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四方山日記
ギフトが欲しいか
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部室を出たところで、萌菜先輩に出くわした。
「深山くん、久しいな」
「……どうもです」
俺はたじろいでいった。
最後に萌菜先輩と話したときは、気持ちの良いものではなかった。綿貫にまつわる問題。結局彼女の兄は戻ってきたのだが、彼女を取り巻く環境が変わったというわけではない。綿貫さやかはいまだに、囚われた鳥のままだ。
そういう環境の渦中にこの人はいるのだ。
萌菜先輩は尊敬できる人だとは思う。けれども苦手意識を感じざるを得なかった。
俺が挨拶もそこそこにそそくさと立ち去ろうとしたら萌菜先輩は呟いた。
「君は私にできないことを平然とやってのけるな」
萌菜先輩はいきなり何を言っているのだろうか。誰も俺なんかに痺《しび》れも憧《あこが》れもしないだろうに。
「よくわからないんですが」
「……まあいい。
ところでこんな話を聞いたことはないか」
「ないですね」
「……」
「何ですか?」
「いや、じゃあ聞きたまえ」俺に選択権はないんだな。「あるところに聡明にして、その叡知をもって皆の尊敬を集める男がいた。これをAとしよう。彼の親友もまた優秀な男だった。これをBとしよう。
彼らは傍から見ればよきライバルだった。
ところが高校に入り、Aはその能力をどんどん伸ばしていったが、Bは伸び悩み、Aとの差は開く一方だった。
それでもBは血の滲《にじ》むような努力を続けた。だけど、Aには、たいした努力をしているように見えないAにはちっとも追い付けなかった。
ある時、Aは人に成功の秘訣について尋ねられ、語った。
『自分はたいした人間ではない。自分が今こうあるのはたまたま運が良かっただけ』と。
そしてライバルについて聞かれたらこう返した。
『自分のライバルはつねに自分であって外部の誰かをライバルだと思ったことはない』と。
それを聞いたBはどう思っただろうな」
俺が萌菜先輩と初対面であったのならば、彼女の修辞《レトリック》を奇妙に思うだけで、てんで理解できなかっただろう。だが俺は綿貫萌菜という人間が無意味なことをくっちゃべらないことには気がついていたし、俺の与《あずか》らないところで俺が知る以上のことを知る人間であるということを思い知らされていた。
ああ、この人はすべてお見通しなのだ。俺が何をこそこそ調べていたのかを。
そして井上会長と新聞部部長との間で何があったのかすべて把握しているのだ。
執行委員長であれば、前期生徒会選挙で不審な点があったことには気づいただろうし、彼女が本気を出せばこれくらいのことはすぐに思い付いただろう。
恐ろしい人だと思った。
「……Aには悪意があったのでしょうか。Bを挑発しようという気が」
「ないな。AはいつでもBと良好な関係でありたいと思っていた。恐らく今でもだ。悪意なんてこれっぽっちもない。
だから余計質が悪い」
「……萌菜先輩はBがそのせいで何か報復のようなことをしても仕方ないといいたいんですか?」
「そうは言わない。ただすべての行動には理由があるんだ。君も人の気持ちをほじくり返すことをしたいなら、その点をわきまえておくべきだ」
「俺には……なんのことだかわかりません」
萌菜先輩の口調がやや強いものになった。
「それは謙遜か。保身か。どちらにせよ君も大概にするんだな。才能あるものが過剰にそれを否定するのを見ていると、虫酸が走る。過大な謙虚さは時にどんな嫌みより辛辣だ」
「……」
萌菜先輩が去っていくのを俺は何も言わずにじっと眺めていた。
才能。
俺はそれをずっと追い求めていたのかもしれない。
萌菜先輩は俺がそれを既に手にしていると考えているようだ。果たしてそうなのだろうか。
俺は自分を才気溢れる人間だと思ったことはない。俺ほど平凡な人間はいない。そういう暗い渦を巻くような感情がつねに心の奥底にあった。
そういう態度が誰かを傷つけているとは考えもしなかった。
人は人に嫉妬する。
俺が言ったことなのにな。
人間の欲望は底無しだ。つまりいつまで経っても人間は満足できない。それは人間はいつまで経っても幸せになれないということではないか。
足るを知る。
本当の幸せは自分の身分を弁えて、現状に満足することで得られる。それが先人の出した答えだ。
だがすべての人間が満足することを覚えたらどうなる? すべての人間が知足の境地に達したらどうなる? 人間の欲望を満たすことを前提に発展してきたこの資本主義の世界はどうなる?
先人達が血と涙を流し、作り上げてきたものを否定することが、俺達にはできるのか。
恐らくできない。
だが俺は同時に思う。人が幸せになれないのならば、発展にどういう意味があるのか。
ああ、皮肉な世界だ。
幸福を望みそれを得ようとする限り、幸せにはなれなくて、幸福を諦めることで幸福になれる。
能力あるものはその向上を望み、下の者など顧みない。能力に乏しいものは、能力あるものに憧れ、同時に憎みさえする。誰かに勝つのをやめようとしない限り心の充足は得られない。
この世に神がいるのだとしたら、それよりも残酷な存在はないだろうな。才能の分配はいつでも不平等で、少なく貰った人はもちろん、多く貰った人も幸せになることはできない。
俺はこの世界の残酷な仕組みを嘆き、一人、溜め息を重ねるのだった。
「深山くん、久しいな」
「……どうもです」
俺はたじろいでいった。
最後に萌菜先輩と話したときは、気持ちの良いものではなかった。綿貫にまつわる問題。結局彼女の兄は戻ってきたのだが、彼女を取り巻く環境が変わったというわけではない。綿貫さやかはいまだに、囚われた鳥のままだ。
そういう環境の渦中にこの人はいるのだ。
萌菜先輩は尊敬できる人だとは思う。けれども苦手意識を感じざるを得なかった。
俺が挨拶もそこそこにそそくさと立ち去ろうとしたら萌菜先輩は呟いた。
「君は私にできないことを平然とやってのけるな」
萌菜先輩はいきなり何を言っているのだろうか。誰も俺なんかに痺《しび》れも憧《あこが》れもしないだろうに。
「よくわからないんですが」
「……まあいい。
ところでこんな話を聞いたことはないか」
「ないですね」
「……」
「何ですか?」
「いや、じゃあ聞きたまえ」俺に選択権はないんだな。「あるところに聡明にして、その叡知をもって皆の尊敬を集める男がいた。これをAとしよう。彼の親友もまた優秀な男だった。これをBとしよう。
彼らは傍から見ればよきライバルだった。
ところが高校に入り、Aはその能力をどんどん伸ばしていったが、Bは伸び悩み、Aとの差は開く一方だった。
それでもBは血の滲《にじ》むような努力を続けた。だけど、Aには、たいした努力をしているように見えないAにはちっとも追い付けなかった。
ある時、Aは人に成功の秘訣について尋ねられ、語った。
『自分はたいした人間ではない。自分が今こうあるのはたまたま運が良かっただけ』と。
そしてライバルについて聞かれたらこう返した。
『自分のライバルはつねに自分であって外部の誰かをライバルだと思ったことはない』と。
それを聞いたBはどう思っただろうな」
俺が萌菜先輩と初対面であったのならば、彼女の修辞《レトリック》を奇妙に思うだけで、てんで理解できなかっただろう。だが俺は綿貫萌菜という人間が無意味なことをくっちゃべらないことには気がついていたし、俺の与《あずか》らないところで俺が知る以上のことを知る人間であるということを思い知らされていた。
ああ、この人はすべてお見通しなのだ。俺が何をこそこそ調べていたのかを。
そして井上会長と新聞部部長との間で何があったのかすべて把握しているのだ。
執行委員長であれば、前期生徒会選挙で不審な点があったことには気づいただろうし、彼女が本気を出せばこれくらいのことはすぐに思い付いただろう。
恐ろしい人だと思った。
「……Aには悪意があったのでしょうか。Bを挑発しようという気が」
「ないな。AはいつでもBと良好な関係でありたいと思っていた。恐らく今でもだ。悪意なんてこれっぽっちもない。
だから余計質が悪い」
「……萌菜先輩はBがそのせいで何か報復のようなことをしても仕方ないといいたいんですか?」
「そうは言わない。ただすべての行動には理由があるんだ。君も人の気持ちをほじくり返すことをしたいなら、その点をわきまえておくべきだ」
「俺には……なんのことだかわかりません」
萌菜先輩の口調がやや強いものになった。
「それは謙遜か。保身か。どちらにせよ君も大概にするんだな。才能あるものが過剰にそれを否定するのを見ていると、虫酸が走る。過大な謙虚さは時にどんな嫌みより辛辣だ」
「……」
萌菜先輩が去っていくのを俺は何も言わずにじっと眺めていた。
才能。
俺はそれをずっと追い求めていたのかもしれない。
萌菜先輩は俺がそれを既に手にしていると考えているようだ。果たしてそうなのだろうか。
俺は自分を才気溢れる人間だと思ったことはない。俺ほど平凡な人間はいない。そういう暗い渦を巻くような感情がつねに心の奥底にあった。
そういう態度が誰かを傷つけているとは考えもしなかった。
人は人に嫉妬する。
俺が言ったことなのにな。
人間の欲望は底無しだ。つまりいつまで経っても人間は満足できない。それは人間はいつまで経っても幸せになれないということではないか。
足るを知る。
本当の幸せは自分の身分を弁えて、現状に満足することで得られる。それが先人の出した答えだ。
だがすべての人間が満足することを覚えたらどうなる? すべての人間が知足の境地に達したらどうなる? 人間の欲望を満たすことを前提に発展してきたこの資本主義の世界はどうなる?
先人達が血と涙を流し、作り上げてきたものを否定することが、俺達にはできるのか。
恐らくできない。
だが俺は同時に思う。人が幸せになれないのならば、発展にどういう意味があるのか。
ああ、皮肉な世界だ。
幸福を望みそれを得ようとする限り、幸せにはなれなくて、幸福を諦めることで幸福になれる。
能力あるものはその向上を望み、下の者など顧みない。能力に乏しいものは、能力あるものに憧れ、同時に憎みさえする。誰かに勝つのをやめようとしない限り心の充足は得られない。
この世に神がいるのだとしたら、それよりも残酷な存在はないだろうな。才能の分配はいつでも不平等で、少なく貰った人はもちろん、多く貰った人も幸せになることはできない。
俺はこの世界の残酷な仕組みを嘆き、一人、溜め息を重ねるのだった。
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