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日和見日記
綿貫の兄
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部室に戻り、服を着替える。
頭がガンガンする。しばらく休んでから帰るか。
そう思って、椅子に座ってぼーっとしていると、がらりと扉が開き、綿貫が入ってきた。運動した後だというのに、綿貫はいい匂いがした。
……嗚呼、これも邪念か、慎むべき、慎むべき。
「深山さん大丈夫ですか?心配だから見に来ました」
「何とか」
俺はその時まずいものを見てしまった。どうしよう。言うべきだろうか、いや、言わなければならない。佐藤がいれば佐藤に頼むのだが、生憎今日は俺と綿貫の二人だけだ。いいか、深山太郎、あくまでさりげなく、なんとでもない様子で言うんだぞ。
絶対ニヤつくなよ。
俺は覚悟を決めた。
「綿貫」
「はい?」
「開いてるぞ、……前のファスナー」
「あっ、あっ」
綿貫は顔を真っ赤にして、向こうを向いた。
こればかりはなかなかうまくやれんな。綿貫は何も言わない。気まずい。こういう時は気にしていないそぶりを見せるのが一番だと思う。とはい言っても、口下手な俺にこの沈黙を破る、話のネタはすぐに思いつかない。
うーん、……あっそうだ。
「そういえば、綿貫って、山についてはそれほど詳しくないって言っていたが、実際のところどうなんだ。今まで登ったことはないのか?」
服を整えたようでこちらを向いて綿貫は言った。顔はまだ少し赤かったが。
「私の父があまりそういうのが好きでなかったので登ったことはないんです」
こいつのいう父とは、賢二さんのことだろう。物心つく前から育ててもらっている人だ。育ての親である叔父の賢二さんのことを父というのは何らおかしいことではない。
だが、こいつが、俺がこいつの家のことについて知っていることが、より立ち入ったものであるということを知らないことが、なんだか気持ち悪かった。元来隠し事は好まない質だ。
もやもやとした気持ちを押し殺して、話を続けた。
「そうなのか、俺もお前も今度の山が処女登山というわけか」
「そういうことですね。……ところで元気は出ましたか」
「うん」
「帰りましょうか」
「ああ」
俺たち二人は部室を出て校門へと向かう。季節はまだ春だが、久しぶりに運動をして、のどがカラカラになっていた。
「何かのどが渇いたな。何か飲んでいこうかな」
ほとんど独り言だったのだが、綿貫はそれに反応した。
「喫茶店ですか」
「え、あーうん」
本当はコンビニで買おうと思ったのだが、つい見栄を張ってしまった。
「私も行っていいですか」
……そう来るか。
俺は例のごとく、キラキラした眼で見つめられて断り切れなかった。まあいいさ。さっさと飲んで帰ろう。
俺が首を縦に振ったら、綿貫は嬉しそうに、こういった。
「あのー、実は行きたかったお店があるんです。そこでもいいですか?すぐ近くですよ」
近くならいいや。
「任せた」
綿貫に連れられて、2,3分歩き、洒落た感じの店に入った。見たことがない店だ。おそらくチェーンやフランチャイズではないのだろう。神高生はいなさそうだ。よかった。
「何名様ですか?」
店員は店に入った俺たちを見て言った。
「二人です」
店員にはカップルに見えるだろう。まあ、致し方ない。
「奥の席でもいいですか?」
綿貫が店員に尋ねる。
「お好きな席に座ってください」
その問答を聞いて、俺はある考えが頭に浮かんだ。俺がここに来たのは綿貫が誘導したからだ。そもそもなぜ綿貫は俺を部室に迎えに来たのだろうか。まさか、今日俺が綿貫の胸を見ていたことに気づき、そのことを種に俺を強請る気じゃないか。
もしかしたら、奥の席には大海原が雇ったどう見ても堅気ではない用心棒が座っていて、「うちのお嬢に何さらしてくれとんじゃ。どう落とし前付けてくれるんかてめえ」みたいな展開になって俺は小指を詰めることになるんじゃないか。
それでも十分嫌だが、明日には名古屋港に沈められてしまっているかもしれない。いや、大事なところを潰されるとかか?
と一巡ふざけたことを考える。別段本気でそんなことを思うわけでない。そもそも俺を痛めつけるならば、わざわざ人目のある所には連れて行かないはずだ。この喫茶店で俺が危害を加えられることはその点から言ってまずないわけだ。ここが大海原の関係者の店でなければだが。まあそれはレアケースだ。
ふとした疑問を尋ねる。
「綿貫、なんで奥がいいんだ」
「深山さんがそっちのほうがいいかなって。あまり知り合いに見られるのはお好きじゃないでしょう」
なかなか、気が利くお嬢さんである。それから深刻そうな顔をして、こう続けた。
「それに、人気のない所で少し話したいことがあるんです」
俺は今度こそ、陰嚢が縮み上がる思いがした。まさか、レアケースのほうだったか?やばい、俺の子種が危うい。
俺は席についてからも少しビクビクしていたのだが、グラサンをかけた怖い兄ちゃんが出てくることもなければ、綿貫が俺を糾弾する様子も見られなかったので、安堵のため息をついた。
店員が注文を取りに来て、俺はホットチャイ(運動したあとではあるが、俺はカフェインをとるとき、アイスで頼まないようにしている)を、綿貫はフラペチーノ?を注文した。
商品が運ばれてくるのを待つ間、綿貫と少し話をした。
「ここのお店、今年の春からできたそうですよ。先輩に教えてもらったんです」
「そうか」
綿貫は大病院の息女だ。家同士の付き合いをしている人間はたくさんいるだろうし、うちの高校にそういう人間がいてもおかしくない。その先輩というのは大方そういう類いの人だろう。何せ綿貫は山岳部員で、部活で先輩と交流することはないからだ。
「深山さん」
綿貫がふと俺の名を呼んだ。
「なんだ」
「なんだかデートしてるみたいですね」
「ばっ馬鹿なこと言うんじゃない」
俺は思わず、口に含んでいたお冷やを噴き出すところだった。
「うふふ」
全く、うふふ、じゃない。
綿貫は女子高生らしくセーラー服に身を包んでいる。それに対し、俺は学ランを来ている。
まあ確かに端から見れば高校生カップルがデートしているようにしか見えないのかもしれないが、俺も綿貫も互いに恋愛感情を抱いていないのだから、これをデートと呼ぶのは道理ではない。
俺は綿貫が話があるといっていたのを思いだし、
「それより、なんだ、話って?」
「ああ、そうでした。実は深山さんに頼みたいことがあるんです」
「頼み事か。簡単なことなら手伝ってもいいが込み入っているのは嫌だぞ」
「どちらかというと込み入ってますね」
「じゃあパス、他を当たってくれ」
俺は同じ部活の仲間とは言っても、個人的な頼みごとにいちいち付き合っていられるほどお人好しではない。
「そんな、話だけでも聞いてください」
綿貫はそう言い、じっと俺のことを見つめる。ああ、やめてくれ、その目は。
まるで俺が悪者みたいじゃないか。…………。
はあ、まったく。
「分かったよ。話を聞くだけだぞ」
綿貫はにっこりと笑い、
「はい、ありがとうございます」
俺はこいつに完全に振り回されているな、と思ったが、深山太郎とはそういう人間なのだ。結局のところ。
「話は、私の家族のことについてです。実は深山さんがこの前会った私の父は本当の父親ではないのです。
どうかしましたか深山さん?」
「いや実は、その事は知っていたんだ。お前のおじさんに聞いたからな」
「そうでしたか。兄のことも?」
「ああ」
「でしたら、話は早いです」
「まさか、兄貴探すの手伝えなんて言うんじゃないだろうな」
「ええ、言いませんよ。ただ、兄がなぜ失踪したのかを考えてほしいんです」
「はあ?」
綿貫は少しひるんだように見えた。
ああ、しくじった。つい、過剰に反応してしまった。
「いや、すまん。……どういうことだよ。お前の兄貴は親父を探しに行ったんじゃないのか」
そうだ。賢二さんは確かにそう言っていた。しかし綿貫は、
「それが本当のこととは私には思えないのです。私には何か他に原因があるように思えます。これを見てください。兄が家を出るときに残したメモです」
と言った。
『亡者を帰るべき所に帰す』
メモにはそう記されてあった。
「亡者って言うのは、お前の親父のことだろ。親父の遺骸を名古屋に持って帰る。そういう意味じゃないのか」
「私には不自然に感じられてなりません。遭難してから何年もたっている人を、たった一人で見つけることは容易なことではありません」
「兄貴が失踪したのはいつだ?」
「昨年の八月です。大学卒業して医師として働くための研修が、後半年で終わるという頃でした」
「剣岳ってのはかなり難度の高い山なんだよな」
「はい、遭難者も多いです」
俺は少し考えてから口を開く。
「お前の親父が亡くなったのは、兄貴が小学生の時だろ。その時は山に登るには幼すぎたし、成長してからも受験やらで忙しかったんだろう。研修の終わりが見え、ふと自分のルーツについて気になった。つまり親父のことを知りたくなった。その一環としてまず行方不明の親父を捜しに行こうと思ったんじゃないか」
綿貫が答える。
「兄は馬鹿ではありません。何をどうすべきか、いつも分かっているように見えました。そんな兄が、はっきり言って、そんな愚行に臨むとは到底思えないのです。それに兄は何度も剣岳には登っていますから、父のことを偲んで、ということも今となっては考えにくいです」
「……なるほど、お前の考えはもっともだ。お前が見てきた兄貴がそういう人間だというなら恐らくそうなのだろう。兄貴は何か別の原因で失踪したのかもしれない。
だが俺ができることはない。何をどう調べたってお前の兄貴が失踪した理由なんてわかりっこないよ。特に俺は部外者なんだからな」
「そんなことやってみなければ分からないじゃないですか。深山さんは留奈さんの八十万円の件をそれは見事に解決したではないですか。深山さんは気づいてないのかもしれませんけど、深山さんにはそういう能力があるんです。どうか助けてください。お願いです」
「気が進まん。何で俺が、お前たち家族の立ち入った問題に関わらなければならないんだ。大体、お前が欲しいのは第三者の客観的な意見だろう」
「はい」
「だったら別に俺でなくともお前のことを手伝ってくれる奴ならいるだろう。ほら、佐藤とか」
「一人、信頼できる人に頼んでみましたが、断られてしまいました。あれは時効だって。留奈さんは……大切な友達です。ですが深山さん、あなたは自分の家族が三人亡くなっているとして、その事を誰彼構わず話せますか」
頭をガンと殴られたかのように思えた。俺が綿貫に対してしたことに気づいて。
そこで、店員がホットチャイとフラペチーノとを持ってきた。店員は商品を置いた後去って行く。俺はホットチャイに一口つけてから、
「……いや、すまなかった。お前の気持ちも考えずに」
と綿貫に謝罪した。
これは非常にプライベートな問題だ。綿貫がこの話を俺にしようと決意するのさえ勇気が要っただろう。それなのに俺はそれを無碍に扱おうとした。人の気持ちを踏みにじるのは、俺の生活信条から遠く離れている。
綿貫は続ける。
「深山さんのおっしゃったように、私が、調べたことから組み上げた仮説を、深山さんに聞いてもらって、論理的におかしなところがないか判断してもらう。深山さんのお手を煩わせるようなことは、できる限り無いように計らいます。深山さんはわたしの話を聞いてくれるだけでいいんです。どうか力を貸してください」
安寧の高校生活。ここで、綿貫の調査を手伝う事になれば、おそらく俺はそれを手放さなければなくなる。山岳部に入った目的も果たせなくなるということだ。
だから、断ろうとした。
だが、目の前に座っている少女は、頼るところなく、こうしてその頭を俺に下げているのだ。俺はそれを断るほど非情な人間になれるか? 気分の悪い思いをすることにはならないか?
俺は不愛想な男かもしれないが、道にうずくまっている人間をまたいで歩いて行けるほど、人間味に欠けているわけでもなかった。
「……分かったよ。話ならいくらでも聞いてやる。……そしてもし調査に手間取るようなら、少し位は手伝ってやる。ただ、それだけだ。俺が先陣切って何かするということはないからな」
「重々承知しています。どうかよろしくお願いします。調査の方向としては、この亡者というのが本当に父であっているのかどうかをまず調べていきたいと思います。兄の心情を探る調査になるので、手探りで、すべて論理的に結論を導き出せるとは思えませんが、取っ掛かりはつかめると思います」
「もしお前の兄貴の周りで親父さんとお袋さん以外に亡くなっている人がいたらその人の事について調べるといいかもな」
「そうですね」
「帰るべき場所って言うのは亡者の家か墓だろうか」
「おそらくそうかと思いますが、そうと決めつけず、色眼鏡で見ないようにしたいですね」
「そうだな」
調査はかなり難航することだろう。解決の糸口すら掴めないで終わってしまうかもしれない。
だが大事なのは結論を出す事ではない。そもそも答えの確かめようがないのだから。この場合重要なのは、綿貫が調査に望むことそのものだ。
納得する答えが出るのがいいのは言うまでもないが、綿貫が調査に奮闘して、過去に区切りをつけることが出来れば、最低限目的は達せられたと言えるだろう。
俺は残りのホットチャイをぐいと飲み干した。シナモンの香りが口いっぱいに広がる。
まあ、あれだ。要は気長に相談相手をすればいいわけだ。ちょろいもんさ。
だんだんと夏に近づきつつある今日この頃、大きな宿題を抱えた目の前の少女はほっとした様子でフラペチーノに舌鼓を打っていた。
頭がガンガンする。しばらく休んでから帰るか。
そう思って、椅子に座ってぼーっとしていると、がらりと扉が開き、綿貫が入ってきた。運動した後だというのに、綿貫はいい匂いがした。
……嗚呼、これも邪念か、慎むべき、慎むべき。
「深山さん大丈夫ですか?心配だから見に来ました」
「何とか」
俺はその時まずいものを見てしまった。どうしよう。言うべきだろうか、いや、言わなければならない。佐藤がいれば佐藤に頼むのだが、生憎今日は俺と綿貫の二人だけだ。いいか、深山太郎、あくまでさりげなく、なんとでもない様子で言うんだぞ。
絶対ニヤつくなよ。
俺は覚悟を決めた。
「綿貫」
「はい?」
「開いてるぞ、……前のファスナー」
「あっ、あっ」
綿貫は顔を真っ赤にして、向こうを向いた。
こればかりはなかなかうまくやれんな。綿貫は何も言わない。気まずい。こういう時は気にしていないそぶりを見せるのが一番だと思う。とはい言っても、口下手な俺にこの沈黙を破る、話のネタはすぐに思いつかない。
うーん、……あっそうだ。
「そういえば、綿貫って、山についてはそれほど詳しくないって言っていたが、実際のところどうなんだ。今まで登ったことはないのか?」
服を整えたようでこちらを向いて綿貫は言った。顔はまだ少し赤かったが。
「私の父があまりそういうのが好きでなかったので登ったことはないんです」
こいつのいう父とは、賢二さんのことだろう。物心つく前から育ててもらっている人だ。育ての親である叔父の賢二さんのことを父というのは何らおかしいことではない。
だが、こいつが、俺がこいつの家のことについて知っていることが、より立ち入ったものであるということを知らないことが、なんだか気持ち悪かった。元来隠し事は好まない質だ。
もやもやとした気持ちを押し殺して、話を続けた。
「そうなのか、俺もお前も今度の山が処女登山というわけか」
「そういうことですね。……ところで元気は出ましたか」
「うん」
「帰りましょうか」
「ああ」
俺たち二人は部室を出て校門へと向かう。季節はまだ春だが、久しぶりに運動をして、のどがカラカラになっていた。
「何かのどが渇いたな。何か飲んでいこうかな」
ほとんど独り言だったのだが、綿貫はそれに反応した。
「喫茶店ですか」
「え、あーうん」
本当はコンビニで買おうと思ったのだが、つい見栄を張ってしまった。
「私も行っていいですか」
……そう来るか。
俺は例のごとく、キラキラした眼で見つめられて断り切れなかった。まあいいさ。さっさと飲んで帰ろう。
俺が首を縦に振ったら、綿貫は嬉しそうに、こういった。
「あのー、実は行きたかったお店があるんです。そこでもいいですか?すぐ近くですよ」
近くならいいや。
「任せた」
綿貫に連れられて、2,3分歩き、洒落た感じの店に入った。見たことがない店だ。おそらくチェーンやフランチャイズではないのだろう。神高生はいなさそうだ。よかった。
「何名様ですか?」
店員は店に入った俺たちを見て言った。
「二人です」
店員にはカップルに見えるだろう。まあ、致し方ない。
「奥の席でもいいですか?」
綿貫が店員に尋ねる。
「お好きな席に座ってください」
その問答を聞いて、俺はある考えが頭に浮かんだ。俺がここに来たのは綿貫が誘導したからだ。そもそもなぜ綿貫は俺を部室に迎えに来たのだろうか。まさか、今日俺が綿貫の胸を見ていたことに気づき、そのことを種に俺を強請る気じゃないか。
もしかしたら、奥の席には大海原が雇ったどう見ても堅気ではない用心棒が座っていて、「うちのお嬢に何さらしてくれとんじゃ。どう落とし前付けてくれるんかてめえ」みたいな展開になって俺は小指を詰めることになるんじゃないか。
それでも十分嫌だが、明日には名古屋港に沈められてしまっているかもしれない。いや、大事なところを潰されるとかか?
と一巡ふざけたことを考える。別段本気でそんなことを思うわけでない。そもそも俺を痛めつけるならば、わざわざ人目のある所には連れて行かないはずだ。この喫茶店で俺が危害を加えられることはその点から言ってまずないわけだ。ここが大海原の関係者の店でなければだが。まあそれはレアケースだ。
ふとした疑問を尋ねる。
「綿貫、なんで奥がいいんだ」
「深山さんがそっちのほうがいいかなって。あまり知り合いに見られるのはお好きじゃないでしょう」
なかなか、気が利くお嬢さんである。それから深刻そうな顔をして、こう続けた。
「それに、人気のない所で少し話したいことがあるんです」
俺は今度こそ、陰嚢が縮み上がる思いがした。まさか、レアケースのほうだったか?やばい、俺の子種が危うい。
俺は席についてからも少しビクビクしていたのだが、グラサンをかけた怖い兄ちゃんが出てくることもなければ、綿貫が俺を糾弾する様子も見られなかったので、安堵のため息をついた。
店員が注文を取りに来て、俺はホットチャイ(運動したあとではあるが、俺はカフェインをとるとき、アイスで頼まないようにしている)を、綿貫はフラペチーノ?を注文した。
商品が運ばれてくるのを待つ間、綿貫と少し話をした。
「ここのお店、今年の春からできたそうですよ。先輩に教えてもらったんです」
「そうか」
綿貫は大病院の息女だ。家同士の付き合いをしている人間はたくさんいるだろうし、うちの高校にそういう人間がいてもおかしくない。その先輩というのは大方そういう類いの人だろう。何せ綿貫は山岳部員で、部活で先輩と交流することはないからだ。
「深山さん」
綿貫がふと俺の名を呼んだ。
「なんだ」
「なんだかデートしてるみたいですね」
「ばっ馬鹿なこと言うんじゃない」
俺は思わず、口に含んでいたお冷やを噴き出すところだった。
「うふふ」
全く、うふふ、じゃない。
綿貫は女子高生らしくセーラー服に身を包んでいる。それに対し、俺は学ランを来ている。
まあ確かに端から見れば高校生カップルがデートしているようにしか見えないのかもしれないが、俺も綿貫も互いに恋愛感情を抱いていないのだから、これをデートと呼ぶのは道理ではない。
俺は綿貫が話があるといっていたのを思いだし、
「それより、なんだ、話って?」
「ああ、そうでした。実は深山さんに頼みたいことがあるんです」
「頼み事か。簡単なことなら手伝ってもいいが込み入っているのは嫌だぞ」
「どちらかというと込み入ってますね」
「じゃあパス、他を当たってくれ」
俺は同じ部活の仲間とは言っても、個人的な頼みごとにいちいち付き合っていられるほどお人好しではない。
「そんな、話だけでも聞いてください」
綿貫はそう言い、じっと俺のことを見つめる。ああ、やめてくれ、その目は。
まるで俺が悪者みたいじゃないか。…………。
はあ、まったく。
「分かったよ。話を聞くだけだぞ」
綿貫はにっこりと笑い、
「はい、ありがとうございます」
俺はこいつに完全に振り回されているな、と思ったが、深山太郎とはそういう人間なのだ。結局のところ。
「話は、私の家族のことについてです。実は深山さんがこの前会った私の父は本当の父親ではないのです。
どうかしましたか深山さん?」
「いや実は、その事は知っていたんだ。お前のおじさんに聞いたからな」
「そうでしたか。兄のことも?」
「ああ」
「でしたら、話は早いです」
「まさか、兄貴探すの手伝えなんて言うんじゃないだろうな」
「ええ、言いませんよ。ただ、兄がなぜ失踪したのかを考えてほしいんです」
「はあ?」
綿貫は少しひるんだように見えた。
ああ、しくじった。つい、過剰に反応してしまった。
「いや、すまん。……どういうことだよ。お前の兄貴は親父を探しに行ったんじゃないのか」
そうだ。賢二さんは確かにそう言っていた。しかし綿貫は、
「それが本当のこととは私には思えないのです。私には何か他に原因があるように思えます。これを見てください。兄が家を出るときに残したメモです」
と言った。
『亡者を帰るべき所に帰す』
メモにはそう記されてあった。
「亡者って言うのは、お前の親父のことだろ。親父の遺骸を名古屋に持って帰る。そういう意味じゃないのか」
「私には不自然に感じられてなりません。遭難してから何年もたっている人を、たった一人で見つけることは容易なことではありません」
「兄貴が失踪したのはいつだ?」
「昨年の八月です。大学卒業して医師として働くための研修が、後半年で終わるという頃でした」
「剣岳ってのはかなり難度の高い山なんだよな」
「はい、遭難者も多いです」
俺は少し考えてから口を開く。
「お前の親父が亡くなったのは、兄貴が小学生の時だろ。その時は山に登るには幼すぎたし、成長してからも受験やらで忙しかったんだろう。研修の終わりが見え、ふと自分のルーツについて気になった。つまり親父のことを知りたくなった。その一環としてまず行方不明の親父を捜しに行こうと思ったんじゃないか」
綿貫が答える。
「兄は馬鹿ではありません。何をどうすべきか、いつも分かっているように見えました。そんな兄が、はっきり言って、そんな愚行に臨むとは到底思えないのです。それに兄は何度も剣岳には登っていますから、父のことを偲んで、ということも今となっては考えにくいです」
「……なるほど、お前の考えはもっともだ。お前が見てきた兄貴がそういう人間だというなら恐らくそうなのだろう。兄貴は何か別の原因で失踪したのかもしれない。
だが俺ができることはない。何をどう調べたってお前の兄貴が失踪した理由なんてわかりっこないよ。特に俺は部外者なんだからな」
「そんなことやってみなければ分からないじゃないですか。深山さんは留奈さんの八十万円の件をそれは見事に解決したではないですか。深山さんは気づいてないのかもしれませんけど、深山さんにはそういう能力があるんです。どうか助けてください。お願いです」
「気が進まん。何で俺が、お前たち家族の立ち入った問題に関わらなければならないんだ。大体、お前が欲しいのは第三者の客観的な意見だろう」
「はい」
「だったら別に俺でなくともお前のことを手伝ってくれる奴ならいるだろう。ほら、佐藤とか」
「一人、信頼できる人に頼んでみましたが、断られてしまいました。あれは時効だって。留奈さんは……大切な友達です。ですが深山さん、あなたは自分の家族が三人亡くなっているとして、その事を誰彼構わず話せますか」
頭をガンと殴られたかのように思えた。俺が綿貫に対してしたことに気づいて。
そこで、店員がホットチャイとフラペチーノとを持ってきた。店員は商品を置いた後去って行く。俺はホットチャイに一口つけてから、
「……いや、すまなかった。お前の気持ちも考えずに」
と綿貫に謝罪した。
これは非常にプライベートな問題だ。綿貫がこの話を俺にしようと決意するのさえ勇気が要っただろう。それなのに俺はそれを無碍に扱おうとした。人の気持ちを踏みにじるのは、俺の生活信条から遠く離れている。
綿貫は続ける。
「深山さんのおっしゃったように、私が、調べたことから組み上げた仮説を、深山さんに聞いてもらって、論理的におかしなところがないか判断してもらう。深山さんのお手を煩わせるようなことは、できる限り無いように計らいます。深山さんはわたしの話を聞いてくれるだけでいいんです。どうか力を貸してください」
安寧の高校生活。ここで、綿貫の調査を手伝う事になれば、おそらく俺はそれを手放さなければなくなる。山岳部に入った目的も果たせなくなるということだ。
だから、断ろうとした。
だが、目の前に座っている少女は、頼るところなく、こうしてその頭を俺に下げているのだ。俺はそれを断るほど非情な人間になれるか? 気分の悪い思いをすることにはならないか?
俺は不愛想な男かもしれないが、道にうずくまっている人間をまたいで歩いて行けるほど、人間味に欠けているわけでもなかった。
「……分かったよ。話ならいくらでも聞いてやる。……そしてもし調査に手間取るようなら、少し位は手伝ってやる。ただ、それだけだ。俺が先陣切って何かするということはないからな」
「重々承知しています。どうかよろしくお願いします。調査の方向としては、この亡者というのが本当に父であっているのかどうかをまず調べていきたいと思います。兄の心情を探る調査になるので、手探りで、すべて論理的に結論を導き出せるとは思えませんが、取っ掛かりはつかめると思います」
「もしお前の兄貴の周りで親父さんとお袋さん以外に亡くなっている人がいたらその人の事について調べるといいかもな」
「そうですね」
「帰るべき場所って言うのは亡者の家か墓だろうか」
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調査はかなり難航することだろう。解決の糸口すら掴めないで終わってしまうかもしれない。
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