鳴かぬ蛍が身を焦がす

らすぽてと

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第19話

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 近頃は寝付きが悪い日々が続いていたけど、昨日は勅使河原さんが隣にいてくれたお陰で幸せな気分でいつの間にか眠りに就いていた。
 目が覚めた時にはなんだか美味そうな匂いがしていて、まさかと思いつつ起き上がってみたら、勅使河原さんはエプロン姿でキッチンに立っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
「ご飯食べてかない?」
「食べたいです」
 その誘いには思わず即答したけど、俺の知る限りでは勅使河原さんは自炊はしないはずだ。もしかしたら俺はまだ夢の中にいるんじゃないかと疑いたくなった。
「料理苦手って言ってませんでしたっけ」
「最近ちょっと練習してて。失敗したらごめんね」
「勅使河原さんが作ってくれた時点で俺の中ではもう百点満点です」
「あははっ、採点甘過ぎるよ」
 勅使河原さんが俺のために手料理を振る舞ってくれるなんて、小躍りしたくなるくらい嬉しい。たとえ真っ黒焦げの料理を出されたとしても完食しようと決意した。
「もうちょっとでできるから歯磨きとかしててね」
「はい」
「あ、健太郎くんの服、洗濯しといたから」
「何から何までありがとうございます」
 お言葉に甘えて洗面所で顔を洗った後、歯磨きしながらぼんやりと昨日のことを思い返していた。これは本当に現実なのかと未だに半信半疑でいる。
 歯磨きと着替えを終えて戻った時にはもうテーブルの上に料理が並んでいた。さっき想像したような真っ黒焦げの料理はなかった。
「けんちん汁作ってみたんだ」
「具沢山で美味しそうです」
「あと焼いただけだけど、鮭と目玉焼き」
「最高ですね」
 二人で「いただきます」と手を合わせたけど、勅使河原さんは料理に手を付けずに俺の方をじっと見ていた。
「味、大丈夫かな?」
 窺うような表情が可愛いなと思いながら、けんちん汁を口にしてみる。料理初心者が作ったとは思えないくらい味に深みがあって驚いた。
「一生これでいいくらい美味しいです」
「そんなに褒められたら調子乗っちゃいそう」
「乗っちゃってください。絶対才能ありますよ」
「わー、ありがとう」
 褒めちぎったら勅使河原さんは嬉しそうに笑って、ようやく食事を始めた。思い返せば誰かの手料理を食べるなんて久し振りで、なんだかほっとする。
「おばあちゃんにレシピ聞いたら目分量らしくてわかんなかったんだよね」
「このためにわざわざ聞いてくれたんですか」
「うん。お味噌とかお野菜とか色々送ってくれたの使ったんだけど、なんかこれじゃない感じしてて」
「おばあちゃんのけんちん汁どんだけ美味いんですか」
「もうちょっと研究しとくからまた食べに来てね」
「もちろんです」
 勅使河原さんが本気を出したらそんじょそこらの店では太刀打ちできないくらいの料理ができるようになるかもしれない。
「ご馳走様でした」
「美味しそうに食べてくれてありがとう」
「こちらこそ、美味しいご飯をありがとうございました」
 食器を片付けようとしたら「健太郎くんはゆっくりしててね」と言われてしまった。お茶まで淹れてもらって一服した後、勅使河原さんはおずおずとこう尋ねた。
「まだ時間大丈夫?」
「はい」
「よかったらちょっと勉強会しない?」
「それは是非」
 そういえば先週は俺が逃げ帰ったせいで何もできていなかった。
「ステアは形になってきたことだし、今日はメジャーカップの使い方を練習しよっか」
「よろしくお願いします」
 やっと次のステップに進めることを嬉しく思いながらキッチンに移動した。勅使河原さんは空き瓶に水を入れて、手本を見せながら説明してくれた。
「一連で言うと、ボトルのラベルがお客様に見えるように持って蓋を開けて、メジャーカップを水平に保ちつつお酒を注いで、液垂れしないようにボトルをちょっと捻るような感じで持ち上げつつ、メジャーカップを持ってる側の手首を返してグラスなりシェーカーなりに注いで、ボトルの蓋を閉めるっていう」
「数秒でそんな色々やってるんですね」
 かなりゆっくり見せてもらっても頭がこんがらがって、勅使河原さんにもう一度一つ一つ丁寧に教えてもらってようやく理解できた。
「これをマスターしたらステアやビルドで作るカクテルはできるってことだから頑張ろうね」
「はいっ」
 バーテンダーとしてのスタートラインが見えてきたと思うと気合いが入る。ただ、いざやってみると手が震えて全然上手く計量できなかった。まだまだ先は長そうだ。

「結構いい時間になっちゃったね。どうせなら晩ご飯も食べてく?」
「いや、そこまでお世話になるのはちょっと」
「遠慮しないでよ。もうちょっと一緒にいたいし……ダメ?」
「ダメなわけないです」
「わーい」
 昨日からお世話になり過ぎて申し訳なかったけど、寂しそうな顔をされると帰りたくなくなって、結局夕飯までご馳走になってしまった。
 そうこうしているうちに、あともう少しで勅使河原さんが家を出る時間になっていた。
「なんかもう、仕事行かずにずっと二人でいたいです」
 すぐにまた会えるけど名残惜しくてそんなことを言ってみた。喜んでくれるかと思ったら、勅使河原さんの表情は暗くなった。
「健太郎くんは仕事嫌い?」
 俺が伝えたかったのは後半の部分だったのに、前半のせいで余計な心配をさせてしまったらしい。
「そういう意味じゃなくて、この時間が終わらなきゃいいのにってことです」
「それは嬉しいな」
 慌てて弁解したら朗らかに笑ってくれて安心した。
「できたら毎日会いたいくらいですよ」
 重いかもしれないと思いつつ素直な気持ちを伝えると、勅使河原さんは笑みを深くしてこう言った。
「じゃあ、毎日一緒に晩ご飯食べる?」
「えっ、いいんですか」
「もちろん」
「休みの日も?」
「うん」
「めちゃくちゃ嬉しいです」
 こんなに簡単に毎日会えることになるなんて思っていなくて舞い上がってしまった。
「あ、でも、来週の定休日は予定入っちゃってて」
「そうなんですね」
「ごめんね」
「いや、大丈夫です」
 両手を合わせて謝られたから首を横に振った。予定がなんなのかは気になったけど、そこまで干渉するのはどうかと思って言葉を呑んだ。
「そろそろ行かなくちゃ」
「店まで送ります」
「ありがとう」
 店は勅使河原さんの家と俺の家の間にあるし、どうせ通り道だなんて勅使河原さんもわかっているだろうに、無邪気に笑ってくれて本当に可愛い。
 夢みたいな時間から現実に戻らないといけないのか。そんなことを考えながら勅使河原さんの家を出た。
「明日は俺がなんか作りますよ」
「ホントに?」
「食べたいものあったら教えてください」
「健太郎くんの得意料理、食べてみたいな」
 勅使河原さんの頼みならなんでも作るつもりだったのに、予想外のリクエストだったから答えに迷った。
「得意っていうか、よく作るのは生姜焼きです」
「生姜焼き大好き」
「期待はしないでください」
 今まで生姜焼きで失敗したことは一度もないけど、もしもに備えて二食分は食材を買っておこうと思った。
「また後でね」
「はい」
 俺の出勤時間までは少し時間があるから、勅使河原さんと店の前で別れて一旦家に帰った。
 昨日今日と幸せな時間を過ごした分、一人でいると反動で寂しくなってきて、じわじわと憂鬱が襲ってきた。
 勅使河原さんといる時は目の前のことに必死で考える余裕もなかったけど、店長ともあんなことをしているのかと思うと耐えがたいものがある。
 仮にまだだったとしてもいつかはするんだろうし、これまでは漠然としていたあれこれも今なら生々しく想像できて反吐が出そうになった。
 あの日「店長のことも好きなままでいいから」なんて言ったけど、本音を言えば俺だけ見てほしい。そのためには相当頑張らないといけないことは確かだ。
 思い悩んでいるうちに気付けば出勤時間が迫っていて、急いで身支度をして店に向かった。
 仕事中は嫌でも勅使河原さんと店長のツーショットが視界に入るし、改めて見ても、やっぱり店長との方がお似合いだよなと思えてしまう。ドラマだったらきっと店長が主人公で俺は当て馬に違いない。
 店長と比べたら至らないところだらけなのに、勅使河原さんは一体、俺のどこが好きで付き合ってくれているんだろう。
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