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2巻

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 別邸のアシルの部屋に来るのは初めてだ。本邸のアシルの部屋は、落ち着いた茶色を基調とした部屋で、こちらはモノトーンのシックな部屋である。見慣れないせいか、なんだか落ち着かない。
 いや、その原因は、隣にいる色気満載の婚約者のせいかもしれないのだけど……

「さっきは、本当にごめん。すぐに抜け出せなくて……カミーユに嫌な思いをさせてしまったね」
「もういいよ。アシルは昔からご令嬢達には愛想あいそがいいもんね。今更いたりしないし」

 嘘である。しっかり、ヤキモチを焼いていた。でも、アシルに素直にそんなことを言うのは恥ずかしい。

「妬いてくれていたんだ? 心配しなくても大丈夫だよ、俺はカミーユ以外の女に興味ないから」

 私はアシルのするどさに舌を巻いた。ダメだ、彼に隠しごとを出来る気がしない。

「もう他の令嬢に愛想を振りいたりしないから、機嫌を直してくれる?」
「だ、だから……妬いていないんだってば――」

 しかし、私が言い終える前にアシルが強引に距離を詰めて……気が付けば、私は彼に唇をうばわれていた。
 それだけではない。いつの間にか私の唇を割ってアシルの舌が侵入しんにゅうし、口内をで回されている。
 ……アシルさん、キスするたびに、どんどん行為がエスカレートしていませんか?
 叫び声を上げたいが、アシルに口をふさがれているためにうめき声しか出てこない。
 まずい、まずいぞ!? 恋人の部屋でこんな雰囲気になってしまうなんて、結婚前なのに……!
 私の焦りが天に通じたのか、彼のキスが更に深く激しくなってきたところで、勢い良くゴンゴンと部屋の扉がノックされた。

「すいまっせぇーん! 地下室のかぎ持ってきましたよぉー!」

 張りのある、若い女性の声だ。た、助かったぁ……すぐそばでアシルが、小さく舌打ちしたのが聞こえた。彼は、名残なごり惜しそうな表情で私から離れると、早足でドアに向かう。

「……ご苦労様」

 アシルがドアを開けると、そこには先程のメイドの女の子が立っていた。やっぱり、見覚えのある顔だ。考え込む私に、アシルが彼女を紹介してくれた。

「カミーユ、うちのメイドだ。名前は……」
「オーレリア・トレーフルといいます」
「え、そうなの? さっきは声をかけてくれてありがとう、オーレリア」

 そうだ! オーレリアって……!
 私の頭の中を、過去のゲーム知識が駆け巡る。
 彼女はゲームに登場する悪役令嬢の一人、クローバーのクイーンだ! あまりにも雰囲気が違うので気が付かなかった。
 ゲームでのオーレリアは、大人しい気質の秀才少女。彼女は、クローバーのキング――アサギ・ライザルを攻略対象として選択すると登場し、ヒロインの邪魔をしてくる平民の女子生徒だ。生真面目で若干根暗な彼女は、眼鏡を取るともの凄く美人なのである。
 オーレリアは他のライバル達とは違い、直接ヒロインにからんだり文句を言ったりすることはない。
 しかし、陰では周囲にバレないように陰湿いんしつな嫌がらせをしかけてくる。テストの日にヒロインの大事な魔法書を隠したり、学園祭で着る予定だった衣装をビリビリに引き裂いたり、好きな相手からの贈り物を盗んだり……
 最終的に彼女の嫌がらせは、ヒロインを物理的に傷つけるいきまでエスカレートする。その大がかりな嫌がらせがアサギ達にバレて学園を退学させられるのだ。
 その後、クローバーのキングであるアサギとヒロインは、めでたく結ばれる。
 魔法学園の入試に落ちたという情報は手に入れていたけれど、まさかこんな場所でメイドをやっているなんて思いもしなかった。
 スペードのクイーンであるメイも、ダイヤのクイーンであるベアトリクスも、私と同じ場所から来た異世界の人間だ。ということは、このオーレリアもそうなのだろうか? 彼女は、ゲームとは正反対の明るい性格みたいだし。
 今すぐそのことを質問したいのだが、この場にはアシルがいる。彼には、私が別の世界の人間だったということは話していない。今更話すのも微妙だし、真実味がなさすぎるからだ。

「オーレリアは、この別邸で勤務しているの? 本邸に来る予定はない?」
「行く予定はないですねぇ。一応住み込みやけど、実家から近いっていう理由で勤めてるし」

 別邸だと、むやみに訪問することは出来ない……なら、後日に今日のお礼も兼ねて別邸を訪問するという作戦で行こう。
 私は、心の中で今後の計画を立てた。

「そういえば、ドミニクは、あのあとどうなったの?」
「あの人やったら、拘束こうそくされた状態のままで地下室に運んでいますけど?」

 私は彼女の言葉に頷くと、アシルの方へ向き直った。

「アシル、ドミニクが閉じ込められている地下に行きたいんだ」
「でも、カミーユ……ドミニクに会っても大丈夫なの? ひどいことをされたあとなのに」

 私を心配してくれているのだろう。アシルは、優しく私の肩をでながら尋ねた。

「……大丈夫だよ。少し様子を見るだけだから」

 そうして私とアシルは、一緒に地下へ向かうことになった。
 階段を下りて地下室の扉を開けると、正面の床に丸太のような体のドミニクが横たわっている。
 拘束魔法をかけられているドミニクは、敷物の上に転がったままでピクリとも動かない。
 辺り一帯には、地下特有の湿気しけた空気の臭いがただよっていて、なんというか、シュールな光景だ。

「ドミニク……?」

 私はドミニクに恐る恐る話しかけたが、彼の目は私の後ろにいるアシルへ向けられている。

「この庶子がぁ……っ! どうやってカミーユ嬢に取り入った!? 彼女は私のものだ!」
「……はぁ? 寝ぼけるのも大概たいがいにしてくださいよ、お兄様。あんまりふざけたことばかりぬかしていると、本気でつぶしますよ?」

 アシルは、冷たい声でドニミクに言いはなった。日頃の恨みも相まってか、彼の地の性格が出てしまっている。

「このままドミニクを転がしておくわけにもいかないよね。どうしようかな……あ、あれって!?」

 何気なく私が目を向けたドミニクの首元に、なにか模様が浮かんでいる。

「これ……禁術のあざじゃないの!? どうしてこんなものがドミニクの首に!?」

 私の言葉に、アシルも素早く兄の首元を確認する。

「本当だ。あの伯爵令嬢の首にあったのと同じ模様だね」
「そうだね。クレールにかけられていた禁術はふたつだったけれど、ドミニクはひとつだけみたい」

 事件のあと、クレールの首筋には禁術をかけられたあとが残されていた。ひとつは、憎悪の感情を増幅させるもので、もうひとつは私にもわからない禁術だ。
 禁術は精神に作用する魔法なので、扱いには細心の注意を必要とする。だから、もうひとつの禁術があきらかになるまでは、迂闊うかつに彼女の禁術をくことは出来ない。
 今は禁術の知識を得るために、自由に城や街の図書館の禁術書コーナーへ入れるよう、ロイス様に取りはからってもらっている最中だけど……正式に閲覧えつらん許可が出るまでには、まだ時間がかかるそうなのだ。
 幸い、ドミニクにかけられていたのは、憎悪を増幅させる禁術だった。これなら、今の私でも対処できるだろう。

「ドミニク、あんた禁術をかけられているよ。解いてあげる」

 そう言うと、私はドミニクへ手をかざした。すると、ドミニクの首の痣が光り、その色を変えていく。解除するだけとはいえ、魔法をかける逆の手順を踏まなければならないので、この作業には、相当の集中力を要する。

「ああああああっ……!」

 ドミニクは苦悶くもんの表情を浮かべ、叫び声を上げた。きっと苦しいのだろう。
 痣の色は徐々に薄くなり、やがて完全に消えた。
 あざが消えると同時に、ドミニクは気絶してしまったようだ。彼は、分厚いまぶたを固く閉じている。禁術は、く際に相手にかなりの負担をかけるらしい。

「禁術解けたよー。ドミニク、気絶しちゃったけど……」
「大丈夫じゃないの?」

 私が報告するも、アシルの態度はない。気絶しているドミニクの拘束こうそくを解いてから、私達は地下室をあとにした。

「カミーユ、ありがとう。ドミニクの禁術がどういった経緯でかけられたのかも調べないとね」
「そうだね。今日はデボラの結婚式だったっていうのに、色々あったなあ」

 集中力を使い果たした私の体を支えているアシルが、耳元にそっと唇を寄せる。

「早く、俺達も結婚式をげたいね」

 色っぽくささやくアシルに耳まで真っ赤になった私は、ぱくぱくと口を動かすことしか出来なかった。


 結婚式の数日後。私は、王太子であるロイス様に呼ばれて、アシルと一緒に城へ出向いた。
 やっと、城の図書室にある禁術書の閲覧えつらん許可が出たらしい。
 ロイス様の自室の白いテーブルの上には、お茶とお菓子が並んでいる。美味おいしい紅茶に、メレンゲ菓子……余は満足じゃ。

「遅くなってゴメンね、カミーユ。ほんっとわからず屋の頭の固い連中ばっかりで……僕もまだまだだなぁ」

 なにがあったのだろうか、ロイス様が静かに腹を立てている。彼は笑顔で怒るから、ちょっと怖いんだよね……怒ると一番恐ろしいのはアシルだけれど。

「三人分の閲覧許可を貰ってあるから、一緒に行こう。アシルが頑張って許可証をもぎ取ってきてくれたんだ」
「ありがとう……って、三人分!? 禁術書を閲覧するのは、私だけじゃないってことですか?」
「僕とアシルも行くよ。僕らだって見てみたいものねー? アシル」
「そうですね、禁術に対処できる人間は多い方がいいですし」

 真面目ぶって常識論を言っているけれど、アシルもロイス様と同じように好奇心で見てみたいんだと思う。
 そんなことを考えていると、アシルが私の胡乱うろんな目に気付いて苦笑いした。ほら、やっぱりね。

「だって、カミーユだけを、危険な目にわせるわけにはいかないでしょう?」

 そう言って、こちらに近付いて来た婚約者は、私のかじりかけのメレンゲ菓子を取って頬張る。
 かっ、かかかか間接キス……!
 私は、顔を赤らめながら、アシルに抗議の視線を送る。やっぱり、いつになってもアシルのこういった行動には免疫めんえきが付かない。

「いいなぁ。僕も、好きな子にそういうことをしてみたいよ」

 私達の様子を見たロイス様が、まとはずれな発言をしている。
 アシルは複雑そうな顔をしてロイス様に視線を向けた。対するロイス様は、いつものキラキラ笑顔だ。

「ロイス様、好きな人が出来たの?」

 彼に質問しつつ、私は新しいメレンゲ菓子を手に取ってかじった。

「ああ、この際だからカミーユにも知っておいてもらおっか。アシルには、もう言ってあるのだけれどね」

 さわやかに笑いながらこちらを向くロイス様に、私は言いようのない不安を覚える。
 ……ま、まさか、ロイス様の好きな人ってヒロイン!? 私が社会的に殺される事態は勘弁してほしい。
 今後の心配をした私がおろおろしていると、アシルが相手の名前を教えてくれた。

「お相手は、カミーユもよく知っている令嬢だよ。ダイヤクラスのベアトリクス・タパス伯爵令嬢」

 その意外な人物の名前に、私は目を丸くした。そんな私に、ロイス様が楽しげに言う。

「まさかの一目惚れをしちゃってね。あの時ピクニックに誘ったのも、そういうわけなんだ」

 全く気が付かなかったよ! ロイス様とアシル、ベアトリクスとピクニックに行った日の私は、ロイス様が私のために仲がいい彼女を誘ってくれたと思い込んでいた。

「殿下、そろそろ……」

 アシルの声に、ロイス様はなめらかな動作で椅子から立ち上がる。

「そうだね。カミーユ、アシル、今から図書室に行こうか」

 丁度紅茶を飲み終えた私は、立ち上がってロイス様に微笑みかけた。

「はい、行きましょう!」

 私達は、一緒に並んで図書室へと向かう。
 城の図書室は西棟の端にある。東棟は、城の中で国王派がたむろする建物だが、対する西棟は王弟派がウヨウヨいる建物である。どうしてこんな場所に図書室を作ったのだろう、ふたつの棟の間にある中央棟にすればいいのに。そういえば、ライガの持っていた本も、元々王弟派が勝手に所持していたもののようだ。
 彼から貰った「禁断魔法全集」……アレはちょっとどころではなく、ヤバい代物しろものであった。出るわ出るわ、人道に反した鬼畜きちくな魔法の数々。編纂者へんさんしゃはよくもまあ、あそこまで危険な禁術ばかり集めたもんだ。
 城の図書室は、使える者が限られているので人が少なく静かだ。私も、たびたびここを利用させてもらって、禁術書コーナーに無断で侵入しんにゅうすることもある。

「カミーユ。今日はちゃんとかぎを貰っているから、鍵破りはしないでね」
「ロイス様! 私だって、いつも鍵破りしているわけではありませんよ?」

 図書室の螺旋らせん階段を下りて、一番下のフロアの突き当たりの扉に入る。薄暗く、ほこりっぽい部屋の中には禁術書の棚が規則正しく並んでいた。

「クレール嬢にかけられた禁術をこの中から探し出すのは、骨が折れそうですね」

 アシルの言う通り、気まぐれに魔法書を読みあさるのとは違って、ひとつの魔法だけを探し出すという作業は面倒だ。私は、古びた本の背表紙をひとつずつ確認していく。
 すると、きょろきょろと周囲を見回していたロイス様が、ある棚の前で足を止めた。

「ここ……不自然に埃がぬぐわれている」

 彼が指さす方を見ると、埃まみれの棚の中で、一ヶ所だけ埃が拭われている部分があった。
 それを確認したアシルが、不思議そうに呟く。

「本当だ、指のような形が残っていますね……まだ新しい。カミーユかな……?」
「ち、違う! 私じゃないよ! こんなバレバレの証拠残さないってば!」

 失礼だなあ。禁術書を見るのに、そんな跡を残したら「誰かが侵入しんにゅうしましたよ」と言っているようなものじゃないか。私は禁術書が見られなくなるようなヘマはしない。

「ということは、他に誰かが侵入しんにゅうした可能性が高いか……」

 私以外で、かぎ破りしてまで禁術書を読みたがる人物って……お父様か!?

「それにしても、これだけ侵入され放題なんだから、王宮の鍵は全部取り替えた方がいいと思いますよ」

 アシルがもっともなことを言ったので、私も彼に便乗してみる。

「アシルに一票です! 城の警備と鍵はザルすぎる!」
「……前科者のカミーユがそう言うのだから、そうなんだろうねえ」

 私の存在が、ことの信憑性しんぴょうせいを高めるのに一役買っているようだ。

「本をられた跡はないみたいだけれど……あとで司書に確認させようか」
「そうですね、図書室利用者の名簿も調べておいた方が良さそうです。まあ、手続きを踏まずに侵入されていたら無駄ですけど」

 ロイス様とアシルの間で犯人特定についての話が進む。
 私はとりあえず、指の跡の残る場所にある魔法書をめくり、クレールの禁術について調べることにした。
 犯罪者に口を割らせる禁術……違う。相手の心を読む禁術……違う。相手をとりこにする禁術……違うけど、これ怖いな。
 本当に禁術にはロクなものがない。ページを捲るたびに、その内容にげんなりさせられる。
 しばらく本の内容を確認していると、やがて見覚えのある記号が目に入った。

「見つけた……クレールの首にあった模様だ!」

 憎悪の感情を増幅させる禁術の上から、上書きされていた謎の禁術の模様。これは……

「口封じの禁術……?」

 私は、素早くそのページを読み進める。そこに書かれていたのは、気分が悪くなるような内容だった。

「カミーユ、どうしたの? なにか見つけたの?」

 ロイス様に声をかけられた私は、コクコクと首を縦に振って彼の質問に答える。

「……クレールにかけられていた禁術を、見つけました」

 口封じの禁術――術者に関する不都合な真実を、一切話させないためにほどこす魔法だ。術をかけられた者が一言でも真実について話そうとすると、その瞬間に命を落とす。故意に話した場合はもちろん、そうではない場合でもだ。
 横から本を覗き見してきたアシルも、その整った顔をしかめている。

「ロイス様。あのあとクレールは、事件についてなにか話をしていましたか?」
「いいや。糸が切れたみたいに黙り込んで、なにも話さないらしいよ」

 ロイス様の言葉に、私はひとまず安堵あんどした。なにも話していないということは、彼女はまだ生きているということだ。
 クレールにかけられた禁術の内容を知った私は、その後、さっそく彼女のもとへ向かうことにした。
 薄暗い地下牢は、華やかな城の中とは別空間のようにじめじめとしていてカビ臭い。先日のドミニクにしろクレールにしろ、罪人を閉じ込める場所は地下が好まれるようだ。しかし、この年季の入った地下牢に比べれば子爵家の別邸地下室は遥かにマシである。
 数人の看守達に連れられた私は、クレールのいる牢屋に辿り着いた。心配性な婚約者も一緒に来ている。
 城の地下に幽閉されているクレールは、糸の切れた人形のように動かず、うつろな表情をしていた。この症状は、禁術の副作用だ。
 憎悪の感情を増幅させる禁術をかけられた人間は、憎しみや怒り、悲しみの感情が止めどなく増す。もし、その感情が増大し続けて、本人の感情の許容量を超えてしまえば……彼女のように、すべての感情が抜け落ちたがら状態になってしまうのだ。回復するには、かなりの時間がかかるだろう。

「クレール?」

 私は、彼女にゆっくりと話しかけながら、慎重に近付いていく。クレールの両手には、重そうな金属のかせめられていた。令嬢には辛い重さのはずだが、クレールの表情からはなにも読み取れない。別の牢にいる伯爵も同じように幽閉されている。報告では、彼の方は腕が痛いやら腰が痛いやら、中々にぎやかそうにしているらしい。

「あなたにかけられている魔法を、今からくよ?」

 一応断りを入れたが、やはりクレールは無反応だった。まずは口封じの禁術を、続いて憎悪増幅の禁術を丁寧に解いていく。ドミニクの時と同じように、クレールも苦しみのあまり叫び出すかと予想していたが、彼女は白目を向いて口をパクパクさせているのみだった。叫び出す気力も、既にないのかもしれない。
 看守達は、禁術を解いている私を驚愕きょうがくの表情で見つめている。

「ふう、終わった!」

 クレールの首のあざが完全に消えると同時に、集中力の切れた私は後ろによろけてしまった。禁術を解くのに、魔力をたくさん使ったせいかもしれない。同行しているアシルが、慌てて私の背中を支える。

「あ、ありがと。慣れない禁術を、同時にふたつも解いたからかな……ちょっと疲れたみたい」

 アシルは、私の膝下に腕を差し入れると、一息に抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこである。

「ちょっと、アシル!? 恥ずかしいから下ろしてよ! 皆に見られているし……」
「またふらついたら大変でしょう? ほら、動いたら落ちるから、大人しくしていて?」

 そう言う割には、彼は安定した抱き方で私を運んでくれていた。甘い笑みを浮かべるアシルは、私の頬に音を立てて唇を落とす。こんな場所でキスされるなんて、恥ずかしくていたたまれない。

「ねえ、アシル。私、やっぱり下り……」
「ダメだよ、ちゃんと掴まって」
「うう……」

 有無うむを言わせないアシルに逆らえず、私は言われるがまま彼の首に両腕を回したのだった。


 クレールの禁術を解いた数日後。私は空を飛んで移動するため、巨大化させた羽ペンにまたがってジェイド家の別邸を目指していた。夏期休暇が終わらないうちに、一度クローバーのクイーン――オーレリアに会いに行こうと思ったのだ。
 あれから、クレールの容態ようだいは徐々に回復しているらしい。まだなにかを話すことはないみたいだけど。

「オーレリア、いる?」

 別邸の玄関に降り立った私を迎えたメイドさんが、慌ててオーレリアを呼んでくれた。

「ああ、あの時の……アシル様の婚約者やんなぁ?」
「そうだよ。この間は色々ありがとう! ……ちょっと話があるんだけど、二人になれる?」
「話? 心配せんでも、アシル様に色目を使ったりは……」
「そんな心配はしていない。そうじゃなくて……!」

 私は、首をかしげるオーレリアを引っ張って別邸の庭へ出た。

「オーレリア、急に変なことを聞くかもしれないんだけど……もしかして、あなたは別の世界から来た人?」

 目を見開いた彼女に、私は質問を続ける。

「ここに来る前は、別の人生を歩んでいなかった? ある日、急にこの体になったんじゃない?」
「……なんで、それを?」

 オーレリアは驚きの表情で私を見た。私の顔もアシルの顔も知らなかったということは、彼女はメイと同じように、ゲームの知識を持たずにこの世界へ来たのかもしれない。


「私も、別の世界にいたから。以前は女子高校生だったの」

 彼女にこの話をするにあたって、自分の正体を明かすかどうか悩んだのだけれど……私は、それを実行することにした。平民で街医者のお嬢さんであるオーレリアなら、万が一違っても、うわさなどを立てられることはないと踏んだのだ。

「……ははは、この世界で女子高校生なんて言葉を聞くとは思わへんかったわ」

 乾いた笑いをらすオーレリアは、懐かしそうに目を細めた。以前の生活を思い返しているのかもしれない。

「そうやなぁ、私も以前は別の場所で暮らしとった。子供もおったし。私、前の世界では五十五歳やったから」
「五十五歳!?」
「旦那と離婚して、女手ひとつで子供育てとった経験もあるねんで。それが……ある日突然子供になっていて、焦ったわ」

 オーレリアは、今の見た目よりもだいぶ年上だったようだ。ため口でいいものか迷ってしまう。

「じゃあ、お子さんは? ええと……ダ、ダイジョウブナノデスカ?」
「大丈夫や。もう家を出て就職してるし……嫌やわぁー。侯爵家のお嬢さんが、私に敬語なんか使って!」

 オーレリアがおかしそうに笑い出したので、やっぱり普通に話すことに決めた。

「……そうだ。オーレリアは以前、魔法学園を受験していたよね」

 ベアトリクスの話では、彼女は私達と同時に王立魔法学園を受験して落ちていたそうだ。

「あれは記念受験や! エリートな魔法学園がどんな場所か、一度見てみたかってん! なにかの間違いで受かったら通おうとは思っててんけど、やっぱアカンかったわ」

 オーレリアの言葉に、私は思わず脱力する。そんな理由で受験していたのか……

「魔法学園については、以前から知っていたの?」
「この国では、有名やからなあ」
「……前の世界で乙女ゲームをした経験は?」
「乙女? ゲーム? 娘は色々ゲームをしとったけど……私はしたことないわ」

 やはり、オーレリアにゲーム知識はないようだ。

「でも、嬉しいわぁ。同じ出身地の記憶を持ってる人間がおるってええもんやなあ」

 そう言ったオーレリアは口元をほころばせて、しばらくなにか考えている風だった。

「あのね、今日はこの前のお礼もあったんだけど、本当はオーレリアについて知りたかったんだ……じゃあ、私はアシルに見つかる前に行くね。同じ世界の出身者同士、なにか困ったことがあれば力になるよ」

 私は持参したお礼の品をオーレリアに手渡すと、羽ペンにまたがった。今日はアポイントなしで訪問したのだが、耳聡みみざといアシルにはもうバレていることだろう。

「あ、ちょっと待って」

 不意に、オーレリアが私を呼び止めた。

うわさにすぎへんのやけど……アンタは今、貴族のお嬢様やろ? そやから、ちょっと忠告しとこうと思って……」

 周囲に人がいないことを確認すると、オーレリアは小声で私に言葉をげる。

「最近、王族や貴族に反感を持ってる平民達が多くなってきてな、一部では過激な組織も動いてるみたいやねん。この前、それで巻き添え食らって怪我した人がウチの実家の病院に運ばれて来たんよ」
「王族や貴族に反感?」
「そ。『平民達の暮らしをそっちのけにして、内部争いばかりしている組織は不要』ってな」

 私は青ざめた。それが、過去に聞いた覚えのあるセリフだったからだ。

「……革命、エンド?」

 平和すぎる生活に油断していた私は、そのエンディングの存在を忘れきっていた。カミーユの社会的破滅はめつを回避したし、ライガひきいる王弟派によるクーデターエンドももう起こらないだろうと思っていたからだ。
 この世界はゲームとは別に動いていると、完全に高をくくってしまっていた……
 あのゲームとは異なる現実の世界ではあるが、ゲームに近い展開になることも充分にありえる。
 家に戻った私は、アシルに相談することに決めた。彼は、このところ数日置きに我が家へ現れるので、その時にでも聞いてみよう。
 けれど、アシルはゲームのことを知らない。彼に、どこまで話していいのかが悩みどころだ。
 そんなことを考えていたら、昼すぎにアシルが侯爵邸の私の部屋を訪れた。

「カミーユ。今日は、朝から勝手に別邸に突撃したみたいだね?」

 やはりバレてしまっていたか。最近の訪問は、私の見張りも兼ねていたのかもしれない……
 さて、革命の件をアシルにどう伝えようか……

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