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第7章 失われた代償 / Price-Cost

第67話 日々の反復でしか磨かれない技術

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冒険者ギルドの広間は、朝の喧騒に包まれていた。

依頼を吟味する者、受付に列を作る者。それぞれの声と足音が混ざり合い、石造りの天井に反響している。

そんな喧噪の中、リゼは掲示板の前に立っていた。張り出された紙に目を走らせる。

──小型魔獣の群れ討伐。危険度は低め。

だが「討伐数を明記し、証を持ち帰ること」とある。単純でいて、実力を測られる依頼。

リゼは紙を剥がし取り、受付へ差し出した。胸の奥で小さな炎が燃えている。

(今度こそ……必ず成果を出す)

依頼を受理した彼女の背後から、豪快な笑い声が響いた。

「おはようリゼ!依頼決めたのか?」

振り返ると、カウンター脇のテーブルにジャスクの三人が腰を下ろしていた。ナズが椅子を傾け、片眉を上げてにやりと笑う。

「結果を出して帰れよ。言い訳なんざ聞きたくねぇ」

「自分の無理で仲間を潰すな」

壁に寄りかかっていたハナラが、しっかりとリゼを見つめて告げる。

「守ることを忘れるな」

最後にロアが短く言い、分厚い本を閉じた。

三人の言葉は、重さこそ違えど同じ方向を向いていた。リゼの胸に突き刺さる。

「…分かってる」

彼女はまっすぐに答え、剣の柄を強く握った。

「必ず成果を出して戻る。そうしなきゃ、意味がない」

広間の喧噪の中、その言葉だけは確かな決意として響いた。



ギルドの外に出ると、石畳に集まった数人の冒険者が待っていた。今日の討伐依頼で組まれる即席のパーティーだ。

「よろしく頼む」

先頭に立つのは、鎧姿の戦士。分厚い盾を背負い、穏やかながらも頼れる声を放つ。

「……ま、気楽にやろうぜ」

片手斧を肩に担いだ男が肩をすくめた。軽口に見えても、握られた手は傷だらけだ。

後衛には、赤毛の魔術師の少女。彼女は短杖を軽く振り、ちらとリゼを一瞥した。

「へえ、あなたも参加するんだ。…足を引っ張らないでよ」

挑発的な口ぶりに胸がちくりと痛む。けれどリゼは負けじと視線を返す。

「…大丈夫。必ず役に立つから」

全員の自己紹介が終わると、盾の戦士が小隊のまとめ役として声を上げた。

「行くぞ。目標は北の丘陵地。小型魔獣の群れが巣を作っている。証を持ち帰れば依頼は完了だ」

短い号令にうなずき、リゼは剣の柄を握り直した。

ジャスクの三人の言葉がまだ耳に残っている。

(無理をするな、守れ、結果を出せ──全部、やり遂げてみせる)

朝日が照らす街道を、一行は静かに歩き出した。

北の丘陵を抜けると、湿った森の空気が肌を撫でた。苔むした木々が陽光を遮り、奥には不穏な気配が漂っている。

「…来るぞ」

盾の戦士が低くつぶやいた。

草叢が揺れ、牙を剥いた魔獣が数体飛び出す。赤い瞳をぎらつかせ、唸り声が響く。

「前衛で受ける!」

戦士が衝突を受け止め、斧の男が脇腹を叩き割る。後衛の魔術師は風刃を放ち、一体の脚を切り裂いた。

「リゼ、右だ!」

声に振り返れば、獣が跳びかかってくる。リゼは剣を構え、深く息を吸った。

(遅れなければ、守れる──!)

胸の奥で強く念じ、意識を加速させる。周囲の動きが急に遅くなったように見えた。

──これが、瞬《ライトニング》。

だが身体は追いつかない。剣を振り下ろす前に肩を裂かれ、熱い血が滲んだ。

「くっ!」

それでも踏みとどまり、反撃の刃で獣の喉を断つ。遅れはしたが、確かに“間に合った”一撃だった。

「いいぞ、そのまま押せ!」

戦士の声に背を押される。リゼは唇を噛み、再び集中した。

今度は別の獣が横から迫る。

「もっと速く…!」

意識が火花を散らし、視界の中で牙の軌道が線のように見える。

本能で身体を滑らせ、ぎりぎりで躱した。剣が閃き、獣の体を裂く。

(今のは──間に合った!)

ほんの一瞬。思考と身体がかろうじて重なった感覚。だが反動で足がもつれ、息が乱れる。

残る最後の一体が飛びかかる。魔術師が凍結の霧を浴びせ、動きを鈍らせた。

「リゼ、今だ!」

叫びに応え、リゼは全身を駆動させる。

視界が白く弾け、世界が一瞬遅れてついてくる。

「はあぁっ!」

渾身の斬撃が氷ごと魔獣を両断した。巨体が崩れ落ち、森に静寂が戻る。

「…討伐完了だな」

戦士が盾を下ろす。

リゼは剣を収め、荒い息を吐きながら空を仰いだ。肩の痛みも反動の吐き気も残っている。けれど確かに掴んだ。

(遅れなければ、守れる──これをもっと確かな力にするんだ)

握りしめた拳は震えていたが、その震えの奥に、確かな熱が芽生えていた。



夕暮れの鐘が鳴り、石畳を踏みしめながらリゼは仲間たちとギルドへ戻った。

肩に残る傷がずきずきと疼く。だが腰の袋には討伐した魔獣の証──黒い爪が収められている。

受付で証を提出すると、書記官が淡々と依頼達成を告げた。仲間たちは「酒だ」「風呂だ」と口々に散っていく。

リゼだけは静かにその場を離れ、ロビーの片隅を見上げた。

そこには、いつもの三人がいた。

ナズが片肘を卓に突き、ハナラが壁にもたれ、ロアは椅子に腰をかけたまま書類を読んでいる。

リゼの足取りに気づいたナズがにやりと笑う。

「おう、帰ってきたか。──で、どうだった?」

リゼは拳を握りしめ、短く答える。

「…討伐は成功した。けど、私はまだ遅れた」

正直な言葉に、ナズは肩をすくめる。

「結果を持ち帰っただけ上等さ。命も証もある、十分だろ」

ハナラが視線を鋭く投げる。

「でも無理をして仲間を巻き込んだんじゃ意味がない。次は自分の限界を見極めなさい」

冷たい声音。だがリゼはうなずくしかなかった。あの瞬間、遅れたことで仲間に怪我をさせかけた。忘れられない。

ロアが書類を閉じ、ゆっくり顔を上げた。

「……守ることを忘れるな。剣は敵を斬るためだけじゃない。遅れを断ち切るのも、仲間を守るためだ」

静かな言葉が胸に突き刺さる。リゼは思わず息を呑み、背筋を伸ばした。

「ありがとう。…必ず、間に合う力にしてみせる」

三人はそれ以上は何も言わず、それぞれの姿勢に戻った。だがその沈黙は、リゼにとって何よりの承認のように思えた。

扉を押し開けて外に出ると、夜の風が頬を撫でた。

傷は痛む。足も震えている。だが胸の奥には確かな熱があった。

(私の力…瞬《ライトニング》。必ずものにしてみせる)

リゼは空を仰ぎ、拳を強く握りしめた。



カーテンを閉め切った部屋は、昼だというのに夜のように暗かった。

机の上には開きっぱなしのノートと、赤黒く染みたティッシュ。鼻血を拭った跡がいくつも重なっている。

ユウはベッドの端に腰を下ろし、じっと掌を見つめていた。

そこにまとわりつく“ぬるい水”の感覚。帰還者から継がれた繋《バインド》の手応えは、今も確かに存在している。

「……開ける」

小さな呟きとともに指先に意識を込める。

部屋の空気がきしむ。見えない膜に爪を立てるような違和感が一点に集まり、次の瞬間、薄い裂け目が生じた。

そこから、異世界の魔素が流れ込む。

視覚には映らないはずなのに、蛍光灯の光がふっと歪み、机の上のペンが揺れた。空気が重くなり、胸の内側に熱が満ちていく。

「っ……ぐ……」

こめかみに激しい痛みが走り、額から冷や汗が滴る。鼻腔に熱がこもり、赤い雫が今にも零れそうになる。それでもユウは扉を閉じなかった。

視界の隅に、砂漠で涙を流したリゼの姿が浮かぶ。

──あの時は守れた。けれど次は? 間に合わなければ、彼女はまた奪われる。

「……もっと……繋がらないと……!」

震える声で呟いた瞬間、別の影が脳裏を掠めた。

銀の髪。熱を帯びた瞳。

「ユウ、私を選んで」と迫ったクラヴァルの顔。

リゼを守りたい。

だがクラヴァルもまた、自分を必要とした。

その矛盾が胸を裂き、焦燥に火を点ける。

掌に集めた流れが脈動し、腕から胸の奥へと突き抜けた。空気が震え、カーテンがばさりと揺れる。机の上のノートがひらりと宙に舞いかけ──

バチン、と鋭い音を立てて裂け目が閉じた。

同時に全身の力が抜け、ユウは床に崩れ落ちる。
荒い呼吸の合間に、鼻血が赤い筋を作って滴り落ちた。

それでも口元には、安堵にも似た笑みが浮かんでいた。

「…まだ足りない、もっと」

その瞳の奥に宿るのは、確かにリゼへの想いだった。

──けれど、その光はクラヴァルの影をも映し込み、愛と狂気がないまぜになった揺らぎを孕んでいた。
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