ヤドカリ

のやなよ

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ヤドカリの出会い

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 夏とはいえ18時を過ぎると日も陰ってくる。
尚はディスカウントストアから外に出ると、心此処にあらずといった体で車道の車の往来を眺めていた。
 やっぱり店に戻って保護してもらった方が利口だよな。
尚は自分の存在が、どれだけ弱く儚いか分かっている。
でも、このまま派出所に連れて行かれて保護されて、あの母親のもとに帰される事は納得出来ないでいた。
それはやがて母親に対する怒りの感情へと変わった。
尚の頭に怒気がフツフツと湧き上がる。そして尚の両手に拳を作らせ、奥歯を固く噛みしめさせたのである。
それから、あんな母親でも僕に1日1回の玉子かけ御飯を食べさせる事を忘れた事がない。
「玉子を食べておけば後はビタミンを取るだけで栄養はバッチリ足りるから」
嘘みたいな話しを尚に自信満々で言っていた事を今思い出した。
そして自分の歯がボロボロだからと歯磨きチェックは毎日かかした事がなかった。
尚の固く真一文字に結ばれた唇と握られた拳が緩んだ。
 飲んでない時は、まともなんだ。
 でも自分に我慢が出来ない事があるんだ。
 きっと……。
尚は肩から掛かった財布ポシェットを手に取った。
誰かからの御下がりではない、さっきまでいたディスカウントストアで母親に買ってもらった物である。
 100円だけど。
尚は、財布をグッと握った。
 学校にも休みがある。
 お母さんも休めば、お母さんに戻るよね?
その時、一陣の風が吹き抜けて尚の髪を後ろになびかせた。するとそれに乗って場内アナウンスと祭り囃子が聞こえてきた。
「ヒマワリ商店街の夏祭り~?!」
尚は、祭り囃子の聴こえてくる方に向かって思わず叫んでいた。奇しくも去年捨てられたのも夏祭りの日だったからだ。
「お母さん、もしかして計画犯罪ー?!」
尚の声は走って来たトラックによって掻き消された。
尚は両目を据わらせている。
しかし、程なく尚の目の端には優しい笑みが浮かんでいた。尚の中の怒気が『お母さん』だった頃の母親を感じた途端霧したからだ。
尚は唇の両端をつり上げて笑うと、やがて白い歯を見せてクシャクシャの顔をして笑った。
 もしかしたら、お祭りに連れて行ってくれようとしていたのかも知れない。
 でも、言えなくなる程お母さんは疲れてたんだ。
「まあ、いっか~!」
尚の表情が笑顔になった。
「1時間もアパートでゴロゴロしたら、お母さんも元気になるよね?」
祭り会場行きの電車の駅に尚は向かった。
着くと普段は無人の駅なのに今日は4人の駅員が常駐していた。
しかし、尚は家族連れの乗客に紛れて、まんまと電車に乗り込むことに成功した。
 尚は、家族連れの近くの座席に座り小さくガッツポーズをした。そのせいで揺れた財布ポシェットから小銭の音が鳴った。行きの電車賃90円が掛かったためである。
尚は、窓の方に顔を向けた。
暗い街に灯る電灯の明かりが後ろに流れて行く。
その風景が見える窓ガラスには、不安顔を浮かべて座る自分の姿があった。
なんて面してるんだよ!
 お母さんに休み時間をあげるんだろ?!
尚は、無理やり口角を上げて笑顔を作った。
 変な顔!
窓ガラスに映っている自分の顔に尚は思わず吹き出して笑ってしまいそうになった。
そんな尚の目に、電車の車窓を左から右へと流れていくヤグラが目に映った。ヤグラの手すりからは四方にピンク、赤、青、オレンジの提灯が連なり会場である公園に華を添えていた。
「着いた!」
祭り開始から出遅れる形で、祭り会場のある駅に到着した尚はガラガラに空いていた電車とはうって変わって、人でごったがえしている改札の外に出た。駅員も家族連れに紛れて外に出た尚に気付くものはいなかった。
商店街のアーケード内、中央が琉球畳を並べた飲み会場となっているため、尚がすれ違う人からは母親が深酒をした時に香ってくる酒精の香りが鼻をついた。
尚は、この香りが嫌いなので母親が酔いで背中から抱きついてくると彼女の腕を振り払って、いつも押し入れの中に隠れていた。
そのまま、押し入れの中の布団にクルマって眠ってしまった事が何度もあった。
「うっ!」
尚は両手で口元を塞ぎながら駅からの人の流れに乗り、祭り会場である公園に足を踏み入れた。華やかな浴衣を来ている大人、子供。
皆、それぞれにお洒落をして祭りに来ていた。
尚は自分の肩に鼻を持っていき体臭を嗅いだ。
普段着しかも昨日の夜は母親が深酒をして眠り込んでしまったため、お風呂に入っていなかった。
「うっ!」
大嫌いな酒精より余程『臭かった』鼻が曲がる様だった。ふと尚が視線を感じて自分の左側を見るとピンク色の浴衣を着た少女が鼻をつまんで尚の方を睨み付けていた。
「アナタ、お風呂に入ってから祭りに来なかったの?!」
尚は視線を、空に向けて誤魔化す様にスカスカの音の鳴らない口笛を吹いた。
「あ~!
やっぱり、入ってないんだ!」
少女は、鼻につまんだ左手を残して右手で尚を指差した。
 あんまり騒がないで欲しいんだけどな……
尚は思った。しかし、離れて逃げようにも大人の人垣という物は、そんなに容易く抜けられる物ではない。
 でも、此処にいると1人で来ているのがバレるのも時間の問題だ。
 一か八かやってみるか!
尚は、前の大人の人垣に向かって突っ込もうと両手を電動ドリルの様に構えた。
その時である。尚が突っ込もうとしていた人垣から悲鳴が上がり尚と少女に向かって倒れて来たのである。
「うわっ!」
「キャーーー!」
尚と少女は押し倒され列の行き来の流れを分けていた銀色のポールの柵に押し付けられた。
そのお陰で尚は息をする空間は確保出来ていた。
 重いの通り越して圧迫されて
「く、苦しい!」
尚は、今までうるさい程だった少女から声が聞こえて来ないのに気がついて、大人の背中に頬を引っ張られながら少女の方に顔を向けた。
「おい!ピンク!大丈夫か?!」
尚が声を掛けても少女から声は返って来なかった。
「無事か?!
ケガはないか?!」
少女からは、声は返って来なかったが尚は腕を掴まれ大人の男から声を掛けれた。
「助けて!隣にいた女の子から声がしないんだ!」
尚は、その時保護される事など頭になかった。名前も知らない生意気な物言いをする少女の無事を願っていた。
「待ってろ!
今、助けてやる!」
男は柵に上り自分の体を滑りこませる様に尚の側に入って来て彼の脇に手を差し入れて倒れこんで来ている大人の体ごと尚を持ち上げようとした。
「どらぁーーー!!」
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