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第一章 伯爵家の兄弟

1.兄弟

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『なあ、お前の本当の目的はなんだったんだ?』

 はっきりとしない意識の中、勇者の声は耳に届いた。勇者は僕の胸に突き立てたままの長剣から手を離すことはないが、口調は優しかった。

 鈍い痛みが走る。もう、どこもかしこもボロボロで、今にも命が消えることは分かりきっていた。これが最後ならばと、僕は口をひらいた。

『我は……ただ、生きたかっただけだ』
『それだけか?』

 それだけだ。世を恐怖に陥れ、悪逆非道の限りを尽くした魔王と言われる自分だけれど、最初から最後まで願いはただひとつだった。

 ただ生きていたかった。生きることを許されたかった。

 産まれつき異形であった僕には莫大な魔力が備わっていた。それ故に、普通の人の中では生きられなかった。

 疎まれ、蔑まれ、恐れられ、人の中で生きることを諦めた。

 そんな僕にはいつしか、同じく異形の者や魔の者がついてくるようになった。

 人の中では生きられない者たちが集まり、魔王様と慕ってくれるようになった。

 中には人への恨みを捨てられない者もいた。時々人と争うこともあった。そんな仲間を、僕は必死で統率しようとした。

 でも増え過ぎた仲間を統率するのは難しくて、気付けば僕たちは、人にとって倒すべき悪となっていた。

 そして勇者がやってきた。僕を殺すために。

『魔王よ。今になってわかったことがある』

 満身創痍の勇者が、悲しげに微笑んだ。

『お前は、ここで秩序を持って民を治めていたのだな』
『ハハッ!上手くはいかなかったが……』

 その時、ゴボリと口から血液が溢れ出し、僕の意識は確実に闇へと沈み始めた。

 出来る限りの手は尽くした。それでも暴走する仲間を抑えることはできなかった。勇者の力にも敵わなかった。

 ここまでだ。

 そう覚悟を決めた。いや、勇者がここへやってきた時から、僕は覚悟を決めていた。

 潔く死を受け入れることを。

『魔王よ……』

 勇者が何か言った。僕は最後の力を振り絞って、勇者の声を聞こうとした。

 しかしそこで過去の夢は終わった。ちなみに僕はこの夢というか前世の記憶の、ここから先の続きを見た事がない。なぜならいつもこの良いところで、迷惑な兄が起こしにくるからだ。

「シリル!起きろ、我が可愛い弟よ!」

 ポーン、とベッドから弾き出され、ゴロゴロと絨毯の上を転がる。眠い目を擦り、打ち付けた腰をさすりながら身を起こした。

 顔を上げると、僕のベッドのシーツを捲り上げる兄が見えた。

「ん、兄上……今日も激しいですね」

 これは毎朝のことなので、今更特に腹を立てたりはしない。僕が一人で寝るようになってからの習慣みたいなものだ。

 兄は部屋へ入ってきた時の勢いのまま、捲し立てるように話し出す。

「シリル、聞いてくれ!今日はなんと!今度のパーティーに着る服の採寸があるんだ!」
「兄上、おはようございます」
「あ、おはようシリル!それでだな、衣装室のアリサをお茶に誘おうと思うのだが、彼女はほら、中々に美人であろう?俺なんかが誘っても迷惑ではないだろうかと考えると、なんだか自信が無くなってきてだな……」

 当初の勢いはどこへやら、兄は徐々に萎れた花の如く項垂れ、ベッドの端に座って頭を抱えた。

「俺はほら、人より出来が悪いだろう?アリサはきっと賢くてカッコよくて剣の腕がたって金持ちで、馬にも乗れて狩りもできて、筋骨隆々で男らしい、そんな人が好みかもしれない」

 はぁあああ、と盛大なため息を吐き出し、尚も自分には取り柄がないだとか、勉強ができないからといって芸術はどうかと言われるとこれもダメ、などと自分へのダメ出しを続ける。

 ハッキリ言って兄はモテる。

 背が高く痩身で、でもしっかり筋肉の付いた偉丈夫(なのに武術の類はからっきしだ)と評判で、古い家臣たち曰く、若い頃のヴェリエ伯爵を思い起こさせるそうだ。

 僕らの父であるシュバルト・ド・ヴェリエ伯爵は、物心つく前から剣を握り、すぐにその才能を開花させた剣術の達人として名を馳せている。十八歳の頃に華々しく初陣を飾り、その時にあげた戦果は今も語り継がれているそうだ。なんでも、人の二倍はある魔物をバッタバッタと斬り伏せたとかなんとか。真偽のほどは定かではないけど。

 が、五十を過ぎた今でも若い兵と一緒に練兵しているし、有事の際には先陣切って飛び出していくような人ではある。

 そんな父に似ている、と言われる兄であるが、女性からの意見は全く違う。

 輝くような金の髪に澄んだ青い目、健康的でいて透き通るような肌に均整の取れた輪郭。決して女性らしいわけではないが、男性的でいてもなお花のように見目麗しい。貴族そのもの、本物の気品がある、というのが女性からのご意見だ。

 屈託なく笑う姿は、お母上にそっくりでいらっしゃる、と。

 またも余談だけど、僕らの母アマリア・ド・ヴェリエ伯爵夫人は、その昔、南部に咲く太陽の花と呼ばれる美人だった。だったじゃなくて今も美人なんだけど。

 酔った父がよく言うのだけど、数多の男どもを蹴散らしてやっと手に入れた生涯最高の宝、なのだそうだ。

 つまるところ兄は、少なくとも外見だけは両親の良いとこ取りをして産まれてきたのだ。

 僕はと言えばそうだな、兄とは真逆で、父の黒髪に濃い色の瞳を貰い、母に華奢な体格を貰った。前世のことを思えば、ちゃんと人の形をしているだけマシと言える。

 とまあ、そんな感じで、僕の兄はそれはそれはおモテになるのだ。

「兄上、心配せずともアリサは兄上の誘いを断らないと思いますよ」
「なぜそう言い切れるのだ、シリル?俺には何も良いところがないのに」

 自信のない顔を上げる兄に、僕は努めて笑顔を浮かべて見せる。

 ヘタレだな、ホント。

「兄上は次期伯爵ですし、カッコいいじゃないですか。王都の女性方はみんな兄上とお茶をする機会を伺ってるって噂ですし……」

 これは事実だ。最新の流行に敏感な王都の社交界ではヴェリエ伯爵家長男がカッコいいと評判で、一度でいいから話をしてみたい、実際にお目にかかりたい、と思っている女性は多い。

 でもと思われているのも事実だ。なんせポンコツなので。鑑賞する分には最高の存在、それがヴェリエ伯爵家長男なのだった。

 兄が目をつけているアリサは、王都に店を構える衣装室の新人針子で、最近我が家に出入りするようになった若い娘だ。社交界に明るい彼女もまた、一度くらいの誘いには喜んで飛びついてくるだろう。話題の伯爵家長男と二人きりでお茶をしたというだけで女としてマウントをとる道具になる。

 そんなこと、兄はこれっぽっちも気付いていないけれど。僕も言うつもりはない。どうせ兄は、一度お茶をして飽きるだろうから。現に先週は街の飲み屋の女が可愛いとか言っていたし。

「シリル……お前は本当に良き弟だ。いつも俺を勇気づけてくれる。こんな良い弟を持てて俺はなんて幸せものなのだろう」
「はいはい……兄上は朝食はまだですか?」
「ああ!すっかり忘れていた!」

 だろうね。兄が朝食を忘れるのはいつものことだ。

「ここで一緒に食べますか?」
「もちろん!」

 すっかり笑顔になった兄が意気揚々とテーブルにつく。

 僕はベッドの横の呼び鈴を鳴らす。しばらくしてドアをノックする音がして、燻んだ金髪を上品に結った緑の目の女性が顔を出した。

 少し尖った耳が特徴的な彼女は僕専属の従者で、名はフィリーネという。僕は短くフィリと読んでいる。

 フィリは表情に乏しく冷たい印象を与える女性だ。服装もメイド服ではなく男性的なジャケットにズボンというものを好み、常に帯剣している。

「フィリ、朝食を二人分ここへお願い。それと紅茶も二つ……いや、やっぱり紅茶はひとつで、僕にはコーヒーを。とびっきり苦いやつにしてね」
「かしこまりました」

 慇懃に答えつつも、フィリは兄を一瞥し、スッと部屋から出て行った。

 フィリは兄が苦手だ。ポンコツでヘタレなところが最悪らしい。僕も同感だ。でも血の繋がった兄なので、どうしても嫌いにはなれない。

 食事が来るまでの間にシャツとズボンを着て、寝室の隣のバスルームで軽く身だしなみを整える。

 戻ってくるとちょうどフィリがテーブルに食事を並べていた。

「フィリは今日も可愛いね。もう少し女性らしい格好をしてみたらどうかな?そうすればもっと素敵な女性になれるよ」
「余計なお世話ですわ。それと私の名前はフィリーネです」
「俺は君の笑ったところを見たことがない。ちょっと笑ってみて?」

 兄がフィリの顔を覗き込む。すかさず顔を逸らしたフィリ。舌打ちが聞こえたけど、兄は気付いていないみたいだ。

「では!ごゆっくり!」

 給仕を終えたフィリが部屋を出て行く。バァン!と音を立てて扉を閉めた。

 僕は苦笑いを消し去ると、兄の向かいの席へと腰を下ろす。苦いコーヒーを一口飲み込んで、無理矢理気分を切り替えた。

「兄上、そういえばもうすぐですね」

 ん?と首を傾げる兄の思考は、すでにいい匂いを立てる朝食でいっぱいのようだ。こんがり焼いた食パンに、頭がバカになりそうなほどハチミツを塗りたくっている。

「成人の儀ですよ」
「え…?誰の?」

 お前のだよ!!と思わずテーブルをバンしそうになる。深呼吸だ、と僕は自分に言い聞かせた。乳母の教えは案外役に立っている。

 人生のうちに何度かある大事な催し事なのに、兄にとってはどうでもいいようだ。というか今日の衣装採寸だって自分の成人祝いの為だろうに、どうして忘れることができるんだろう。

「というのは冗談だ。わかってる、俺の成人の儀だろ」

 そう言ってハッハッハッと笑う兄に、僕は度深呼吸、深呼吸と脳内で唱えた。時々こういう、本気なのかどうかわからないイタズラを仕掛けてくるからタチが悪い。

「しかしなぁ、俺が成人したからって何が変わるんだろう。さっきも言ったけど、俺にはなんの取り柄もないのに跡継ぎだなんだと言われて、本気でみんな俺に伯爵が務まると思っているのか?」

 思ってないから僕がなんとかしようとしてるんだよ!!

 などとは死んでも言わないけど、しかしこの問題からは逃げられない。

「兄上、あんまり自信のない様子を見せると、家臣たちはもっと不安に思ってしまいます。だからいつも通りでいいんですよ。父上だって最初から完璧な伯爵というわけではなかったはずですから」
「そうだろうか」
「そうなんです!」

 わかった、と頷いた兄は、いつも通り美味しそうに朝食を食べ、散々どうでもいい話をして引き上げていった。

 ひとりになると、僕はまだ暖かいポットから二杯目のコーヒーをカップに注ぎ、呑気な兄に代わって真剣に考えた。

 来る成人の儀について、ヴェリエ伯爵家が現在抱えている諸々の問題についてを。
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