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第1章 ささやきの彼方に / Whisper Not

第6話 遺跡の違和感

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朝の光が、薄く開いた木の窓から差し込んでいた。

干しかけの洗濯物がカーテン代わりに揺れ、部屋には布と乾いた石鹸の匂いが漂っている。

リゼは眠気を抱えたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。木枠の隙間から差し込む陽が、天井の節をじわじわと照らし、細い埃が浮かんでいる。

ふとまばたきをひとつ。まだ夢の残り香が瞼の裏にまとわりついていた。

──変な朝だな。
身体は軽いはずなのに、ほんの少し重だるさが残っている。夢を見ていた気もするけど、細部はもう曖昧だ。

目覚めきらない頭の奥で、ひっかかる何かをそっと追い出すように、リゼはゆっくりと身体を起こした。

廊下の向こうで、カヤと宿の女将が朝の雑談を交わしている。台所からは湯の沸く音。カヤのくぐもった笑い声に、どこかほっとする。
──あの人の声は、なんであんなに朝に馴染むんだろ。

耳を澄ませたまま、リゼは上着の袖に腕を通し、装備のベルトを締めた。
小さく背伸びをひとつ。背筋がぱきんと鳴った。
──さて、と。

冒険者としての一日が、また始まる。



ギルドは、いつもと変わらぬ喧騒に包まれていた。ざらついた石床には泥が混ざり、椅子と机の脚があちこちで引きずられている。

剣を背負った者、商人と話す者、仲間と地図を広げる者。その全員が“今日を生きるため”に集まっている。

掲示板前に立ったリゼは、羊皮紙の束に目を走らせた。

近隣の巡回、荷物の護衛、討伐、調査。どれもそれなりの報酬と危険がある。

「このあたり、遺跡探索の再調査が多いね」

声をかけてきたのはカヤだった。肩越しに依頼内容を覗き込んでくる。

「魔物の痕跡だけ確認してほしいってさ。報酬は少なめだけど、時間かからなさそう」

「……じゃあ、これで」

リゼが指さしたのは、街の北東にある古い遺跡跡。カヤは小さくうなずき、羊皮紙を引き抜いた。

「終わったら集合ね! 帰りにパン屋寄ろうよ。あそこの干し葡萄のやつ、また出てたよ」

「……うん、いいね」

誰かと予定を口にすることに、リゼはまだ少し慣れなかった。



石畳の奥、風の抜けない空間。

北東の遺跡は、外観こそ崩れていたが、内部はまだ深く残っていた。

松明に火を灯し、リゼは足元を慎重に確かめながら進む。壁には古びた文様が刻まれ、所々に石器の破片が転がっている。

空気は乾いているはずなのに、肌がじっとりと汗ばむ。しんとした静けさの中、水の滴る音がどこか遠くで響いていた。

ふと立ち止まり、周囲を見回す。
何もいない。音もない。だが、空気が張りつくような圧を持っていた。

「……罠は、なさそう」

声に出してみた。けれど自分の声すら、壁に吸い込まれて返ってこない。一歩、また一歩と進んだところで、リゼの足が止まる。

(……やめておこう)
明確な根拠はない。

だがこの違和感は、何度か命を拾ったときに似ていた。勘ではなく、肌が覚えている何か。リゼはゆっくりと後ずさり、松明の灯りを頼りに、来た道を引き返した。



依頼の報告を済ませたあと、街の石畳をリゼはひとり歩いていた。

カヤはパン屋の前で店主と話し込んでいた。なにやら新作のパンを薦められているようだった。

パン屋の角で別れたあと、水路沿いの小道を歩く。家々の軒先には洗濯物や薬草が吊るされ、草花の鉢植えがところどころに並んでいた。

「帰ったらまず洗濯しなきゃ」

そんな独り言に、近所の主婦が反応した。

「あらリゼちゃん、おかえり。ひとり?」

「はい、ただいまです」

挨拶だけは自然に出るようになった。けれど、それ以上の言葉が続かない。街の人々と“地続き”に生きているという実感は、まだどこか遠い。

水面に日差しが砕け、きらきらと輝いている。
風が髪をなで、パンの甘い香りと街の土埃が混じりあう。

光の形が、どこか懐かしいものに見えたのは──ただの気のせいだろうか。



宿に戻った頃には、カヤはすでに部屋に戻っていた。ベッドに腰かけ、布張りの本を静かに読んでいる。

「おかえり」

「ただいま」

リゼは洗面器の水で手と顔を洗い、濡れたタオルで首元を拭う。

孤児院にいた頃と比べて、少し発育したかも……と密かに思うが、カヤを横目で見て、すぐに打ち消す。

簡単に身支度を整えると、自分のベッドに身体を倒した。天井を見つめ、静かに息を吐く。

──さっきの遺跡。あの空気。
──あの、背中にまとわりつくような違和感。

「……なんだったんだろ」

声は部屋の空気に吸い込まれた。
窓の外では、夜の風がそっと部屋を撫でていく。

──誰かが、見ていたような気がした。

その言葉が喉まで来て、けれど口にはしなかった。

今日のことは、明日の自分に委ねよう。

そう決めて、リゼはそっと目を閉じた。
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