さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

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第五話

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 がやがやとうるさい空間で、ぽつんと取り残されたような感覚。ほぼ貸し切り状態の居酒屋へ入るや否や、彼はみんなに囲まれてしまった。俺は、目立たないすみっこで席と飲み物を確保して、ぼんやりと集団を眺めている。

 手元のウーロン茶を見つめた。何口か飲んだとは思えないほど、全く量が変わっていない。結露を指で拭って、また口をつける。目についた小皿に盛られた枝豆に手を伸ばし、引っ込めた。お腹は空いていない。

 また、ぼうっと集団を眺めた。他の人に絡まれながら楽しそうにお酒を飲んでいる彼。俺のことなんて全く気にせず、お気楽に。

 また枝豆に手を伸ばしかけて、引っ込める。手つかずの箸が転がり、落ちかけたところで止まる。ウーロン茶は、いつの間にか並々と量が増えていた。溢れたら、衣服も濡れるかな。思考が次々に浮かび、すり抜けていく。


「あれ、お客さん。 ボーっとしてますが、体調不良っすか?」

「……大丈夫です」

「なら良いっすけど……。 あ、こら星野! ボク、今仕事中なんすよ!? からむな、近寄るなぁ!」


 ずりずりと、ルキによって喧騒へ巻き込まれていく店員。名前は……なんだったか。なんとも親しげに名前を呼ばれていた気がするけれど、全部すり抜けた。

 みんなの中心で、ずいぶんと楽しそうなルキ。彼がこちらを見た気がして、ふいと目をそらす。俺なんか置いてけぼりで、俺には何も語らないでいる。こうやってルキのことを考えるのすら、苛立たしく思えてきた。

 ちゃんと話をして、終わるはずだったのに。どうして彼は、次から次へと俺を苦しめるのだろう。彼の気持ちが分からない、あの笑みを浮かべる理由は何なのだ。どうか教えてくれと願うことは、間違いなのだろうか。気付いてと、そう言わなければ彼は振り向いてすらくれないのか。

 こんなに想ったところで、伝わらない。
 想えば想うほど俺だけ苦しくなって、それでも捨てられなくて。
 
 ……馬鹿はどっちだ、俺の方じゃないか。ウーロン茶を一気に半分ほど飲み込めば、すうっと冷えていく感覚がした。けれど、気持ち悪さは消えてくれない。


「マネージャー、すみません。 先に帰ります」

「んぇ……だいじょーぶ? 帰れる?」

「はい」


 一方的にマネージャーへ声をかけ、机の上に代金を置く。どこに視線をくれてやるでもなく、急いで店の外へ出た。完全に日が沈み、冷えた夜の空気が肌を逆なでる。


 いっそ出会わなければ、こんな気持ちを知らないでいられただろうか。
 俺にも記憶が無かったら、何も気にせず笑えていたのかもしれない。

 そんな“たられば”なんて、ただの後悔でしかない。繕い続けるなんて、ルキの前じゃ無理だった。それが、変えられない結果だ。限界を感じたから逃げた、きっとルキと話す機会なんてもうないのに。


「……ほんと、馬鹿だ」


 いつの間にか、住んでいるマンションへと辿り着いていた。どのようにエントランスを抜けたかも朧気なまま、自分の部屋の鍵を開けて滑り込む。チェーンと鍵でもう一度閉じれば、なんとなく安心してしまった。

 電気を点ける気にはなれず、そのまま闇の中を一直線に洗面所へと向かう。フローリングとドアノブの冷たさだけを感じ、手探りで洗面所だけ明かりを点ける。ようやく対面した自分の顔は、頬だけが濡れていた。

 濡れた跡をなぞるように指を滑らせ、目元へと持っていく。そのまま目玉に指を突き立て、ころんとソレを取り出す。ずっと付けていた黒のカラーコンタクト、暴かれずに済んでよかった。


「……見せらんないよな、こんなの」


 鏡に再び映ったのは、赤色のついた瞳を持つ自分。
 いつかルキに綺麗だと褒めてもらった赤色は、すっかり光を失ってひどい色になってしまった。焼き付いた景色を具現化したように赤黒い。ルキに見つかったら、なんて言われるかな。答えも出ないくせに、考えた。

 ……いつ頃から、赤黒くなってしまったかは覚えていないけれど。ルキが死ぬのを見るたび、来世で再び出会って恋をするたびに、何かがすり減る感覚がしたのは覚えている。

 手遅れになるって分かっていたのに、捨てきれなかった。だから忘れようと、好きにならないようにと、心を殺したかったんだ。

 結局、全て無駄だった。彼に会うたび、好きになって、苦しくなる。どうしようもない連鎖を終わらせたいのに、いつも自分から始めてしまうのだ。

 人目のない場所だからか、簡単に嗚咽が喉を締め付けていく。綺麗に泣くことなんて出来なくて、ただ意味のない音を洗面ボウルに吐き出した。


『ヤト、愛してる。 お願い、そばにいて』


 いつかの光景が脳裏によみがえる。
 柔らかな声も、真っ直ぐな気持ちも、さっき触れたばかりみたいな暖かさなのに。もうずっと遠くにある事実が耐えられなくて、足から力が抜けていく。


「ルキなんか、」


 その先を言えないままの弱虫で。
 いつも、優しいルキの幻に縋ってしまうのだ。
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