さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

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第三話

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 がたんと椅子を鳴らし、目を開ける。少しごろごろとする目を押さえ、自身の手や足元を確かめた。

 ……大丈夫、ここは現実だ。
 事実をゆっくり飲み込むと、勝手に長いため息が口から吐かれていく。

 ひどい夢を見てしまった。
 いや、一応あれは記憶なのだし……夢と言ってしまうのは違うか。

 まだ強く鼓動し続ける心臓を服の上から押さえつけ、身体を起こす。目を閉じてから10分程、休息としてはちょうど良いくらいの時間。やけに静かだと思ったら、ルキは床に座り込んで眠りこけていた。

 今世ではまだ出会ってから数十分のはずだけれど、なんと警戒心のないことだろう。

 というか、起こすから寝ろと言ったのはルキだ。なのに眠りこけるとは……、じとりと呆れを込めて視線を向ける。通じたのかは分からないが、ふるりと瞼が震えてぼんやりした瞳が現れた。


「ん、あぁ……?」

「起きましたか。 ……おかげさまで、俺はもう大丈夫です」

「……はっ!? す、すみません……。でも、ヤトさんが休めて良かったです。ぼちぼち再開していきましょうか」


 少し申し訳なさそうに笑みを浮かべ、ぐぐっと背伸びをしながら立ち上がる彼。相変わらず彼は背が高い、前世からずっと180センチ程度はあったはずだ。顔も良ければ、スタイルも良い。……モデルなんかをやれば、映えただろうに。

 どうでもいいことに苛立ちながら、大人しく軽いメイクをしてもらう。寝起きと思えないほど口と手を動かし続けたルキのおかげで、あっという間に時間は過ぎていく。

 やがて、「可愛く出来ました!」なんて嬉しそうな声をかけられる。役もあるんだから……と思いつつ、全く問題ない仕上がりにしているのが憎らしい。ちゃんと撮影の時間までに間に合わせているのも、手のひらの上な気がして少し腹立たしい。

 無言で立ち上がり、初対面の時よりは深くお辞儀をする。彼もぺこりと頭を下げたので、その隙にスタスタと控室を後にした。


「……え、あ、ちょっと!?」

「…………」

「置いてかないでくださいよ!」

「ついてこないでください」


 ……距離が一向に離れない。
 別に、メイク担当がスタジオまで来るのはおかしいことじゃない。
 俺が来て欲しくないだけである。

 ルキに間近で演技を見られるのは嫌だ。あるいは、見られているという事実さえ認識しなければ良い。
 そう考えて置いていこうとしたのに。彼は、真横をぴたりとついてくる。

 振り切るのも馬鹿らしくなって、通りすがりの人に会釈をしながら、無言でスタジオに入る。俺が会釈だけで挨拶を済ませるのは普段のことだが、誰かを伴うのは珍しい。

 さっきから周囲の視線が刺さる、これも全部ルキのせいだ。心の中で八つ当たりして、監督の指示を聞きに行く。


 本日最後に撮るシーンは、坂東ニナが神田ユラに初めて出会うところ。
 山場を先に撮って、序盤を後から撮る。好きなものは先に食べたいという持論を持つ監督のこだわりが、前面に出ている。
 使うセットは、夜のシーンから夕方のシーンのものに変わった。

 目を閉じる。美上さんの声がして、監督が合図を出す声も鮮明に聞こえる。指示通りの位置に立つ俺は、そのまま意識を現実から役へと落とし込んでいく。


 ここは夕暮れに染まる教室で、目の前にいるのは教え子の一人であるニナ。夕陽とは別の赤色で頬を染め、私を見つめる彼女は恋する乙女そのもの。きっと、私も同じ顔をしているだろう。
 一目見て愛しいと、この健気な子を守りたいという初めての気持ちが湧き上がる。感情に突き動かされるまま、ニナの言葉に一つずつ答えては、微笑みを作り出す……。


 ふと、懐かしい記憶が蘇った。
 これは、ユラじゃなくて俺の記憶。何年前だったかは忘れたけれど、幸せだった時。

 ルキは遊んでそうな見た目に反して賢いから、俺の知らないことをたくさん教えてくれた。俺は毎日話をせがんで、その度にルキは優しい笑顔で答えてくれ、て。


 ちがう、これはユラの物語なんだ。
 なんで俺は、ルキのことばかり考えて……?
 ああ、もう、調子が狂う。こんなんじゃ仕事にも支障が出る。今は役に集中しないと。

 なんとか、俯瞰するようにシーンを進める。しかし、ニナの目に映るユラを考えるたび、ルキとの記憶が脳を掠めて身が入らない。
 心を殺し、ただ経験と反射で演技をこなす。つまるところ、今ここにあるのはただの抜け殻……もしくは自動人形であった。

 それでも、まあ何とか形には出来たらしい。特に止められることもなく、鼓膜を破りそうな監督の大声とともに撮影は問題なく終了した。息を吐いて瞬きをすれば、一瞬で世界は現実へと戻っていく。


「お疲れ様で~す!!」

「…………」

「あれ、無視? ひどくないです?」


 真っ先にタオルを持って駆け寄ってきたルキをかわして、控室へと向かう。
 これ以上話していたら、調子どころか気も狂ってしまいそうだから。引き止めるような声を全て振り切って、控室の扉を乱暴に閉めた。

 決して、一人が好きなわけじゃない。
 前世からずっと、俺は寂しがりな方だ。
 ただ、一人ぼっちになる辛さを知ってしまったのだ。
 
 ならばいっそ、最初から孤独な方が余計な傷をつけないで済む。誰かを愛さずとも、当たり障りないコミュニケーションをしていれば生きていられる。

 ……でも、そうまでして生きる理由ってなんだろう。


「……バカらしいな」


 ぽつりと呟きながら、せっかく整えてもらった髪もメイクも、乱雑に全て崩す。いとも簡単に崩れて元に戻ったのを、鏡越しにぼんやりと眺める。

 今日を乗り切ったんだ。
 代理で来た彼と、もう会うことはないだろう。だから、彼との縁もこれまで。そうであれと願っているのは、俺だろう?


 ……じゃあ、なんで。
 頬を伝う涙が、痕を残していくんだ。

 ぽろぽろと止まらない雫が口に入って、しょっぱさが広がる。痛むのも気にせず、止めようと必死で目を押さえる。
 けれど一向に止まらなくて、そうこうしているうちに控室の扉が無遠慮に開かれた。


「失礼しま…………、どうしたの!?」


 嗚呼、どうして見つけてしまうの。
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