和風ファンタジー世界にて、最強の武士団の一員になる!

烏丸英

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第一章・はじまりの物語

下働き組としての日々

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 大和国へ転移してから三日の時が過ぎた。最初は戸惑っていた生徒や教師たちもようやく落ち着いてきた様子で、各々が妖との戦いに備えて訓練や準備を繰り返す毎日を送っている。

 彼らはほぼ全員が異世界転移を果たしたその日の内に高名な刀鍛冶が作った武神刀をはじめとした装備を与えられ、英雄と呼ぶに相応しい見てくれになっていた。
 和風RPGの世界に飛び込んだような、そんな高揚感に心を弾ませる生徒たちは、手に入れた力を使いこなせるようになるべく、大和国から師範役として派遣された実績ある武士の下で修練を重ねている。

 そうやって、大半の生徒たちが順調に英雄としての階段を上っていく中、そこからあぶれた者たち……燈をはじめとした、妖と戦える見込みが無いと判断された者たちはというと、仲間たちが快適な生活を送れるように下働きとして慌ただしく動き回っていた。

 食事の準備から衣類の洗濯、学校内の掃除や稽古場の後片付けに至るまでの小間使いを全て五十名にも満たない生徒たちだけで行うのはなかなかに骨が折れる。

 一応、転移者たちの面倒を見るための奉公人もいるわけだが、それでも下働きの苦労というものはそう大して変わるものではないし、そもそも普通の高校生である燈たちが数百名分の炊事洗濯を見事にこなせるわけもなく、男子は力仕事、女子は下女のサポートと、単純ながらも疲労が溜まる仕事にてんてこ舞いになっていた。

 そして現在、燈が何をしているかというと……舗装もされていない山道を数名の護衛と共に歩いている最中だ。 

 山奥にある村から武具の制作に使用する材料を輸送する役目に就いた燈は、同じ仕事を任せられた仲間たちと一緒にずっしりと重い荷物を背負ってかれこれ数時間は歩き続けている。
 休憩も無しの強行軍ではあるが、それでもペースが遅れているのか、護衛役の兵士たちは苛立った様子で疲れ果てている生徒たちを急かして先を急ごうとしていた。

「お前たち、早くしろよ! この材料は英雄様たちの武神刀等の装備を作るのに必要なんだ! 一刻も早く妖の脅威に備えるためにも、こんなところで休んでる暇はないぞ!」

「へいへい、わかってますよ。……ったく、そんなに急ぐなら乗り物でも使えってんだ、クソが」

 比較的疲労の色が薄い燈は、声を出す余裕も残っていない他の生徒たちに変わってそう返事しつつ、小さな声で兵士たちに毒づく。
 何かあった時に迅速に動けるようにするためとはいえ、自分たちのように荷物も持たず、ただ急げと言うばかりの護衛たちへの不満をぼやいた彼は、声には出さずに次々とそういった愚痴を心の中でこぼし始めた。

 この大和国、雰囲気としては燈たちの世界よりも時代遅れな感じがあるが、文明はかなり発達している。気力を利用した乗り物や便利な道具の数々も存在しており、服だって近代的で綺麗なものを手に入れようと思えば出来なくもないのだが、燈たちに与えられているのは薄汚れた軍服のような代物だった。
 英雄として祭り上げられている他の生徒たちは普通に綺麗な服を着ているので、経費節約のためにボロ服を与えられているのだろう。

 そういった生徒たちとの差は他にもある。食事だってそうだし、使用出来る設備の権限もそう。
 お腹いっぱいにご飯を食べることも困難であり、風呂も他の生徒たちが使い終わってからひっそりと入るといった感じで、どうにも虐げられているという感覚が拭えない。

 この仕事にしたって、運送用の荷馬車やそれに近しい乗り物を用意することだって出来たはずだが、やはりそういったものを使うコストを削減したいのか、完全に人力での作業にて行われている始末だ。

 それでもまあ、これから命を懸けて化物と戦うことになる生徒たちと、下働き生活とはいえ安全な場所に居続けられる自分たちの境遇を考えたら、この扱いの差にも納得するしかない。さりとて、ここまで馬車馬のようにこき使われても労わりの言葉の一つもないとくれば、腹に据えかねるのも確かであった。

(かといって、喧嘩売るのも馬鹿がすることだしな~……まあ、もう少ししたらこの扱いにも慣れてくるだろ。それまでは我慢、我慢ってね)

 苛立ちを抱えても、不満を漏らしても、何かが変わるわけじゃない。力を持たぬ自分たちが騒いだところで、大和国の上層部が耳を傾けてくれることはないということもわかっている。

 こんな生活を望んだわけではないが、こうなってしまった以上はもう仕方がないと割り切って諦めるしかない。
 燈たちに出来るのは、せめて英雄組の生徒たちが気持ち良く戦いに集中出来る環境を整え、一日でも早く妖を殲滅してくれるように祈ることだけだ。

 この荷物だって、その手助けになることは間違いない。自分の仕事の一つ一つが元の世界への帰還に繋がっているのだと言い聞かせ、思考を放棄しようとした燈であったが、ふと振り返った際に隊列から遅れている一名の男子の姿を見たことで、余計なお節介心が疼き出してしまった。

 胸を抑え、息苦しそうに呼吸を繰り返しながら足を進める男子生徒……その足取りはおぼついておらず、今にもその場に倒れてしまいそうに見える。
 重たい荷物を背負って強行軍に疲労の限界を迎えている彼に近づいた燈は、小さな声で彼へと気遣いの言葉をかけつつ、その背中から荷物を奪い取りながら声をかけた。

「おい、無理すんな。荷物は俺が持ってやるから、ちったぁ体を休めとけ」

「で、でも、他のみんなだって頑張ってるのに、俺だけがそんな楽をするわけには……」

「いいから貸せ。ここでお前に倒れられたら、俺たち全員が足を止めなきゃならねえ。悪いと思うんなら、他の作業で他の奴の倍頑張ればいいんだよ」

 男子生徒から奪い取った荷物を手に、再び隊列の最前線へと戻っていく燈。荷物を代わりに持ってもらえたことで多少は持ち直したのか、男子生徒の様子も徐々に回復していくようだった。

 その分、燈の負担こそ大きくなったものの、体格的に恵まれ、体力にも自信がある彼にとってはこの程度の苦難は屁でもないようだ。荷物を持たないでいる兵士たちと同じペースで進む燈には、まだ余裕の色が見受けられる。

「……あいつ、本当に気力が無いのが惜しいですね。零でさえなければ、かなりの戦力になったでしょうに……」

「だな。恵体だし、物怖じしない良い性格をしている。気力を使って身体強化さえ出来れば、優秀な兵士になっただろうな」

 周囲の兵士たちはそんな燈に対してかなりの高評価を下してはいるが、当の本人はそんなことにはまるで気付かず、心の中で彼らに対する毒を吐き続けながら、えっちらおっちらと重い荷物を背負って足を進めるのであった。

――――――――――









―――――――――― 

「あーー! 今日もクソ疲れた! しんどっ!!」

 夜、燈は自分たち小間使い組の生徒たちに与えられた小屋の中でその日の疲労を愚痴るかのような叫びを上げる。周りの生徒たちはそんな彼の叫びをうるさがる余裕もなく、同じ小間使いの女子たちが持って来てくれた夕食を黙々と食べ続けていた。

 具の無いただの塩むすびが一人につき二つ、これが燈たちの夕食だ。おまけ程度にお茶が湯飲み一杯分だけ用意されているが、こんなもので腹が満たせるはずもない。

 英雄扱いされている生徒たちが食べている豪華な食事の献立を知っている彼らは、自分たちと彼らの扱いに嘆きながらも、仕方がないことなのだと自分自身に言い聞かせて塩むすびを一口一口噛み締めるようにして食していく。
 対して燈は、そんなちみちみと食べていても物を食べた気がしないとばかりに大口を開け、あっという間に自分に配給されたおむすびを食べ終えてしまった。

「は~、ごっそさんっと。やっぱ足りねえよな、マジで」

 ゆっくり食べようと、一気に食べようと、食事の量は変わらない。空腹が完全に満たされることは無いという事実も変わりはしない。

 そのことを独り言で愚痴った燈がズズズと音を立てて茶を啜っていると、ふらふらと彼の下に歩み寄ってきた男子生徒が自分の握り飯を差し出してきた。

「これ、食べますか? 俺、疲れ過ぎて胃が物を受け付けなくって……」

「あん……?」

 差し出した塩むすびと、自分の前に立つ男子の顔を交互に見比べた後、燈はそっぽを向き、手にしていた湯飲みを置いてから口を開く。

「無理にでも食っとけよ。そうじゃなきゃ、また昼間みたいに倒れかけちまうぞ」

「……すいません」

「別に責めてるわけじゃねえさ。こんな世界で奴隷みたいにこき使われた挙句に餓死しちまうだなんてのは真っ平御免だろ? 少しでも栄養取って、体力つけとけ。今はしんどいかもしれないが、その内に慣れる。そこまで耐え抜くためにも、飯は食っとけよ」
「……はい」

 ぬぼーっとした風貌の、痩せぎすの体形をしたその男子生徒は、燈の言葉に素直に従って握り飯を齧り始める。昼間同様に苦しそうな表情を浮かべている彼の様子を横目で伺いながら、燈は彼との会話を試みた。

「お前、名前は?」

「……田中正弘たなかまさひろ、です。1-Cクラスに所属してました」

「そうか、正弘だな。俺は2-Aの虎藤燈だ」

「知ってます。先輩、有名人ですから……」

 ごくりと、喉を鳴らして握り飯の一口を飲み込んだ正弘は、おどおどとした口調でそう燈へと告げた。彼のその態度や有名人という言葉にもに違和感を覚えることもなく、燈は半笑いの表情で会話を続ける。

「当ててやろうか? 三年の誰それを叩きのめしただとか、他校の奴らに喧嘩売られて返り討ちにしたとか、そういう噂で有名なんだろ?」

「……正解、です。虎藤先輩、切れたら手が付けられなくなるヤバい人だって話を聞いてて、正直怖かったんですけど……こうして話してみたら、案外良い人なのかもって、思ってます」

「そうだろうよ。俺だって何の理由も無しにブチ切れる男じゃあねえんだ。俺を怒らせる理由を作った奴に大体の責任はあるんだよ」

「……でも、普通の人間はそこで評判が立つくらいの大騒動は起こさないと思いますよ」

「ははっ、だな! でもまあ、普段の俺は優しくて後輩思いの良い奴なんだぜ? ここでの生活を見てりゃあ、お前にだってわかるだろ?」

「……それ、自分で言います?」

「おっ? 言うじゃねえか。お前、結構度胸あるじゃねえかよ」

「……恐縮です」

 悪名高い不良の燈と、見た目が完全にいじめられっ子の正弘。傍から見ると不良が後輩からカツアゲをしているような絵面にも見えなくはないが、当の本人たちは意外なまでに楽しく会話を続けている。

 もしかしたら、決して友人が多くない者同士で謎のシンパシーが発生していて、それが燈と正弘の距離を縮めているのかもしれない。
 なんにせよ、両者はこの世界に来て初めて他者とのコミュニケーションを楽しんでいた。

「その、昼間は本当にありがとうございました。俺、生まれつき体が弱くて、体力もないせいでとんだご迷惑を……」

「気にすんなよ。あんなの、運動部の奴らだって音を上げるに決まってるぜ。行って帰ってこれただけでも十分だよ」

「にしては、その……先輩はぴんぴんしてましたよね? やっぱり、喧嘩とかで鍛えられてるんですか?」

「あ~……そうなんじゃねえの? あとは単純に気合の問題だよ、気合!」

 正弘から昼間の荷物運びについての話を振られた燈はそう答えながらも、何処か不思議だという感覚が拭えずにいた。
 確かに運動全般は得意だが、継続的に何かのトレーニングをしているわけでもない自分が、決して軽くはない荷物を二人分抱えた状態で数時間にも及ぶ強行軍を行っても平然としていられたことには疑問が残る。

 自分以外の男子たちが疲労困憊といった様子でいるのに対して、燈は食欲もしっかりある上にまだ体力的な余裕すら存在していた。
 この差は何なのだろうかと考えこんだ燈は、他の小間使い組の男子の様子を確認した上で、ある結論に達する。

(これ、俺が凄いんじゃなくって、他の奴らがだらしないだけなんじゃねえのか? どいつもこいつも、運動が得意って感じじゃねえしな……)

 周囲を見回してみれば、小屋の中にいるのは不健康そうな男子ばかりであることに気が付くだろう。
 彼らは皆、正弘のようにやせ細っていたり、逆に肥満体であったりと、燈のような引き締まった健康的な肉体とはかけ離れた体形をしている。恐らくは運動も苦手で、トレーニングなんてものとは縁のない生活をしていた彼らの身体能力がかなり低いものであることは容易に想像出来た。

 そういった肉体と精神面での屈強さの差が疲労の感じ方として出ているのだろう。
 その考えを口にすれば彼らの不興を買うことは必至なので適当な解答でお茶を濁しておいたが、一応は納得のいく答えを導きだせたことで満足した燈は、これ以上この話題に触れてついつい口を滑らせないようにと話を切り替えることにした。

「にしても、本当に面倒なことになっちまったな。それなりに快適な毎日から一変して、異世界で奴隷みたいな扱いを受けるようになるなんてよ」

「それもこれも、俺たちの気力が基準値に達していないからなんですよね。同級生たちの殆どが英雄扱いされてるのに、俺たちだけこんな感じだなんて……正直、悔しいですよ」

「……まあ、そうだよな。普通に考えて、格差があり過ぎるよな……」

 俯いた正弘の、喉の奥から搾り出されたような悔し気な声に表情を曇らせた燈は、その意見に同意して大きく頷いた。
 そうして、再びぐるりと小屋の中を見回した彼は、死んだような眼をしながら握り飯を食べ続ける小間使い組の仲間たちの姿に何とも言えない感情を覚える。

 この小屋に押し込まれている男子の数は十八名。もう一つの同じような小屋には女子が十四名。合計三十二名の生徒たちが、妖との戦いでは役に立たないと判断されて小間使い組へと回されたことになる。
 学校全体の生徒数が五百名近いことを考えると、おおよそ十五人に一人の割合で不適合者がいるという結果だった。

 彼ら、もしくは彼女らは、有している気力の量が人並み以下ということで役立たずの烙印を押された者たちだ。噂によると、彼らが引き抜いた試し刀の刀身は、豆電球程度の光しか放たなかったらしい。
 巫女である花織がランタンの灯火を思わせるような輝きを放ったことを考えると、最低でもあの程度の光を生み出せなければ話にならないということだ。

 それでも一切の光を発することが出来なかった自分よりかはましだろうと考えながら、燈は隣に座る正弘を横目でちらりと見やった。彼は食事の手を止め、先ほど同様に俯きながら、声を搾り出すようにして自身の心情を吐露している。

「なんなんですかね、これ。いきなり普通の生活を奪われたかと思ったら、役立たず呼ばわりされて……他の奴らが快適で楽しそうな生活を送ってるっていうのに、俺たちだけこんな扱いだなんて、惨めすぎますよ……」

「……そうだな。わかる、わかるぜ。役立たずだっつーんなら、元の世界に帰してくれってんだよ」

「こんな、惨めさを思い知らされるような扱いをする必要なんてないじゃないですか……でも、そんなことを言っても、どうせ役立たずが嫉妬してるって思われたり、直接そう言われたりするんです。弱いくせに文句言うなって、そんな風に意見を押し潰されて終わりですよ。あいつら全員、死ねばいいのに……!」 

「おい、それは言い過ぎだろ? 悔しい気持ちはわかるけど、同じ学校のクラスメイトじゃねえか」

「でも、立場が違います。今のあいつらは英雄で、俺たちは奴隷なんです。あいつらには力があって、俺たちには無い。俺たちは同じ世界から来た人間ですが、立場はもう同じじゃない。その証拠に、あいつらは俺たちのことを見下してるんですから……!」

 周囲の目も気にせずに大声を出した正弘は、握り締めた拳を畳の床へと思い切り振り下ろした。彼の言葉と、その態度からは、尋常ではない悔しさが感じられる。

 きっと、正弘も無能判定を受けた後に辛い目に遭ったのだろう。彼の口にした「他の生徒たちは自分たちを見下している」という発言には、燈にも心当たりがある。2-Aのクラスメイト……であった、竹元順平が扇動した罵倒の言葉がそれだ。

 燈には気力が存在していないと知ったその瞬間から、彼らは燈のことを見下し始めた。
 特に恨みを買った覚えも、それどころか深く関わった覚えもない相手からあそこまで酷い言葉を投げかけられる理由があの時はわからなかったが、彼らはただ自分たちよりも下の人間を見つけて、それを馬鹿にすることを楽しみたかったのだということに、後になって燈は気が付いた。

 異世界にて英雄として扱われる自分たちとは違う、何の役にも立たないと判断された無能の集団。カーストの頂点と底辺程の差がある立場が、クラスメイトたちを調子付かせてしまったのだろう。

 自分たちは凄いが、燈たちはそうじゃない。英雄という最上級の立場を手に入れた自分たちが、最底辺の奴らをどう扱おうとも咎められることはないと、本気で彼らは思っているのかもしれない。

 スクールカーストという言葉があるように、子供たちは自分や他者にランクを付けたがる。この大和国に転移し、気力の測定を行ったあの時、燈たちの間には新たなランク付けがなされてしまったのだ。そして、人並み以上の気力を持たない燈たちは、そのランク付けでも論外という立ち位置に定められてしまったということである。

 人間という生き物は、自分の持つ立場に酔いやすい。特に日本人はその傾向が顕著だ。

 英雄として崇められる大多数の生徒たちと、彼らのために日々紛争する一部のあぶれ者の生徒たち。
 時間が経つにつれ、両者の間にある立場の差はより明確なものになっていくのだろう。大多数の生徒たちはより傲慢に、少数派の生徒たちはより卑屈になっていく。力の有無、ランク付けによる認識は、案外馬鹿にならない影響を及ぼすものなのだ。

 きっと正弘は……いや、小間使い組の生徒たちは、その雰囲気を敏感に感じ取っているのだ。訓練を重ね、武神刀を手に入れ、着々と力を得ていく生徒たちが、慌ただしく動き回り、戦いとは無縁の下働きの毎日を送っている自分たちを小馬鹿にしていることを感じ取っている。

 それはもしかしたら、彼らの被害妄想なのかもしれない。卑屈になりつつある小間使いたちが、他者を羨むあまりに生み出された妄想の産物だという可能性も無きにしも非ずだ。
 しかし、順平たち一部のクラスメイトから受けた仕打ちを思い返した燈には、それが完全なる杞憂であるとも思えなかった。

「元気出せよ。そんな風に卑屈になってちゃ、体よりも先に心がいかれちまうぞ」 

「……すいません。こんな、下らない愚痴を聞かせちゃって……」

「気にすんな。弱音吐いて、心が楽になるんなら、それでいいじゃねえか」

「……はい」

 ぽん、と正弘の背中を叩き、励ましの言葉をかける。少し冷静になったのか、バツの悪そうな表情を浮かべる彼に対して、燈は苦言を呈することもせず、ただ静かに励ましてやった。

「昼間のこととか、こんな話を聞かせちゃったりとか、虎藤先輩には迷惑をかけっぱなしですね。本当、すいません」

「何回も言ってるけど、気にすんなよ。同じ境遇の仲間同士、助け合って頑張っていこうぜ」

「……はいっ!」

 愚痴を吐けたことや燈の励ましの言葉のお陰で多少は心が軽くなったのか、正弘は嬉しそうな笑みを浮かべながら燈へと返事をした。食べきれないと言っていた握り飯もいつの間にやら完食しており、不安定気味だった彼が立ち直れたことを素直に燈も喜ぶ。

 辛く、苦しく、どんよりとした毎日だが、良いことが無いわけではない。心を晴れやかにする出来事もあるということを再確認した燈が、ちょっとした気恥ずかしさにはにかんだ時だった。

「失礼、明日の作業時刻についての言伝を預かってきたんだが」

 がらりと音を立てて小屋の扉が開き、伝令役と思わしき下男が中に入ってくる。男子生徒たちの中で一番余力のあった燈は、生徒たちの代表として彼から話を聞くことにした。

「はいはい、なんでしょうかね?」

「ああ、明日の作業開始時間だが、朝の八時から十時に変更になったそうだ。そう長くはないが、眠る時間が多く取れるぞ」

「へえ、そいつはありがたいな! 明日の朝は十時からの作業開始に変更っと……わざわざありがとうな、おっちゃん」

「確かに伝えたぜ。それと悪いんだが、女子たちへの言伝を俺の代わりにやっちゃくれないか? なんかこう、若い女が沢山居る所に行くと、尻がむずかゆくなっちまうんだよ」

「ははは、なんだよそれ? しょうがねえなあ、俺が代わりに行ってやるよ」

「恩に着るぜ! そんじゃあな! 今日は風呂入ったらゆっくり休めよ!」

 燈に対して手を合わせ、頭を下げて感謝した男は、急ぎ足で元の仕事場へと戻って行った。異世界の人間を相手することに慣れられないのは向こうも同じなのかと苦笑した燈は、正弘へと振り返って彼に用件を告げる。

「つーわけだ。俺は女子に今の話を伝えてくる。お前は念のため、男子たち全員が話を聞いてたかどうか確認して、聞いてなかった奴には改めて作業時間の変更を教えておいてくれ」

「わ、わかりました。お気を付けて、いってらっしゃい」

 ん、と正弘に生返事を返し、手をひらひらと振って男子たちの住処を出た燈は、夜空に輝く満天の星を眺めて大きく伸びをした。月だとか、星だとかの天体がこの世界にもあるのかどうかは怪しいが、それに近しいものはあるのだなと頷きながら歩き出す。

 目的地は数十メートルも離れていない女子たちの生活小屋。ものの数分で行って帰って、特に問題もなく終わる仕事……の、はずだった。
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