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第一章 伯爵家の兄弟
10.兄、ブチギレる(1)
しおりを挟む野営地に夜の帳が下りる頃、負傷した兵士の手当もひと段落付き、二日目の夕食の準備に取り掛かっていた。
僕はフィリとゲイル、興味津々とした様子の兄と、捕らえた人狼の前にいた。
目を覚ました人狼に、尋問でもしようかと思っていたのだ。
野営地の隅で二人の兵士に見張られ、手足をキツく縛られた人狼の男は、狼の顔を苦々しく歪めている。
「お前が盗賊か?仲間は何人いるんだ?」
「……」
ゲイルが厳しく問いただすが、当然相手に答える気はない。むしろお互いに、できるならば口も聞きたくない、というのが本音だろう。
人と半人半獣の歴史は良いものばかりではない。双方共にお互いを劣等種として蔑んできた。しかし、ヘレステア王国の長い歴史の中で、一度だけ共存しようとしたことがあった。
それもほんの一瞬で、魔王だった僕のせいで終わってしまったけど。
「無理矢理口を割らせますか?」
ゲイルが問う。
……しかし答えるべき人間は、興味深そうに人狼の男をシゲシゲと眺めていた。
「兄上、ゲイルさんは兄上に聞いていますよ」
「えっ、俺?なんで?」
本気で眉を顰める兄に、フィリが冷たく答える。
「隊の将はフェリクス様です。この場ではゲイルさんの上官にあたります。そしてこの任務は、フェリクス様がお受けしたものです。立場上一応は、シリル様が答えることもできますが、十二歳の子どもに答えさせる気ですか」
至極真っ当な意見だ。おそらくゲイルもそう思っていたが、立場上発言を控えていたに過ぎない。
兄はしばし考える素振りを見せてから、素気なくこう言った。
「なるほど。じゃあ、可哀想だからこのままにしてあげよう。誰も拷問なんてしたくないしされたくない」
僕を含めて、フィリもゲイルも、なんなら見張りの兵士二人も、ポカンと口を開けて兄を見た。
は?と口に出しそうなのを我慢した僕らを褒めて欲しいくらいだった。
たまらず声を上げたのはゲイルだ。
「ですが、せっかく捕らえた捕虜です!このチャンスを生かさずにどうなさるおつもりですか!?」
「俺たちがすべきは我が領内で犯罪を犯した盗賊の捕獲。被害に対する損害を訴えるのは商人。裁きを下すのは法だ。余計な痛みは無用」
うわぁ……兄がなんだかまともな事を言ってる!!
僕は素直に感動した。初めて兄を尊敬したかもしれない。
だけど、この場に必要なのは、時に非情な決断を下すことができる指揮官としての兄だ。ゲイルも、他の兵士たちもそれを求めている。
「……わかりました。ここはあなたに従います」
渋々答えたゲイルの声音には、明らかな失望が滲んでいた。
このままじゃ不味いな。
フィリも、どうします?という顔を僕に向けている。
「兄上、捕虜に対する寛大なお心、僕も見習いたいと思います」
と言うのが精一杯のフォローだった。
その後の夕食は、さすがにテント内で済ませた。これ以上兄を人目に晒しておくと、誰かに石でも投げられそうだったからだ。
夕食後、僕は捕虜の元へと向かった。
「フィリ」
「なんです?」
「“霧の森”はどうだった?」
「確かに霧は濃いですが、私には問題ありませんでした」
「じゃあいいか」
この時僕はある作戦を考えていた。捕虜を得た時からなんとなく考えていた事だったけど、兄が拷問を否定したために、この作戦を決行することに決めたのだ。
「人狼族とは何年振りだろうか。ラルフは僕に人狼のことを沢山教えてくれたけど、さすがにもうこの世にはいないよね」
誰にともなく呟く。すると懐かしい仲間の顔が浮かんできた。ラルフは人の姿を取ることができる、力のある人狼だった。
僕はラルフと共に色々なところへ行った。魔王と呼ばれるようになっても、彼との付き合いは続いた。
勇者が攻めてきた時、彼がどうしていたのかは知らない。最後にあったのは王都の賑やかな酒場だった。腹一杯うまい食事をしながら、安いけれど香りのいい葡萄酒を浴びるほど飲んだ。
捕虜である人狼を見ていると、そんな思い出が蘇ってきた。
「あなたたち人狼族は、少なくとも六人で一つの群れを作り行動を共にするはずです……それからあたたちは決して仲間を見捨てない。僕の予想では、あなたの仲間は絶対に助けにくる」
「いいや、捕まるようなマヌケは切り捨てるのが群れの掟だ。我々にはお前たちのリーダーのような甘さはない。時に甘さは群れを危機に陥れる」
僕も同感だ。結局兄は非情にはなれないし、まあ、だからこそ僕は兄のためになんとかしようとしているわけだけど。
「フィリ、お願いがあるんだけど」
僕は人狼の男に視線を向けたまま言った。
「もし僕が攫われるようなことがあっても手を出さず、それからすぐに追いかけないで兄かゲイルさんに従って欲しい」
「……は?」
「明後日には父上が援軍を送ってくると思う。できればそのタイミングで、兄を先頭に動いて欲しいんだ」
十分な戦力が整えば、兄もイヤイヤながらでも動くだろう。体裁を保つ為にも動いてもらわなければ困る。
そのための作戦でもあった。
「僕のことを一番よく知っているのはフィリだ。二日程度で僕が死ぬようなヘマは犯さないってわかるだろ」
「それはそうですが……」
「じゃあよろしくね!」
「……わかりました」
いつも以上に不服そうなフィリに笑いかけ、僕は人狼たちがやってくるのを待った。
夜も更けた頃、兵士たちは交代で見張に立ち、野営地のまわりを静かに歩く足音だけが時折聞こえてくる中、夜の闇に紛れるようにして人狼たちがやってきた。
気付いた見張が大声を上げ、野営地は瞬く間に慌ただしくなった。
飛び起きた兄がテントから出る。僕もその後を追う。
人狼たちは全部で五人。二人が真っ先に捕虜へ向かう。残り三人は集まり出した兵士たちを蹴散らしている。
僕は兄に気付かれないように離れ、出来るだけ気配を消しつつ捕虜の元へ近付いていった。
突然の襲撃に混乱した野営地で、小さな僕の動きなんて誰も気付かない。
僕に一番最初に気付いたのは、捕虜となった仲間を解放しようと近付いた人狼たちだった。
「盗賊どもめ!」
それらしい言葉を叫んで人狼たちの前に立つ。いつも腰から提げている剣を正面に構えた。目の前に迫る人狼二人が、ニヤリと獣の顔を歪めて笑った。
いち早く気付いたゲイルが、「シリル様!」と僕の名を呼ぶ。兄のそばにいたフィリがこっちへ駆け出した。
兄はと言えば、流石に青褪めた顔で僕と人狼二人を見た。
ひとりの人狼が捕虜の見張りをしていた兵士らを、棒切れのように薙ぎ倒す。もうひとりの人狼は、僕へと鋭い爪のある腕を振り下ろした。
重い一撃を受けたはいいものの、衝撃で剣が手から離れる。驚いた顔をする僕を、人狼の男はサッと肩に抱え上げた。
「うわっ!やめろ、離せ!!」
「ガキが。調子に乗るとヒドイ目にあうってことだ」
人狼の男はそのまま、僕を抱えて走り出した。
「兄上ッ、助けて!!」
最後に声を限に叫んでみる。兄も僕の名を呼んでいたが、すぐに聞こえなくなった。
僕は人狼に担がれたまま、計画通り“霧の森”の盗賊のアジトへ向かうことに成功したのだ。
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