異世界配信サービス

vincent_madder

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第10章 異世界配信サービス / Lock down symphony

第92話 急転直下

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診療所の窓から差し込む光が淡く揺れていた。

夜が明けきらぬ時間帯、まだ誰も目を覚ましていない。リゼとクラヴァルの寝息だけが、静かな部屋に穏やかな律動を刻んでいた。

ユウはベッド脇の椅子に腰を下ろし、手のひらを見つめていた。

指先に残る青い残光が、かすかに脈動している。
あの瞬間――TPタイムパトロールを打ち倒したあと、自分の中で何かが変わったのをはっきり感じていた。

リゼにもクラヴァルにも聞こえなかったその声。
透明で、幼く、どこか嬉しそうに響く声だった。

その存在が、今も確かに自分の中にいる気がしてならない。

ユウは小さく息を吐き、胸の奥に意識を沈める。

「…いるんだろ」

呼びかけに、すぐ答えが返る。

「うん、いるよぉ」

声が空気の中で笑った。
音ではなく、震えそのものが心に触れる。
ユウは思わず息を止めた。

「……マソ、ちゃん?」

「うん。やっとお話できたぁ」

声がやわらかく弾む。ユウは額に手を当てた。
幻聴ではない。心の奥に、誰かの“気配”が確かにいる。

「どうして俺の言葉が通じるんだ」

「きみの“バインド”が繋げてくれたのぉ」

「無意識に、ボクを“人の声”に変えてくれたんだよぉ」

「前にもね、こんなふうに話せた人がいたんだぁ」

星嶺帰還者さん?」

「そうだよぉ~」

声はまるで懐かしむように響いた。

「この世界の人はぁ、ホッシーのこと、“魔素を愛した男”と“魔素に愛された男”って呼んでたみたいだよぉ」

「彼はボクを愛して、ボクも彼を愛した」

「それが世界に残ったとき、みんなが呼び名を分けちゃっただけぇ」

ユウは唇を噛む。そのやり取りが、帰還者を失ったことを思い起こさせていた。

「彼はねぇ、魔素をもっと理解したくて、流れを自分の身体に刻んだんだぁ」

「陣とか紋とか…いっぱい。色々使って、焼いて、彫って染み込ませてぇ」

「痛そうだったけど、光ると綺麗なんだよぉ」

「…理解するために、自分を刻んだのか」

「そう。きみと同じ。ボクの声を聴きたいって、ちゃんと思えた人だよぉ」

ユウは拳を握った。胸の奥で、熱と恐れが交じり合う。

「俺も──そのチカラが必要なんだ。お願いできるかな」

「ダメだよぉ」

返事は即答だった。柔らかく、それでいて絶対だった。

「え…なんで」

「未成年は、保護者の許諾が必要だよぉ」

「は?」

「契約ごとはねぇ、ちゃんと“責任”が持てる年になってからぁ」

ユウは眉をひそめた。魔素にそんな理屈があるなんて、信じがたい。

「そんなの、誰が決めたんだ」

「ホッシー!」

ケラケラ笑いながら声が遠ざかる。
光の粒が風に溶けていくように揺れ、
残されたのは、微かな温もりだけだった。



霞ヶ関の地下にある会議フロアは、日中でも薄暗かった。照明の白だけが天井を照らし、壁際の時計が静かに秒を刻む。

長方形のテーブルの上に、封印マーク付きのファイルが並んでいる。中の書類は分厚く1ページ目には――「対象:城野ユウ」。

防衛省異世界特別対策チームを始めとして担当者が一同に集まっていた。報告者、観測班、内閣情報調査室、外務、教育庁。

肩書きだけで椅子が埋まる。
班長が資料をめくりながら言う。

「本人の身元確認は終了。記録映像、音声とも一致。EWS上での“ユウ”=城野ユウで間違いありません」

短く返事が続く。

「既に“対象”として扱うんですね」

「我々はあの“衛星事件”からすでに対象として扱っております」

テーブルの端、真宮の視線は手元の資料の一点に固定されたまま一言も発せずにいた。

別の職員がファイルを指で叩く。

「発端はクラヴァルの配信。その映像を基にいわゆるバズが発生。今回の件でSNS経由で“実在”が固まりつつある」

「各国は?」

「すでに動き出しています。常任理事国はもとよりBRICS側の動きが顕著かと」

「つまり、水面下では外交案件ということですよ」

資料が静かに閉じられる。
班長が確認する。

「対象の扱いは?」

官房室担当官が腕を組んだまま答えた。

「原則、非公開。国内報道は報道協定により封鎖。ただし国外メディアは抑えきれないでしょう」

「その場合、“一企業の事業に政府はコメントしない”で統一します」

冷たい沈黙が落ちる。

モニターには、ネットのトレンドが次々と切り替わっていく。

《#クラヴァル》
《#謎の少年》
《#日本人説》
《#EWSリーク》

数字と文字の洪水。
誰も、そこに“ひとりの少年”がいるとは思っていない。観測班のひとりが口を開く。

「情報が早すぎます。あまりにも情報化社会すぎる。彼は、異世界でしか生きられないかもしれません」

すぐに別の報告が重なった。

「対象が現実世界こちら側で特技を使用した場合、“排除”命令が出る見込みです」

「それは防衛出動か」

「いいえ、極秘任務扱いです」

「ただし、表向きは“テロ排除”扱いで」

硬い声のやり取りが続く中、真宮がようやく顔を上げた。声は静かだったが、会議室の空気をわずかに揺らした。

「彼が特技チカラを放棄し、異世界との繋がりを断てば、元に戻るはずです」

空気が止まった。
誰も、すぐには何も言わなかった。
班長は資料を閉じ、ただ一言。

「現場はルールに従うのみです」

それが結論だった。



会議が終わると、真宮は資料を抱えたまま廊下に出た。無機質な床。靴音だけが響く。

真宮は立ち止まり、目を閉じた。
思考の奥で、心臓の鼓動が冷たく響く。

(……守れるわけ、ないじゃない)

声にならないつぶやきが、喉の奥で消えた。

それでも彼女は顔を上げ、前を向いていた。



朝の通学路。

濡れたアスファルトを踏むたび、靴底が小さく鳴った。ユウの手には、スマホの光が反射している。

ニュースアプリのタイムラインは、異様な速さで更新されていた。指先でスクロールするたびに、見出しが切り替わっていく。

《#EWS》
《#オイルマネー》
《#国有化》
《#クラヴァル》

指先が止まる。胸の奥で、何かが静かに凍りついた。周囲の喧騒が遠のく。ニュースの言葉が脳の奥に沈んでいく。

“クラヴァル”の名前が並ぶ記事。
“謎の少年”“異界干渉”。
すべてが現実のニュースとして扱われている。

自分がその「少年」だと、誰も知らない。
けれど、誰もが“噂”として彼を口にしている。

「……世界の方が、勝手に物語を作ってる」

自嘲気味に呟いた声は、風に消えた。
マソの声も、もう聞こえない。
今はただ、自分の呼吸だけが耳の奥で反響していた。



放課後。
夕日が傾き、教室の窓を橙に染めていた。
帰り支度をしていたユウの背に、静かな声がかかる。

「城野。少し時間いいか」

振り向くと、真宮先生が立っていた。

「はい」

ユウは鞄を持ち、廊下に出る。
彼女は職員室とは逆方向──前にも使った小さな準備室へ歩いていく。

カーテンの隙間から差し込む夕陽が、机の上に長く影を伸ばしていた。
扉が閉まる音だけが響く。

真宮先生は背を向けたまま、低く言った。

「まったく運がいいのか悪いのかわからないな」

ユウは戸惑い、問い返す。

「どういうことですか?」

「EWS本部は企業だ。昨日、電撃的に決定した。オイルマネーファンドが株の51%を取得した」

ユウは息を呑む。

「…つまり、買われたんですか?」

「そう。これは実質的な国有化だ。これで日本政府は口出しも手出しもできなくなる」

「なんで急にそんな…」

「ある種、君も原因がある。世界的にバズったんだよ、EWSが」

真宮先生の声には感情がなかった。報告書を読むように淡々と告げる。

「私も昨日聞かされた。発表の直前だったよ」

ユウは机の角に手を置き、うつむいた。

「……でも、そんなことで企業を……買うだなんて」

先生はゆっくりと顔を上げ、微かに笑った。

「本当の理由は違うらしい」

「???」

「ファンドのCEO──つまり王族だな」

ユウは顔を上げる。
真宮先生は呆れたように語った。

「クラヴァルの大ファン、だそうだ」
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