悠々自適な高校生活を送ろうと思ったのに美少女がそれを許してくれないんだが

逸真芙蘭

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日和見日記

池田山山行

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「深山さん、もっと私のことをちゃんと見てください」
 綿貫は何をいっているのだろうか。人のことをじろじろ見たら失礼ではないか。
「あなたが見ているのは、物事の表面であって、人の内面にはまったく向けられていません。人のことを理解しようとすらしない。そちらの方がよっぽど失礼ではありませんか」
 驚いた。いつから綿貫は俺の心が読めるようになったのだろうか。というか、さっきから妙に眩しいぞ。

 意識が浮上し、気づいたら俺はベッドの上にいた。
「変な夢だな」

   *

 今日は、はじめての山行、池田山登山である。いつもより、早く起き、朝食の用意をする。用意と言っても、ご飯をよそい、納豆を出し、味噌汁を温めるだけの簡便なものだが。

 腹ごしらえをした後、家を出る準備をする。
 準備を整え、駅へと向かう。もう晩春といってもよい時節だが、日の出ていない早朝は少し肌寒い。自転車に乗って、ひんやりとした風を切り、駅前へと到着した。電車に乗り、集合場所である岐阜の大垣駅へと向かう。

 車窓から外の様子を眺める。朝日が出てきた。今日は快晴といってよいだろう。雲はほとんど見られない。まさに登山日和ではないか。
 電車を降り、階段を上がる。大垣駅の改札の前が集合場所であったが、まだ誰もいないようだ。集合時間まで三十分ほどある。本を読んで待つことにしよう。

   *
 
 小説に熱中していたところ、前に誰かが立った。見ると綿貫である。the 山ガールという格好でいる。ポリのシャツに、下はスポーツ用タイツの上に短パンをはいている。アンダーシャツは体にぴったりと付く素材なので、なんだか目のやり場に困った。
 綿貫は心なしか清々しい顔をしているが、昨日のことが関係しているのかもしれない。

「深山さん、おはようございます」
「おっす」
「今日も本を読んでいらっしゃるのですね」
「時間の浪費は罪に等しいからな」
 時計を見ると、先ほどから十五分程経っていた。

「ほかの連中はまだ来ていないようだな」
「そうですね」
 綿貫はそう言いながら改札の方を見やる。

 すると、
「あっ来ましたよ。飯沼先生と、留奈さんと山本さんも一緒のようですね」
 と言った。

 俺も改札の方を見る。確かに三人とも来ている。飯沼先生は昨日のミーティングで初めて顔を合わせたのだが、今日は昨日のくたびれた様子とは違って、心なしか、活力に満ち満ちているように見えた。よっぽど山が好きなんだろうなと思った。

「飯沼先生、おはようございます」
 綿貫が挨拶をしたので、俺も続く。雄清と佐藤には軽く手を挙げる。全員が集合したところで、飯沼先生が話を始めた。
「皆さん揃っていますね。えっと、今日は昨日も言ったように、岐阜県池田町の池田山というところに登ります。これからローカル鉄道に乗り換えます。あっトイレはいいですか」
「だいじょうぶです」
「よさそうですね、じゃあ、予定より早いですが、行きましょうか」

 俺たちはエスカレーターを降り、一度駅舎を出てから、JRに併設されている第三セクターの鉄道のホームへと向かった。

 ホームで電車を待つ間、簡単な確認があった。
「ここの電車に乗って揺られて、七時四十五分に向こうにつきます。そこから登山口まで歩いて登るわけですけど、今回は初回ということで軽めの山を選びました。ペースに気を付ければバテることはないと思います。順調にいけば一時過ぎには降りられるでしょう。もしね、迷子になったら電話してください。山でも電波届くんですよ。んっどうした深山?」
 俺が小さく手を挙げたのに気が付いて、飯沼先生が声を掛ける。

「いや、俺電話機持ってないんですよ」
 それに綿貫が続いた。
「あっ先生、私もです」
 
 それを聞いた飯沼先生は、大層驚いたようだ。
「えっそうなの? これは驚いたな。ガラパゴスどころじゃないぞ。今時の高校生が携帯電話を持っていないとは。……まあいいです。前の人のお尻を見て歩けば迷子にはならないでしょう。怪我だけはしないように気をつけて登りましょう」

 佐藤が俺のことを見ている。なんだ? ああ、
「安心しろ。俺はお前の汚いけつを見て登る気はないから」

 思いっきり足を踏まれた。

「……暴力反対」
 俺が呻くように言った所、
「うるさいあんたが悪い」
「お前の尻を、嬉々として見て登る、と言っても怒るだろうが」
「ほんっとサイッテー」
 女子とは扱いの難しいものだ。

 待っていると二両編成のワンマン車がホームにとまった。客は見たところ居ないようである。

「がら空きだね」
 雄清が面白そうに言う。
「まあ、土曜の朝だからな」
 俺はとりあえず妥当なことをいう。
「それにしても、ほかの客がゼロっていうのも、少しおかしくないかい」
 すかさず雄清は、答える。
「それもそうだな」
 でもまあローカル線なんてこんなものなんだろう。田舎の人間は電車などよう使わん。駅の周りになにもない何てことしばしば。結局車を使う方が楽なのだ。

「いいじゃない、神高山岳部専有車よ。貸し切りよ、貸し切り」
 佐藤はいたってポジティブだ。
「俺はそんなことより経営状態が気になるな」
 つぶれやしないか、この路線?
「ローカル鉄道はどこも厳しいんじゃない。お客って言っても地元の人は車があるだろうし、山奥に入り込むのなんて登山者かサイクリストくらいでしょ」
 と佐藤。
「こういう路線はいつも廃線の危機にあるんだろうね」
 と雄清。こりゃまた手厳しい意見を。

 すると綿貫は、
「そうなんですか、こんなにかわいい電車なのに」
 ……確かにこのレトロな車体は趣を感じられるものではあるが、……女子という生き物は、なんでもかわいくしたがる。そうか、かわいければ存在価値は抜群か。今日も日本は平和です。

 乗り込むこと五分、扉が閉まり、電車は動き出した。
 車窓からは養老山地のなだらかな稜線りょうせんが見えた。山の緑が目に優しい。山麓さんろくに広がるのは田んぼと民家。ノスタルジックとはこういうことを言うのだろうか。のどかな日本の田園風景。眺めているだけで、なんだか心が落ち着く気がした。

 詰め込み教育を全否定するわけではないが、日本人には子供の頃から、こういう、綺麗な景色を見て、心を休めるという時間がもっと必要だと思う。

 近くの席で、雄清と佐藤とが話をしている。佐藤が雄清に着ている服(おそらく新調した)を見せながら、
「ねえどう、今日の格好」
 と尋ねている。
「うん、よく似合ってるよ」
 完全に棒読み。いや、雄清、その言い方は適当すぎだろう。
 それなのに
「そう?」
 と佐藤はにんまりとするばかり。……何の茶番だ?

「うん、いかにもベテランの登山家って感じがする」
 そのコメントはどうなんだ?
「なに、おばさんぽいって言いたいわけ」
 ややとがった口調で佐藤は言った。ほれ見ろ、佐藤に火がついたじゃないか。
「そんなまさか、むしろおじさんでしょ」
 俺は思わず噴き出した。
「なによ、深山、あんた笑ってんじゃ無いわよ」
 おお、こわ。て言うか俺に当たんなよ。あおってんのは雄清だろうが、まったく。
 俺はとばっちりを避けるため、席を離れた。夫婦漫才めおとまんざいをやるのは勝手だが、俺には火の粉を振りかけないでほしい。

 ぼーっと、窓の外を眺めていると、綿貫が寄ってきた。
「お隣いいですか」
「ああ」
 綿貫はちょこんと座る。
 ……
 うーん、こいつにはパーソナルスペースという概念が存在しないのか。俺はさりげなく、綿貫から体を少し遠ざける。綿貫はまったく気にしている様子はない。
 気になるんだよ。いい匂いとか、膨らんだ胸とか。薄い生地である上に、ザックのベルトで締め付けるから余計に。

 そんな俺の邪念などつゆ知らず、綿貫は佐藤と雄清の方を見ながら、
「あのお二人、仲がいいですよね。留奈さんは山本さんのことが好きなんですね」
 とほっこりした様子でいう。
「今さら気づいたのか」
「ええ。でも、前々からそうなのではないかと思っていました」
「佐藤は完全に雄清にぞっこんだな。あんな、男のどこがいいのか俺にはわからんのだがな」

 雄清は確かに面白い男だし、一緒にいて気を使うこともない。それでも、あのひょうきんな男のどこに、セックスアピールを見いだすのか? 佐藤の考えは俺には分からん。
 たで食う虫も好き好きとは良くいうが。

「もしかして、嫉妬されてますか?」
 綿貫はそういった。まさか。
「そんな馬鹿な」
「では佐藤さんのことどう思っているんですか」
「俺があいつをか? うーん、かわいい方だとは思うが、あいつに恋愛感情を抱いたことは未だかつてないな。何せ、あいつは俺への当たりが強いからな」
 そう。言葉はきついし、さっきみたく、容赦なく暴力を振るう。俺は佐藤の前では、か弱い子羊ちゃんだ。バランスをとるため綿貫にはなぐさめてほしいくらい。

 だが、
「それは深山さんが留奈さんにひどいこと言うからでしょう」
 と喝破かっぱされた。
 ボクノマワリノオンナノコハ、ミンナボクニツメタイネー。

「そうか?」
「ええ。深山さんは以前、人の感情を逆撫でするようなことはしたくないと言っていましたが、留奈さんに対しては、それを実践しているようには思えません。なぜですか?」
「うーん、それは気の置けない相手だからかもしれんな。あいつは俺に本気で怒っているわけじゃないし、俺の言うことも冗談とわかっている。俺も気を使うことなく冗談を言える。
 なんやかんやいって結局のところ長く一緒にいるから、何を言えば本当にあいつが怒るのかというのは感覚で分かってるつもりだ。俺とあいつとの仲が険悪に見えたかもしれないが心配しなくていいぞ」
「そうですか。それが幼馴染みというものなんですかね」
 綿貫はしんみりと言った。
「かもな」

「いいですね。気の置けない相手ですか。私もそんな人が身近にいればいいんですけど」
 ……ここで何も言わないでいるほど、俺の血は冷たくない。
「いるだろう。そんな奴は周りに。佐藤や、雄清や、……俺だって、お前が笑いたいときには一緒に笑い、辛いときには支える。部活仲間ってそういうもんだろう」
 ああ、なんか俺すごく、くさいこと言ってるな。
「そうですね。すみません、失言でした。私も皆さんのことは大好きです」
 ……綿貫がいい子でよかった。俺の照れくさい気持ちはそれでもぬぐえなかったが。

 俺達は池野駅で降りた。ここから登山口まで歩くこと四十分ほどだという。
 静かな町だ。道すがら誰ともすれ違わない。住民がまだ寝ているのか、それとももう家を出て、どこかに出掛けているのかはわからないが、ひたすらに静かだ。トンビがぴーひょろろーと鳴いているのがよく聞こえるばかりである。

 橋を渡ったところ、公園として整備された雰囲気のところに出た。
 
 俺はそこに植わっている木を見て、
「これ桜だな。ソメイヨシノとは違うけど」
 俺がそう言うと、飯沼先生が地理教諭らしく、解説を始める。
「おお、深山よく分かったな。ここは桜の名所でな、霞間ヶ谷かまがたにって言うんだ。春の桜の時期には、辺り一面が桜の花で飾られ、遠くから見ると桜色に霧がかっているように見えたことから、かすみの間の谷って書いて霞間ヶ谷って呼ぶようになったらしい。ここの桜はソメイヨシノだけでなく、山桜と江戸彼岸えどひがん枝垂しだれ桜もあったかな。桜の時期に来るとそれは見事だぞ。酒が進んでしょうがない」
 酒のせいで、桜の記憶はだいぶぼんやりしたものだろうとは思うが。

 すると佐藤が、
「でもなんであんたわかったの、これが桜で、ソメイヨシノと違うものって。花の時期ならまだしも」
 という。
「昔、宿題で調べたことがあるんだよ」
「そんな宿題今までにあったっけ、雄くん?」
「いやないね」
 雄清は即答した。俺たち三人はずっと同じ学校だった。佐藤と雄清とがともにやってなくて、俺だけがやったような宿題と言ったら、どういうものかは限られてくるが。

「けど、太郎だけがやったのだとしたら、自由研究じゃないの?」
 そうそう。
「正解」
「ほら」
「なるほど」

 すると綿貫が、佐藤に
「桜をテーマにするなんて深山さん、風流ですね」
 ふふん。そうだろう。しかし佐藤は、小さな声で、
「こっちゃん、あんま褒めちゃダメよ。こいつすぐ図にのるから」
「そうですか?深山さんてすごく謙虚だと思うんですけど」
「こっちゃんに褒められると図に乗るの!」
 おい、聞こえてるぞ。何、ほら吹き込んでんだよ。
「そうでしたか」
 綿貫が不思議そうな顔をして見てくる。……ああもう。

 桜の林を抜け、ついに登山口に着いた。
「ここから登山道です。ばてないようにペースに気を付けて登りましょう。怪我だけは絶対しないように。万が一怪我したら大ごとになるからね。じゃあ、先頭は男子で、体力のあるほうが。その後ろに女子二人がついて、男子、私という順で」
 元帰宅部の俺より、雄清の方が体力があるのは明らかだ。
「雄清、先頭は任せた」
「了解」
 雄清、綿貫、佐藤、俺、先生の順に登り始めた。

 一行はひたすら森の中を歩く。はじめ、息があがり苦しくなるのは平地を走るのと同じである。しかし、また、同様に、いくらか経つと息が楽になった。萌える葉の色は目に優しく、森のにおい、土のにおいを、胸いっぱいに吸い込む。山を無心に登っていると、心が洗われるような気がした。ああ、登山ってこんなに気持ちの良いものだったのか。足を動かすのが楽しい。

 あと、完全な蛇足なのだが、当然山道は坂であり、縦に並んで登れば、必然的に視界は前の人間のけつで遮られる。
 運の良いことか悪いことか、俺は目の前で振られる、佐藤のけつを見ても、なにも感ずるところはなかった。俺、マジ紳士。
 ……いや、女子的には女として見られないというのは、少しく、侮辱になるのか? ……どうでもいいか。
 
 と、暢気のんきなことを考えながら、登っていられたのは最初の三十分だけであった。だんだんとまた息があがり、苦しくなってくる。三十分おきには、休憩をはさんだのだが、自分の足がどんどん重たくなってゆくことが、はっきりと分かった。

 景色は綺麗だ。だがそれを愛でる余裕が俺にはなかった。こんなに苦しいのは俺だけなのだろうか。見ると雄清は颯爽さっそうと登っている。綿貫も特に辛そうではなく、生き生きとしている。そんな、二人の様子を見て、俺は情けない気持ちになった。ああ、体力がないとはなんと悲しいことか。
 だがいまにもぶっ倒れそうな顔をしている佐藤を見て、安心した。飯沼先生も汗だくで、はあはあ、ぜえぜえ喘いでいる。そうだ、俺がやわなんじゃなくて、前の二人がおかしいんだ。

 ちょうどその時、飯沼先生が息も絶え絶えに、
「山本、ちょっと、ペースを、緩めてくれ」
 といった。
 雄清が振り返る。後ろの三人がバテバテなのを見て、ああしまったとでも言いたげな顔をして、
「あー、すみません。ペース落とします。……一旦休憩しましょうか?」
「そうしてくれ」
 一行は立ち止まり、休憩をとることになった。飯沼先生がザックをおろし、タオルで顔の汗を拭きとる。そうして、絞り出すように、
「山本と、綿貫はすごいな。このぶんなら、夏に行く高山も大丈夫そうだ。だが、私含め、後ろの三人はちょっと頑張らないといけないな」
 佐藤が先生に尋ねる。
「先生は最後に登ったのいつですか?」
「今年卒業した卒業生の子と去年の夏に登ったのが最後かな。すっかり運動不足だよ」
 とは言うが、定年間近の社会教諭が、バリバリ現役の高校生のペースについてこられるのは正直に言って、すごいと思う。さすが、伊達に山登りをしていない。飯沼先生は息を整えてから、
「あとは、金華山の高さもありません。予定より大分早く着きそうですね。じゃあもうひと踏ん張り頑張りましょうか」

 それから、俺たちはまた登り始めた。先生の言ったように直ぐに山頂が見えてきた。あと高さで見たら百ほどか? ゴールが見えてくると、なんだか元気が出てきた。もう少しだ、もう少しでこの苦悶くもんも終了する。
 
   *

 先頭の雄清が声を上げる。
「はい、到着」
 佐藤が、吐き出すように、
「あー、やっと着いた」
 綿貫はまだまだ元気である。
「展望台登ってみましょうよ」
 そういって、山頂に設置された、木組みの展望台を上っていった。

 俺たちも展望台に上がる。先生も一緒だ。
「ああ、いい景色だな。ツインタワー見える?」
 雄清が目を凝らしながらいう。
「うーん、どうだろ、あっ、木曽川沿いのタワーは見えるよ」
 佐藤は指を指して言った。その方向を見ると、確かに138タワーが見える。
「ほんとだ。名古屋の方まではちょっとかすんでるな」

 俺たちが遠くの景色を眺めていたところ先生が、
「景色見たら、お昼食べてね。十一時半になったら出発するから」
 と言いながら、展望台を降りていった。
「はーい」

 展望台を降りて、下の椅子のあるところで、昼食をとることにした。綿貫と佐藤は、まだ上で、写真を撮っている。
 まあ、何はともあれ初登頂は済んだ。下りは登りより、絶対に楽だろう。

 斜面を上って吹き付ける風が心地よい。ああ、これぞまさに森林浴。流した汗と共に、汚れた、精神もどこかに行ったような気がする。俺はあれほどしんどかった山登りをもうすでにもう一度したいと思っていた。
 山岳部に入部した理由は、極めて消極的なものではあったが、俺の選択は間違ってなかったようだ。

 想像通り、下りはかなり楽だった。あっという間に登山口に着き、予定より一本早い電車に乗ることができた。
 その日の夜はいつになく寝付きが良く、天井を見た覚えがないほどであった。
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