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第7章 失われた代償 / Price-Cost

第66話 Dragon’s law

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──リゼがアヴラスで心細くも修練に明け暮れている頃。

ギルドの重い扉が、きしむような音を立てて開いた。昼下がりの喧噪が一瞬だけ細り、視線が一斉に入り口へと集まる。

銀の髪を揺らしながら、クラヴァルが姿を現した。その足取りは静かで、けれど場の空気を支配するには十分だった。

ざわついていた冒険者たちの笑い声が、まるで誰かが息を止めたかのように消える。受付嬢は書類から目を逸らし、数人の新人は落ち着かない様子で椅子を軋ませた。

まっすぐ向けられる視線の先には、ジャスクの三人。

ナズは椅子に浅く腰掛け、背もたれに腕を投げ出していたが、銀髪の少女が自分たちの前に立った瞬間、片眉を上げてにやりと笑った。

「……またお嬢ちゃんか」

その声には軽い調子が混ざっていた。わざと場の緊張を和らげるように。

「今度は何の用だい? お茶の相手ならもう間に合ってるぜ」

挑発にも似た軽口。だが、その裏に潜む警戒をロアもハナラも理解していた。クラヴァルはわずかに鼻で笑い、長い睫毛を伏せる。

「アンタに用はないわ」

言葉は淡々としているのに、刃物のような冷たさを帯びていた。

その瞬間、近くの卓の冒険者が無意識に椅子を引き、距離を取る。ざわりと空気が動き、ギルド全体がわずかに緊張を強めた。

クラヴァルは首を傾け、ゆっくりと視線を横へ滑らせる。その先に座るのは、静かな眼差しのロア。彼女の声が、まるで見定めるように落とされた。

「用があるのは――」

一拍置いてから、射抜くような眼差しで言い放つ。

怒れる聖人セイントアンガー、ロア・セフィ=ノルト。あなたよ」

名を告げられた瞬間、ロアの目が細まった。

重苦しい圧力が空気に混ざり、冒険者たちが息を飲む。周囲のざわめきが遠のき、ただ二人の間だけが際立つ。

「……その名をここで出すか。死にたいのか?」

低く押し殺した声に、殺気が混じった。椅子の背に置かれた彼の指がわずかに震え、木の軋みが耳に残る。クラヴァルは挑むように笑みを浮かべ、肩を軽くすくめる。

「やり合う気はないわ。ちょっとお茶でもどう?」

その不意打ちのような誘いに、空気がざわりと波打った。誰もが彼女の真意を測りかね、視線を交わす。

「……なんのつもりかしら」

ハナラが小さく呟いた。眉をひそめ、指先で髪を弄りながら。ナズは肩をすくめ、煙たげに笑う。

「さあな。俺にもわからん」

クラヴァルとロアの視線が交わる。
その瞬間、ギルドのざわめきは完全に遠のいた。
二人の間に流れるものが、ただ事でないことを誰もが悟っていた。

「お茶?」

ロアは低く反芻する。その声にはまだ冷えた棘があった。

「血で語るより、ずっと建設的でしょう?」

クラヴァルは楽しげに言い放ち、銀髪を翻す。
場の緊張は最高潮に達し、ギルドの空気が一瞬止まったかのようだった。

「……場所を変えよう」

結局、ロアがそう答えた。
クラヴァルは満足そうに頷き、踵を返して扉の方へ歩き出す。その後ろ姿を、ロアは一拍置いてから追った。

残された空気は重く、やけに静かだった。
ハナラが組んだ腕を解き、呆れたように吐き捨てる。

「……なんのつもりかしら」

ナズは椅子の背にもたれたまま、短く笑う。

「さっぱりだな」

二人の姿が扉の向こうへ消えると同時に、ギルドのざわめきがゆっくりと戻り始めた。



ギルドを出ると、夕暮れの風が街路を撫でていた。

足早に帰宅する市民の波を抜け、クラヴァルとロアは無言のまま並んで歩く。互いの足音だけが石畳に響き、背後からは人々の視線が突き刺さっていた。

「何を話すつもりだ」──その問いを、ロアは心の奥に押し込みながら歩いていた。

やがて二人が入ったのは、街外れの小さな茶店。

軋む扉をくぐると、香ばしい木の香りと湯気の柔らかな匂いが漂ってくる。

先客は数人しかいない。ざわめきは低く、店主の茶器を扱う音だけが静かに響いていた。

窓際の席に向かい合って腰を下ろすと、ひときわ濃い沈黙が落ちる。夕陽が差し込み、クラヴァルの銀髪を淡く照らしていた。

彼女はカップの縁を指先で弄びながら、じっとロアを見据える。

「特技、治癒《ホーリーグローリー》。──あれを使うには、人体の詳細な知識が必要でしょう?」

声は柔らかかった。だが、挑発を含んだ甘さがあった。ロアの眉がわずかに動く。

「詳しいな。……ただの噂話じゃないようだ」

警戒を滲ませつつも、視線は逸らさない。
クラヴァルは唇を歪め、まるで秘密を分かち合うかのように笑んだ。

「噂じゃなくて確信よ」

そして白い手を差し出す。

「触れて、確かめてみる?」

差し出された手の白さが、夕陽に溶けて赤みを帯びている。ロアはしばし動かない。

彼女の胸に浮かぶのは、挑発に乗る危うさと、それを無視できない重さ。

ギルドで名を呼ばれたときから、この少女はただの虚飾ではないと直感していた。やがてロアは深く息を吐き、渋々といった様子でその手を取った。

指先が触れた瞬間、掌を通して伝わるものに、ロアの瞳がかすかに揺れる。

「……意外だな」

低い声が零れる。

「姣麗なクラヴァル嬢が、男だったとは」

クラヴァルは瞬きもせず、その言葉を受け止めた。銀の瞳には動揺の色ひとつない。

「性別なんて、どうでもいいわ」

吐き出すように呟き、口角を上げる。

「ユウとも、私は結ばれているのよ」

ロアは手を離すと、深く息を吐いた。
その瞳には驚きと苛立ち、そしてかすかな諦めが混じっている。

「よくも平然と、そんな秘密を晒すものだな」

クラヴァルは涼しい顔でカップを傾け、香りを確かめる。

「恥じることなんてないわ。むしろ誇りよ」

「私には目的がある。そのために、この身体の真実も利用するだけ」

ロアは眉をひそめ、低い声で問いかけた。

「……何が目的だ」

クラヴァルの唇が妖しく弧を描く。

「ユウと未来を作ること。そのために、私は“完全な女”になる」

茶の湯気が静かに揺れた。
ロアの胸に冷たいものが落ちていく。

「…妄執だ」

「違うわ」

クラヴァルはすぐさま否定した。
銀の瞳に揺るぎない執念を宿し、声を落とす。

「ユウの世界に渡ったときに見たの」

「自分の望む、自分だけの臓器を造ることができる技術を」

「そして、あなたの特技があれば――」

ロアがカップを強く置き、音が響いた。

「無理だ。治癒《ホーリーグローリー》は戦場を覆う大規模治癒」

「個人を作り替えるような細工はできん」

クラヴァルは首を振り、囁くように言葉を重ねる。

「そっちじゃない。再生《グローリーホーリー》の方よ」

一瞬、ロアの瞳が鋭さを増した。

「……どこまで知っている。誰に聞いた」

クラヴァルは下腹部にそっと手を当て、挑むように視線を逸らさず囁いた。

「協力するなら教えるわ」

「肉片からでも個を再生できる奇跡の特技。
あなたのその力で――」

「私と臓器を、繋げて欲しいの」



茶店の静けさを裂くように、ロアの呼吸が強まる。木の香りの奥に、ぞくりとするほどの執念が漂っていた。

ロアは眉間に深い皺を寄せ、クラヴァルの言葉を飲み込むように黙した。

彼女の瞳は濃い影を帯び、テーブル越しに差し出されたその執念を測りかねている。

「……正気で言っているのか」

ようやく吐き出した声は、低く湿っていた。
クラヴァルはゆっくりと首を傾げ、唇に微笑を描いた。

「私はいつだって正気よ。女神を演じている時も、ユウに抱かれている時も──そして今も」

その物言いに、ロアの胸に小さな苛立ちが広がる。カップを持つ手に力がこもり、陶器の縁がかすかに鳴った。

「……お前の望みは妄想に過ぎない」

「妄想なら、こうしてあなたと話す必要はないわ」

クラヴァルは指先でカップの縁を撫で、視線を逸らさずに続ける。

「私には確信があるの。あの世界で見た“技術”と、あなたの特技を合わせれば……叶う」

湯気が二人の間を漂い、わずかに揺れる。
その薄い膜の向こうで、クラヴァルの銀の瞳がぎらつき、決して冗談ではないことを告げていた。

ロアは息を吐き出す。胸の奥に冷たいものが降りてくる。

「……答えは今すぐ出せん」

「構わないわ」

クラヴァルはあっさりと笑う。

「いずれ、選ばざるを得なくなる。あなたが背負ってきた“龍の理”が、私の望みに触れないわけがないもの」

ロアの顔が歪む。

「なんでそれを…!」

「知りたいの?」

「…ナズにだけは言わないでくれ」

「禁忌に触れてでも、あなたはナズを助けようとする。でも彼は絶対それを許さないでしょうね」

夕闇が街を覆い始めていた。
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