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第二章 蕾ト穢レ
第11話 斑と蛇
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ある日の事。
緑色のコートを纏った、立ち姿の美しい女性が門をくぐった。
私に気付いた彼女がふいと会釈をする。よくよく見れば額が仄かに赤く輝いている。やはり、人のようだが人ではないらしい。
「こんにちは」
落ち着いた、やや低い、そして抑揚の乏しい、ぼそぼそとした、しかし女性らしい声音だった。
「斑の竜胆が来たと、伯王にお伝え願えませんでしょうか」
「わかりました。こちらでしばらくお持ちください」
「ありがとうございます」
奥へ呼びに行くと、伯王は黙って頷き玄関へと向かった。竜胆、というその女性に丁寧な会釈をすると、彼は微かに微笑んだ。珍しい物を見た。伯王が他人に愛想を見せるとは。その隣に立ち、彼女を居間へと誘ってゆく。
――ここへきてからどれ程の時がたったかもう記憶も定かではないが、彼がこんな風に女性を扱うのをはじめてみた。
わずかに、ちり、と胸が不快になった。
客人がある時は、私は家内にいないようにしていた。取り立ててそうしろと言われた訳ではないのだけれど、何となくそうした。恐らく、居辛かったのだと思う。この家で、自分と伯王との暮らしが長くなればなるほど、私の知らぬ伯王の知人が訪ねてきて、私の知らない伯王がそこに立ち現れる事が、あやふやに不安を覚えさせて堪らなかった。
門を出た先に、小さなお地蔵様らしきものがある。
小さな社に覆われていて、もう、どう彫刻されていたのか、その表情も見いだせないような、お地蔵様らしき形をしていたと思しき、何か。そんなあいまいなその石の塊の前で、そっと屈みこむ。
振袖が地面を這う。
どういう不可思議なのか、やはりいくら地面を擦ろうが汚れない。人の世の誂えではないのだから、当然かも知れない。袖に流れる流水が、さらさらと音を立てている。鳥は飛び交い、また元の枝へと帰ってくる。花は散る。流水に巻かれて、どこか遠くへと流れて行く。この振袖の果てには、限りがないのだろうか。
そうやって時間を潰していると、ふと蛇が道を横切っているのが見えた。――いや、横切ってはいないか。動いてはいない。単純に、道幅いっぱいに寝そべっているのだ。
「そんなところでそんなふうにしていると、車に轢かれてしまいますよ」
声を掛けてからおかしくなった。こちらに車は走らない。よくて人力があるくらいだ。それも引くのはやはり人ではない。大抵牛頭のようなものが引いている。稀に馬頭もいる。
蛇は、静かにこちらを見ると、またぷいと真っ直ぐに横たわった。
「人の癖が根深い」
思ったよりも高い声がゆったりと、ねっとりとそう言う。
「癖、ですか」
「これは洗うのに時間が掛かる」
そういうと、蛇はぬめるようにその身をくねらせて、今度こそ本当に道を横切り、草原の中へ消えていった。
褒められてはいないことだけは理解できた。
竜胆という女性の滞在時間は半刻程だった。
門で頭を下げて見送る。辻を行く時に、竜胆という女性はゆっくりと振り返り、あっさりとした所作で頭を垂れた。そしてその身を消した。
後味の残らない、不思議な印象の女性だった。
蛇ののたくった様の方が、余程記憶に染みた。
「何処に行っていた」
ふと、頭上から声が降る。伯王がいつの間にか隣に並んでいた。見上げる。視線は竜胆が消えた辺りに向けられたままだ。それが、やはり少し肌をひりつかせた。
心地よくは、なかった。
「そこのお地蔵様を見ていました。それから蛇を」
「蛇」
「文句らしきことを言われました。私は蛇の眼から見ても駄目なのでしょう」
ほう、と薄い溜息が頭上から降り注ぐ。
「貴女は、いつまで――」
伯王が小さく呟く。しかしそれ以上何かを続けて紡ごうとはしなかった。それで、不安になった。
「私は、何か誤っているのでしょうか」
「貴女が自身で見出さねば、意味がない」
叱っている風でも、怒っている風でもない。ただ微かに侘しそうな物言いに、私は却って、酷く責められている気がした。あれは誰だったか。女性だった気がする。そんな風に誰かをがっかりさせた事があった。でももう、それが誰の事だったかは思い出せない。
これは洗うのに時間が掛かる。
掛かっているのかも知れない。洗われつつあるのかも知れない。
私は、人であった私は、少しずつ溶け出している。
そんな心持ちになって、
突然――米俵をぶちまけてその中に全身で埋もれたいような気持ちになった。そうすれば、この取り留めもない、ぽっかりとあいた空隙に手触りが生まれるのではないかと、そんな気がしたのだ。
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