織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

文字の大きさ
6 / 100
第一章 うつろの気

 信長がそこへやってきたとき、宴会という類の騒ぎはもう終わっていた。そこには、織田弾正忠家の一族衆だけが残っており、わずかに厳かな風がある。
 上座、八重畳に座っているのが、織田弾正忠家・惣領の織田信秀である。この男を中心として、親類縁者がずらりと列座している。
「三郎信長、ただいま参りました」
 これではどこへ座っても居心地が悪い。仕方がないから、信長は、覚悟を決めて空いていた中央にどっかと腰を下ろした。引見された罪人のようである。
「みんな葬式みたいな顔していますな。めでたい日なのに、良くないです」
 大半が眉をひそめたが、信秀は信長のことを見もせず、しずかに酒を呷り、鼻で笑った。
「進退窮まったというヤツだな。どこを見ても、敵ときたものだ」
 信秀の迅速な帰還で古渡城の落城は免れたものの、そもそもの目的だった美濃の大柿城の救援は頓挫し、信秀の撤兵後、やがて斎藤利政の軍勢によって陥落した。加えて、蜂起した清洲衆は依然として弾正忠家との和議に応じない意思を示していた。
「父上が、好きでつくられた敵さんでしょう。わたしに言われても困りますよ」
「どう切り抜けるのが良いと思うか。答えてみよ、ノブナガ」
 新年会といえども武士の集まり。時には、現実の外交すら酒の肴にする。
 同じ問答が、信長がやってくる前に既に行われていた。信秀は、嫡出二番の息子、つまりは、信長の弟(後・織田勘十郎信勝かんじゅうろうのぶかつ)に同じことを訊ねた。その答えは次の通りである。
「清州衆に臣従を申し出てみてはいかがでしょう。もちろん、形だけのことです。そうして、今度は、武衛さまを奉じ、再び、大軍勢で美濃を攻めます。守護の軍勢が、悪逆非道の斎藤利政を討つのです」
 齢十二、まだ声変わりも済んでいない童の着想としては意気軒高、そして、堂々たる話しぶり。酒の席で身内の好評を博すのは、訳のないことだった。
 うつけの兄・信長に比して、そのすぐ下の嫡弟が如才ない少年だというのは、口々に噂されていたことだった。先の問答を引き合いに出せば、それが現実に実現可能かどうかは問題ではなく、大多数の人間が望むものをすぐに差し出せるという事それ自体が、当意即妙の才覚、すなわち器量だと見なされるわけである。
 そういった観点において、信長の答えは論外であった。
「まあ、清州衆は、ここらで諸共討ってしまうのがよろしいでしょう」
「ほう。美濃はどうする」
「どうもしませんよ。攻めてきたら追い返します。そのときに考えるのでは、いけませんかね」
 何とも楽天的で行き当たりばったり、弟君に比べると、短慮で曖昧としか言いようがない。そんな思いの籠められた溜息が、いくらか折り重なって部屋にこぼれた。しかし、信長としては、むしろ、極めて具体的な回答をしたつもりだった。清州衆を攻め滅ぼすことには一つの確信があったが、斎藤利政の思惑など読めやしないからだ。
「ハハ。信長さまらしいお考えですな」
 重苦しい沈黙を破って口を開いたのは、織田信光のぶみつという男。
「和睦できないなら倒してしまう。素直な道理です。気持ちがいいではないですか」
 信光は信秀の実弟である。信長からすれば叔父に当たる間柄。智勇兼備の名将と家中に誉れ高く、信秀が最も信頼を寄せる弟だが、しばしば、常識の反対をあえて好むクセがあるので、話していることのどこまでが本気なのだか、誰にもよくわからない。
「清洲衆を討てば、我らは謀反人となりましょう、叔父上」
 件の嫡弟が反論の声を上げる。が、語気は強くない。叔父が本心から兄を認めているわけがないと確信しているからだ。
「そうして一国を支配した男が隣におりますな」
 信光はちらりと信秀に目配せする。
「俺にあの成り上がりの真似事をしろと? うつけが」
 口ではそう言いながらも、信秀は豪快に笑った。
 さて、信長はというと、それきり置いてきぼりだった。何だか、酔っ払いたちが口先の上手さを競い合っている。「そういえば」と、信長は、父が連歌を好んでいたことを思い出した。信長も一人の武士として、幼少の頃より、弓馬、剣術、鉄砲の稽古に、水連(水泳)、鷹狩りなどはやりすぎるほどやったが、連歌の面白さはついにわからなかった。社交場と呼ばれるすべてのものは、信長にとってつまらないものだったのだ。
『どうせ遊びなら、下手に大人の振りなんかせず、つむじからつま先まで遊べばいいのに』
 そう思っていた。
 一しきりの歓談の後、やがて信秀が溜息交じりにぽつりと呟いた。
「どうも、また今年も忙しい年になるようだよ」
 しかし、目は笑っている。それらの全てに勝つ自信があるのだ。
 これが織田信秀という侍の異才だった。一時の負けや不利に頓着しない。根が豪快な楽天家なのだ。昨年、美濃から逃げ帰ったときでさえも、一晩ぐっすりと寝た後には、「つぎこそは俺が勝つさ」と笑い飛ばしてみせた。周囲が親兄弟を亡くして悲しみにくれていることなど素知らぬ顔、戦争に懲りる兆しなど欠片も見せず、翌月には、三河方面で今川方についた松平勢を蹴散らしていた。
 信秀の思想は、至極単純明快である。『勝つまでやる』。それだけだった。しかし、ただの博徒とは年季が違っている。無尽蔵の戦を展開できるのは、熱田・津島といった港町で蓄えた財力の裏付けがあってのこと。負けが込んだら金でも何でも使って、あらゆる手段で、とにかく一時を凌ぐ。そうして、また、勝機が見え始めたら、「つぎこそは、」と出かけて行き、そして、本当に勝つのである。
『清洲衆、斎藤利政、今川義元、何するものぞ。反対に俺が食ってやる』
 不屈の気概は家中に伝播し、いつ如何なる時も、弾正忠家を蘇らせてきた。
 しかし、この日を境に、それにも翳りが見え始めることとなった。
 宴の席も終わる頃、信秀が倒れたのだ。
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))