さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

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第??話

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 誰かの鼓動が聞こえる。
 陽だまりに居るような心地よさに引き止められながら、うすぼんやりと世界を見た。間近に迫る、ボタンのついた白い布……。


「お寝坊さん、やっと起きた?」

「うわぁぁあ!?」

 
 至近距離でにこりと笑う、その青年。
 呼び名はルキ、三歳年上の恋人……寝ぼけた頭を事実確認で覚醒させていく。
 彼は何故ここに……、ん?寝坊だ?

 慌てて突き飛ばしながら起き上がれば、ルキはごろんと寝台から転げ落ちた。頭をさすりながら、彼は悪びれる様子のない顔を向けてくる。


「痛ぁい……。恋人を突き飛ばすの、良くないよ?」

「ま、待って、時間……! 遅刻!?」

「大丈夫、まだ遅刻じゃないよ」


 その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。
 帝大に行くため帝都へ赴き、資産家の彼の家へ引きずり込まれてから三年。無事に書生から帝大生になった俺は、ずっと無遅刻で講義に参加していた。

 なのに、お寝坊さんとか言うから焦ったじゃないか……。ルキの、うねりのないふわふわした長髪を恨みを込めて乱してやった。

 わーやめてー、なんて棒読みのセリフを吐きながら、彼は身体を揺らしつつ立ち上がる。朝食を用意してくるねとだけ言い、立ち去っていった。こういう余裕ぶった態度はいけ好かないけれど、良くしてもらっている立場なので何も言えない。

 寝台から降りて制服に手を通しながら、ふと窓の外を見た。舗装されていない道を歩く和服の人や、車を走らせる洋服の人。誰もせかせかとしていない、いつもの風景。

 いくつかの前世の記憶を持つ俺は、時に戦乱の世の、時に日本ではないどこかの、色んな風景を脳に刻んでいる。だからだろうか、和と洋が混ざるのんびりとした今の世はとても心地よかった。


「……今日、誘ってみるか」


 どことは決めていないけれど。今日は講義が早く終わる日、せっかくなら彼と出かけたい。

 いつもミルクホールへ行くのに付き合ってもらっているし、たまにはカフェーでも提案してみようか。キネマも良さそうだ、今何を上映しているかは知らないけれど。

 俺が甘いものや本が好きな反面、ルキは甘いものが苦手で、本よりも動く芸術が好きだ。たまには、我慢せず好きなものを楽しんでほしい。俺も、ルキの笑顔が見たい。少し浮き足立ちながら、居間へと向かう。


「準備でき……、ルキ!?」

「ヤト、ごめんねぇ。 動けないや……」


 机の脚にしがみつき、蹲る彼。火照った顔で、へにゃりと無理に笑っている。慌てて駆け寄り、彼と自分の額に手を当てた。完璧にルキの方が熱い、また無理を隠して……。

 溜息を吐けば、ぴくりとルキが肩を震わせた。視線を彷徨わせて、何かを口ごもる彼に肩を貸しながら、部屋へと運ぶ。寝台に寝かせた後も、手を伸ばそうとして引っ込めたりと落ち着きがない。傍に座れば、彼はやっと声を出した。


「……おにぎりだけ、作れたから。それ食べて、行っておいで」

「はぁ? ルキがこんな状態なのに、放っておくわけないでしょ」

「で、でも。ヤトに遅刻してほしくない……」

「ルキが苦しんでるんだから、休んで看病するよ。遅刻とかどうでも良いって」


 目を丸くした彼は、意を決したようにおずおずと俺の衣服を掴んだ。そして引き寄せるように弱い力を込めて、顔を伏せた。


「ヤト、愛してる。お願い、そばにいて」

「もちろん。それにしても、いつも俺を組み敷いてる格好いいルキとは随分と違うな」

「……うるさいよ」


 ぐいっと引き寄せられ、彼の隣へと強制的に転がされる。いつものように、押し倒したつもりだろうか。抱き枕のようにされたまま、身動きが取れない。
 
 それでも暴れず受け入れて、なんとか彼の方を向こうとする。しかし、方向転換は許してくれなかった。

 いつも余裕そうなくせに、弱ると彼は子供のようになる。ふざけている時と違い、分かりやすく余裕が消える。
 それが嫌なのか、彼は前世からずっと、弱さや体調不良を隠す癖があった。ただ、ここまで弱った彼を見るのは初めてだ。

 熱い吐息が背中にかかり、何度か深く息を吐いたのが分かった。苦しいのかと少しだけ身を離そうとすれば、ルキはよりいっそう抱きしめる力を強めた。そして、吐息にぽつりぽつりと音を乗せていく。


「……信じて、もらえないだろうけど。オレ、ずっと昔に君と会ったことがあるんだ」

「……うん」

「一目惚れ、したんだよ」


 それがいつのことなのか、深く語らずに彼は間を置いた。先を迷っているのか、なかなか次を語り出さない。大丈夫だよと伝えるため、腹部に回されたルキの手に俺の手を重ねる。指を絡め合うと、彼はまた息を吐いて音を乗せた。


「君の側にいたいと思った、離したくないと思った。愛しいと感じて、愛したいと願った。だから、帝都に来た君を強引に迎え入れたんだよ。……でも、ちょっぴり後悔した。結果的にオレは、君が幸せになる道をいくつか奪っちゃったから」

「そんなこと無いよ。……ありがとう、俺を見つけてくれて」


 いつも言えなかったのに。俺もぽろりと本音がこぼれていた。いつか死んでしまうかもしれないルキと出会うたび、苦しい想いをする。……けれど。


「きっと、これからも世間の目は厳しいよ。ねぇ、ヤトはそれでも生きていたい?」

「……? 当たり前でしょ」


 ルキと生きる事が、何より幸せなんだ。

 そう伝えるつもりで言葉を返せば、小さく「そっか」と言って彼は黙った。もぞりと動き、ルキは前触れもなく俺の首筋を柔く食んだ。甘く広がる幸福感に似た感覚に、目を細める。彼は歯を立てるだけ立てて、力は込めずにそっと離して、また吐息を吐いた。


「オレも、生きてたい……なぁ……」


 小さく呟いて、規則正しい寝息を立て始めた彼。なんとか身を翻して見れば、少し苦しげだが安心したように眠っている。顔にかかる髪を震える手で退かしてやりながら、ルキを見下ろす。

 じゃあ、なんで俺を置いていくの。生きていたいと言いながら、それでも人を庇って死ねるのか。矛盾した想いを抱えて、苦しいはずなのに余裕ぶって。嗚呼、もしかしてさ。


 ──それが、ルキの幸せなの?
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