・・」


 ナタリアに対してはこんなんだが、いい奴だ。

 リロイになら、ナタリアを任せてもいいかなと最近思うようになった。

 三人で仲良く、この土地でずっと暮らすのはなかなか良いではないか。

 そろそろ後押しするかと様子を伺っていたらこれだ。

 顔だけしか評判を聞かないクソ侯爵との偽装結婚に差し出さねばならない、最悪の事態だ。



「あー、今度の試合こそ団長から一本取って、収穫祭には告白しようと思っていたのに・・・」


 晩秋におおよその収穫と加工を終えたら、雪が降る前に盛大な祭が数日間開催される。

 互いに慰労しあいと神への感謝するための祭りだが、縁結びとしての役割の方が強い。

 独身の者たちはこの祭りで出会い、関係を深める。

 恋愛を始めるには最高の機会だ。


「いや、告白はとっくにしたじゃん、一回」

「あれはなし。そもそもナタリア様の記憶からきれいさっぱり消えてる」

「まあなあ・・・」


 膝に顔をうずめて嘆き続ける金髪のつむじを同情たっぷりに見つめる。

 リロイは最初、単に療養としてダドリー家に身を寄せただけだった。

 しかし館に滞在して数日で、ナタリアの手を取り跪いた。


「初めて会った時から好きです。結婚してください」


 リロイ・ウィンターは偽名で、正しくはクリストフ・リロイ・ヴァンドゥーズ。

 中道派の伯爵家の次男で、どちらかと言えばあちらの方が家格は上。

 リロイは未成年だったが、婚約は十分成立する。

 しかし、ナタリアは首をこてんと横にかしげて答えた。


「・・・まずは、手合わせ、してみましょうか」


 ダドリー家の庭で家族と騎士団の立ち合いの元木刀での試合が行われた。

 結果、ナタリアの勝ち。

 王都ではそこそこの成績だったらしいリロイは呆然としていた。

 自分と体格の変わらない16歳の少女にあっさり負けたのだ。

 しかし、すぐに気を取り直して今度は立ち合いをしたベインズ団長へ突撃した。


「私を騎士団に加えてください。死ぬほど頑張ります。強くなって、またナタリア様に申し込みたいです」


 それでリロイが健康になるなら良いかと周囲は考え、認められた。


 そしてナタリアの知らないところで、領主トーマスと弟ルパートが発足した秘密の協定が出来た。



 『ダン・ベインズを倒さねば、ナタリア・ダドリーを口説いてはならぬ。』



 女としての人生で一番美しいはずの十代に、ナタリアは色恋沙汰と無縁だった。

 けっして魅力がなかったわけではない。

 むしろ、彼女を崇拝している男はいくらでもいる。

 単に、誰もダン・ベインズという高い壁を越えられないだけだ。
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