奇しくも人間ですからね。

秋音なお

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狂信、盲いた養分。

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『お前は人を殺したかったのか』

 改めて問われると答えに詰まる。
 どうだろう、か。
 イエスとは言いきれないくらいだろうか。
 殺人に対して、俺は幼少期からささやかな興味があった。

 この際、きっかけなんてそんな無粋なことは聞かないでくれ。
 そんなものがあったなんて俺は正直思っていない。
 第一、あったとしてもそんなもの覚えているはずがない。
 ただ溜まっているなにかを吐き出す手段が欲しかった。
 だから相手なんて本当に誰でもよかった。

 そんな雑草のように勝手に芽生えた理不尽な破壊衝動。

 というか、そんなものを聞いて一体なんになる。
 お前ら大衆がただただ知りたいだけだろう。
 マスメディアの本質なんてたかが知れてる。
 知ったとて大した正解に辿り着くこともできない無能どもが。
 そういう高みの見物を、格差社会って呼ぶんだよ。

 理由なんて所詮、後づけに過ぎないと思っている。


 俺は生臭さの立ち込める部屋の中、壁に凭れるように床へ座った。ポケットから安い煙草を取り出し、ライターで火をつける。吸って吐いての繰り返し、煙をそれなりに嗜む。このふたつの臭いとやらは大層相性が悪いらしく、混ざったものが鼻腔を刺すとひどく噎せた。最悪の組み合わせ。しばらくたって灰になった吸い殻を指で弾いて遠くへと飛ばす。
 適当に飛んで、適当に不時着して、適当に火は消えた。

 目の前には、かつて生娘だった死体が転がっている。

 澄んだ赤い目をした十代の少女の死体は大小幾つもの肉片へとなっていた。乳白色をした柔肌も鮮血にて所々コーティングされている。もちろん衣服なんて剥がされて全裸の死体はそれなりの丸みを帯びたセクシュアリティを孕んでいたが、色慾のひとつも湧かなかった。ただの肉片として並んでいるなにか、芸術品というよりは消耗品のように思えた。
 肉片のひとつを手に取る。かつて、少女の右腕を構成していた一部。もう冷たくなった肉片。それは細身であり、食材としては適さないであろう骨と皮が大半を占めるような肉片であったが、それでも黒人である俺とは真逆の乳白色にはどうも万物を救う一縷の光が宿っているように見えた。

 人工色のような、天然の乳白色。

 少女はアルビノだった。アルビノというのは、先天性の色素欠乏症のことである。生まれつき、肌や髪が異常なまでに白い生物。人間に限らず、地球上に存在する生物では稀に見られる個体。また、それは白人や黄色人種に限ったものではない。俺たち黒人の場合であれど、平等に該当する。
 そしてなんでもこのアルビノの体には神の力が宿っていて、そんなアルビノの体の一部分を手にすれば幸運が訪れると言われていた。どんな人間であれど、必ず報われる、救われる、と。
 俺はそんな噂のような話を信じるしかないくらいに生活が困窮していた。金もなければ愛も知らない。誰かの温もりなんて疾うの昔に忘れた。俺の手元に残るのは微かな財だけ。そんな俺に正常な判断ができるなんて思えるか、答えは当然否。

 だから俺は少女を殺した。

 その信仰が一体どれほどまでに俺たち困窮者の心を動かし、手という手を伸ばさせたことだろう。殺してしまえばあっという間の一部始終として消化されてしまうが、あの高揚はどんなドラッグにも負けず劣らずの快楽だった。
 俺はそのかつて腕であった肉片に歯を立て、数センチほどを噛みちぎった。くちゃりくちゃりと口の中でゆっくりと咀嚼し、そのままごくりと喉を鳴らす。胃袋へとゆっくりと肉片が落ちる、その鈍い音すらも聞こえた。

 肉片はひどく不味かった。

 人間というのは食用に向かないようだった。濁音混じりでぺっ、と口内の残滓を吐く。包装だけが煌びやかでチープなスナック菓子みたいだと思った。

『……悪く思わないでくれよ』

 俺は先程齧った腕をはじめとした、パズルのように散乱した肉片をひとつひとつ、透明なビニール袋へとしまっていく。ひとつのビニール袋に肉片をひとつ入れ、その口を縛る。次のビニール袋も、また、さらに次のビニール袋も、同様に。そして予め用意していた、数字の羅列する値札をそれぞれに一枚ずつ貼りつけると、これでやるべき全ての工程が終了する。

 歪んだ神格化を成し遂げた呪物の完成である。

 俺は二本目の煙草に火をつけ、煙を弄びながら某人間と液晶越しにいくらか会話を交わす。ここに来るように伝えると、相手はわかった、と即答して会話を切り上げた。

 時間はあまり残されていないと悟った。

 俺は煙草も途中で床に捨て、それを靴底で強く強く踏みにじる。その後潔く白い半紙に花緑青のインクを詰めた万年筆で自供の言葉をしばらく綴り、残ったインクは全て飲んだ。インク瓶の中身だけじゃ乾きは癒えず、万年筆を分解してまで舐めて摂取した。万年筆用のインクが食用なわけがない。味はひどく不味かったが、それでもあのさっきの肉片よりはずっとずっとマシだった。

 あとはきっと時間が解決してくれる。
 諦めるように壁に体重を預けた。
 酩酊には程遠い、倦怠感が思考の足枷となる。
 どろり、と例うような曖昧と揺らぎ。
 身体が熱を帯び始める。
 喉の焼けつく症状は、これは果たして贖罪なのか。
 ぎろり、と動く眼球に尋ねても誰も答えない。

 俺は待ち望んだ瞬間を待っている。
 心臓は故に拍動を増して駆け抜けていく。
 今か今かと待ちくたびれている。
 遠くで幾つかの足音がする。
 後は全ての人間が勝手に折り合いをつけるだけ。

 こうして過ちの輪廻が繰り返されていく。
 この瞳に映る事象だけが正解とは限らない。
 すれ違う思想の軋轢こそが、真の議題である。

 俺はこうして、晴れて大衆の盲いた養分となった。
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