さそりの心臓、君の幸い

三千鴉

文字の大きさ
13 / 14

第十話

しおりを挟む
 ふわふわとした、夢心地。
 陽だまりのような暖かさが手に触れる。手繰り寄せるように握ると、空っぽな安心が胸を浸していく。

 うすぼんやりとした視界には、誰かがさっきまで居たかのように皺の寄ったベッドの半分が。今は空っぽだけれど、布団やこの場所にはまだ温もりが残っている。しばらく温もりと微睡みに甘えていると、がちゃりとドアの開く音がした。


「ヤト、起きれそう?」

「ん、起きる……」

「はは、眠そう。また、抱っこしてあげよっか?」

「やめろ、子供扱いすんな」


 ふわふわりと笑うルキが、俺の額に手を伸ばす。熱は下がっているみたいで、安心したように彼は頷いた。確かに気怠さもずいぶんマシになったが、のそのそと名残惜しく布団の隙間から這い出す。

 冷たいフローリングに両足をつけたところで、いつもは抱かない違和感を覚える。開いたドアの隙間から、食欲を刺激する香りが漂っているのだ。もしやと思い、ルキを見上げた。彼はニコニコとしたままで、俺の腕を引いてリビングへ連れて行く。


「食欲がありそうなら、何か食べた方が良いからさ。簡単に料理作っといたよ」


 彼は、どこまで優しいのだろう。
 机に置かれたお椀が、湯気を立てて食べられるのを待っていた。半ば強制的に座らされ、ルキが横に座る。そして、なぜか彼がお椀を手にして中身を掬った。差し出されたスプーンにあるのは、卵たっぷりのお粥。


「はい、どうぞ」

「はぁ? 自分で食べら、」


 反論しようとして、喋った隙に口内に放り込まれる。何もかも彼の計算な気がしてならず、少し悔しい。けれど、口内へ優しく広がる塩気と甘みに絆され、思わず口元が綻ぶ。本当に悔しいけれど、美味しい。


「そうかもな、って思ってたけどさ。本当に冷蔵庫空っぽだったの、驚いたよ? ヤト、お弁当ばっかりだったでしょ」

「お前は、お母さんか何かか?」

「……夫じゃだめ?」


 2杯目を掬いながら、彼はこてんと首を傾げてそう言った。少し崩れた彼の笑顔と、スプーンに乗った米。ただ、黙ってそれを見つめた。

 さっきは絆されたけれど、そう簡単に流されはしない。匙だけ奪い取り、自分で口に運ぶ。ゆっくり、たっぷりと時間をかけて咀嚼をしてから、答えを出した。口内に残る米の甘みを吐き出すように。


「──ルキ。俺、分かんないんだ。大好きなのに、ずっと苦しいんだよ」


 ルキは、少しだけ目を見開いた。その間が語るのは、彼に『最期の記憶がない』こと。あるいは、さほど重要なものとしていないか。俺に傷だけを残し続けたその全てを、彼は簡単に消化している。だから今までのようには……きっと。先へなんて、とても言えやしない。

 しかし彼はすぐに、笑みを浮かべた。憂いを帯びた、あの笑顔。そんな顔をさせたいわけじゃなくて、言うつもりのなかった二言目が口から零れてしまった。


「もう一度、恋人未満から始めよう」

「…………!! うん、それでいい。……ありがとう、ヤト」


 始めよう、なんて。まだ怖がっているくせに、なんて無責任な言葉だろう。それでも、ルキは真っ直ぐ受け取ってしまうから。泣きそうな顔をした彼に、強く抱きしめられる。

 落っことさないようにお椀を置いてから、そっと彼の背に腕を回した。懐かしい暖かさも、初めて聞くルキの泣き声も、甘く強く心臓を締め付けていく。


「3年前、ヤトがテレビに出ているのを見てから……ううん。生まれてから今まで、ずっと。ヤトのこと、探していたんだよ。元に戻れなくたって良いって、思いながら。また君に出会えて、良かった」

「……ありがとう、俺を見つけてくれて」


 あの時と全く同じ言葉を吐いて、彼の独白を受け入れる。
 正解なんて分からない。ここで突き放してしまえば、きっと心を守れたのだろう。でも、俺はいつだって同じ選択をした。

 彼の幸せを知りたいだなんて、言っていたくせに。彼の愛情の行く先が俺であるのを知った途端、受けとめていたくなる。まだ、もっと、なんて縋って痛くなるのだ。

 一滴だけが頬を濡らしたのを見られたくなくて、そっとルキの肩口に顔を埋める。ああ、どうしても。彼の前では、うまく笑顔を作れない。


「ごめんな、ルキ。ようやく会えたのが、笑えなくなった空っぽの俺で」

「何言ってんの。ヤトとまた出会えて、こんなに暖かい気持ちになれてさ。充分だよ」

「……そっか。うん、俺もあったかい」


 ちくりとトゲに刺されたような痛みに目を逸らし、抱きしめる手に力を込めた。

 恋人未満とは言ったけれど、互いに温もりを求めてしまう。友人以上と付け足したら良かったかもしれない。いや、彼にならきっと伝わっているはずだ。強まる抱擁を甘んじて受け入れ、よりいっそう顔を伏せた。

 彼の優しさに触れるほど、心の穴が浮き彫りになっていく。無理やり押し込むように、幸福をねじ込んで。こんなにも、痛い幸せがあるだなんて。

 しかし、どうしようもなく彼に惹かれてしまった俺だから。もう他の道なんて考えられなくて、ルキに縋ってしまうしかない。どれだけ辛くても、飲み込んでしまうしか。


「ルキ、そろそろ離してくれ。作ってくれたお粥が冷める」

「あ、そうじゃん。ごめんね」

「さらっと膝に乗せようとするな」

「あはは、バレた」


 そっと体を離し、お椀を持ち直して食事を再開する。頬杖をついて眺めてくるルキを横目に、黙々と咀嚼していく。少し冷めてしまった米は、皮肉にも甘さを増していた。出汁を吸い込んでしょっぱくなった卵も一緒に、喉を滑り落ちた。

 明日には二人とも仕事だから、今日はゆっくりしようだとか。仕事の時は、距離感を考えろだとか。そんな他愛ない会話と食事を、繰り返す。デートのやり直しも計画しながら、束の間の休息を味わっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

白花の檻(はっかのおり)

AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。 その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。 この出会いは祝福か、或いは呪いか。 受け――リュシアン。 祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。 柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。 攻め――アーヴィス。 リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。 黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。 王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。

処理中です...