社畜もなかなか悪くない

ふくろう

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5章 社畜は何がいいのか

退職願、再び

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会社に戻ると、伊澤支店長は外出していた。

そのまま直帰するらしい。

社員の所在を記入するホワイトボードを見ると、伊澤支店長の欄には訪問先の企業名が書いてあったが、本当に訪問しているかどうか。

そのまま早退しているとおれは見た。

報告は仕方なく明日にすることにした。

ネクタイを叩きつけるように脱ぎ捨てると、やっと人心地がついた。

「係長、こんなときでなんですが…」

安藤が昨日のような沈んだ表情でおれの横に立った。

また手には封筒を持っている。

まさかまたあの話か…

「話あるんなら、下のカフェ行こうぜ」

おれは席を立った。
他の社員に聞かれないように、ということもあるが、何より自分がアイスコーヒーを欲していた。



我が社の事務所が入っている雑居ビルの一階が、リーズナブルなカフェになっている。

そのおかげで外に行かなくてもブレイクできるのが、この季節はありがたい。

「あの、退職願、書き直してきました」

注文して店員さんが去ると、待ちかねたように安藤が封筒をおれに突き出した。

「めちゃ早いな…」

退職願と書かれた封筒から紙を取り出す。確かに書き方は正式な書類になっていた。

このご時勢、退職願の書き方なんぞネットですぐに調べられるとはいえ、今朝こんな大問題を引き起こしておいて、今これを出してくるとは…

「あの、これでいいですか?」

申し訳なさげにおれを上目遣いで見つめる安藤。

童顔な上に少し目が潤んでいて、あっちの趣味がある者ならドキッとしている場面かもしれない。

しかし、場合が場合だ。おれはため息をつくしかできなかった。

「よっぽど会社働きが嫌なんだなぁ、安藤は」
「はい…」
「まぁ、今朝の支店長のやり取りとか、今日の黒岩板金のことを考えれば、気持ちが分からんでもないけどさ」
「え、係長でも分かるんですか?」
「そりゃあね。辞めたいと思ったことは何度もあるよ」

おれは運ばれてきたコーヒーをすすりながら、自分の過去を思い出す。

新人の頃は取引先にガキ扱いされ、まともに相手もされなかった。

数年経って仕事に慣れてからでも、傷つくことは絶えない。

小さなミス一回で、何年も取引していた客から怒鳴り散らされた挙句、縁が切れたこともある。
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