恋の魔女の初恋

三原みぱぱ

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第11話 僕と彼女の一年生の夏

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 アレは僕が一年生の夏休みの事だった。まだ、三年生に園芸部員が三人いた頃、夏休みの間、当番で屋上花壇の世話をしていた。三年生が全員女性だったため、今のように農園ではなく、花がメインだった。そんなある日、僕は先輩の卒業を見越して、徐々に花以外の物も植えていこうと、屋上で計画を練っていたときだった。
 屋上に彼女が現れたのだった。
 一応、屋上は一般に解放しているが、こんなところに来る人はほとんどいなかった。ましてや、夏休みにわざわざ、学校の屋上に来る生徒など、園芸部員しかいない。そんなところに、陸上部の期待の一年生がやって来たのを見て、何かクレームでも言いに来たのかと思った事を覚えている。
 しかし、武田は僕がいる事に気が付かないかのように、運動場が一望できるベンチに腰掛けた。暑い夏の日差しの中、帽子をかぶることもなく、夏服のセーラー服で彼女は座っていた。
 日焼けをしないように麦わら帽子に、長袖の上下のジャージ、軍手に長靴姿の僕は、運動場を見ると陸上部がアップを始めていた。
 今日の陸上部の練習は午後からなのだろう。彼女も運動用の大きめのバッグをベンチの隣に置いているのを見ると、練習に参加するつもりで来ているのだろう。しかし、何か気が乗らないことがあって、今日はサボると決めたのだろう。まあ、そんな日もあるだろう。すぐに涼しいところへ移動するだろうと考えて、特に彼女の邪魔をするでもなく、気配を消して、自分の仕事をする事に決めた。
 園芸部なのだから、花一辺倒では面白くない。せっかくなら実がなる物を育てたい。トマトやキュウリは定番で、スイカなんか出来ないだろうか? 小さなハウスを作ってイチゴなどを育てられたら、新たな部員も呼び込めるのではないだろうか? しかし、今の先輩達は、実のなる植物はすぐに虫が付くから嫌がって手を出そうとしない。農薬を使えば、その辺はクリアできるが、それでは面白くない。せっかく部活で部費を使用して、生産性度外視でやるのだから、無農薬や自然由来の物で色々と試してみたい。そうすると、手間は増える。だからこそ、部員をなんとか増やしたいのだが、今のところ、二年生はおらず、一年生も僕一人と、なんとも厳しい状況だ。
 そんな事を考えていると、三時前になっていた。とっくに帰ったのだろうと、武田が座っていたベンチを見ると、来たときと変わらないままじっと運動場を見ている彼女の姿があった。水分は取っているのだろうか? このままでは熱中症になるのでは? と心配して、園芸部の備品の大きな麦わら帽子を手に、声をかけた。

「暑くない? 良かったらこれを使ってよ」
「え!? 誰?」

 睨みつけるような真剣な顔が一瞬にして驚いた顔で、こちらを見たのが印象的だった。

「僕は同じ一年の菊池で、園芸部の部員だよ。ずっとここにいるのなら、これをかぶっておいた方が良いよ。熱中症になるから。飲み物は持ってる?」
「あ、ありがとう。ああ、そうか。ここは園芸部の……ごめん。邪魔だよね。すぐに出て行くよ」

 そう言って、彼女が急に立ち上がると、ふらついた。僕はとっさに、彼女を支えると、ゆっくりとベンチに座らせた。

「別に邪魔なわけじゃないんだけど、ちょっと心配になって……ちょっと待ってて」

 熱中症ならば、頭を冷やした方が良い。僕は濡らしたタオルを彼女に渡した。

「このタオルを頭に当てて、ほら、帽子もかぶって。飲むものはある?」
「ありがとう、スポドリを持ってきてるから大丈夫」
「寒気とか、手足のしびれはある?」
「そこまではないみたい。少し休めば大丈夫そう」

 そう言って、武田が自分のバッグに入っていた水筒を飲むのを見て、一安心した。そして隣に座ると、自分用に持ってきていた団扇を彼女に向けて仰ぎ始めた。
 お互いに何も言わず、ただ、遠くに生徒達と蝉の声が聞こえてくる。
 目が痛くなるような日光に熱せられた粘っこい空気が、たまに吹いてくる風によって剥がされる。
 そんな中、僕は黙って団扇を扇いでいた。
 どれくらい時間が経っただろうか。まるでしびれを切らしたかのように彼女はゆっくりと口を開いた。

「ありがとう、菊池君。もう大丈夫そう」
「それなら良かった。僕は夕方までいるから、その帽子はそのまま使って貰って大丈夫だよ」

 そう言って、作業に戻ろうとした僕に彼女は声をかけてきた。

「ねえ、さっき、園芸部員って言ってたよね」
「ああ、そうだけど? 武田さんは陸上部だよね」
「え、なんでボクの名前を知ってるの?」

 彼女はまた驚いた。なんだか、驚かせてばっかりだなと思いながらも、彼女は自分が有名人だと知らないのだろうかと、逆に感心した。

「なんでって、この学校の一年生で武田さんの事、知らない人っていないんじゃないかな? かっこいい陸上部の期待の新人って。特に女の子がいつも噂してるよ。理想の王子様が降臨したって」
「なにそれ? そんな噂が流れてるの? 知らなかった……ねえ、菊池君。なんで園芸部に入ってるの?」
「なんでって、植物が好きだからだけど? あと、同じような人がいたら良いなと思って」
「いま、部員って何人なの? 菊池君一人みたいだけど」
「今は夏休みだから、交代で出ているんだけど、僕以外は三年生が三人いるよ」
「じゃあ、一年生は菊池君だけ? 他の人から何か言われない?」
「僕だけだね。まあ、何が楽しくてそんな部活に入っているのかってよく言われるけど、そんなの僕が楽しいからやってるから放っておいてくれって感じなんだけどね」

 それは小さい頃から言われていることだった。運動やゲームや漫画や恋なんかよりも植物に興味があるなんて変わっていると。恐らく、彼女もそう言いたいのだろう。それが普通の反応なのだろう。
 しかし、彼女の反応は少し違っていた。

「自分が楽しいからか……そう言えると良いんだけど」
「武田さんは、陸上をやってて楽しくないの?」

 彼女ほど才能があって結果を残しているのだから、やっていて楽しいのだと勝手に思い込んでいた。しかし、今の彼女の様子を見ると、それは自分の思い込みなのかも知れないと思ってしまう。

「そうね、陸上を始めた頃は楽しかったかな。練習をすればタイムも伸びたし、走るのも好きかな。ボク、小学生までは空手をやっていたんだ。中学校に入って、陸上部の先生から誘われて、走るようになったんだけど、大会に出て良い成績を残すとみんなが喜んでくれて、ボクも嬉しかったんだ」
「過去形なんだね」

 屋上の黒く汚れた床を見たまま、彼女はまるで自分に言い聞かせるように話していた。

「そうだね。高校に入ると、あまりタイムが伸びなくて、このままじゃ周りの期待に応えられないって思い始めると、だんだん走ることが怖くて、とうとう今日、練習をサボったんだよ」
「大変だね。僕は特に才能があるわけじゃなく、これまで誰かに期待なんてかけられたことがないから、武田さんの気持ちが分かるなんて口が裂けても言えないけど……ひとつ聞いて良い?」
「なに?」

 彼女はずっとうつむいたまま、答えた。

「武田さんは走るのが好き?」
「ボク?」
「そう、武田さんがもう、走ることが、陸上が好きじゃないって言い切れるなら、周りがどう言おうと無理してやる必要は無いんじゃないかな? それこそ、小学生にしてた空手をやってみるのも良いし、全く別のことをしても良いんじゃ無いかな?」

 僕がそう言うと、彼女は顔を少し驚いた顔をした。そして、少し考えこんでいた。
 自分が何が好きで、何が嫌なのかすらわからなくなっているほど、追い込まれていたのだろうか。
 彼女が何を思い、どう考えたかは僕にはわからない。
 それでも、次に彼女が口にした言葉は、彼女の素直な言葉だと僕は確信した。

「……好き。ボクは走るのが好き。初めは他人から勧められた短距離走だったけど、スタート前の緊張感、綺麗にスタートが切れたときの開放感、そして思い通りに走れたとき、まるで風になったような爽快感は好きだよ」
「そうなんだ。だったら、続けたら良いんじゃい。他人がどう言おうと、好きな事を続ける勇気を持つべきだよ」
「好きなことを続ける勇気」
「まあ、これは小さい頃に僕も言われた言葉なんだけどね」

 そう、とても大事な人に言われた言葉。ずっと、自分の心の芯の部分にしっかりと根付いている、大事な大事な言葉だった。ただ、誰にそれを言って貰ったのか、どうしても思い出せないのだが。

「だから、武田さんなら好きな事を好きなままで続けていけば、そのうち結果は付いてくるんじゃないのか? まあ、これは無責任な僕の言葉なんだけどね」
「好きな事を好きなままで続けて良いのかな?」
「逆に、駄目な理由があるの?」
「そうね……うん、分かった。ボク、勇気を出すよ。好きな事を続ける勇気を。ありがとう。ボク、頑張るから」

 武田はそう言うと、バッグを抱えて、風のように屋上から出て行ってしまった。

「あ、麦わら帽子。まあ、良いか」

 武田は貸していた麦わら帽子をかぶったまま、行ってしまったのだった。
 それが、一年生だった僕と武田の唯一の会話をした思い出だった。
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