52 / 67
第三章 勇者の挑戦
第52話 翼の助言
しおりを挟む
結菜にとって、ごく平凡な日常の学校生活が続く。
この高校に入る前は必死になって受験勉強をしたものだが、今になって思えば何であんなに必死なって勉強をする必要があったんだろうと思えるほど学校の授業は退屈だ。
たいして興味の無い授業を受けて勉強をし、休み時間には美久や友達と話す。そんな特筆することもないごく普通の日常を送っていく。
翼が結菜に連絡を入れてきたのは、そんな退屈な日の昼休みの時だった。
「もしもし、翼です。今お電話の方はよろしいでしょうか」
「はい、今ちょうど手が空いていますので」
久しぶりに聞くお嬢様の声に結菜は緊張して手を震えさせてしまう。
「ちょっと待っててください。ここ賑やかなので」
「そのようですわね」
翼の声には笑みがある。教室の喧騒は当然電話の向こうにいる翼の耳にも届いているはずだ。
結菜は恥ずかしく思いながら人目を避けて廊下に出て、静かな階段脇へと移動した。
「もしもし、もういいですよ」
「では、こちらの準備は出来たので、今日の夕方の六時にそちらのお宅に伺うということでよろしいでしょうか」
「はい、構いません」
「では、失礼いたします」
電話が切れて緊張も切れた結菜は解放されて長い息を吐いた。
その時間なら両親はまだ仕事から帰ってきていないし、兄は大学の寮に泊まっててそもそも家にはいない。
会うのに不都合は無かったのでOKすることにしたのだった。
結菜は帰宅して時計の針が回るのを待っていた。
あれからずっとそわそわしていた。やがて約束の時間がやってきた。
待ちわびたピンポンが鳴ったので玄関に出てドアを開けると、そこに大会の日以来目にするこの町一番のお嬢様が立っていた。
一度家に帰っていたのだろう。彼女は大人びたお洒落な私服を着ていた。
「待たせましたわね」
「いえ、そんなことは」
翼のことを怖い相手だと、どうやって勝てばいいか分からないと思ったことは何度もあるが、今日の彼女はとても明るくて優しいお姉さんに見えた。
思えば大会の頃は彼女と戦うことばかりに気が行っていてあまり気を向ける余裕がなかったかもしれない。これが本来の彼女の姿なのだろう。
結菜は今頃になってお嬢様学校の生徒達があれほど翼を慕っていた理由に思い至っていた。
まさに理想の姉の姿を前にするようなオーラに、兄はいても姉はいない結菜は少し照れと気まずさを感じてしまう。
「どうぞ」
翼をリビングに案内しようとして、結菜は今更ながらに掃除しておけば良かったとか狭い家だと言われたらどうしようとか思ったが、翼はそんなことを気にするそぶりは見せなかった。
「お邪魔しますわね」
彼女らしい上品な口ぶりで言って、綺麗に靴を揃えて礼儀正しく家に上がる。
さすがお嬢様の頂点と呼ばれているだけあって実に華のある動作だった。
結菜はドキドキしてしまう。兄や家族がいなくて本当に良かったと思った。
結菜は頑張って気を落ち着けるよう努力して、居間のテーブルの所に翼を招いた。
「どうぞお座布団です。どうぞお座りになってくださいませませ」
つい緊張して変な敬語になってしまうのを翼は軽い苦笑で流してくれる。
「ありがとう」
葵や姫子とこのテーブルを囲んで相談したのが随分と昔のように感じた。
結菜が黙って座っていると、翼が話を切り出してきた。
「そう緊張されなくてもいいんですのよ。わたくしも初めて友達の家に行った時はいろいろと失礼をやってしまったものですけどね」
「翼さんはこのような家に来ることって、よくあるんですか?」
結菜にはぴんと来ない。
訊ねると翼は気前よく答えてくれた。
「渚とは小学以来の友人でしてね。あなたの学校の生徒会長の白鶴渚さんのことですが。あの頃はもう本当に世間知らずでね。つい犬小屋とか言ってしまって」
「そうですか」
自分の家がそう呼ばれなくて本当に良かったと思う。
「それから空き地に行って喧嘩もしてしまって……」
「喧嘩……ですか……」
生徒会長同士の喧嘩。それはどんな物だったのか。今の翼や渚の姿からは想像することも出来なかった。
「あの頃はお互いに子供だったのですわ。でも、安心してください。わたくしも学習しましたからね」
結菜はその話をもう少し聞きたかったが、翼はそれ以上その話は続けなかった。
持ってきていた大きめの鞄を膝元に近づけて開く。
その手を止めて顔を上げて訊ねてきた。
「今日はご両親は?」
「まだ仕事に行っています。あと一時間ぐらいは帰ってこないと思いますけど」
「ご立派なご両親なのですわね」
結菜は照れてしまう。立派だと言われたのは初めてのことだった。
「では、仕事疲れのご両親に気を使わせるわけにもいきませんし、帰ってこられる前に手短に済ませましょうか」
翼は鞄から資料を出して、テーブルの上に置いた。
それは彼女の几帳面さを感じさせる綺麗なファイルに綴じられたプリントだった。
原本ではなく印刷してきた物のようだった。
「結菜さんは過去に現れた伝説の勇者についてどの程度知っていますか?」
「いえ、何も」
結菜は何も知らなかった。本当に伝説の勇者なんてものが実在したとも思っていなかった。
その答えは翼の想定内のようだった。
「でしょうね。学校の歴史の授業では習わないことですものね」
「勇者って実在したんでしょうか……?」
慎重になって訊く結菜に対する翼の返答は力強かった。
「ええ、探せばそれらしい痕跡や資料はいろいろと見つかりますのよ。わたくしの家には勇者を導きその旅を見届けた賢者の残した文献もありますし」
「へえ」
それは驚きだ。今度学校の図書室でも探してみようと思った。
思っていると、翼が資料を手に持って立ち上がって近づいてきた。
憧れの年上のお姉さんのオーラを感じさせる彼女が近づいてくるのに、結菜は思わず緊張して身構えてしまった。
翼は優しく微笑んで気にせず、肩が触れ合うほど近くのすぐ隣に座ってテーブルの上に資料を広げた。
「では、結菜さんにはこれから過去の勇者のことをお話しますわね」
「は……はい」
すぐ間近で囁く翼の声に、結菜は緊張して身を震わせてしまう。
翼はほぐすように優しく言った。
「そう緊張されなくてもいいんですのよ。難しい話はしませんから」
「わ……分かりました」
結菜が緊張しているのはこれからの話に対してではなく、すぐ間近にいる翼に対してなのだが。翼は気が付いていない様子だった。
結菜は意識を誤魔化そうとテーブルの上に広げられた資料の方に目を向ける。
そこには天馬を駆って竜と戦う勇者の姿があった。
翼は語る。勇者の物語を。
「人々が今ほどの繁栄を築くよりも昔のことです。この世界は幻想の住人達と呼ばれる存在によって支配されていました。世界各地を支配する彼らの中で、この町を支配していた者の名が竜王ドレアノス。人々は邪悪なその竜の支配に苦しめられていました。しかし、希望はありました。人々の中から後に勇者と呼ばれる者達が立ち上がったのです」
「へえ」
翼の引き込まれるような語りに結菜は緊張していたことも忘れて魅了されてしまった。
結菜が聞いていることを横目で確認し、翼は話を続けた。
「賢者に導かれ、勇者達は長い旅をしました。そして、苦しい戦いの末についに邪悪の竜を打ち倒し、この町を救ったのです。こうして、この町の輝かしい歴史は始まりました」
物語を語り終え、翼は結菜に話しかけた。
「言わばこの町の今の発展があるのは勇者のお陰とも言えますわね」
「そうなんだ」
結菜は翼の話に驚いていた。だが、驚いてばかりもいられない。
もし、今の話が本当なら結菜も大変なことになるからだ。
長い旅や苦しい戦いなんて自分には出来そうにない。
どんな無理難題を言われても。美久が言っていたことを思い出す。
「それで結菜さんに勇者としてやっていただきたいことですけど」
そら来た。結菜は覚悟を決めて身構える。翼はどんな無理難題を言ってくるつもりなのだろうか。どんな言葉が来ても跳ね返すつもりで。
そんな結菜の態度に、翼はおかしそうに笑った。
「そう構えなくても結構ですわよ。何も厳しい修行をしろとか竜を倒せとか言うわけではありませんから。この時代に竜はもういませんしね」
結菜は肩の力を抜いた。
だが、続く言葉を聞いて肩に力を入れ直した。
「でも、これはある意味ではとても厳しい試練となるかもしれませんわね」
翼は何を言うつもりなのか。結菜は緊張に目を回しそうになってしまう。
結菜は様々な無理難題を想像してしまうが、翼が言ってきたのは全く予想外のことだった。
「学校生活を楽しんでください」
「え……?」
結菜は思わず目をパチクリとさせてしまう。そんなことでいいのだろうか。
翼は冗談を言っている風ではなかった。微笑んで続きを言う。
「簡単と思われるかもしれませんが、これが結構難しいことなんですのよ。気を抜くと一年なんてあっという間に過ぎていってしまいますからね。何も出来ないまま時が過ぎていた、なんていうことも決してありえない話ではないんですのよ」
「……」
そう言われてもまだ入学して一学期も終わっていない結菜にはこれからのことなんて途方もなく大きく感じてしまう。
真っ白に広げられた大きな画用紙を前にする気分だった。
気の遠くなりそうな結菜だったが、次の翼の言葉で現実へと引き戻された。
「当面の目標としては来月に迫ったテストで良い点を取ることでしょうか」
「うげ」
嫌なところを突かれたと思った。
前のテストではあまり良い点を取れなかったのだ。中学の頃はそれなりに良い成績を取れていた結菜だったが、高校の授業は中学の頃とは比べ物にならないほど難しく、成績も下から数えた方が早いほどに落ちていた。
結菜は緊張しながら訊ねた。
「翼さんはわたしの学校の予定のこととか知っているんですか?」
その質問に翼は自慢そうに答えた。
「あなたの学校の生徒会長はわたくしの親友なんですのよ」
そう言われればそうだった。
翼と渚は親友同士で、大会の時も二人にしか通用しないような会話をよく交わしていた。
とんでもないところに目があったもんだった。
もしかしたら成績のことまで知られているのかもしれない。訊ねる勇気はなかったが。
代わりにテストのことについて言った。
「でも、テスト難しくて。前も赤点ギリギリだったし……」
絶望の思いに沈みそうになる結菜だったが、翼は気にしていない様子だった。
実に何でもないことのように言う。
「では、そんな結菜さんにテストの必勝法を伝授しましょうか」
「そんな方法があるんですか!?」
結菜は思わず翼の顔に食い入っていた。翼は驚きつつ宥めた。
「そう食い入らなくても」
「教えてください! わたしにとっては死活問題なんです!」
「では、お教えしましょう。よく聞くのですよ」
「はい!」
期待に目を輝かせる結菜に翼は質問をする。
「結菜さんはいつもどんな勉強をしていらっしゃいますか?」
「それは少しでも良い点数を取るために一つでも単語を覚えたり、一つでも問題を解いたり……」
「そんなことでは駄目ですわね」
「え!?」
驚く結菜に翼は人差し指を立てて諭した。
その瞳には純星の鷹、お嬢様の頂点と呼ばれる者の力強さがあった。
「勝負の鉄則とは勝つ気で挑むことです。少しでも覚えようとか良い点を取ろうではないのです。勝つ気で挑むのです!」
「え……」
「意外と思われるかもしれませんが、心構えというのは記憶や何よりも力を引き出す重要なことなんですのよ。覚えておきなさい」
「はい」
「それともう一つ」
「もう一つ!?」
必勝法がもう一つあると聞いて結菜は腰を浮かせかけた。
翼は少し気圧されているようだった。
「もう二つですわね。時には落ち着いて物事に対処することも必要です。リラックスして平常心を意識しなさい」
「平常心……」
結菜は呼吸を落ち着けてリラックスして浮かせかけた腰を下ろした。
結菜が落ち着いたのを確認し、翼は話を続けた。
「結菜さんの周りには同じ目的を持ってテストに挑もうとする心強い同志達がいます。周囲によく目配りし、みんなで力を合わせてテストに挑むのです」
「みんなで力を合わせて……」
「結菜さんは一人でテストに苦しめられ、受けさせられているわけではないんですのよ。頑張りなさい」
「はい!」
結菜の元気な返事を聞いて、翼は鞄に資料をしまって立ち上がった。
「では、今日のところはそろそろお暇することにいたしますわね。あまり遅くなって仕事疲れのご両親に余計な気遣いをさせるわけにもいきませんから。わたくしで良ければいつでも相談に乗りますし、渚にも話を通しておきますから、何かあったら連絡してください。電話番号は前に電話した物の履歴がありますわね」
「はい、翼さん」
結菜の携帯には翼の携帯に直通の電話番号があった。
予期せずそれを手に入れてしまったことに結菜は謎の感動を覚えてしまう。
「では、ごきげんよう」
そうして、翼は一礼して去っていった。
「ああ、翼さんの番号を手に入れてしまったよう」
誰もいなくなった部屋で結菜は嬉しさに転がりまわってしまった。
こんな姿を見られなくて本当に良かったと思った。
「大鷹翼は何を言ってきたんですか?」
次の日に登校すると、さっそく美久がそのことで食いついてきた。
「翼さんに買ってもらった本……」
結菜はあれから前に翼に買ってもらったもののやっぱりよく分からなくて放置してた猿でも分かる自転車を読みふけっていたが、美久の質問に気が付いて答えることにした。
学校生活を楽しむことが翼に与えられたミッションだからだ。それには心構えが必要だと教えられた。
失敗するわけにはいかない。
「うん、テストの必勝法を教えてもらった」
「「「テストの必勝法!?」」」
その言葉に反応したのは美久だけではなかった。周囲のクラスメイト達が反応していた。
元より勇者と大鷹翼の関係することで聞き耳を立てていたのだろう。
彼らはすぐに結菜の机の周りに集まってきた。結菜はいきなり出来た人垣に困惑した。
人垣は次々と訊ねてくる。
「いったい何を教えてもらったの?」
「あのお嬢様学校で生徒会長をしている大鷹翼の言う事だ。きっと凄い勉強法があるに違いない!」
「わたし達にも教えてよ!」
「えっと……」
別に隠すことでもない。結菜は話すことにした。
話終わってクラスメイト達はそれぞれに考えることがあるようだった。
「みんなで力を合わせてか……平均点が上がるな……」
「でも、他のクラスの奴らに目に物を見せてやることは出来る」
「赤点と追試と補修はもうご免よ」
「よし! それならこれからみんなで勉強だ! 勝つ気で挑むぞ!」
「「おう!!」」
周囲が何やら盛り上がり、自分の席についたまま様子を伺っていた麻希は困った子供を見るような目で結菜を見ていた。
「翼にまんまと乗せられているうちはまだ自立は無理そうね」
「うおう、何か盛り上がってんなあ」
入ってきた先生はいつもと違う熱気にびっくりしていた。
この高校に入る前は必死になって受験勉強をしたものだが、今になって思えば何であんなに必死なって勉強をする必要があったんだろうと思えるほど学校の授業は退屈だ。
たいして興味の無い授業を受けて勉強をし、休み時間には美久や友達と話す。そんな特筆することもないごく普通の日常を送っていく。
翼が結菜に連絡を入れてきたのは、そんな退屈な日の昼休みの時だった。
「もしもし、翼です。今お電話の方はよろしいでしょうか」
「はい、今ちょうど手が空いていますので」
久しぶりに聞くお嬢様の声に結菜は緊張して手を震えさせてしまう。
「ちょっと待っててください。ここ賑やかなので」
「そのようですわね」
翼の声には笑みがある。教室の喧騒は当然電話の向こうにいる翼の耳にも届いているはずだ。
結菜は恥ずかしく思いながら人目を避けて廊下に出て、静かな階段脇へと移動した。
「もしもし、もういいですよ」
「では、こちらの準備は出来たので、今日の夕方の六時にそちらのお宅に伺うということでよろしいでしょうか」
「はい、構いません」
「では、失礼いたします」
電話が切れて緊張も切れた結菜は解放されて長い息を吐いた。
その時間なら両親はまだ仕事から帰ってきていないし、兄は大学の寮に泊まっててそもそも家にはいない。
会うのに不都合は無かったのでOKすることにしたのだった。
結菜は帰宅して時計の針が回るのを待っていた。
あれからずっとそわそわしていた。やがて約束の時間がやってきた。
待ちわびたピンポンが鳴ったので玄関に出てドアを開けると、そこに大会の日以来目にするこの町一番のお嬢様が立っていた。
一度家に帰っていたのだろう。彼女は大人びたお洒落な私服を着ていた。
「待たせましたわね」
「いえ、そんなことは」
翼のことを怖い相手だと、どうやって勝てばいいか分からないと思ったことは何度もあるが、今日の彼女はとても明るくて優しいお姉さんに見えた。
思えば大会の頃は彼女と戦うことばかりに気が行っていてあまり気を向ける余裕がなかったかもしれない。これが本来の彼女の姿なのだろう。
結菜は今頃になってお嬢様学校の生徒達があれほど翼を慕っていた理由に思い至っていた。
まさに理想の姉の姿を前にするようなオーラに、兄はいても姉はいない結菜は少し照れと気まずさを感じてしまう。
「どうぞ」
翼をリビングに案内しようとして、結菜は今更ながらに掃除しておけば良かったとか狭い家だと言われたらどうしようとか思ったが、翼はそんなことを気にするそぶりは見せなかった。
「お邪魔しますわね」
彼女らしい上品な口ぶりで言って、綺麗に靴を揃えて礼儀正しく家に上がる。
さすがお嬢様の頂点と呼ばれているだけあって実に華のある動作だった。
結菜はドキドキしてしまう。兄や家族がいなくて本当に良かったと思った。
結菜は頑張って気を落ち着けるよう努力して、居間のテーブルの所に翼を招いた。
「どうぞお座布団です。どうぞお座りになってくださいませませ」
つい緊張して変な敬語になってしまうのを翼は軽い苦笑で流してくれる。
「ありがとう」
葵や姫子とこのテーブルを囲んで相談したのが随分と昔のように感じた。
結菜が黙って座っていると、翼が話を切り出してきた。
「そう緊張されなくてもいいんですのよ。わたくしも初めて友達の家に行った時はいろいろと失礼をやってしまったものですけどね」
「翼さんはこのような家に来ることって、よくあるんですか?」
結菜にはぴんと来ない。
訊ねると翼は気前よく答えてくれた。
「渚とは小学以来の友人でしてね。あなたの学校の生徒会長の白鶴渚さんのことですが。あの頃はもう本当に世間知らずでね。つい犬小屋とか言ってしまって」
「そうですか」
自分の家がそう呼ばれなくて本当に良かったと思う。
「それから空き地に行って喧嘩もしてしまって……」
「喧嘩……ですか……」
生徒会長同士の喧嘩。それはどんな物だったのか。今の翼や渚の姿からは想像することも出来なかった。
「あの頃はお互いに子供だったのですわ。でも、安心してください。わたくしも学習しましたからね」
結菜はその話をもう少し聞きたかったが、翼はそれ以上その話は続けなかった。
持ってきていた大きめの鞄を膝元に近づけて開く。
その手を止めて顔を上げて訊ねてきた。
「今日はご両親は?」
「まだ仕事に行っています。あと一時間ぐらいは帰ってこないと思いますけど」
「ご立派なご両親なのですわね」
結菜は照れてしまう。立派だと言われたのは初めてのことだった。
「では、仕事疲れのご両親に気を使わせるわけにもいきませんし、帰ってこられる前に手短に済ませましょうか」
翼は鞄から資料を出して、テーブルの上に置いた。
それは彼女の几帳面さを感じさせる綺麗なファイルに綴じられたプリントだった。
原本ではなく印刷してきた物のようだった。
「結菜さんは過去に現れた伝説の勇者についてどの程度知っていますか?」
「いえ、何も」
結菜は何も知らなかった。本当に伝説の勇者なんてものが実在したとも思っていなかった。
その答えは翼の想定内のようだった。
「でしょうね。学校の歴史の授業では習わないことですものね」
「勇者って実在したんでしょうか……?」
慎重になって訊く結菜に対する翼の返答は力強かった。
「ええ、探せばそれらしい痕跡や資料はいろいろと見つかりますのよ。わたくしの家には勇者を導きその旅を見届けた賢者の残した文献もありますし」
「へえ」
それは驚きだ。今度学校の図書室でも探してみようと思った。
思っていると、翼が資料を手に持って立ち上がって近づいてきた。
憧れの年上のお姉さんのオーラを感じさせる彼女が近づいてくるのに、結菜は思わず緊張して身構えてしまった。
翼は優しく微笑んで気にせず、肩が触れ合うほど近くのすぐ隣に座ってテーブルの上に資料を広げた。
「では、結菜さんにはこれから過去の勇者のことをお話しますわね」
「は……はい」
すぐ間近で囁く翼の声に、結菜は緊張して身を震わせてしまう。
翼はほぐすように優しく言った。
「そう緊張されなくてもいいんですのよ。難しい話はしませんから」
「わ……分かりました」
結菜が緊張しているのはこれからの話に対してではなく、すぐ間近にいる翼に対してなのだが。翼は気が付いていない様子だった。
結菜は意識を誤魔化そうとテーブルの上に広げられた資料の方に目を向ける。
そこには天馬を駆って竜と戦う勇者の姿があった。
翼は語る。勇者の物語を。
「人々が今ほどの繁栄を築くよりも昔のことです。この世界は幻想の住人達と呼ばれる存在によって支配されていました。世界各地を支配する彼らの中で、この町を支配していた者の名が竜王ドレアノス。人々は邪悪なその竜の支配に苦しめられていました。しかし、希望はありました。人々の中から後に勇者と呼ばれる者達が立ち上がったのです」
「へえ」
翼の引き込まれるような語りに結菜は緊張していたことも忘れて魅了されてしまった。
結菜が聞いていることを横目で確認し、翼は話を続けた。
「賢者に導かれ、勇者達は長い旅をしました。そして、苦しい戦いの末についに邪悪の竜を打ち倒し、この町を救ったのです。こうして、この町の輝かしい歴史は始まりました」
物語を語り終え、翼は結菜に話しかけた。
「言わばこの町の今の発展があるのは勇者のお陰とも言えますわね」
「そうなんだ」
結菜は翼の話に驚いていた。だが、驚いてばかりもいられない。
もし、今の話が本当なら結菜も大変なことになるからだ。
長い旅や苦しい戦いなんて自分には出来そうにない。
どんな無理難題を言われても。美久が言っていたことを思い出す。
「それで結菜さんに勇者としてやっていただきたいことですけど」
そら来た。結菜は覚悟を決めて身構える。翼はどんな無理難題を言ってくるつもりなのだろうか。どんな言葉が来ても跳ね返すつもりで。
そんな結菜の態度に、翼はおかしそうに笑った。
「そう構えなくても結構ですわよ。何も厳しい修行をしろとか竜を倒せとか言うわけではありませんから。この時代に竜はもういませんしね」
結菜は肩の力を抜いた。
だが、続く言葉を聞いて肩に力を入れ直した。
「でも、これはある意味ではとても厳しい試練となるかもしれませんわね」
翼は何を言うつもりなのか。結菜は緊張に目を回しそうになってしまう。
結菜は様々な無理難題を想像してしまうが、翼が言ってきたのは全く予想外のことだった。
「学校生活を楽しんでください」
「え……?」
結菜は思わず目をパチクリとさせてしまう。そんなことでいいのだろうか。
翼は冗談を言っている風ではなかった。微笑んで続きを言う。
「簡単と思われるかもしれませんが、これが結構難しいことなんですのよ。気を抜くと一年なんてあっという間に過ぎていってしまいますからね。何も出来ないまま時が過ぎていた、なんていうことも決してありえない話ではないんですのよ」
「……」
そう言われてもまだ入学して一学期も終わっていない結菜にはこれからのことなんて途方もなく大きく感じてしまう。
真っ白に広げられた大きな画用紙を前にする気分だった。
気の遠くなりそうな結菜だったが、次の翼の言葉で現実へと引き戻された。
「当面の目標としては来月に迫ったテストで良い点を取ることでしょうか」
「うげ」
嫌なところを突かれたと思った。
前のテストではあまり良い点を取れなかったのだ。中学の頃はそれなりに良い成績を取れていた結菜だったが、高校の授業は中学の頃とは比べ物にならないほど難しく、成績も下から数えた方が早いほどに落ちていた。
結菜は緊張しながら訊ねた。
「翼さんはわたしの学校の予定のこととか知っているんですか?」
その質問に翼は自慢そうに答えた。
「あなたの学校の生徒会長はわたくしの親友なんですのよ」
そう言われればそうだった。
翼と渚は親友同士で、大会の時も二人にしか通用しないような会話をよく交わしていた。
とんでもないところに目があったもんだった。
もしかしたら成績のことまで知られているのかもしれない。訊ねる勇気はなかったが。
代わりにテストのことについて言った。
「でも、テスト難しくて。前も赤点ギリギリだったし……」
絶望の思いに沈みそうになる結菜だったが、翼は気にしていない様子だった。
実に何でもないことのように言う。
「では、そんな結菜さんにテストの必勝法を伝授しましょうか」
「そんな方法があるんですか!?」
結菜は思わず翼の顔に食い入っていた。翼は驚きつつ宥めた。
「そう食い入らなくても」
「教えてください! わたしにとっては死活問題なんです!」
「では、お教えしましょう。よく聞くのですよ」
「はい!」
期待に目を輝かせる結菜に翼は質問をする。
「結菜さんはいつもどんな勉強をしていらっしゃいますか?」
「それは少しでも良い点数を取るために一つでも単語を覚えたり、一つでも問題を解いたり……」
「そんなことでは駄目ですわね」
「え!?」
驚く結菜に翼は人差し指を立てて諭した。
その瞳には純星の鷹、お嬢様の頂点と呼ばれる者の力強さがあった。
「勝負の鉄則とは勝つ気で挑むことです。少しでも覚えようとか良い点を取ろうではないのです。勝つ気で挑むのです!」
「え……」
「意外と思われるかもしれませんが、心構えというのは記憶や何よりも力を引き出す重要なことなんですのよ。覚えておきなさい」
「はい」
「それともう一つ」
「もう一つ!?」
必勝法がもう一つあると聞いて結菜は腰を浮かせかけた。
翼は少し気圧されているようだった。
「もう二つですわね。時には落ち着いて物事に対処することも必要です。リラックスして平常心を意識しなさい」
「平常心……」
結菜は呼吸を落ち着けてリラックスして浮かせかけた腰を下ろした。
結菜が落ち着いたのを確認し、翼は話を続けた。
「結菜さんの周りには同じ目的を持ってテストに挑もうとする心強い同志達がいます。周囲によく目配りし、みんなで力を合わせてテストに挑むのです」
「みんなで力を合わせて……」
「結菜さんは一人でテストに苦しめられ、受けさせられているわけではないんですのよ。頑張りなさい」
「はい!」
結菜の元気な返事を聞いて、翼は鞄に資料をしまって立ち上がった。
「では、今日のところはそろそろお暇することにいたしますわね。あまり遅くなって仕事疲れのご両親に余計な気遣いをさせるわけにもいきませんから。わたくしで良ければいつでも相談に乗りますし、渚にも話を通しておきますから、何かあったら連絡してください。電話番号は前に電話した物の履歴がありますわね」
「はい、翼さん」
結菜の携帯には翼の携帯に直通の電話番号があった。
予期せずそれを手に入れてしまったことに結菜は謎の感動を覚えてしまう。
「では、ごきげんよう」
そうして、翼は一礼して去っていった。
「ああ、翼さんの番号を手に入れてしまったよう」
誰もいなくなった部屋で結菜は嬉しさに転がりまわってしまった。
こんな姿を見られなくて本当に良かったと思った。
「大鷹翼は何を言ってきたんですか?」
次の日に登校すると、さっそく美久がそのことで食いついてきた。
「翼さんに買ってもらった本……」
結菜はあれから前に翼に買ってもらったもののやっぱりよく分からなくて放置してた猿でも分かる自転車を読みふけっていたが、美久の質問に気が付いて答えることにした。
学校生活を楽しむことが翼に与えられたミッションだからだ。それには心構えが必要だと教えられた。
失敗するわけにはいかない。
「うん、テストの必勝法を教えてもらった」
「「「テストの必勝法!?」」」
その言葉に反応したのは美久だけではなかった。周囲のクラスメイト達が反応していた。
元より勇者と大鷹翼の関係することで聞き耳を立てていたのだろう。
彼らはすぐに結菜の机の周りに集まってきた。結菜はいきなり出来た人垣に困惑した。
人垣は次々と訊ねてくる。
「いったい何を教えてもらったの?」
「あのお嬢様学校で生徒会長をしている大鷹翼の言う事だ。きっと凄い勉強法があるに違いない!」
「わたし達にも教えてよ!」
「えっと……」
別に隠すことでもない。結菜は話すことにした。
話終わってクラスメイト達はそれぞれに考えることがあるようだった。
「みんなで力を合わせてか……平均点が上がるな……」
「でも、他のクラスの奴らに目に物を見せてやることは出来る」
「赤点と追試と補修はもうご免よ」
「よし! それならこれからみんなで勉強だ! 勝つ気で挑むぞ!」
「「おう!!」」
周囲が何やら盛り上がり、自分の席についたまま様子を伺っていた麻希は困った子供を見るような目で結菜を見ていた。
「翼にまんまと乗せられているうちはまだ自立は無理そうね」
「うおう、何か盛り上がってんなあ」
入ってきた先生はいつもと違う熱気にびっくりしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!
オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ランの父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリーだった。
ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。
学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。
当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。
同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。
ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。
そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。
まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。
その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。
こうしてジュリーとの同居が決まった。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる