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第6章 越境者 / The Crossing

第57話 インスタントアドベンチャー

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崩れかけた石の回廊は、昼間だというのにほとんど光を通さなかった。

壁の割れ目から差し込むわずかな陽光が、細い筋となって石床に落ちている。光は埃に乱され、漂う粒子を浮かび上がらせていた。

湿った空気と土の匂いが鼻をつき、吐く息はすぐに重さを帯びる。

リゼは剣の柄を握り直し、呼吸を整えた。
今日の依頼は古文書と魔道具の回収。危険度はそれほど高くないと説明された。

集められたのは顔を合わせたばかりの即席パーティーだった。互いに名を知ったばかりで、信頼には程遠い。

だからこそ彼女の胸の奥では、落ち着かない鼓動が収まらなかった。

先頭を歩くのは長槍を持った大柄の男。背中には無骨な盾を背負い、甲冑の擦れる音を立てながら慎重に進む。

「罠が残ってるかもしれん。足元、注意しろ」

低い声に、後衛の魔術師が鼻を鳴らした。

「わかってるって。あんたこそ音がうるさいんだよ」

舌打ち混じりの返答に、場がわずかに緩む。だが緊張の糸は切れない。肩をすくめながら、リゼはその後ろをついていく。

剣を携えた彼女は中衛を任されていたが、胸の奥には不安が渦巻いていた。足音が回廊に響くたび、誰かに追われているような錯覚に囚われる。

(本当に、これで大丈夫……?)

天井の割れ目から落ちた石片が、かすかに跳ねる音を立てた。即席の仲間たちはそれぞれに集中しているようだが、息が乱れれば連携は崩れる。

リゼは無意識に唇を噛んだ。喉が渇き、掌には嫌な汗が滲む。

――ユウ。
ふと頭に浮かんだのは、別れ際の彼の言葉だった。

「待ってて。必ず、戻る」

あの声を思い出すと、胸の奥に杭が打たれるような痛みと同時に、力強い温もりが宿る。

虚ろな遺跡の闇の中で、その言葉だけが確かな光のように響いた。

リゼは背筋を伸ばし、視線を前に戻した。

「……やれる。今はやるしかない」



隊列が角を曲がると、広間の入口が見えた。柱は崩れかけ、壁には古い術式の痕跡が刻まれている。

符の欠片が剥がれ落ちて床に散らばり、足を踏み入れるたびにざくりと乾いた音を立てた。

埃に混じって漂うのは、焦げたような残り香。かつて発動した魔術の痕跡だろう。

「目当てはこの奥だな」

槍の男が低く呟く。緊張が広がる。

リゼは剣を抜き放ち、深呼吸をひとつ。暗がりの奥に何が潜んでいようとも、ここで怯むわけにはいかなかった。

広間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

重く湿った気配が肌を撫で、石壁の隙間から吹き込む風が妙に冷たい。足先から背筋まで、ぞわりと嫌な感覚が這い上がる。

先頭の槍使いが足を止めた。

「……何かいる」

その言葉に、全員が自然と武器を構える。呼吸音が重なり、静寂が広間を満たす。

次の瞬間、石床の奥から鈍い音が響いた。まるで岩が軋むような、耳にまとわりつく不快な音。

暗闇の中から姿を現したのは、岩肌のような外殻に覆われた巨躯だった。

肩から腕へと隆起する筋肉のような装甲。顔と呼べる部分には、大小さまざまな目がいくつも蠢き、光を反射してこちらを睨んでいる。

異臭を伴う息が、じわりと漂った。

「ッ…!」

後衛の魔術師が杖を掲げ、火球を放った。

轟音と共に炎が広間を照らす。赤い閃光が巨躯を包み込んだが、岩のような外殻は焼け焦げただけで動きを止めない。

槍使いが吠えるように前へ出た。

「散開しろ! 囲まれるな!」

リゼも剣を握り直し、身を翻して脇へ回り込む。

巨体の振るう腕が床を叩きつけ、石片が弾け飛んだ。一撃をまともに受ければ即死だ。耳を打つ衝撃音に鼓膜が震える。

必死に足を運び、斬りかかる。剣先が外殻をかすめたが、甲高い音を立てただけで傷ひとつ残せない。

「硬すぎる…!」

仲間の一人が叫び、もう一人が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。即席の連携は乱れ、各自が必死に立ち回るしかなかった。

視界の端で血が飛び散り、床を濡らす。

リゼは息を切らしながら再び構えを取る。胸の奥に浮かぶのは、ユウと交わした言葉。

(……守るって、言ったのに……! こんな相手に……!)

恐怖に足が竦むのを、必死に振り払った。

だが、その巨体を前にしたとき、自分の力がいかに小さいかを思い知らされる。剣を握る手が汗に滑り、全身が震えた。

「保たん! 引くぞ!」

前衛が怒鳴り、後衛が慌てて詠唱を始める。

「下がれ、リゼ!」

仲間の叫びに、リゼは反射的に足を引いた。

巨体が振り下ろした腕が床を砕き、石片が雨のように降り注ぐ。すぐ隣をかすめた破片が頬を切り、熱い感覚が走った。

「くっ……!」

必死にバランスを保ちつつ後退する。だが足を踏み込んだ瞬間、床に刻まれた文様が淡く光を放った。

「……え?」

石畳全体に走る古い術式の痕。それが一斉に輝き、複雑な線が幾何学模様を描いていく。空気が震え、耳鳴りのような音が響いた。

「待て、そこは──!」

槍使いが叫んだ時にはもう遅かった。

リゼの足元に転移陣が浮かび上がる。光が迸り、全身が強烈な力に引きずられる。

「いやっ……!」

剣を振り回すが、掴めるものは何もない。仲間たちの声が遠ざかり、視界が一瞬で白に染まった。

骨の髄まで震えるような感覚。肉体ごと引き裂かれるような痛みと、同時に空っぽへ放り出されるような浮遊感。

意識が霞む中、リゼは必死に目を開けた。

「ユウ……!」

その名前を叫ぶ暇もなく、世界は白に塗りつぶされていった。
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