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第三章 妖刀と姉と弟
もう一人、堕ちる
しおりを挟む「どうしてだぁ? なんで、みんながこんな目に……!?」
崩壊した村の、壊れた我が家にて、若い青年が一人涙を流しながら床に蹲っていた。
彼の名は鼓太郎。つい先日、嵐の手で皆殺しにされた村の出身で、唯一の生き残りだ。
事件が起きた夜、彼は用事があって村を出ていた。
そのお陰で被害に遭うことはなかったが……親しい友人も、想いを寄せていた女性も、大切な家族さえも皆殺しにされたその心の苦しみは、いっそ彼らと共に死んでしまった方が楽だったと思わざるを得ない程に痛々しいものだ。
「俺たちが、俺たちが何をした!? 何も悪いことなんてしてなかったじゃないか! どうしてみんなが殺されなきゃならなかったんだ!? どうして……っ!?」
ただ一人、死臭が漂う家の中で怨嗟の声を上げながら鼓太郎は泣き崩れる。
ほんの少し前まではこの村で平穏に暮らし、多少の山谷はあっても幸せな日々がずっと続くと思っていた。
それなのに、その未来は愛する者たちの命と共に悪意に満ちた何者かによって奪われてしまった。
大切なものを全て奪われた彼は、亡骸のようになって人気の無い村で延々と嘆き続けている。
このまま衰弱し、死を迎えることすらも受け入れている彼の頬はこけ、死神のような人相となりながらも飲まず食わずでずっと憎しみと悲しみを口にし続ける彼は、胸の中に満ちるどす黒い想いを憚ることなく漏らした。
「殺してやるのに……俺に力さえあれば、みんなの仇を取ってやれるのに! みんなを殺した犯人を、この手で縊り殺してやれるのにっ! どうして俺は、弱い……!?」
大切な者たちの命を奪った辻斬りを倒し、仇を討ちたいと何度も思った。
しかし、ただの農民である鼓太郎には剣術をはじめとした武道の心得はなく、武神刀どころか普通の刀すら所持していない有様だ。
そんな自分が辻斬りに挑んでも、情けなく返り討ちに遭うだけ……何も成せず、皆の無念も晴らせず、刀の錆になるだけだということが判っていた。
だが、それでも親しい人々の命を奪った相手への恨みは募るばかりで、そんな相手に対して何も出来ない自分自身が不甲斐なくて……そうやって、自分自身を責め、憎しみを滾らせ続けながらも何も出来ないでいた彼が、ぼんやりと天井に空いた穴から煌々と輝く月を見上げていた時だった。
「……差し上げましょうか? あなたに、復讐を果たせるだけの力を」
「えっ!?」
聞き覚えのない声が背後から響いたことに驚き、痩せこけた体を飛び上がらせた彼が目にしたのは、美しい少女の姿だった。
暗い紫色の長髪を湛えた彼女は、慈しみと憐れみに満ちた眼差しを鼓太郎へと向け、静かで綺麗な声で彼を唆す。
「あなたは、とても可哀想な人。罪なき者でありながら、理由なき悪意によって全てを奪われた……あなたには、理由がある。他者の命を奪う理由が、復讐という名の正当な理由が、あなたにはある……」
「な、なんだおめぇは? いったい、何を……!?」
「それは今のあなたが知るべきものではない。あなたが今、すべきことはたった一つだけです」
そう言いながら、少女は鼓太郎へと一本の刀を差し出した。
深い茶色の鞘に納められた、波打つ水の形をした鍔が特徴的なその刀と少女の顔を交互に見比べる鼓太郎へ向け、彼女は穏やかに言う。
「この刀があれば、あなたはきっと皆の仇を討てるでしょう。しかし、その代償としてあなたは滅びの道に進むかもしれない……今ならまだ間に合います。復讐を忘れ、拾った命を活かして平穏な日々を取り戻すことが出来る。ですが、もしもあなたがそういった未来を捨て、修羅の道を進むというのならば……この『泥蛙』が役に立つでしょう」
「『泥蛙』……! これさえあれば、みんなの仇を……!!」
突如として舞い降りた幸運。力を持たない自分が得られる、最後にして最大のチャンスを目の当たりにした鼓太郎の瞳が、久方ぶりに光を取り戻す。
しかして、その光は希望に満ちた輝かしいものではなく、狂気を孕んだ危険な光だった。
「さあ、選びなさい。大切な者を奪った相手に復讐を果たすか、それを忘れて抜け殻のように生きるか……全てはあなた次第ですよ、鼓太郎さん」
天使のような悪魔の囁きとは、こういうものをいうのだろう。
言われている方はそこに邪気を感じない。自分のことを心から想い、その手助けをしてくれていると思い込んでしまえる優しい言葉。
しかし、その裏には読み切れないほどの悪意と野望が秘められている。この少女もまた、表情こそ穏やかに微笑んでいるが、その目はまるで笑っていなかった。
「……本当に、これさえあればみんなの仇が取れるのか?」
「それはあなた次第ですが、あなたに絶大な力を与えてくれることは間違いありません。それに、もしかしたらこれを使ってもあなたは破滅しないかもしれない。呪いにも負けない強靭な意思と心を持ち、妖刀の力を我が物とする人間……それこそが、私たちが求めている存在。あなたももしかしたらそうなれるかもしれませんね」
「……次なんて、関係ねえ。俺は死んだとしても、みんなの仇が取れればそれでいい。どうせ、このまま死のうと思ってた身だ。それなら――!!」
このまま復讐を果たせず死んだように生きるくらいならば、破滅の道だとしても仇を取れるだけの力を得たい。
覚悟を決め、少女が差し出す『泥蛙』へと手を伸ばした鼓太郎は、憎しみと恨みに全てを任せて外道へと堕ちた。
ゆっくりと、両手で握った妖刀を鞘から引き抜き、鈍い輝きを放つ刀身と、そこに映る自分の双眸を目にする鼓太郎。
その瞳に宿っていた狂気がじんわりと激しさを増し、確固たる殺意へと変貌していく様を眺めた少女は、ふわりと風に乗って何処かへ消えてしまった。
「楽しみにしていますよ、鼓太郎さん。あなたが成長を果たし、次のステージに至ることを、私は願っていますからね。ふふふ、あはははは……!!」
鼓太郎の瞳に宿る狂気にも負けない少女の狂った笑い声が響く廃屋の中で、一人の復讐鬼が生まれ堕ちる。
殺意と、憎しみと、怨念を纏った鼓太郎は、自分たちの未来を奪った憎き相手を討ち果たすために、妖刀『泥蛙』を携えて行動を開始するのであった。
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