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四方山日記
不審火
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『
乗り気だった文彦を宥め、とりあえず無線機を部室に隠しておくことにした。
嵐が過ぎ去ってからはだらだらと無為に放課後を過ごしていた。途中でトイレに出た。
トイレから戻ってくるとき、廊下の奥のほうから何やら物音が聞こえた。その先には生徒や教師が特別に用事があるような部屋はない。僕は不思議に思って、歩いて先を見に行こうと思った。
奥にいたのは女子生徒の集団だった。なんだ、女子が群れてじゃれあっているだけか、と思い引き返そうとしたのだが、聞こえてきたのはすすり泣くような声だった。
僕は振り返ってもう一度よく見てみた。
彼女らは輪になって誰かを取り囲むように立っている。中心に一人の女子生徒がいる。すすり泣いているのはその中央にいる女子生徒だった。
僕はそこで何が行われているのか理解して嫌な気分になった。先ほど江端先生が持ち込んだ吊るし上げが今まさにそこで行われているのだ。
吊るし上げにあっているその女子生徒を見ようとした。
僕の知り合いだった。
彼女はいつでも笑っていたような気がする。もちろん人間なんだから気分がふさぎ込むようなこともあったりしたろうけど、少なくとも僕の前ではいつでも笑っていた。
優しくて、美人で、頭がよくて、それでいて決してそのことを鼻にかけるようなことをしなかった。僕のようなどんくさい男にも分け隔てなく接してくれて、まさに天使のような女の子だった。
僕は彼女が好きだった。幼稚園で出会った時からずっとそうだった。
でも僕は知っていた。
彼女の僕に向けるその優しさは、僕の知らない誰かに向けられているものと同じであって、決して僕は彼女にとって特別な存在などではないということを。
それでも僕は彼女が好きだった。決してそれが実らない恋であるとわかっていても自分の気持ちを抑えることをしようとはしなかった。一人彼女を思うだけ。誰にも迷惑なんて掛からない。
その少女、橋本雪乃が女子の輪の中央にいる。
僕は見ていた。見ていただけだった。
彼女らに見つからない距離からこっそり、足がそれ以上動くことはなく、何もせずに見ていただけだった。
僕は情けない男だ。好きな女の子が酷い目に合っていても何もできない。だってしょうがないじゃないか。女子に蔑まれ、いや空気として扱われている僕にいったい何ができるというのだ。
僕は駆け出した。
彼女らを止めることもせずに逃げるようにして駆けた。
僕は最低な男だった。
自己嫌悪。今ほどその言葉を正しく使えるような状況はないように思えた。
僕には何もできないんだ。何にも。
「やっぱりさあ、やったほうがいいんじゃないか」
文彦がそう言った。
部室に戻ってきてから口を閉ざしていた僕は尋ねた。
「……何を?」
「無線機の設置だよ。確かにやばいことなのかもしれないけど、女たちの吊るし上げも大概だろ。あっちは確実に被害者がいるけれど、これを設置してだれが困るんだ? 困るとしたら吊るし上げをやっている女子たちだけだろ。因果応報、自業自得じゃないか」
これで誰かが救えるというのだろか。あの素敵な橋本の笑顔を取り戻せるというのだろうか?
逆に問う。ここで何もしないでいられるほど、僕は腐った人間なのか?
答えは決まった。
「……わかった。やろう」
以上が僕が犯罪に加担することになった経緯である。
「じゃあとりあえず、発信機を置く場所を決めようか。どこがいいかな」
文彦に尋ねる。
「本館は小型無線機で届くからいいだろ。二号館はどうする」
「確か図書室の東側に使われていない準備室があったからそこにしよう。三号館は理科準備室でいいだろう。あそこは江端先生の管轄だから問題ない」
「じゃあマイクは随所に置くって感じか」
「そうだね、本館、二号館、三号館で十ずつ設置しようか」
「……今気づいたんだけど、こんなでかい無線機いらなくない? 結局校舎の間は有線でつなぐんだから」
たしかに。
「まあ、いいじゃん。ちょっと使ってみたい気もする。少しくらいなら無線で飛ばしてもばれないだろう」
だって、でかいマシン見ると興奮するもん。
そういうわけで、無線局と、マイクの設置を二人で分担して行い、その日の下校時刻までにはすべての準備が終了していた。
次の日の放課後僕らは、無線局のテストをするために部室にいた。
「テストは三十分行おうか」
僕は文彦に確認した。
「まあ、いいんじゃないか」
それぞれの発信機のスイッチを入れて、各所の音が拾えているか数学部の部室で確認をした。無線でやっても問題はなさそうだが、僕らのせいで校長がクビになるのもかわいそうなので、有線でもテストする。図書室の隣の準備室に置いた無線機と本部とを、有線でつないでも何も問題のなかったのを確認してから、再び準備室により、発信機の電源を切って、準備の終了したことを江端先生に伝えに行くために理科準備室を再び訪れた。
異変に気付いたのは渡り廊下を歩いているときだった。理科準備室から煙が出ているのである。
「おいあれ」
僕らは走って理科準備室へといった。
入る前から、異臭がしていることに気が付いた。
扉を開けると、江端先生がせき込みながら消火器を薬品棚に向けて噴射している。何とか鎮火できそうな感じだ。
「ごほっ、ああ、君たちか」
「先生なにしたんですか?」
「何もしてないんですよ。急に薬品棚から火が出てきて」
本当にそうなのだろうか。煙草でも吸って気化した薬品に引火したんじゃないか。
燃えたのは二硫化炭素だろうか。独特の不快臭がする。燃えやすいことで有名な化合物だ。その近くには物理の実験で使うばねがいくつも置いてあった。
火はほとんど消えていて、それほど激しく燃えていたわけではないということが分かった。燃えたのは一部だったらしい。煙に見えたのは消火器の噴出液だったのだろう。
江端先生の机の横に置いた無線機のほうを見てみる。そちらに損傷はない。よかった。僕は準備室の近くまで引っ張っていたコードを無線機につないだ。
そのとき、準備室の電話が鳴った。江端先生がとる。
「どうしました?」
何を言っているのかわからないが、かなり切羽詰まった感じである。
「わかりました。すぐに行きます」
先生は受話器を置いて、言った。
「ちょっと問題が起こったようです。君たちもついてきてください」
僕たちは顔を見合わせて、走って出て行った江端先生の後を追った。
江端先生が向かったのは図書室だった。
「まだ燃えていますか?」
司書の先生に江端先生は尋ねた。
「鎮火はできましたが、本が数十冊ダメになりました」
「消防に連絡は?」
「もうしました」
「ちょっといいですか」
江端先生は図書室の中へと入ってゆき、燃えたあたりを見に行った。
燃えたのは図書室の奥で東側だった。
「うわー結構派手に燃えていますね」
江端先生の言うように棚にある本がほとんどダメになっていた。
「本当に参りますよ。昨日せっかくバーコード化した本ばかりが燃えるんですから。昨日の労力を返してほしいです」
「燃えたのに心当たりはあるんですか?」
江端先生は尋ねた。
「本の近くに火の気なんて全くないですよ。不可解極まりないです」
「生徒のいたずらにしては質《たち》が悪すぎますね」
同時多発的に学校でボヤ騒ぎが起こった。新聞の記事くらいにはなるかもしれない。
僕は不安を感じた。日常が壊されるというのは、当事者にしてみれば不快以外の何物でもない。
「君たちはいいからもう戻りなさい。これは緊急会議を開く必要がありそうです」
先生にそう言われて僕らは部室へと戻っていった。
「犯人とかいるんかな? あのボヤ騒ぎ。テロ?」
僕は何も言わなかった。
テロか。あるいはそのほうが良かったのかもしれない。
「おい、どうした?」
僕は口が重たくなっていた。
気分の良い話ではない。……だが、話さなければならないのだろうか。
「……僕犯人が誰か知っているよ」
その言葉を聞いた文彦は、目を見開いて僕を見た。
』
橘の小説はそこで終わっていた。いろいろと突っ込みどころはあるが、なかなか読ませてくる。
俺が顔を上げると、ほかの三人はまだ読んでいるようだった。ふっふ、これぞ読書家の力ぞ。……あまり役には立たないが。
乗り気だった文彦を宥め、とりあえず無線機を部室に隠しておくことにした。
嵐が過ぎ去ってからはだらだらと無為に放課後を過ごしていた。途中でトイレに出た。
トイレから戻ってくるとき、廊下の奥のほうから何やら物音が聞こえた。その先には生徒や教師が特別に用事があるような部屋はない。僕は不思議に思って、歩いて先を見に行こうと思った。
奥にいたのは女子生徒の集団だった。なんだ、女子が群れてじゃれあっているだけか、と思い引き返そうとしたのだが、聞こえてきたのはすすり泣くような声だった。
僕は振り返ってもう一度よく見てみた。
彼女らは輪になって誰かを取り囲むように立っている。中心に一人の女子生徒がいる。すすり泣いているのはその中央にいる女子生徒だった。
僕はそこで何が行われているのか理解して嫌な気分になった。先ほど江端先生が持ち込んだ吊るし上げが今まさにそこで行われているのだ。
吊るし上げにあっているその女子生徒を見ようとした。
僕の知り合いだった。
彼女はいつでも笑っていたような気がする。もちろん人間なんだから気分がふさぎ込むようなこともあったりしたろうけど、少なくとも僕の前ではいつでも笑っていた。
優しくて、美人で、頭がよくて、それでいて決してそのことを鼻にかけるようなことをしなかった。僕のようなどんくさい男にも分け隔てなく接してくれて、まさに天使のような女の子だった。
僕は彼女が好きだった。幼稚園で出会った時からずっとそうだった。
でも僕は知っていた。
彼女の僕に向けるその優しさは、僕の知らない誰かに向けられているものと同じであって、決して僕は彼女にとって特別な存在などではないということを。
それでも僕は彼女が好きだった。決してそれが実らない恋であるとわかっていても自分の気持ちを抑えることをしようとはしなかった。一人彼女を思うだけ。誰にも迷惑なんて掛からない。
その少女、橋本雪乃が女子の輪の中央にいる。
僕は見ていた。見ていただけだった。
彼女らに見つからない距離からこっそり、足がそれ以上動くことはなく、何もせずに見ていただけだった。
僕は情けない男だ。好きな女の子が酷い目に合っていても何もできない。だってしょうがないじゃないか。女子に蔑まれ、いや空気として扱われている僕にいったい何ができるというのだ。
僕は駆け出した。
彼女らを止めることもせずに逃げるようにして駆けた。
僕は最低な男だった。
自己嫌悪。今ほどその言葉を正しく使えるような状況はないように思えた。
僕には何もできないんだ。何にも。
「やっぱりさあ、やったほうがいいんじゃないか」
文彦がそう言った。
部室に戻ってきてから口を閉ざしていた僕は尋ねた。
「……何を?」
「無線機の設置だよ。確かにやばいことなのかもしれないけど、女たちの吊るし上げも大概だろ。あっちは確実に被害者がいるけれど、これを設置してだれが困るんだ? 困るとしたら吊るし上げをやっている女子たちだけだろ。因果応報、自業自得じゃないか」
これで誰かが救えるというのだろか。あの素敵な橋本の笑顔を取り戻せるというのだろうか?
逆に問う。ここで何もしないでいられるほど、僕は腐った人間なのか?
答えは決まった。
「……わかった。やろう」
以上が僕が犯罪に加担することになった経緯である。
「じゃあとりあえず、発信機を置く場所を決めようか。どこがいいかな」
文彦に尋ねる。
「本館は小型無線機で届くからいいだろ。二号館はどうする」
「確か図書室の東側に使われていない準備室があったからそこにしよう。三号館は理科準備室でいいだろう。あそこは江端先生の管轄だから問題ない」
「じゃあマイクは随所に置くって感じか」
「そうだね、本館、二号館、三号館で十ずつ設置しようか」
「……今気づいたんだけど、こんなでかい無線機いらなくない? 結局校舎の間は有線でつなぐんだから」
たしかに。
「まあ、いいじゃん。ちょっと使ってみたい気もする。少しくらいなら無線で飛ばしてもばれないだろう」
だって、でかいマシン見ると興奮するもん。
そういうわけで、無線局と、マイクの設置を二人で分担して行い、その日の下校時刻までにはすべての準備が終了していた。
次の日の放課後僕らは、無線局のテストをするために部室にいた。
「テストは三十分行おうか」
僕は文彦に確認した。
「まあ、いいんじゃないか」
それぞれの発信機のスイッチを入れて、各所の音が拾えているか数学部の部室で確認をした。無線でやっても問題はなさそうだが、僕らのせいで校長がクビになるのもかわいそうなので、有線でもテストする。図書室の隣の準備室に置いた無線機と本部とを、有線でつないでも何も問題のなかったのを確認してから、再び準備室により、発信機の電源を切って、準備の終了したことを江端先生に伝えに行くために理科準備室を再び訪れた。
異変に気付いたのは渡り廊下を歩いているときだった。理科準備室から煙が出ているのである。
「おいあれ」
僕らは走って理科準備室へといった。
入る前から、異臭がしていることに気が付いた。
扉を開けると、江端先生がせき込みながら消火器を薬品棚に向けて噴射している。何とか鎮火できそうな感じだ。
「ごほっ、ああ、君たちか」
「先生なにしたんですか?」
「何もしてないんですよ。急に薬品棚から火が出てきて」
本当にそうなのだろうか。煙草でも吸って気化した薬品に引火したんじゃないか。
燃えたのは二硫化炭素だろうか。独特の不快臭がする。燃えやすいことで有名な化合物だ。その近くには物理の実験で使うばねがいくつも置いてあった。
火はほとんど消えていて、それほど激しく燃えていたわけではないということが分かった。燃えたのは一部だったらしい。煙に見えたのは消火器の噴出液だったのだろう。
江端先生の机の横に置いた無線機のほうを見てみる。そちらに損傷はない。よかった。僕は準備室の近くまで引っ張っていたコードを無線機につないだ。
そのとき、準備室の電話が鳴った。江端先生がとる。
「どうしました?」
何を言っているのかわからないが、かなり切羽詰まった感じである。
「わかりました。すぐに行きます」
先生は受話器を置いて、言った。
「ちょっと問題が起こったようです。君たちもついてきてください」
僕たちは顔を見合わせて、走って出て行った江端先生の後を追った。
江端先生が向かったのは図書室だった。
「まだ燃えていますか?」
司書の先生に江端先生は尋ねた。
「鎮火はできましたが、本が数十冊ダメになりました」
「消防に連絡は?」
「もうしました」
「ちょっといいですか」
江端先生は図書室の中へと入ってゆき、燃えたあたりを見に行った。
燃えたのは図書室の奥で東側だった。
「うわー結構派手に燃えていますね」
江端先生の言うように棚にある本がほとんどダメになっていた。
「本当に参りますよ。昨日せっかくバーコード化した本ばかりが燃えるんですから。昨日の労力を返してほしいです」
「燃えたのに心当たりはあるんですか?」
江端先生は尋ねた。
「本の近くに火の気なんて全くないですよ。不可解極まりないです」
「生徒のいたずらにしては質《たち》が悪すぎますね」
同時多発的に学校でボヤ騒ぎが起こった。新聞の記事くらいにはなるかもしれない。
僕は不安を感じた。日常が壊されるというのは、当事者にしてみれば不快以外の何物でもない。
「君たちはいいからもう戻りなさい。これは緊急会議を開く必要がありそうです」
先生にそう言われて僕らは部室へと戻っていった。
「犯人とかいるんかな? あのボヤ騒ぎ。テロ?」
僕は何も言わなかった。
テロか。あるいはそのほうが良かったのかもしれない。
「おい、どうした?」
僕は口が重たくなっていた。
気分の良い話ではない。……だが、話さなければならないのだろうか。
「……僕犯人が誰か知っているよ」
その言葉を聞いた文彦は、目を見開いて僕を見た。
』
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