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第二章・少女剣士たちとの出会い
蝮の弱点
しおりを挟むもう片方の立ち合い。蒼と蝮の試合は、燈たちのそれとは真逆の様相を呈していた。
端的にいえば、静かだ。無音、といってしまっても過言ではない。
蒼と蝮は、お互いに距離を空けて向かい合ったまま、互いに微動だにしていなかった。
「なんであっちの人は蒼さんに攻撃を仕掛けてないの? あの人の刀も、お兄さんと同じはずじゃ……?」
「……もう、見切られてるんだよ。蒼くんは、あの武神刀の攻撃範囲の外に出てる。『おろち』の切っ先が届かない位置にいるから、攻撃を仕掛けたくても仕掛けられないの」
「え……? で、でも、それって……?」
普段の正眼の構えではなく、『時雨』の切っ先を地面に触れさせるかどうかの位置に構えている蒼。
刀を持ち上げない下段の構えは、持久戦において非常に効果的な構えだ。
相手の体力や気力を消耗させることに重点を置いたくちなわ兄弟の戦法にうってつけの構えを取っている彼は、至極落ち着いた様子で対戦相手である蝮へと声をかける。
「攻めてこないのかい? どうにも、おかしな真似をするじゃないか。一方的に相手を嬲ることを得意としながら、どうして僕を休ませてくれる?」
「ちっ……!!」
蒼のもっともな指摘に対して、腹立たしいとばかりに舌打ちを鳴らす蝮。
確かに彼は今、『おろち』の射程範囲外にいるが、そんなものは蝮自身がその場から動くだけでどうとでもなる問題なはずだ。
しかし、蝮はそういった動きを一切見せず、ただ相手を待ち続けている。
剣術において素人であるこころですらも違和感を覚えるその立ち回りを目にした蒼は、小さく笑みを零しながらこう言い捨てた。
「当ててあげようか? 君は動かないんじゃない、動けないんだ。何故なら、射程範囲内にいる敵を一方的に嬲る以外の戦法を知らないから……違うかい?」
「ぐぅっ……!!」
その呻きが、眼を見開いた蝮の表情が、全てを物語っている。
そう、その通り……彼は、その場で動かずに『おろち』の能力で相手を嬲り殺す以外の戦い方を知らないのだ。
師からも、兄弟子からも、徹底的に『おろち』の扱い方を叩き込まれた。
これが一族秘伝の戦い方の基礎であると、これを習熟することから全てが始まると、そう厳しく言い聞かされ、蝮は『おろち』の扱いならばほぼ完璧に身に着けていたのだが……それ以外のことは、からきしなのだ。
師からの教え、不用意に動くな。
敵を動かし、消耗させることが『おろち』を使った戦い方の基本。故に、相手に近づいたり、逆に必要以上に距離を空けるなどということはあってはならない。
兄からの教え、自分が常に優位であるという余裕を持て。
どっしりと構え、相手が策を弄しようとも動揺することなく自分の戦い方を貫け。そうすれば、必ずや勝利を掴めるはずだ。
その教えを、蝮は従順に守り続けていた。
師の言う通りに必要以上に動かず、兄の言う通りにどっしりと構えることで、自分の戦い方……『おろち』の特性を活かした戦法を相手に押し付けるという基礎を徹底して貫いていた。
だが、それは師の教えを絶対のものと信じ、全てを託しているのではない。
単純に、蝮はそれ以外の戦い方を知らないのである。
「君の武神刀の操作能力は大したものだ。いやはや、恐れ入ったよ。でも、その便利な能力に頼り切りで、本当の基礎の部分が身についてない。そりゃあ、やよいさんに勝てないはずだ」
「貴様ぁ……! 見もしないで、好き勝手なことを言うな!」
「見なくても、こうして君と立ち会えばわかるさ。君の戦法は強力だけど、その一本の戦術だけで全ての戦いに勝てるわけじゃない。君の射程範囲の外側から攻撃を繰り出されて負けるか、あるいは君の調子を崩すことで得意の戦法を放棄させられて対等な勝負に持ち込まれた結果に負けるか……勝負の内容が、展開まで事細かに想像出来るね」
「ぐっ、ぐぐっ……!」
これまた、その通り。
自分とやよいとの戦いをまるで見てきたかのように言い当てた蒼に対して、蝮は屈辱と怒りを入り混じらせた感情を抱く。
『おろち』の射程範囲も、自分の弱点も、全てを見透かして余裕の表情を浮かべる蒼をぎりりと歯軋りしながら睨む蝮を心配した狸男は、若干慌てながら彼へと声援を送った。
「お、落ち着くんや、蝮! 敵はお前さんを挑発して、調子を崩そうとしとるんや! 少なくとも、そのまま睨み合っとけば負けることはない! あのちび娘との戦いでは、毎回煽りに負けて得意な戦い方を捨てるから負けとるんや! 普段通りの戦い方をすれば、お前は無敵やで!」
「……あ、ああ、そう、だ……! 平常心を、保て……! 俺は、負けない! 強いんだ……っ!!」
雇い主からの助言で冷静さを取り戻した蝮は、自分に言い聞かせるようにして呟く。
そんな彼を真っ直ぐに見つめていた蒼は、静かな声で淡々と自分の意見を述べた。
「君は、幾つか勘違いをしている。君がやよいさんに勝てない理由は、彼女が卑怯な手段を使うからじゃない。単純に、積み上げてきた修練の差だ」
「そんな挑発、もう俺には効かんぞ! 俺を怒らせるためだけにあの女を持ち上げているようだが、そう上手くは――」
「僕は事実を言っている。確かに君は武神刀の扱いという部分では大した腕前さ。だが、それ以外の部分はまるでなっちゃいない。刀の振り方、体捌き、戦況を見極める目と判断力……そのどれもが、圧倒的にやよいさんの方が上だ。彼女は君の何倍も努力して、それらの技術を身につけた。それを女特有の卑怯な戦法と言い切っている時点で、君が彼女に勝てる芽はなくなっているんだよ」
「なん、だとぉ……!?」
「わーっ! 蝮! 平常心や! 怒るな、怒るな!!」
蝮の細く骨ばった顔が真っ赤に染まる。
目が飛び出さんばかりの憤怒の形相を浮かべ、殺意を漲らせて蒼を睨む彼に対して、蒼もまた真剣な表情を浮かべたまま口を動かし続けていた。
「もう一つ……君はこのまま睨み合っていれば負けはしないと思っているみたいだけど、それは大きな勘違いだ。戦いは常に動き続けている。自分が止まっていたとしても、相手が同じようにしていてくれるとは限らない。戦況が硬直しているように見えても、水面下で何かが動いているってことを忘れるな……って、これ全部師匠の受け売りなんだけどさ。僕が何を言いたいかっていうと……」
そう口にしながら、下段に構えていた『時雨』の切っ先を浮かび上がらせていく蒼。
得意の構えである中段を取り、真っ直ぐに蝮の目を見つめた彼は、静かに、ただ静かに……その事実を彼へと告げた。
「……もう、終わってるよ」
その言葉と共に、蝮の前にある地面がひび割れる。
驚き、視線を下げた彼が目にしたのは、自分目掛けて噴射される鋭い間欠泉だった。
「おごっ……!?」
一直線に自分の鳩尾に飛び込んできた鉄砲水の威力に悶絶する斑。
予想外の不意打ちであり、勢いのある水流をまともに急所に受けた彼は、その痛みに体をくの字に折り曲げて苦悶の声を漏らす。
呼吸が出来なくなった。集中力が途切れた。敵を見失い、その動きを把握出来なくなり、完全に体勢を崩された。
そして……その隙を蒼が見逃すことなど、絶対にあり得ないことだった。
「ぎゃあっ!?」
蝮が隙を晒すことを予知していたかのように、鋭い踏み込みを見せて彼との距離を瞬時に消滅させた蒼が『時雨』を振う。
横一文字に、蛇の長い体を両断するように、僅かな水の気力を帯びたその一閃は見事に蝮の胴を薙ぎ、そこに一陣の剣閃を残した。
短い断末魔の悲鳴を上げ、ドサリとその場に崩れ落ちる蝮。
その背中に貼られていた護符が四散し、弾け飛んだ様子を見た桔梗は、小さく頷くと勝者の名を大声で叫ぶ。
「それまで! 勝者、蒼!」
「や、やったぁ! 蒼さん、やっぱり強い!!」
地面に倒れ伏す蝮と、それを見降ろしながら『時雨』を鞘に納める蒼。
戦いの決着としてはあまりにも理想的なその様子を目の当たりにしながら、こころが仲間の勝利に大喜びする。
痛みに気を失ってしまった蝮にもしっかりと礼をしてから燈の戦いを見守る観客席へとやって来た蒼に向け、ニコニコと笑みを浮かべるやよいが話しかけてきた。
「流石だね。地面を掘り進む水流を作り出して敵を急襲する水の剣技『土流突』……技を出すまでの時間稼ぎも完璧だったんじゃないかな!」
「褒めてもらえるだなんて光栄だよ。少しまでに同じような戦い方をする相手と戦った経験が活きたみたいだね」
「にししっ! それはよかった! ……でも、相手を強くするような助言はしてほしくなかったな~! これからもあいつと戦い続ける立場のあたしの身にもなってよ!」
「それは……ごめん。でも、やよいさんなら彼が今までより強くなっても、なんとか出来そうな気がしたから……」
「ふ~ん……ま、いっか! あなたが多少小狡い戦法を使えるようになったことに免じて、許してあ~げる!!」
ぺこりと頭を下げた蒼に対して、少し機嫌がよさそうな笑顔を浮かべたやよいが言う。
やよいは、この戦いにおいて蒼が勝利したことよりも、彼が手練手管を用いて相手を下したことの方を喜んでいるようだ。
やはり、彼女は読めないなと思いながら、戦いを終えた蒼は弟弟子の勝負を見守り始める。
彼が視線を向けた先には、斑からの攻撃を懸命に弾き続けている燈の姿があった。
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