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第6章 越境者 / The Crossing

第52話 バスロマンス

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ユウの自室。

クラヴァルは落ち着きなく視線を泳がせ、机や棚を物珍しげに眺め回した。指先で本の背をなぞり、窓の鍵をつまみ、床のきしみまで確かめる。

「……ふう。汗、かいちゃった」

額に触れ、滴る雫を指先にすくって見せる。
ユウは思わず目を瞬かせた。

「……汗?」

「うん。胸のあたりが熱くて……服が張りつく」

クラヴァルは平然と胸元をつまみ、布の下の感触を確かめている。ユウは慌てて視線を逸らし、声をひそめた。

「お、おい! そういうの、人前でやるな!」

「なんで? 熱いのに」

首をかしげ、無邪気に問い返す。
ユウは額を押さえ、深くため息をついた。

「……風呂、行こう」

「ふろ?」

初めて聞く言葉に、クラヴァルはぱちぱちと瞬きをした。

「家の中に、お湯に入る部屋があるんだよ」

クラヴァルの瞳が一気に輝いた。

「えっ! ユウの家ってお金持ち? そんな贅沢な部屋まであるなんて!」

「違う! 日本じゃ普通なんだって」

思わず声を荒げ、すぐに小声に落とす。

「……ほら、案内してやるから」

クラヴァルは小さく笑い、興味津々で頷いた。

「未知の施設……楽しみだね」

廊下を抜け、ユウは洗面所の扉を開けた。

「ここが洗面所。その奥が風呂場」

クラヴァルは一歩踏み込み、湿った空気を嗅ぎ取るように鼻をひくつかせた。

「……水の匂いが濃い」

洗面台の鏡に目を留めると、思わず指先で表面をなぞる。

「鏡自体はこっちの世界にもあるけど……これ、歪みがない。映りが澄んでる。職人技ね」

ユウは肩をすくめ、浴室のドアを開いた。
タイル張りの床と白い浴槽。壁面に備え付けられた操作パネルが点灯している。

「ここが風呂場。浴室。日本じゃ普通にある設備だ」

ユウがボタンを押すと、ピッ、と電子音が鳴り、女声の合成音が流れる。

《お風呂を沸かします》

クラヴァルは目を見開き、声の出所を探すように辺りをきょろきょろ。

「……誰かいるの? 今、喋ったよね」

「機械の声だよ。設定した量と温度で勝手に溜めてくれる」

すぐに浴槽の中にお湯が流れ込み始め、白い湯気が立ちのぼる。室内の空気がじわりと温かさを帯びていく。

クラヴァルは縁に手を置き、覗き込みながら呟いた。

「……詠唱も術式もないのに、ただの箱が水を満たしていく……。温度も均一。魔術より効率がいい」

掌で湯をすくい、指の間から零す。その雫をじっと見つめ、目を細める。

「……本当に未知の仕組み」

ユウはタオルと石けんを棚から取り出し、クラヴァルに渡した。

「ここで服を脱いで、身体を洗ってから入るんだ。タオルはこれ、石けんはこっち」

クラヴァルはタオルを胸に抱き、湯気に頬を赤らめながら頷いた。

「了解。未知の文化……正しく体験してみせるわ」

クラヴァルはタオルを抱えたまま、浴室の入口で振り返った。

「ここで脱ぐんでしょ? ……あんまり隠す習慣がないんだけど」

ユウは思わず顔を背け、手でドアを指さす。

「……いいから早く入れ! 使う物は中に揃ってるから!」

「ふふ。照れてる?」

小悪魔めいた笑みを残して、クラヴァルは浴室に入っていった。ドアが閉まると同時に、湯気の白さが漏れ出す。

残されたユウは、落ち着かず廊下をうろついた。

――シャワーの音。

壁越しに響く水流が、やけに大きく聞こえる。

「……あったかい……包まれる感じ……」

クラヴァルの声がかすかに漏れ、ユウの心臓が跳ねる。

(聞こえてるし! 声量! 隣に母さんいるんだぞ!)

顔を押さえたまま、ユウはドアの方をにらんだ。

「……長く入りすぎんなよ。のぼせるからな」

返事はなかった。
湯の音が絶え間なく続いていた。

やがて浴室のドアが開いた。
ふわりと白い湯気が流れ出し、その中からクラヴァルが現れる。

濡れた銀髪が肩口に張りつき、滴る雫が首筋を伝ってタオルの端に吸い込まれていく。肌はほんのりと赤みを帯び、目元は熱に潤んでいた。

「……ふぅ。気持ちよかった」

クラヴァルは満足そうに髪をかき上げ、タオルをぎゅっと握った。ユウは思わず視線を逸らし、背中を向ける。

「わ、分かったから! 早く着替えろ!」

「照れてるの?」

クラヴァルは唇をゆるめて笑い、タオルを抱えたまま脱衣所を出ていった。

ユウは大きく息を吐くと、急いで浴室に滑り込む。ドアを閉めた瞬間、籠もった熱気に全身が包まれた。

浴槽には、すでにちょうど良い温度のお湯が張られている。

湯面に立つ湯気の向こうに、先ほどまでクラヴァルがいた気配が色濃く残っていた。

ユウは洗い終えると、湯船に身体を沈める。
熱い感覚が全身をほぐしていく――と同時に、思わず呟いてしまう。

「……女の子が入った湯船……」

頬が赤くなり、耳まで熱が広がる。
湯気のせいだけではなかった。

湯に肩まで浸かっていたユウは、ドアの開く音に飛び上がった。

白い湯気の向こうから、タオル姿のクラヴァルが入ってくる。

「……やっぱり気になって」

まるで当然のように浴室へ踏み込む。
濡れた銀髪が肩に貼りつき、滴る水がタイルに落ちて弾けた。

「なっ……! お前、何やって……! 入るなって言っただろ!」

ユウは慌てて湯の中に沈み込み、湯気越しに手を伸ばして制止しようとする。

だがクラヴァルは止まらなかった。
一歩、また一歩と近づき――その瞬間、タオルがふわりと滑り落ちた。

視界に映った一瞬の輪郭。
ユウの頭は真っ白になった。

(……え……? 今の、見間違いか……?)

瞬きをしても、残像は消えない。

見ちゃいけないのに、視線が勝手に吸い寄せられてしまう。心臓が喉に張りつくように脈打ち、息が途切れ途切れになる。

「っ……あ、ああ……っ」

声にならない音が漏れ、指先まで震えた。

(いや、違う……そんなはず……でも……! いやいや、ちが……!)

否定と肯定が頭の中でぶつかり合い、思考は空回りを続ける。

クラヴァルは立ち止まり、ユウをまっすぐに見据えた。隠そうとせず、むしろ視線を受け止めるように胸を張る。

「…ユウ?」

その声音が、現実を突きつけてきた。
ユウは必死に目を逸らそうとしたが、遅かった。
認めたくなくても、もう目が見てしまった。

「……お、おまえ……男……なのか……?」

途切れ途切れの言葉。
湯気に包まれた空間に、重く落ちる。

クラヴァルは唇を尖らせ、首を小さく振った。

「身体だけで判断しないで。私の全部を見てほしい」

お湯の音が激しく波立つ。ユウは真っ赤になり、必死で顔をそらした。クラヴァルは湯の縁に手をかけ、顔を近づける。

吐息が混じる距離で、静かに囁いた。

「ユウ…セツゾクしたい。ちゃんと綺麗にしたよ。ココも」

言葉の意味を理解した瞬間、ユウの心臓は暴れるように跳ね上がった。血が頭に上り、耳まで熱くなる。

「や、やめろ! 出ろ! のぼせるって!」

必死に制止しながら、湯の中で身を縮めた。
クラヴァルは名残惜しげに湯気の中で笑みを浮かべ、手を離した。

クラヴァルはタオルを拾い上げ、濡れた髪を乱雑に拭きながら立ち上がった。

「……ふふ。ユウ、真っ赤。面白い♡」

ユウは湯船に肩まで沈み込み、片手で顔を覆ったまま声を荒げる。

「当たり前だろ! もう出てけって! 母さんに気づかれたらどうすんだ!」

「大丈夫。足音も声も小さくしてたもの」

クラヴァルはわざと囁くような声色で返し、ゆるりと浴室を後にする。

ドアが閉まると、残された湯気の中に、まだ彼女の気配が色濃く残っていた。

ユウは頭を抱え込み、荒くなった呼吸を整える。

「……無茶苦茶だろ……」

心臓はまだ落ち着かない。

視界に焼き付いた光景は、まぶたを閉じても離れなかった。
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