悠々自適な高校生活を送ろうと思ったのに美少女がそれを許してくれないんだが

逸真芙蘭

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日和見日記

消えたセーラー服

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 いつの間にやらカレンダーは六月になっている。飯沼先生曰く、梅雨入りする前にまたどこかの山に登りたい、と。月末にはテストが控えている。イベントが盛りだくさんで大変よろしい。
 はあ、本当に。
 毎日少しづつではあるが、走り、体の鍛錬を続けてきたので持久力もついたし、心なしか体が厚くなった気がする。体を鍛えるという当初の目的は着実に果たされようとしている。部活を引退するころにはラグビー部顔負けのゴリマッチョになっているかもしれない。
 二回目の登山は養老山地ようろうさんち藤原岳ふじわらだけというところであった。石灰岩の採掘のために山の半分は見るも無惨な姿になっていたが開けた山頂から見た景色はそれは気持ちの良いものであった。鍛錬の成果で途中でばてることもなかった。
 太ももの筋肉痛だけは避けることはできなかったが。
 
 六月下旬、雨がしとしとと降る中、神高生はテスト勉強に勤しむ。前回にまして、テスト範囲は長大であったので、テスト期間中、校内で見る顔すべてがやつれているようだった。
 しかし、止まない雨がないのと同様、終わらないテストもない。一学期期末考査は終了し、翌日から部活動も解禁になった。

 俺は部室で本を読んでいた。
 授業が終わる頃から雨が降っているが、天気予報だと夕方には止むといっていた。雨の中わざわざ帰る気にはならなかったし、昼休みに綿貫が教室に来て、話があるから放課後部室に来てくれと言っていたので、部室で時間を潰すことにしたのだ。まだ他には誰も来ていない。しばらくすると雄清が部室にやってきた。
「やあ太郎」
「おう、今日は走るのか」
 雨でも雨天時のランニング用に整備された屋根の下のランニングコースならば走ることはできるし、これまでも雄清はそうしていた。熱心なことだ。
「いや、足が痛いからやめとくよ」
「珍しいな」
 その時雄清の左手に絆創膏が貼ってあるのが見えた。朝あんなのあったか?
「ところで今日のテレビさ…」
 雄清が話し始めたので絆創膏のことは意識の外に出た。
 俺と雄清とで部室でしばらく話したあと雄清は部屋を出て行った。野暮用があるとかなんとか。俺は読みかけの文庫を出して読み始めた。しばらくしてから佐藤が部屋に飛び込んできた。
「雄清に会ったか?」
 何気なく佐藤に聞いた。
「会ってない。それより深山、制服探すの手伝って」
 ちらりと彼女を見る。
「要領を得んな」
 いきなり探せと言われても無理がある。
「盗まれたのよ」
 どうやらまたこいつは厄介事を持ち込んできたようだ。俺は読みかけの本に目をやってから佐藤の方を睥睨へいげいした。
「俺は先生でもましてや警察でもない。俺に頼むのはお門違いだろう。先生には言ったのか?」
「まだ」
「何故だ?」
「だって担任木下よ」
 木下は数学教師である。木下が担任だから相談しにくいとは。
「苦手なのか?」
「ええ、なんか無駄に熱いっていうか」
 佐藤は気まり悪そうな顔をした。

「だが悪い人じゃないだろう」
「そうなんだけどね」
 俺はため息をつく。助ける義理はないが、まあ、こいつにここで恩を売っておいても損はないだろう。……そもそも断ることをこいつは許してはくれないだろうが。
「しょうがないな。俺がついて行ってやるから先生に報告しろよ」
「わかった」
 俺は本を閉じて席を立った。

「まず何があったのか詳しく聞かせてくれ。職員室に行きながらな」
「えーっとね、今日の六限は体育だったんだけど、いつも通り更衣室で着替えたの。それで授業を受けて戻ったら制服がなくなっていたの。他に盗られた子はいなかったわ」
「盗まれたのは制服だけか」
「ううん。それが入った鞄とスマホも盗られた」
「男子更衣室か? それとも女子更衣室か?」
「私は番号が若いから男子更衣室よ」
 うちの学校は体育の授業の時は男子が教室で着替え、女子が更衣室を使っている。三クラス合同なので、片方の更衣室に女子が全員入れば少し狭い。そこで男女両方の更衣室で女子は着替えるわけだ。
「誰が何のためにやったんだ?」
「そんなことわかっていたらあんたに探すの頼むわけないし、理由は……言わせないでよね。あんたも男なんだからわかるでしょ」
「俺は別にお前の乳臭い制服なぞ、欲しくもな」
 ぐはっ。
 鳩尾みぞおちに肘を食らった。クリティカルヒット。……なかなかやるじゃないか。

 鳩尾をさすりながら俺は続ける。
「更衣室に鍵はかけていたのか」
「もちろん規則通りに」
「体育教師は授業中ずっとグラウンドにいたのか?」
「当たり前でしょ」
「途中で更衣室に戻ったりしたやつは」
「そんな子いないわよ。戻る必要がないもの」
 そうこうしているうちに職員室についた。木下のところに向かう。
「俺は当事者じゃないからお前が話せ」
「わかった」
 木下は宿題を見ているようだった。
「あの先生」
「ん?どうした佐藤」
「実は制服がなくなったんです」
「何! 窃盗か! 警察に通報しよう」
 なんだこれは、茶化しているのか? 
 茶化していないのだとしたら、隠蔽体質でないという点でいいのかもしれないが、生徒が犯人かもしれないのにすぐにことを荒立てようとするのは教師としていかがなものだろうかと思った。佐藤は少し困った顔をして、
「いえ、私は大事にする気はなく、とにかく服が見つかればいいんですけど」
「そっ、そうか、そうだな、まず探そうか。」
 それから俺を見ると、
「お前は何だ、お前が犯人か!」
 ここまでくると熱血というより脳筋である。こんな人が何故この学校の教師をやれているのだろうか。これでも大学を出て、数学を教えているのだから不思議である。
「先生そんな訳ないでしょう。犯人が悠然と職員室に来て、先生と対面するはずがないです」
「そっそうだな、いやすまない。」
「佐藤に男子更衣室を探すよう頼まれたんですよ。今部活中ですから。」
「そうか、よし、現場に行こう。まず何よりも現場だ」
 刑事気取りかよ。全く役に立ちそうもないが。この教師に相談するのをためらった佐藤の判断は正しかったのかもしれないと思うが、今更やめてくれといえるわけもない。

 男子更衣室の前に到着した。中は部活のために更衣している男子生徒でごった返していた。
「げっ先生なんでこんなところに」
 中の生徒の一人がうめくように言う。
「げとはなんだ、げとは」
 なぜか嬉しそうに反応する木下。

 更衣室はドアのある面と逆の面に小窓と三段の棚がついている。小窓は二つあって、空いていれば棚の上のものは外からとることができそうだ。ドアと小窓の他に外への出口はない。授業中にドアを開けるには体育教師の持つ鍵を使うか、職員室のマスターキーを使うかだ。だが体育教師はグラウンドにずっといたと言うし、もしだれかが更衣室に戻ったのなら佐藤や他の生徒が気づかないはずがない。それでマスターキーは生徒が使う事はできない。

「ちょっと先生何しているんですか!」
 男子生徒が悲鳴をあげる。
 木下はどう考えても無関係で無垢な男子生徒の鞄を覗いている。この教師は真面目に探す気があるのだろうか?
「いやちょっと探し物をな。それにしてもお前らはなんで鞄を床におく。棚を使え、棚を」
 と言って生徒の荷物を踏みそうになりながらよたよたと歩いている。
 俺は聞きたい事があったので外で待っている佐藤に尋ねた。
「小窓の鍵は二つとも閉められていたのか?」
「そのはずよ。わざわざ開ける人もいないし、携帯電話の窃盗があってからは厳重に戸締りをするようになったから」
 六月に入ってから生徒の携帯電話が一度に何個も盗まれる事件が起きていた。佐藤はその事を言っているのだろう。
「帰ってきた後も閉まっていたか」
「それはあんまり自信ない。ドアが閉まっていたんだから窓も閉まっていたんじゃないかな」
「最後に部屋を出たのは?」
「私よ。それで係の子が鍵を閉めていたわ」
「授業後最初に扉を開けたのは?」
「係の子。私はそれに続いて入ったわ」
 
 俺は中に戻った。この狭い更衣室の中で探し物をするのにそう時間はかからない。果たして佐藤の制服は見つからなかった。俺は小窓に近づいてみた。片方を見てからもう片方に近づいたときある事に気がついた。
 木下も探すのを諦めたようだった。
「先生ないようです。出ましょう」
「そうだな」
 俺たちは更衣室を出た。
「見つかった?」
「いや」
「そうよね」
 木下が佐藤を見て、
「どうする?このまま見つからなければ警察に届け出るしかないが」
「はい。それは仕方ないです」
「今日はジャージで帰っていいから、明日になったらホームルームで全校に知らせてもらうぞ」
「わかりました」
 佐藤はあまり乗り気ではない。まあこのようなことで話題になるのは誰だって好かないか。
 木下は職員室に戻っていった。

 木下が去ってから、佐藤が俺に、
「あそうそう、さっき雄くんが来て、服探しているのって聞いてきたから、そうよって言ったら、どっか行っちゃった。あんたに用があったのかな」
「そうか」
 俺はぼんやりと答える。

「私、部室戻るけど」
「俺はちょっと寄るところがある」
「どこ?」
「校門」
「帰るの?」
「いや、確かめたいことがあってな」
「じゃあ私も行くわ」

 うちの高校は校門に門番がいる。高い学費がこのような事に使われているのかと思うともう少しうちの家計を慮って抑えて欲しいんだがどうにもならない。俺の小遣いが高校に入った後も変わらなかったのはこの学費のせいだと思っている。

 校門に近づくと門番が見張りをしていた。ご苦労なことだ。門番に尋ねた。
「すみませんお尋ねしたいことがあるのですが」
「どうしましたか?」
「今日学校の来賓がいつ来て、いつ帰ったかについてです」
 門番は少し怪訝そうな顔をしたが教えてくれた。
「県の教育委員会の人と中学校の先生が来ましたがお二人とも午前中にお帰りです」
「ありがとうございます」
 端から門番が監視している校門をくぐってやってくる部外者が女生徒の制服を盗むなんて思ってなかったが、これで部外者の線は消えた。犯行時間にいない人間が服を盗む事はできない。わざわざ有刺鉄線のついた塀を乗り越えてまで制服を盗む奴がいるとも思えない。
「全く誰なのよ!この変態め!」
 佐藤は憤慨する。
「別に男が盗ったとは限らんだろう。いや、女でも服を盗めば変態か?」
「男に決まってんでしょ」
「まあ落ち着け。存外部室に戻ったら置いてあるかもしれんぞ」
「そんな訳。……はあ、なんでこう私のものってすぐどっかいっちゃうのかしら。この前はペンケースもなくなったし」
 ペンケースか、そういえばこいつすごく大事にしてたな。あれもなくしていたのか。泣きっ面に蜂とはこのことか。さすがに憐れみを禁じ得ない。

 俺らは階段を上って部室に向かった。俺は犯人が何のために佐藤の制服を盗んだのか考えていた。佐藤が考えるように、性的衝動に駆られてと俺は考えていなかった。目的はなんだったんだ?制服か、携帯か、あるいは鞄か?しかし考えても動機は分かりようがなかった。
 部室の戸を開けると、何と佐藤の制服が入ったピンク色の鞄が置いてあった。
「あった!」
「よかったな」
 やれやれ、とんだ無駄足じゃないか。骨折り損のくたびれもうけだ。これでは貸しにならない。
 
「木下のところに報告に行け。このままだとお前は性犯罪の被害者として、その名が全校に知られてしまう」
 まあ連絡がなされるのは避けられないだろうが。
「わかったわ」
 佐藤は俺の冗談を軽く無視して鞄を持って部室を出て行った。

 しばらくしてから佐藤が部室に戻ってきた。制服に着替えている。行く途中か、帰ってくる途中にどこかで着替えたのだろう。
「制服に変な液体は付いていなかったか?」
 佐藤がギロリと俺のことを睨む。おお、こわ。
「ついてないわよっ」
「変な液体ってなんだ?」
「セクハラッ」
「はあ? 変な液体ってよだれとかのことだったんだが、よだれってセクハラなのか?」
 またギロリと睨まれた。ふう、女は怖いぜ。いや、よく見たら口元が笑っている。何考えているんだか。追及したらたれかねないので何も言わないでおこう。佐藤はとりなして言う。
「馬鹿はいいからさ。ねえ深山。私のSNSのデータが消えているんだけど。先生に荷物が無事だったかどうか確かめろって言われて、確かめたら見つけた」
「すべてか?」
「ううん、一人の個チャだけ」
「何だ、個チャって」
「ああ、深山スマホもってないもんね。SNSで相手と二人だけでチャットするところ。メールの履歴みたいなもんよ」
「ポケットに入れていたのか?」
「うん。犯人が消したのかな。でも何のために?」
 佐藤はしばらく考え込むようだったが、
「うーん分かんないなあ。でも、まあいっか。もともと匿名のメールで変なのばかり送ってくる人だったから、どうせ読んでなかったし」
「そうか」
 普通気にすると思うんだが、細かいところにこだわらないのはこいつの数少ない美点であると思う。
「なんか私疲れちゃったな。今日はもう帰るね。雄君と、こっちゃんによろしく」
 佐藤は扉に向かい、がらりと開けたところで、
「あっ、深山ありがとね、探すの手伝ってくれて。役に立たなかったけど」
 この女、一言余計である。

 四,五分してから雄清が部室にやってきた。
「やあ太郎、留奈の探し物は済んだのかい」
「まあな」
「よかったじゃないか、携帯も無事だったんだろう」
「そうだな。……今回の件でお前に話したいことがあるんだが」
「なんだい」
「誰が犯人なのかについてだ」
「見当はついているのかい」
「大体な」
「へえ……聞かせてくれよ」
 雄清はさして驚いた風でもなくいった。

「事件の概要から説明するぞ。佐藤は六限体育だった。体育館裏の男子更衣室で更衣を済ませ部屋を一番最後に出た。その後、係が更衣室に鍵を閉めるのを見届けた。鍵は授業中体育教師が預かっていた。体育教師は授業中ずっとグラウンドにいて、教師の持つ鍵を借りて更衣室に戻るような奴はいなかった。職員室にあるマスターキーは生徒はおろか教師も無許可に持ち出すことはできない。つまり授業時間内、更衣室のドアは閉じたままだった。更衣室には二つの小窓がある。しかし小窓の鍵も部屋を出るときは確かに施錠されていたという。佐藤は授業後、係と一緒に先に更衣室に入った。そこで自分の制服がないのを知り、俺のところに服の捜索を依願しに来た」
「留奈は太郎が役に立つと思ったのかな」
「藁にもすがるって感じじゃないか」
「なるほどね、それで話を聞くに服は蒸発したとしか思えないな。でなきゃ、壁を通り抜けたとか」
 俺は息を吐く。
「雄清、お前は誰がどのように制服を盗んだのかを知っているはずだ」
「僕が? そんなわけないだろう。皆目見当もつかないよ」
「いやお前が一番よく知っているんだよ。」
 俺は雄清の目をじっと見る。
「まるで僕がやったのかのような言い方じゃないか」
「そうだ」
「……友を疑うとはそれなりに理由があるんだろう。聞かせてくれよ」
 雄清はにこりともせず、怒ったようでもなく、無表情に言った。

「俺が小窓の片方を見たとき、枠に沿ってひっかき傷のようなものがあった。押してみると、僅かにだが、窓に隙間ができたよ。その隙間からワイヤか針金のようなものを差し込んで、錠にひっかければ時間はかかるかもしれないが、鍵は開くだろう。更衣室の窓はボールがぶつかったりして割れても危なくないようにアクリル板が使ってある。美術部か工作部の専用のカッターを借りれば、切ることはできるだろう」
「それでどうして僕が犯人になるんだい?」
「昼休みお前どこにいた。弁当も食べずにどこをうろついていたんだ。まさか長いトイレだなんて言わんだろう。美術部か工作部の部室に忍び込んでカッターを借りに行っていたんじゃないか」
「それで僕がやったって?なんて薄弱な根拠だ。それだけで僕を犯人だなんていうなんて太郎も間抜けすぎるよ」
「おまけにだぞ、お前は犯行時刻にちょうど教室を抜け出していたじゃないか。トイレに行くって言ってな」
「それも証拠にはならないよ、太郎」
「そうだな。実をいうと容疑者はこの学校の職員、生徒全員だといえる。部外者は六限の時点ではいなかったからな」
「そうかな。柵を超えればいくらでも校内に入れるよ」
「有刺鉄線の張り巡らされたあの高い柵をか?ありえんだろう」
「携帯の窃盗犯はやってのけたじゃないか」
「それはモノが違う。制服を盗んでも大した金にはならん。そんなもののために柵を越える奴なんておらんさ」
「そうだとして、僕は容疑者の一人でしかない。それも千分の一のね」
「だがな、お前が犯人だって断言できるんだよ」
「どうしてだい? そもそもこれは留奈の制服が目的だったかどうかわからないじゃないか。留奈の制服が窓から届く範囲にあるとは限らない。女の子の制服ならどれでもよかった可能性がある。」
「それは違う。三組合同といっても、うちの学校は一クラスに女子は十人しかいない、だから合計で三十人だ。それを男女更衣室双方に振るから一室十五人。うちの学校の更衣室の棚は上から二段目と三段目が狭くて、実質一番上の棚しか使われていない。それで佐藤のかばんは大きいから当然一番上の棚を使うだろう。十五人全員の荷物を上に置くスペースはぎりぎりある。小窓を開けることができれば荷物は取ることができるんだよ」
「それで僕がそれを見越していたとしても証拠にはならない」
「だがなお前自身で自分が犯人だと言っていた」
「夢でも見ていたんじゃないか、太郎」
「いや。お前確か俺と木下とが更衣室にいたとき部屋の前まで来て、佐藤に話しかけたよな。『服を探しているのか』って。これを聞いたとき俺は疑問に思った。当事者でないお前がなぜそのことを知っているのかと。佐藤は授業後部室に来たがお前とは会っていない」
「それは留奈が男子更衣室の前で突っ立っていて、先生が中にいるようだったからそう思ったんだよ。前にもそんな子を見たことがあったからね」
 雄清はそんなことは大したことでもないとでも言うかのようにさらりと言う。俺は残りの根拠を息もつかずに言った。

「それだけじゃないぞ。そもそもお前は何で佐藤の制服が盗まれたと知っている。服を探しているからと言って盗まれたとは限らない。それなのにお前は俺がこの事件の犯人について話すといったとき驚いた顔はしなかった。それはこれが窃盗事件だって最初からお前が知っていたからだ。
 その上お前さっき『携帯も無事』って言っただろ。うちの高校は校内でスマホを使うのが禁止されている。見つかれば没収だ。使わないものを持ち歩く必要はないからロッカーに入れているやつも多い。なのになんで佐藤が制服のポケットに端末を入れていること、そして端末が戻ってきたことを知っているんだ。
 そしてその傷だ。佐藤が部室に来る前から妙に思っていたんだ。朝なかったその手の切り傷を雄清はどこでつけたのだろうか、と。……慣れない作業をして手を切ったんじゃないのか」

 雄清はしばし黙りこくる。
 そして、諦めたように口を開いた。
「……まいったな太郎には。その気になれば血の付いたアクリルカッターを探し出してきそうだよ。そうだ、ぼくがやった。お目当てはスマホだったから最初は制服をとる気なんてなかったんだよ」
「何でこんなことをしたんだ」
 佐藤はこいつのことを好いていたし、こいつもまんざらでもない様子だった。こんな嫌がらせのようなことをする理由が俺にはよくわからなかった。

「ここまでばれているんだ。全部話すよ。
 今日の朝ね、うちの学校の女子の集団に出くわしたんだ。歩きながら話を聞いているととんでもないことを言っていたよ。
『あの子学校来なくなっちゃったね』
『やりすぎたんじゃないの。全然楽しめなかったじゃない』
『まあ別にいいわ。カモならまだいるし』
『誰?』
『うちのクラスの佐藤留奈よ。成績がちょっといいからって私の事ばかにしたような目で見るの。メールも無視するし、許せないわ』
『へえ、いいじゃない。懲らしめてあげましょうよ』
『手始めに、こんなメール、送るのはどうかしら』
『何その写真』
『あいつのペンケースよ。ズタズタにしたの。無くなった時のあの子の顔見せたかったわ。もうほとんどパニック。滑稽だった。ついでに文もつけとく?私たちクラスメートはあなたが嫌いです。どうか学校に来ないでください……』
 そう。いじめだよ。そのペンケースっていうのは、僕が留奈にあげたものなんだ。なくして留奈はとても悲しんでた。まさかこんなことになっていたなんて僕も驚いたよ。そのあと彼女らは前にいじめていた子のことを話していたから後半からは携帯に録音したよ」

 そういって、雄清は携帯を出してその女子グループの会話を再生した。その子に対してその女子たちがどのようなことをしていたかを開けっ広げに話している。俺は自分の学校でこのようなことが起こっているなど信じられない気持ちだった。不登校になった子のことは知っていいたがまさかいじめが原因だったとは。
 雄清は続けた。
「まったく馬鹿な子たちだよ。まったく周りが見えていない。そんなんだからいじめなんかするのかもしれないけど。
 でも周りにいた人たちは聞こえていたとしても無関心って感じだった。僕は見かねてその子達に話しかけたんだ。これ以上誰かを傷つけるなら君たちの会話をネットに流して君たちがまともな人生を歩めなくする、と。惨いと思うかい? 
 だけどこれくらいしないとこういう子たちは止められない。そこまでたいそうなことにならないとしても一人の生徒を不登校に追いやっているんだ。先生のお叱りだけでは済まされないだろうね。それでその子達が改心というか、僕の脅しに恐れをなして、いじめをやめるならば、件のメールを留奈がみる必要はない。無駄に傷つく必要はないからね。
 だから留奈のスマホをこっそり盗って、履歴を消去しようと考えたんだ。即興の計画だったから、この通り太郎にはバレバレだったけどね。
 昼休みにアクリルカッターを美術室に拝借しに行って、六限トイレに行く体で教室を抜け出した。そして更衣室の裏手に回ってアクリルカッターで窓に切れ目を入れて、ワイヤーを錠にひっかけ何とか窓を開けたよ。留奈のピンク色のかばんは曇りガラスの外からでも目立つからね。
 それと留奈がスマホを携帯していることは前から知っていたよ。それは太郎も考えればわかることなんだけどな」
 俺も考えればわかる?はて、佐藤が端末を携帯する理由。なぜロッカーに入れず持ち歩いているのか。……あっ
「八十万円の件か」
「そう」
 佐藤はクラスの遠足費八十万円をロッカーから盗まれていた。それでロッカーに貴重品を置いておく気にならないのだろう。
「まあ留奈のことをよく見ていればいつもポケットに入れているのはすぐ気付くはずなんだけどね」
 太郎は人に全く関心を寄せていないから。
 俺は雄清が言外に含めたことが分かった。

 雄清は続ける。
「鍵を開けるのに手間取っちゃったから鞄ごと取って逃げたよ。小窓の鍵は授業後部室を出た後に中から締めに行った」
「今日の犯行を、朝その女子たちの話を聞いてから思いついたのか。信じられん奴だ」
「今思うと自分でもどうかしていたと思うよ」
「佐藤が知ったら嫌がるだけかもしれんが、学校が知ったら佐藤に謝るどころじゃなかっただろう」
「そうだね。その時はいじめのことも全部話したと思うよ」
「そんな回りくどいやり方をしないで端から全部話せばよかったじゃないか」
「学校にかい?留奈にかい?」
「両方だ」
「それは気が進まなかったよ。たとえいじめをしていた子たちが悪だとしても、僕は彼女たちを裁けるほど偉いのかい?いや違う。僕が学校にちくれば退学にはならないのだとしても、今度は彼女たちが周りから疎んじれるかもしれない」
「それは自業自得じゃないか」
「そうかもしれない。だけどね、それだといじめは無くならない。いじめられていた子には申し訳ないけど、ここで止めるべきだったんだ」

 それは理想論じゃないか、と言いかけたがやめた。……こいつの言っていることは正しいのだろう。あくまで人間というものを信じることができるのなら。
 だがいじめられていた子や、その子の親は確実にその女子たちを恨んでいる。負の感情の連鎖。だから何十年も、いや、人間がこの世に誕生してからいじめは存在し続けてきたのかもしれない。
 人が他人をさげすんだり憎んだりする気持ちは消し難いものだ。人は自分が人より優位に立つことで安心する。この醜い感情の根底にあるのは人間の競争心じゃないか。競争心は文明を発展させた一方でこのような醜い争いを発現させた。自分が豊かで幸せであるかは相対的に考えがちだ。
 これによればつまり、すべての人間が幸せになるのは矛盾したことになる。人間がその技術を磨く、これはきわめて人間的な行為だ。しかしこの人間的営為の競争に毒されたものは醜い感情を心に宿す。人間が人間的である限りいじめは無くならない。
 俺は人類に対してそんな諦観ていかんを抱いて今まで生きてきたのかもしれない。雄清がここで言った言を受けてもそれはさして変わっていない。だがそれをわざわざ友人に示す気にはならなかった。

 でもふと思う。俺は本当にそう思っているのか。言ってみれば俺は適当な理由をつけて臭いものに蓋をしているだけだ。俺はもしかしたら雄清に俺の考えを言って「違う」と否定してほしいのかもしれない。だが雄清が俺の考えを打ち砕くことができなかったら。そう思うと俺は口にする勇気を持てなかった。

 俺が何も言わないので雄清が続けた。
「留奈にも話そうとは思わなかったよ」
「あいつがこのくらいのことでへこたれるとは思えんのだが」
「違うよ、太郎。太郎の観察眼は確かにすばらしいよ。だけどそれは人の内面に全く向けられていない。留奈はね、ああやっていつも気丈にふるまっているけれど、それは自分の心の弱さを覆い隠そうとしているからなんだ。留奈は太郎の思っている何倍も脆い。たとえ、馬鹿な同級生のくだらないメールであったとしても、留奈は深く傷ついただろう。とてもじゃないが、看過できなかった」
「そこまでするならお前はやっぱり好きなんだろ、佐藤のこと」
「そうかもね」
「だったらあいつの気持ちを受け止めてやれよ。何度もお前に告白しているあいつの気持ちを」
 俺には何回も好きなやつに振られることのほうが佐藤にとってはつらいことのように思える。
「それはできない」
「なぜだ」
「僕は小学生の頃から留奈のことを知っている。彼女はいい子だよ。でもね、僕は怖いんだよ、大切なものを失うのが」
 こいつはなにをいっているんだ。
「大切なもの? それはお前が佐藤と一緒になって得られるものじゃないのか」
「そうだね。だけど留奈が僕のことを好きでいてくれるだけの今が良い。近づきすぎると留奈の幻想は壊れる。僕はつまらない人間なんだって。留奈に愛想つかされて留奈がどっかに行ってしまうのを僕は恐れている。近づくと別れるのが一層辛くなるだけだ」
「それはお前の覚悟の問題だろ」
「覚悟? 覚悟なんてそんな簡単にできるものじゃないはずだよ。ほかの人が何も考えなさすぎるんだ」
 こいつはある面で非常にまじめだ。馬鹿真面目と言ったら適当かもしれない。それは嫌いじゃない。軽薄なやつよりずっといい。
 だが俺は納得しかねた。
「あいつはお前の本当の気持ちを知らない。いつかお前のことを諦め、ほかのやつのところに行くかもしれない。それでもお前は平気なのか」
「僕は留奈の判断を信じる。留奈が幸せになるのなら僕は十分だ」
 こいつは本気で言っているのだろうか。心なしかさびしそうに見えるが雄清の本心は測りかねた。
 そしてこんな奴だったのかと今更ながら俺は気付く。小学時分から付き合ってきた連れのことを俺は全く理解していなかった。そんな自分を心底苦々しく思う。

 綿貫が部室にやってきた。俺はその時、綿貫と約束していたことを思い出した。俺が部屋にいなかったのを見て探しに行っていたのだろうか。悪いことをした。メモでも残しておくべきだった。
「お二人とも部室にいらしたのですか」
「ああちょっと馬鹿話をな」
 俺が答えると雄清が少し驚いた顔をした。
「留奈さんは」
「もう帰ったよ」
「そうですか。お二人はまだ?」
「いや帰るよ」
「では戸締りをお願いしますね」
「ああ」

 綿貫は行った。綿貫の話は多分あいつの兄貴の事だったのだろう。綿貫はあいつの兄貴のことを他人に話すのを嫌がっている。だから雄清がいるのを見て話すのを諦めたのだ。よもや雄清に帰れとは言えまい。俺が部室を離れたのはほとんど不可抗力だったが後で詫びの電話をいれておこう。
「話さないんだね」
 雄清がぽつりと言う。
「あいつはこのことを知らん。佐藤が話すかもしれんが、佐藤も真実を知らんし、別に真実を知る必要もない。お前の言を借りるなら、無駄に傷つく必要はないから、な」
 雄清はしみじみとつぶやく。
「太郎に貸しができちゃったな」
「いや、俺は佐藤とお前との擦った揉んだに巻き込まれるのはごめんだからな。痴話喧嘩をするなら二人でしてくれ」
「知ったら留奈は怒るかな」
「怒るだろうな」
 表面上はな。
 それきり黙る。
「帰るか」
「そうだね」
 雲はすっかりなくなり赤い日が地平線に沈みかけていた。

 俺はその日の夜、綿貫に電話を掛けた。
「もしもし夜分に申し訳ございません、深山太郎です。さやかさんですか」
「はい、さやかです。深山さんですね」
「すまないな、今日約束していたのに」
「いえ、いいんです」
「それで、なんの話だったんだ」
「兄の事で、分かったことがあったのでお伝えしようと思ったのです」
「今でもいいぞ」
「えーっと、少し長い話なので、やっぱり直接がいいんです。見せたいものもあるので」
「そうか、わかった、切るぞ」
「あのっ!」
「どうした」
「わざわざ電話してくださってありがとうございました」
「気にするな。もとはといえば俺が部室を開けてたのが良くなかったんだ。お前も俺の事探していたんだろ。全くすまなかった」
「そんな、深山さんは留奈さんの探し物のお手伝いをしていたんでしょう」
 はて、なぜこいつはその事を知っているのだろう。佐藤はすぐに帰ったはずだし、綿貫は端末を持っていない。佐藤がわざわざ電話で知らせたとも思えない。綿貫が知るにしても明日以降だと思っていたのだが。まさか、
「お前もしかして聞いていたのか、俺と雄清の話」
「はい、すみません。盗み聞きするつもりはなかったんです。ただ入りにくくて」
「いつからだ」
「確か、深山さんが『お前が一番よく知っているんだよ』と言うのが聞こえてきたあたりからです」
 つまりほとんど全てを聞かれてしまっていた。
「……佐藤には何も話すなよ」
「分かっています。でも私嘘は下手なんです。留奈さんがその話題に触れたとき、うまく隠し通す自信がありません」
「下手なこと言わず、相づちでも打っておけ」
「そうですね、そうします」
「じゃあ、切るからな」
「あのっ!」
「今度はなんだ」
「山本さんも深山さんも素敵だと思います」
「……よくそんなこと言えるな。恥ずかしくないのか」
「どうしてですか」
「もういい、じゃあ明日な」
「はい、お休みなさい」
 素敵か、生まれて初めて言われたかもしれない。しかし好きな奴のことを思い大胆な行動に出た雄清が素敵だと思えても、俺が素敵だと言う理由がよくわからない。綿貫の考えていることはよくわからんなとつくづく思う。明日理由を聞こうにもほじくりかえされたら面倒だ。このことは忘れてしまおう。

 今日はよく動いたなあと思うと、急に眠たくなってきた。布団に横になるとすうっと意識が遠退いていった。
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