さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

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第一話

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 誰もいない講義室。
 一人、窓の外に浮かぶ星空を見つめる。
 どこまでも広がる綺麗な景色に、ほう、とため息を吐いてみた。がらりと開くドアの音がなければ、そのまま夜に飲まれていたかもしれない。

 くすくすと肩を揺らした教え子が映る窓ガラスを見て、ここが現実だと知る。
 私は教師で、彼女は教え子。それ以上があってはいけない。
 なんとなく目線をずらし、彼女に問うた。


「……ニナ、お前の幸(さいわい)は見つかったか?」

「ええ、見つかりました。貴方とともに生きることです。だから神田先生、一緒に行きましょう」

「いいや、それは出来ない」

「どうして? どこまでも共にと、約束してくださったでしょう?」

「……」


 彼女の方へ向き直り、次の台詞を浮かべる。
 そのまま音に乗せ、紡ぐだけ。
 ニナのことを愛する男として、彼女が望まない言葉を、愛ゆえに吐こう。いつもどおりを装って、教師としての感情を乗せ……あれ、なんで、声が出ない……?



「──カット!! どうしたの、ここに来るといつも調子悪いね」

「…………すみません」


 聞き慣れた監督の声が響き、本当に俺が居るべき世界へと引き戻される。

 ここはスタジオに作られたセットの中。『とりあえずこのシーンはここまでにしよう』という監督の声で、全て片付けられていく。偽物の星空が、簡単に晴れていった。

 今行われているこの撮影は、『銀河と夜明け』という映画のもの。原作は、かの有名な『銀河鉄道の夜』をオマージュした恋愛小説である。

 神田ユラという教授と、坂東ニナという女学生を主人公として、話は進んでいく。神田ユラはカムパネルラ、坂東ニナはジョバンニがモデル。

 好奇心旺盛で健気な教え子のニナへ、物静かで無欲だったはずのユラが一目惚れをする。だが、教師と生徒の恋など禁断のもの。だからこそ、互いの幸せを考えながら葛藤していくお話だ。

 今売れている俳優と女優がダブル主演ともあって、来月公開される予告編はそこそこ話題をさらうことだろう。
 主役を任された身としては、この映画を観た多くの人に感動してほしい。

 だが……、要となるシーンが一向に出来上がらない。撮れるシーンを撮れる時にというスタイルなので、スケジュールはひっ迫していない。
 ただ、何度撮り直しても先ほどのシーンでセリフが出てこなくなってしまうのだ。

 慌ただしく動くスタッフからタオルを受け取り、ワックスで固めた髪を乱雑に崩す。

 俺はいまだ、神田ユラを理解できずにいた。
 何度原作を読んでも、それこそ『銀河鉄道の夜』の方を読んだとしても。彼が言葉に込める感情が、分からない。

 分かりたくない、とでも言ってしまおうか。
 重なるのはいつかの景色と憎い男。
 俺は適任じゃなかったのだろうか。……いや、途中で投げ出すのもよくない。また、乱暴にタオルで顔を擦った。


「どうしたの? 月永くんらしくないわね」

「美上さん……。いえ、大丈夫です」

「そう? これから別のシーンを撮影するみたいだし、控室に行ってメイクと髪を整えてもらいなさいな」

「はい、そうします」


 淡々と返事をして、立ち上がる。
 坂東ニナを演じる美上さんは、同じ主演である俺に何かと期待をしてくれている。役に入っていなければ基本的に無愛想な俺だから、そこまで大層な人間ではないのに。

 俺は、心を殺すため俳優になった。
 感情をひけらかすだけが演技ではない、全てを隠すのもまた演技だ。望まれたように、望んだように、俺は取り繕わなければならない。

 何度目かの決意を浮かべて立ち上がり、スタッフにタオルを返却する。

 そして、専用のヘアスタイリストが待っている控え室へと向かった。神宮寺さんと呼んでいる彼のセンスと手際はあまりに良く、毎度頼んでいるから専用みたいになっているだけなのだが。

 神宮寺さんは決して明るくはないけれど、真面目で気遣いの出来る人なので印象も良い。今日は何か世間話が出来るだろうか。
 そんな事を考えながら、いつも通りに控室の扉を開ける。


「どうも~」


 長身の男が、にこやかに手を振っている。
 不意に脳裏をよぎったワンシーンに、影と実像が重なった。同時に、開いたばかりの扉を勢いよく閉じた。

 思わず膝から崩れ落ちそうになったのを、なんとか堪えて扉にすがる。
 どうして、なんで。疑問が浮かぶたび、うるさい程に心臓が脈を打つ。

 俺の控室には、神宮寺さんやマネージャー、共演者以外の人を基本招かない。そのどれにも当てはまらない、あの男。なぜ平然と俺の控室にいるのだろう。

 どうしたものか、数歩ほど後ずさる。
 すると、見計らったように扉が再び開いた。咄嗟に身構えたが、現れたのは見慣れたマネージャーの申し訳なさそうな顔だった。

 部屋の中には居なかったはず……、いやこの人小さいから隠れて見えなかったのか。少し失礼な納得をしながら、目を合わせた。


「やぁ、月永くん。驚かせてしまったね」

「マネージャー……、さっきの人は?」

「紹介するから。ささ、入ってきて」


 ちょいちょいと手招きをするマネージャー、警戒心をどこに置いてきたのか。呆れすら浮かんだが、取り敢えず彼の後へ続くことにした。
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