沙耶へ

けろよん

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第18話 虚無の到来

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 飛鳥に負けて意識を失った沙耶はどことも知れない暗闇の世界を彷徨っていた。
 あたしは勝たなければいけないのに負けてしまった。造られた者にとって創造者の命令は絶対だというのに……
 飛鳥に勝てなくて、三大脅威にも挑めなくて、自分は何のために造られたのだろうか。全ては無意味だったのだろうか。

「沙耶」

 迷いながらも漂っていると、不意に誰かが話しかけてくるのが聞こえて沙耶はその方向を振り返った。深層の意識にまどろむ何かが近づいてくるのを感じる。

「沙耶、お前はここで終わってしまうのか」
「あなたは誰? いいえ、あたしには分かってる。あの日に失われたあたし。戻ってきたのね」

 自然と分かる。かつては長い時期をともにしていたから。
 二十年前のあの日、ゼツエイを襲ったブラックホールから主人を守るため、沙耶は自らの力と意思のありったけを解放し、全てを吸い込もうとする虚無の大穴を封じたのだ。
 それは一定の成功を収めたが、同時に多くの意識と力をも虚無の世界に吸い込まれ、失う結果ともなってしまったのだった。

「あたしの記憶が戻ってきたから。それがきっかけとなって残されたものたちも戻ってきたのね」
「そうだ。だが、それだけはない。長きに渡り虚無とともに有り続けたお陰で我々はミザリオル様の力をもこの手に授かったのだ。これから我らは虚無の導き手となり、ミザリオル様のための破壊兵器となるのだ」

 長い時の間に失われていたものは虚無に侵食されて変貌を遂げていた。それは方向は違えど沙耶も同じことだった。みんなと暮らしているうちに戦いを知らない普通の明るい少女となっていた。
 だが、今求められているのはそんな明るいだけの無力な少女などではない。定められた戦いを勝ち抜ける何者にも負けない大きな力が必要なのだ。

「あたしが……虚無の導き手に……」
「ともに虚無を導こう。ミザリオル様こそこの宇宙の唯一にして絶対なる神。三大脅威や破滅の使者などという呼び名は愚かで無知な人間が勝手に付けた名称に過ぎない。障害となるものを排除して再びこの宇宙を神の手に戻すのだ」
「全てを虚無へと……」

 沙耶の中にかつて別れていた力が戻っていく。



 沙耶は立ち上がった。体から黒いオーラを立ち上らせながら。ゼツエイは思わず銃を引き後ずさった。

「なんだこれは。沙耶に何が起こっているのだ。ベルゼエグゼスと同じ闇の術なのか!」

 それはゼツエイにも分からない現象だった。彼の知る限りにおいて沙耶にこのような機能は無いはずだった。
 沙耶が顔をあげる。暗く輝く瞳をして。

「闇では無い。虚無だ。全て消えよ。全て!」

 それは沙耶でありながら沙耶では無い声。虚無の深さを思わせる重苦しい音。

「沙耶、いったいお前に何が」

 かつての主人の声を聞くこともなく、沙耶を中心にして激しい風が巻き起こる。
 至近距離にいるゼツエイは思わずうめき、吹き飛ばされそうになりながらも何とか耐える。
 沙耶は構わず両手を大きく上にかかげて口を開いた。

「神よ、我らに力を。我らはここにおります。どうかこの地に祝福を。大いなる虚無の導きよ」

 呪文のような声とともに目に見えない力に押しつぶされるかのように壁が天井が床がきしみをあげていく。人工的な重力の波に物質が圧縮され、膨張され、引きちぎられ、散らされる。どんどん強まるその力に、あっという間に沙耶を中心とした周囲の物がぼろぼろにされていく。
 飛鳥を抱えて後退した兵衛門はなんとか重力場の範囲の外に逃れ、その光景を眺めやった。様々な物が崩れ、がれきが舞い、ゼツエイの姿はもう見えなくなってしまっていた。
 沙耶はこちらもゼツエイも視野に入れていない。物質も人間も何もかも全てを同一として捕らえているかのようだ。

「なかなか頑丈な場所だ。だが、これで終わりだ。ブラックホール」
「沙耶姉!」

 その時、不意に声がして沙耶の動きが止まった。両手の上に作られかけていた虚無の穴が消え、彼女は両手を降ろした。それと同時に重力場が収まり、がれきが地へと落下していく。
 兵衛門はかけつけてきたその少年の姿を認めた。

「次郎太……!」

 それは心のどこかでずっと待ち望んでいた者の姿だった。自分の孫であり、沙耶の弟。
 その背にはどういう因果か沙耶に似たあの少女が強い視線で周囲を睨みつけている。

「わしらより早く出発しておいて来るのが遅すぎじゃ」

 兵衛門は呟き、床にへたり込んだ。ゼツエイに撃たれた傷がさっきから痛んでしょうがなかった。

「見ていろ、飛鳥ちゃん。今から次郎太が奇跡を起こすからな」

 姉弟の運命の絆に兵衛門は後の全てを託したのだった。



 代わり映えのしない宇宙の景色が続く窓を横目にしながら広い廊下を歩いている少女がいる。窓の外の景色を見ることもなくただ手元だけを見て一心に笛を吹き続けている。宇宙へ来て間もない頃、次郎太が会ったあの少女だ。
 その指が唐突にぴたっと止まった。それと同時に笛の音色も消える。少女の足が止まり、口から笛が離され、沈黙に佇んでいた顔に満足気な笑みがもたらされた。不意に空気の動く心地がした。

「ふむ、今回の曲もなかなかに上出来でちゅね。さっすがあたちの創造力。凄い凄い。この宇宙の星々もきっと満足して聞いていたことでちょうねえ。うんうん」

 感心したように一人呟く少女の視線が宇宙の景色へと向けられる。静かだった瞳に星の光が映る。見渡していたその瞳がある一つの小惑星を見て止まった。

「あの星はこの宇宙にとって少し綺麗じゃないかも知れましぇんねえ。抜いておきまちゅか」

 そっと手を伸ばし、指を弾く。その星の付近に突如としてブラックホールが現れ、瞬く間にその星を吸い込んでいってしまった。

「ふむ、これで見れるようになりまちた。宇宙を綺麗に整頓しておくのも神の仕事というものでちゅからね。さて、次は」

 一仕事を終えた満足に一瞥をくれ、少女は今度は窓と反対側に広がっている壁を眺める。

「どうもさっきからあたちを呼んでいる人がいましゅね。いい神様はいい下僕の面倒はちゃんと見ないといけましえん。大変でしゅけどこれも使命なのでちゅ。では、行きまちゅか」

 手を振りかぶり、ただ無造作に軽く壁に叩きつける。壁はまるで始めからそう細工されていたかのように砕けてがらがらと崩れていった。

「出会ったらあたちの素ん晴らしい笛の音を聞かせて感動させてあげましょう。きっとあまりのありがたさに打ち震え涙するでしょうねえ。ククク」

 静かにほくそ笑みながら、少女は何食わぬ顔でその中を歩いていった。
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