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1章 ハブたる郁羊
5話
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俺と郁羊はしまパン狩りに向け、笹の動向をストーカーっぽくうかがっていた。
いや「っぽく」というより、ストーカーそのものだ。なにせ、尾行なんてしているのだから。
しかもなんだ、その萩斗と郁羊という名のふたり。聞くところによれば、おなごの履くパンツを奪う算段だというではないか。
不届き極まりない。ストーカーどころのヤバさではない。
マジで、大丈夫だろうか。問題なく任務を遂行できるとは、到底思えない。
ああ、炎上するヤフーコメントが目に浮かぶ。叩かれ、蔑まれ、しまいには住所まで特定され……。
「あの笹って女から感じるしまパン、でーじ香ばしいな。お腹ぐーぐーだから敏感になってるのか、鼻孔までくすぐられるさ」
郁羊はよだれまで垂らして獲物を前にした獣よろしく、不敵な笑みを浮かべている。
俺らは木々の陰に隠れていた。
視線の先には、笹だ。
宿舎の敷地から少し離れた草っ原に立ち、月明かりに照らされながらひとり、なにやらブツブツと独り言ちている。
「わたしたちはこの度の修学旅行で様々な、えーっ、自然や歴史と触れあうことが出来ました。そして……あっ、そしてまた、多くの考える機会に出会えました。それから……えっと」
愛想が良くて華がある人間ってのは学年委員や学級委員に推されるもので、笹もまた、例外ではなかった。
笹は学年委員長として、イベントの度にスピーチを任されていた。今口にしているのは、修学旅行中に発表する挨拶なのだろう。
彼女はひとり真面目にも、スピーチの練習に取り組んでいる。
ほっといたら男子に取り囲まれ茶々を入れられる笹がひとりになった、またとない「しまパン狩り」のチャンスというわけだ。
なんだそりゃ、なにが「チャンス」だよ。自らのことながら、まさに犯罪者の思考である。
「この五日間は、わたしたちにとってかけがえのないものになりました。そしてですね、あの、勉学にも通じる多くのことを、えーっと、与えられたというか、学びました……」
まだ修学旅行初日だというのに笹のスピーチ練習はどうやら、最終日を想定した内容になっている。
しかし相変わらず、たどたどしいスピーチだ。
笹は立場上よくみんなの前に立たされるがいつも、たどたどしい。けれどこのように地道に練習するような懸命さが口調に滲み出るため、教師陣には好評なのだ。ついでに男子陣にもウケはいいが、女子陣には城爾奈を筆頭に「あざとい」とからかわれている。
「さあ、狩りの時間だよ」
郁羊に背を押され、俺は笹の元へと歩を進めた。
笹は水色の、ノースリーブの膝までかかるくらいのワンピースを着ていた。シャンプーだろうか、柑橘系の爽やかな匂いが漂う。匂うほどに距離を詰めても、笹は俺の存在に気付かなかった。「二日目には……三日目には……」とぶつぶつ練習に打ち込んでいる。
どうやらスピーチは暗唱しなければならないようだが、覚え切れてないらしい。時折手持ちの原稿に目をやりながら、一心不乱に言葉を紡いでいる。
邪魔するのも悪いが、しまパン狩りのためには、そんなことに気を遣っちゃいられない。
俺は声をかけた。
「笹」
「そしてなにより、この旅で得られた大切なことは……」
「なあ、笹っ」
「絆と言っても、わたしたち生徒同士だけの絆だけではなく……」
「おい、笹って」
「ささって……ささって? え? きゃあっ」
ようやく振り向いた笹が俺に気づき、驚いてのけ反った。化け物に遭遇したかの如く顔を強張らせている。
まあ、人道に反した所業を仕掛けようとしている点では、化け物に違いないのだが。
「な、なんだ萩斗くんか。急に現れるから驚いちゃったよ」
「急に現れたつもりはないんだけど……。笹はこんなとこで、何やってたんだ」
ストーキングしていたので何をしていたのかわかっているが、会話のきっかけに聞いてみる。
「わたしは、旅行の最後に読むスピーチの練習中だよ。覚えないといけなくてね。部屋の中じゃ集中できないし、みんなにも迷惑かなって。
それより、萩斗くんは何でこんなところにいるの」
「いや、せっかくの沖縄の夜だしさ。原っぱで星空でも眺めようかなって」
もちろん「君の履いているパンツを妖怪に食べさせるためだよ」などという意味不明な本音は、口が裂けても言えない。
「夜空? へえ、ロマンチックだね。萩斗くん、そんなとこあるんだ。いいね、そういう気持ち持ってるの、素敵だね」
「そうかな。ロマンチックだなんて、大げさだって」
「夜空か。言われてみれば、気づかなかったけど……」
笹は顔を上げ、空へと目を移す。
「ホントだ。綺麗な星だね」
「うん。だから寝っ転がって眺めようかなって」
「寝っ転がるの? わたしも隣にいて、いいかな? スピーチ練習も疲れちゃったしさ」
「もちろん」
笹の方から誘ってくれるのはありがたい。これを狙っていたのだ。
「しまパン」狩り作戦の導入である。
俺と笹は草っ原に仰向けになって、夜空を見上げた。狩りを行うための口実でしかなかったが、確かに夜空は美しく、雄大だった。
煌々と光る星々が、くっきりと浮かび上がっていた。僕らを包み込むように、ゆっくりと夜空は動いていた。
これまで、まともに夜空と向き合ったことなどなかった。星を眩しく感じたのは初めてだ。
「なんか、青春っぽいね」
そう言うと笹はふふっ、と笑った。
「青春?」
「そう、青春。だって修学旅行中にね、男女ふたりで仰向けになって夜空眺めてるんだよ。姫出先生とか、好きそうなシチュエーションじゃない?」
姫出先生とは、音楽を担当する学校で一番若い先生である。「高校生たるもの青春に勤しむべし」というポリシーの持ち主で、やたらと生徒に青春を押しつける先生だ。
明るくて優しくて、もっとも生徒に慕われている。
「姫出先生か。笹の言う通り喜びそうだな、こんな光景」
「でしょ。絵に描いたような青春だよ」
笹は笑窪も深く笑っていて、心底楽しげな表情である。
「笹は、大丈夫なのか」
「何のこと?」
「その、何て言うかさ。万が一こんなところ誰かに見られたりでもしたら、恥ずかしくないか」
「恥ずかしいって、どうして」
「ほら、他の男子ならまだしも、俺なんてさ……」
そう言う俺の目を笹は、不思議そうにじっと見つめる。
「変な言い方するね。萩斗くんは自分のことどう思ってるかわかんないけど、わたしは他の男子より、萩斗くんと話している方が楽しいよ。気持ちが楽になるっていうか」
「なんで……」
「だって他の男子はさ、何て言うか、恐いっていうか……」
「怖い?」
「いや、あのね、嫌いなわけじゃないんだよ。男子も……女子もね。けどちょっと苦手というか……。
とにかくさ、わたしは萩斗くん、素敵だと思うよ」
笹は、僕を見つめる目元を緩めた。
か、可愛い……。
こんな間近で見たのは初めてだが、やっぱ可愛い。
心臓を掴まれるほどの可愛さで、俺は顔が赤くなりそうだ。両手のひらでぎゅううっと表情を隠したいところだが「そんなことないよ」とか言いながら無理して、澄ました顔をつくる俺である。
素敵なのは笹の方だ。やはり、天使だ。
こんな笹のパンツを奪おうだなんて、俺はなんと不届き者だろうか。許してくれ、理解してくれ。一人と一匹の妖怪の命がかかっているのだ。
カサカサカサッ。
静かな夜に、草の擦れるような音が聞こえる。
いや「っぽく」というより、ストーカーそのものだ。なにせ、尾行なんてしているのだから。
しかもなんだ、その萩斗と郁羊という名のふたり。聞くところによれば、おなごの履くパンツを奪う算段だというではないか。
不届き極まりない。ストーカーどころのヤバさではない。
マジで、大丈夫だろうか。問題なく任務を遂行できるとは、到底思えない。
ああ、炎上するヤフーコメントが目に浮かぶ。叩かれ、蔑まれ、しまいには住所まで特定され……。
「あの笹って女から感じるしまパン、でーじ香ばしいな。お腹ぐーぐーだから敏感になってるのか、鼻孔までくすぐられるさ」
郁羊はよだれまで垂らして獲物を前にした獣よろしく、不敵な笑みを浮かべている。
俺らは木々の陰に隠れていた。
視線の先には、笹だ。
宿舎の敷地から少し離れた草っ原に立ち、月明かりに照らされながらひとり、なにやらブツブツと独り言ちている。
「わたしたちはこの度の修学旅行で様々な、えーっ、自然や歴史と触れあうことが出来ました。そして……あっ、そしてまた、多くの考える機会に出会えました。それから……えっと」
愛想が良くて華がある人間ってのは学年委員や学級委員に推されるもので、笹もまた、例外ではなかった。
笹は学年委員長として、イベントの度にスピーチを任されていた。今口にしているのは、修学旅行中に発表する挨拶なのだろう。
彼女はひとり真面目にも、スピーチの練習に取り組んでいる。
ほっといたら男子に取り囲まれ茶々を入れられる笹がひとりになった、またとない「しまパン狩り」のチャンスというわけだ。
なんだそりゃ、なにが「チャンス」だよ。自らのことながら、まさに犯罪者の思考である。
「この五日間は、わたしたちにとってかけがえのないものになりました。そしてですね、あの、勉学にも通じる多くのことを、えーっと、与えられたというか、学びました……」
まだ修学旅行初日だというのに笹のスピーチ練習はどうやら、最終日を想定した内容になっている。
しかし相変わらず、たどたどしいスピーチだ。
笹は立場上よくみんなの前に立たされるがいつも、たどたどしい。けれどこのように地道に練習するような懸命さが口調に滲み出るため、教師陣には好評なのだ。ついでに男子陣にもウケはいいが、女子陣には城爾奈を筆頭に「あざとい」とからかわれている。
「さあ、狩りの時間だよ」
郁羊に背を押され、俺は笹の元へと歩を進めた。
笹は水色の、ノースリーブの膝までかかるくらいのワンピースを着ていた。シャンプーだろうか、柑橘系の爽やかな匂いが漂う。匂うほどに距離を詰めても、笹は俺の存在に気付かなかった。「二日目には……三日目には……」とぶつぶつ練習に打ち込んでいる。
どうやらスピーチは暗唱しなければならないようだが、覚え切れてないらしい。時折手持ちの原稿に目をやりながら、一心不乱に言葉を紡いでいる。
邪魔するのも悪いが、しまパン狩りのためには、そんなことに気を遣っちゃいられない。
俺は声をかけた。
「笹」
「そしてなにより、この旅で得られた大切なことは……」
「なあ、笹っ」
「絆と言っても、わたしたち生徒同士だけの絆だけではなく……」
「おい、笹って」
「ささって……ささって? え? きゃあっ」
ようやく振り向いた笹が俺に気づき、驚いてのけ反った。化け物に遭遇したかの如く顔を強張らせている。
まあ、人道に反した所業を仕掛けようとしている点では、化け物に違いないのだが。
「な、なんだ萩斗くんか。急に現れるから驚いちゃったよ」
「急に現れたつもりはないんだけど……。笹はこんなとこで、何やってたんだ」
ストーキングしていたので何をしていたのかわかっているが、会話のきっかけに聞いてみる。
「わたしは、旅行の最後に読むスピーチの練習中だよ。覚えないといけなくてね。部屋の中じゃ集中できないし、みんなにも迷惑かなって。
それより、萩斗くんは何でこんなところにいるの」
「いや、せっかくの沖縄の夜だしさ。原っぱで星空でも眺めようかなって」
もちろん「君の履いているパンツを妖怪に食べさせるためだよ」などという意味不明な本音は、口が裂けても言えない。
「夜空? へえ、ロマンチックだね。萩斗くん、そんなとこあるんだ。いいね、そういう気持ち持ってるの、素敵だね」
「そうかな。ロマンチックだなんて、大げさだって」
「夜空か。言われてみれば、気づかなかったけど……」
笹は顔を上げ、空へと目を移す。
「ホントだ。綺麗な星だね」
「うん。だから寝っ転がって眺めようかなって」
「寝っ転がるの? わたしも隣にいて、いいかな? スピーチ練習も疲れちゃったしさ」
「もちろん」
笹の方から誘ってくれるのはありがたい。これを狙っていたのだ。
「しまパン」狩り作戦の導入である。
俺と笹は草っ原に仰向けになって、夜空を見上げた。狩りを行うための口実でしかなかったが、確かに夜空は美しく、雄大だった。
煌々と光る星々が、くっきりと浮かび上がっていた。僕らを包み込むように、ゆっくりと夜空は動いていた。
これまで、まともに夜空と向き合ったことなどなかった。星を眩しく感じたのは初めてだ。
「なんか、青春っぽいね」
そう言うと笹はふふっ、と笑った。
「青春?」
「そう、青春。だって修学旅行中にね、男女ふたりで仰向けになって夜空眺めてるんだよ。姫出先生とか、好きそうなシチュエーションじゃない?」
姫出先生とは、音楽を担当する学校で一番若い先生である。「高校生たるもの青春に勤しむべし」というポリシーの持ち主で、やたらと生徒に青春を押しつける先生だ。
明るくて優しくて、もっとも生徒に慕われている。
「姫出先生か。笹の言う通り喜びそうだな、こんな光景」
「でしょ。絵に描いたような青春だよ」
笹は笑窪も深く笑っていて、心底楽しげな表情である。
「笹は、大丈夫なのか」
「何のこと?」
「その、何て言うかさ。万が一こんなところ誰かに見られたりでもしたら、恥ずかしくないか」
「恥ずかしいって、どうして」
「ほら、他の男子ならまだしも、俺なんてさ……」
そう言う俺の目を笹は、不思議そうにじっと見つめる。
「変な言い方するね。萩斗くんは自分のことどう思ってるかわかんないけど、わたしは他の男子より、萩斗くんと話している方が楽しいよ。気持ちが楽になるっていうか」
「なんで……」
「だって他の男子はさ、何て言うか、恐いっていうか……」
「怖い?」
「いや、あのね、嫌いなわけじゃないんだよ。男子も……女子もね。けどちょっと苦手というか……。
とにかくさ、わたしは萩斗くん、素敵だと思うよ」
笹は、僕を見つめる目元を緩めた。
か、可愛い……。
こんな間近で見たのは初めてだが、やっぱ可愛い。
心臓を掴まれるほどの可愛さで、俺は顔が赤くなりそうだ。両手のひらでぎゅううっと表情を隠したいところだが「そんなことないよ」とか言いながら無理して、澄ました顔をつくる俺である。
素敵なのは笹の方だ。やはり、天使だ。
こんな笹のパンツを奪おうだなんて、俺はなんと不届き者だろうか。許してくれ、理解してくれ。一人と一匹の妖怪の命がかかっているのだ。
カサカサカサッ。
静かな夜に、草の擦れるような音が聞こえる。
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