秋音なお

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終話

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 先輩は死んだ。
 僕を巻き込むことなく、一人で自己完結させた。
 心中ではなく、自殺という手段をとった。
 僕を置いて、一人で逝ってしまった。

 あの朝、僕は狂ったように声を張り上げ、どろどろに先輩の姿を探した。
 きっとまだ近くにいるなんて言い訳のような幻想を抱いて信じていた。
 信じたかった。信じ込まなくちゃいけなかった。

 だって本当はわかっていた。
 僕はちゃんと見つけていた。

 昨日先輩が眠っていたところで見つけていた。
 小さな正方形をしたスケッチブックが不自然に置いてあった。

『拝啓、君へ』

 スケッチブックを開くと一枚目には他人行儀な一文が綴られていた。
 使われているのは、多分油性ペン。
 意図せずなにかで濡れてしまったのか。
 文字の端っこが円を描くようにじわりとにじんでいる。

 次の紙を捲るとそこには鉛筆を使って描かれたであろう、モノクロの僕がいた。
 胸より上、バストアップの範囲が証明写真のような構図で描かれていた。
 芸術学部の学生というのもあって、絵はもちろん上手かった。
 僕の顔というのは平凡なものだと思っていた。
 でもそんな僕の顔の癖なんかを上手く捉えて描かれている。
 そんな僕の絵だったけど、実際の僕とはいくつか違うように描かれていた。

 右耳にあけられたはずのピアスは左耳に描かれていた。
 一重の瞳は二重にかさ増しされていた。
 はにかみ方が本物より綺麗に整っていた。
 美化されている。

 もしかして他にも絵があるんだろうかと思い、僕はさらにもう一枚紙を捲る。
 三枚目。そこには一枚目と同様に、だけど二行にわけられた言葉が綴られていた。

『残りのページは君が見つけた、
 美しいものでちゃんと全部埋めてください。』

 嫌な予感がした。僕は焦って紙を捲り続けた。
 四枚目、五枚目、捲っても捲ってももうなにも出てこない。
 これ以上、先輩が僕に残したものはなにもなかった。
 まっさらという空白だけが残っている。
 本当に、残りのページは僕へと委ねられてしまったようだった。

 結局、家に帰っても、時間がいくら経っても、先輩がどうして死んでしまったのか、その核心に迫った答えを誰も見つけることはできなかった。いくつか自殺の動機になりそうなものはあったものの、それを原因に自殺を遂行してしまうというのはいささか無理のあるようなものしか浮かばなかった。僕も何度か色んな大人から同じようなことを尋ねられたが、なにも答えることはできなかった。僕も周りの大人と同じで、本当のことなんてわかっていなかった。

 先輩が死んで一週間もすれば僕は元通り大学に通うようになっていた。
 先輩の後を追って死のうとは思えなかった。
 勇気がなかったというのもある。

 だけど一番はどこかで先輩の死というものを現実のものだと消化できていないことが大きかった。先輩には失礼な言い方になるかもしれないけれど、なにか悲しい映画を見た後のようなぼやついた喪失感しかなかった。案外、僕という人間は冷たい奴なんだなと思った。

 そして、あの日から僕はずっとスケッチブックを埋めることに没頭している。
 どうせならと思い立ち、万年筆まで買ってスケッチブックを埋めている。
 スケッチブックには、あの日のことを書いている。
 先輩のことを日記のような小説にして綴っていた。
 なにも、間違ったことはしていない。
 僕にとって美しかったものがあの日の先輩であり、先輩の生き様だった。
 僕がずっと抱えて生きていきたいと思っただけで、だから残そうと書いている。
 そして、このページでスケッチブックは最後になる。

 ……ちゃんと、僕が美しいと思ったものでページは埋まりましたよ、先輩。

 僕も先輩に倣って、少し美化して書いてしまったかもしれません。
 でもそれもご愛嬌でしょう?
 だって、身近にいた大人が先輩だったんですから。
 後輩はそれを真似たってしかたがないと思います。
 先輩も、そう思いますよね?

 僕は綺麗に最後のページまで文字を綴ると、スケッチブックを閉じた。
 これからが最後の工程。
 ここのスケッチブックに題名をつけなくちゃいけない。
 なにせこのスケッチブックは日記であり、小説でもあるのだから。
 ちゃんと小説としての題名をつけてあげなくてはならない。

 僕は黒の油性ペンを使ってスケッチブックの表紙に漢字を一文字だけ書いた。
 題名を書くにあたって、僕は全くもって悩まなかった。
 中には綺麗なものを書けばいいのだ。
 題名だって、綺麗なものを書けばいいだけ。

 小説の題名は、先輩の名前を拝借して『栞』にした。
 こんなにも美しい記憶の残し方を、僕は今までもこれからも知らない。

 もうインクの乾いた表紙を指で撫でた。
 ざらざらとしている。
 思い出の形に似ている。
 もう触れようにも触れがたい記憶。
 僕はそれを、形容することで思い出と呼んでいる。

 名残惜しいがこれがこれから。
 僕は表紙の厚紙をゆっくりと開く。

『拝啓、君へ』

 君へ、の部分を油性ペンで消して書きかえる。
 もうこのスケッチブックは僕に宛てられたものではない。

『拝啓、■■ 先輩へ』

 僕はその出来に満足してスケッチブックを閉じる。
 そして久しぶりに先輩のことを思って僕は泣いた。

 もう、半年が経ったと言うのに僕はまた。
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