さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

文字の大きさ
7 / 14

第五話

しおりを挟む
 がやがやとうるさい空間で、ぽつんと取り残されたような感覚。ほぼ貸し切り状態の居酒屋へ入るや否や、彼はみんなに囲まれてしまった。俺は、目立たないすみっこで席と飲み物を確保して、ぼんやりと集団を眺めている。

 手元のウーロン茶を見つめた。何口か飲んだとは思えないほど、全く量が変わっていない。結露を指で拭って、また口をつける。目についた小皿に盛られた枝豆に手を伸ばし、引っ込めた。お腹は空いていない。

 また、ぼうっと集団を眺めた。他の人に絡まれながら楽しそうにお酒を飲んでいる彼。俺のことなんて全く気にせず、お気楽に。

 また枝豆に手を伸ばしかけて、引っ込める。手つかずの箸が転がり、落ちかけたところで止まる。ウーロン茶は、いつの間にか並々と量が増えていた。溢れたら、衣服も濡れるかな。思考が次々に浮かび、すり抜けていく。


「あれ、お客さん。 ボーっとしてますが、体調不良っすか?」

「……大丈夫です」

「なら良いっすけど……。 あ、こら星野! ボク、今仕事中なんすよ!? からむな、近寄るなぁ!」


 ずりずりと、ルキによって喧騒へ巻き込まれていく店員。名前は……なんだったか。なんとも親しげに名前を呼ばれていた気がするけれど、全部すり抜けた。

 みんなの中心で、ずいぶんと楽しそうなルキ。彼がこちらを見た気がして、ふいと目をそらす。俺なんか置いてけぼりで、俺には何も語らないでいる。こうやってルキのことを考えるのすら、苛立たしく思えてきた。

 ちゃんと話をして、終わるはずだったのに。どうして彼は、次から次へと俺を苦しめるのだろう。彼の気持ちが分からない、あの笑みを浮かべる理由は何なのだ。どうか教えてくれと願うことは、間違いなのだろうか。気付いてと、そう言わなければ彼は振り向いてすらくれないのか。

 こんなに想ったところで、伝わらない。
 想えば想うほど俺だけ苦しくなって、それでも捨てられなくて。
 
 ……馬鹿はどっちだ、俺の方じゃないか。ウーロン茶を一気に半分ほど飲み込めば、すうっと冷えていく感覚がした。けれど、気持ち悪さは消えてくれない。


「マネージャー、すみません。 先に帰ります」

「んぇ……だいじょーぶ? 帰れる?」

「はい」


 一方的にマネージャーへ声をかけ、机の上に代金を置く。どこに視線をくれてやるでもなく、急いで店の外へ出た。完全に日が沈み、冷えた夜の空気が肌を逆なでる。


 いっそ出会わなければ、こんな気持ちを知らないでいられただろうか。
 俺にも記憶が無かったら、何も気にせず笑えていたのかもしれない。

 そんな“たられば”なんて、ただの後悔でしかない。繕い続けるなんて、ルキの前じゃ無理だった。それが、変えられない結果だ。限界を感じたから逃げた、きっとルキと話す機会なんてもうないのに。


「……ほんと、馬鹿だ」


 いつの間にか、住んでいるマンションへと辿り着いていた。どのようにエントランスを抜けたかも朧気なまま、自分の部屋の鍵を開けて滑り込む。チェーンと鍵でもう一度閉じれば、なんとなく安心してしまった。

 電気を点ける気にはなれず、そのまま闇の中を一直線に洗面所へと向かう。フローリングとドアノブの冷たさだけを感じ、手探りで洗面所だけ明かりを点ける。ようやく対面した自分の顔は、頬だけが濡れていた。

 濡れた跡をなぞるように指を滑らせ、目元へと持っていく。そのまま目玉に指を突き立て、ころんとソレを取り出す。ずっと付けていた黒のカラーコンタクト、暴かれずに済んでよかった。


「……見せらんないよな、こんなの」


 鏡に再び映ったのは、赤色のついた瞳を持つ自分。
 いつかルキに綺麗だと褒めてもらった赤色は、すっかり光を失ってひどい色になってしまった。焼き付いた景色を具現化したように赤黒い。ルキに見つかったら、なんて言われるかな。答えも出ないくせに、考えた。

 ……いつ頃から、赤黒くなってしまったかは覚えていないけれど。ルキが死ぬのを見るたび、来世で再び出会って恋をするたびに、何かがすり減る感覚がしたのは覚えている。

 手遅れになるって分かっていたのに、捨てきれなかった。だから忘れようと、好きにならないようにと、心を殺したかったんだ。

 結局、全て無駄だった。彼に会うたび、好きになって、苦しくなる。どうしようもない連鎖を終わらせたいのに、いつも自分から始めてしまうのだ。

 人目のない場所だからか、簡単に嗚咽が喉を締め付けていく。綺麗に泣くことなんて出来なくて、ただ意味のない音を洗面ボウルに吐き出した。


『ヤト、愛してる。 お願い、そばにいて』


 いつかの光景が脳裏によみがえる。
 柔らかな声も、真っ直ぐな気持ちも、さっき触れたばかりみたいな暖かさなのに。もうずっと遠くにある事実が耐えられなくて、足から力が抜けていく。


「ルキなんか、」


 その先を言えないままの弱虫で。
 いつも、優しいルキの幻に縋ってしまうのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

処理中です...